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目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

ゼロ・グラビティ ★★★★★

2013-12-15 10:50:03 | ★★★★★
ゼロ・グラビティ ★★★★★



(あらすじ)
地表から600km上空。すべてが完璧な世界。そこで、誰もが予測しなかった突発事故が発生。スペースシャトルは大破し、船外でミッション遂行中のメディカル・エンジニアのストーン博士(サンドラ・ブロック)と、ベテラン宇宙飛行士マット(ジョージ・クルーニー)の二人は、無重力空間
《ゼロ・グラビティ》に放り出されてしまう。漆黒の宇宙で二人をつなぐのは、たった1本のロープのみ。残った酸素はあとわずか。地球との交信手段も断たれた絶望的状況下で、二人は果たして無事生還することができるのか…!?

主演は米アカデミー賞®受賞のサンドラ・ブロック(『あなたは私の婿になる』『しあわせの隠れ場所』)とジョージ・クルーニー(『シリアナ』『マイレージ、マイライフ』)。監督はオスカー®ノミネートのアルフォンソ・キュアロン(『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』『天国の口、終
わりの楽園。』『トゥモロー・ワールド』)。オスカー常連のキャスト&スタッフが集結し、最新VFXと3D技術を駆使した、リアルで臨場感に溢れる大迫力の未体験空間が、あなたを待っている。

(以上 公式サイトより)

TOHO川崎で鑑賞。
とんでもない映画を作りますね…。最初のシーン、随分長い長まわしでしてこのシークエンスを観てるだけで息が詰まるようでした。これは演出的にわざとそうしてるのだと思いますが、それにしても思わず手に汗握る、もしくは息を止めてしまうような映画でした。うまい。
監督は「トゥモローワールド」の人、とくれば、この長回しも納得です。


宇宙ステーションで事故に遭った2人は一体どうやって生き残るのか!というのをたったの90分で描き切るのですが、(劇中でもおそらく4時間弱しか時間は経ってないと思われる)宇宙や宇宙ステーション、に詳しくない人でも描写を見ていけばある程度は理解できるようになっています。
ちなみにマニュアル読みながら主人公がなんとかその場を凌ぐような場面がありますが、恐らく主人公たちは半年とはいえ元の素養と技術者としてのバックグランドがあるからこそ、なんとかなってるシーンも沢山あると思われます。
また、宇宙飛行士がいかに楽天家でなければ務まらないか、というのもまたよくわかる映画でもありました。良作です!一見の価値はあります、が、ぜひ画面の大きなスクリーン、IMAXで字幕無しで観たいものです。




盛大にネタバレします!








タイトルバックからいきなり、真空の宇宙で静かな船外活動の場面から話は始まります。ここからずーっと長まわしが始まるのですがゆうに10分近く、長まわしが続き、ジョージ・クルーニー演じるマットがサンドラ・ブロック演じるストーン博士をキャッチするまで延々とワンカットで話が続きます。人工衛星の破片がどんどん飛んできて、船外活動中に投げ出されたストーン博士をなんとか、マットが助けに向かうのですが、ここまでが全てワンカットなのです。船外活動の風景も映し出されるのですが、これがまたすごい映像です。CG全盛時代とはいえ、一体どうやって撮影したのか?と思うくらいの映像でした。

助けられたストーン博士と共にマットは宇宙船を経由しISS(国際宇宙ステーション)に向かいます。結局、宇宙船では誰も生き残っておらず、マットとストーン博士はなんとか、ISSに辿り着きますが、うまく飛び移れず、マットはそのまま、宇宙に投げ出され、帰らぬ人になってしまいます。悲しいのはマットもまたここでうまく飛び移れていれば、恐らく無事に地球に帰還できていたであろう気がすることです。まあ、映画なので、もしもはないのですけども。
ジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロック、2人しかいない出演者なのに、途中で1人になってしまうという思い切った脚本です。
マットとの最後の交信はとても皮肉にもストーン博士を後押しし続け、宇宙服の中が二酸化炭素で充満し死の淵に立たされるストーン博士と、既に死の淵を超えて彼岸に立つマットが挫けそうになるストーン博士にエールを送り続ける、という悲しい対比になってしまいました。
瞳の色についての会話などの節々から宇宙という環境で、人は自分のパーソナリティに向き合うのだなあ、と感じさせられました。

ここまでもストーン博士の酸素がいきなり10%しかないところから始まっており、この酸素が切れるかどうかハラハラするところも序盤の要素の一つになっています。
ISSに到着できた、ストーン博士ですが、ここでようやく、宇宙服を脱ぐことができ、一瞬だけ息をつくことができました。この瞬間がとても構図的に美しかったですね。真空かつ仲間の命を簡単に奪った宇宙環境の中で、扉一枚隔てて、生と死を分かつエアロックの中で一瞬の静寂に包まれる。丸っこい宇宙服を脱ぎ捨ててスタイル抜群のサンドラ・ブロックが出てくるシーンでようやくこの映画は有機的な生き物の全身を画面の中に映し出すわけです。このシーンを除くと後はラストシーンしか、サンドラ・ブロックが生身の全身を晒すシーンは無いのですが、これもまた狙った意図があるものと思われます。
ここに至るまで仲間は真空の中で凍りつき死に、1人はデブリが顔面を貫いていてなかなかに衝撃的な絵面が続いていただけに、観る者にも飛んでくるデブリ(破片)の恐ろしさ、真空の宇宙へ放り出される恐怖を叩き込んでくれます。
それだけに宇宙服はこの冷淡かつパーフェクトな宇宙と人体を隔てる壁、鎧となって人を包んでくれている、ということを端的に伝えてるわけです。


この後、火事になってしまったISSを脱出しますが、なかなかISSを脱出出来ない、という展開がまた焦らされます。デブリが再び飛び交う中でなんとかパラシュートの残骸を振り切って脱出します。

が、ここで燃料がなぜかゼロになっており、どうしようもなく自暴自棄になったストーン博士は死を覚悟します。どうやっても助からないと悟る直前、大声で憤る彼女の声は真空の宇宙には届かない、ということを宇宙船の窓から映しだす演出もまた素晴らしい。この宇宙でたった一人なのだ、ということが端的に表現されす。
絶望した彼女は酸素供給を止め、眠りにつこうとしますが、そこへなぜかマットが再び登場します。彼は宇宙船のエアロックを外から強引に開け、入ってきて彼女に逆噴射ロケットは試したのか?必ず生きて帰るんだ、と言います。これは結局、ストーン博士の見た幻想なのか、幻覚なのか、わかりませんが、やはりマットは席の隣にはおらず、しかし、これが逆噴射ロケットを試すきっかけ、そして彼女を奮起させることになります。


幻覚の中でマットはストーン博士に、逃げるのではなく、地球できちんと自分と向き合うんだ、と諭します。ここに至るまでにマットとの会話の中で、ストーン博士は幼い娘を亡くしてそれからはずっとやるせない気持ちに囚われていたことを吐露していました。そんな彼女に生きろ、生きて向き合え、とマットは言い続けるわけです。

彼女は脱出手段が残された中国の宇宙ステーションに着陸時に使用する逆噴射ロケットを使って向かいます。

中国の宇宙ステーションに飛び移るシーンなどは多分、文字通り「天文学的にラッキー」なんだとは思うのです。軌道計算とか綿密にすれば、試す気にもならないくらいには厳しいトライアルだとは思うのですが、一度死ぬ気になったストーン博士にとってはそこは乗り越えられる問題だったのでしょう。

中国の宇宙ステーションでもまた各種スイッチが中国語だったり、既に大気圏突入状態だったり、ととんでもないことのオンパレードですが、彼女は遂に大気圏突入し、地球へ帰ってくるわけです。


そこから、脱出ポッドが湖?に着水し燃える機内から脱出しようと扉を開けると水が流れ込み彼女は今度は溺れ死にそうになります。

上手いなあと思うのは、作中、殆どの間、ストーン博士を包んでいた宇宙服が最後の最後で水中で足枷になる、という展開です。観ている方はやたらとハラハラとさせられるシーンなのですが、ほんのちょっとしたことで足を取られ、死に至ることがあり得る、ということですよね。トゥモローワールドでもあっけなく序盤で仲間が殺される展開とかありましたが、この監督はその辺りの機微や思い切りは素晴らしいものがあると思ってます。

ストーン博士は宇宙服を脱ぎ捨てて、水面になんとか浮き上がります。そして、岸辺に辿り着くのですが、なかなか起き上がれません。重力が彼女を縛っている様がまた長い宇宙生活を物語らせます。(この辺りの描写は上手い!と思います。宇宙で生活してると自立するための筋肉が必要無いので、筋肉は衰えてしまうんですよね。筋トレ必須です)

そして、彼女は歩き出し、映画はgravityの7文字とともにエンドロールに向かいます。

この映画、パーフェクト!じゃないですかね。うん、特に腐すような部分が殆どない。
デブリが彼女にだけはなぜか当たらない、というのは作劇上仕方のない都合の良さでしょう。地球を一時間半で周回してくるデブリが少しでも掠ったらそれだけで即死亡でしょうし。
中国の宇宙ステーションの人たちはどうなったのだろう?とか気になることは他にも幾つかありますが、それもまあ描く必要のない些末な話ですし。

宇宙飛行士という仕事は近年、何かとフィーチャーされることが多いですが、(日本でも宇宙兄弟とか仮面ライダーフォーゼとか色々ありましたよね)問題解決のスペシャリストである必要があるのだな、と毎回思わされます。限られた資源、限られた時間、限られたリソースの中で常に答えは一つじゃない。同じ答えでも解き方は一つじゃない。発想の転換が必要。一瞬の判断のミスが自分だけでなく、仲間を殺す。優秀さが全てではない、冷静さだけじゃなく、楽観性がとても大事になる。能力は平均的に高く、何かは必ず突出したスペシャリストでなくてはいけない。
様々なことをうまーく、この映画は描いている上に、人間までしっかりと描き切っています。

それでいて、宇宙空間の表現としてはおおよそ考えられる限り、文字通り見たことのない映像を人々に届けてくれました。繰り返しになりますが、この映画は3DかつIMAXでぜひ見て欲しいです。その価値がある映画だと私は思います。

おおかみこどもの雨と雪 ★★★★★

2013-04-07 17:33:17 | ★★★★★
おおかみこどもの雨と雪

飛行機で観てたら最後まで観られずとても気になっていたので、仕方なくBDで再度観ました。かなり後半まで観ていたのですが、これは最初から観直して大正解でした。雨の日や嵐の日に観るとほっこりとした気持ちになれますね。

色んなところで既にたくさん語られているので、改めて言うことでもないのですが、私がこの映画を観終わって思ったのはこの映画は「"おおかみおとこ"でなくても成立する、」ということです。
だから、しょうもない話だとかそういうことではなくて、むしろ、それくらいに子育てとか家族のこととか人生のこととか、生きづらい都会や田舎の暮らしの難しさのことを克明に描いていると言うことです。素晴らしい映画です。観てよかった、と心底思いました。むしろ、劇場でなぜ観なかったのか。先入観にとらわれてはいけませんね。
今のところ、私は、おおかみこども>時をかける少女>サマーウォーズの順で好きです。

ネタバレします!

(概要)
「時をかける少女」「サマーウォーズ」の細田守監督が、「母と子」をテーマに描くオリジナルの劇場長編アニメーション。人間と狼の2つの顔をもつ「おおかみこども」の姉弟を、女手ひとつで育て上げていく人間の女性・花の13年間の物語を描く。「おおかみおとこ」と恋に落ちた19歳の女子大生・花は、やがて2人の子どもを授かる。雪と雨と名づけられたその子どもたちは、人間と狼の顔をあわせもった「おおかみこども」で、その秘密を守るため家族4人は都会の片隅でつつましく暮らしていた。しかし、おおかみおとこが突然この世を去り、取り残されてしまった花は、雪と雨をつれて都会を離れ、豊かな自然に囲まれた田舎町に移り住む。「時をかける少女」「サマーウォーズ」に続いて脚本を奥寺佐渡子、キャラクターデザインを貞本義行が手がけた。(以上映画.comより)



誰もが直面する子育ての苦労、都会の生きづらさ、田舎の自然の厳しさ、学校生活の難しさ、こういうことをアニメならではの躍動感で描いているのが、この映画なのだな、と感じます。
おおかみこどもたちはやんちゃに走り回り、部屋の中をぐちゃぐちゃにしてしまいます。ティッシュは引っ張り出すし、食べ物はこぼすし、戸棚は全部開けてよじ登ってしまいます。でも、これ、普通のこどももやってしまうことなんですよね。おおかみのこどもだから、柱齧りがプラスされますが、まあ、せいぜいそんなところで、誰もが大人を困らせた行動なのですよね。
おおかみおとこは物語序盤でいなくなってしまいますが、これもまたよくある話でして離婚であったり死別であったり子育ての重圧から来る失踪だったり、世の中にはありふれた話です。(遺体をゴミ収集車に放り込まれる、と言うのはいくらなんでも実写だと残酷描写だなあ、とは思います。ここはアニメでよかったところ)
雪の「匂い」からのひっかきエピソードも別におおかみ、でなくてもよかったりするし、雨が家を出て行ってしまう話も含めて究極的には全てにおいて、"おおかみ"を別のファクターに置き換えてもお話は成立します。
でも、そんな話だからこそ、おおかみというファクターを入れ込むことによって絵的な面白さとお話としての物珍しさも取り入れることが出来、作品としては結果的に面白さはプラスされていると思いました。あ、あと、おおかみである、と言うことで、描写が端的に描きやすい、と言うのも感じるシーンがいくつかありました。

おおかみこどもの母親である花は通っていた大学を中退し、頼る両親がおそらくおらず(劇中父親の葬式があったことが語られる)、田舎町に移り住むわけですが、(ロケハンは富山で行われたようですね)移り住んだ古民家がまたかなり古く、住むのにも一苦労、子育てともあいまって大変に苦労するわけです。彼女はくじけそうになりながらも、次々と目先の課題をクリアしながら、ご近所さんとも徐々に仲良くなり、畑で野菜を育て、こどもは小学校に通うまでになります。
この映画は前半の花の苦労話と、後半の雨と雪のこどもから大人になっていく様を描いた話になっています。

花は序盤から芯は細そうに見えてなかなか肝のすわった女性であり、結果的に1人でこども2人を育て上げます。(結果的に雨は山に行ってしまいますが)
まさに母は強し、を地で行く展開なのですが、そんな彼女が一番動揺するのは旦那さんが亡くなった時でも、野菜が枯れてショック受けてる時でもなく、息子の雨が山に行ってしまうシーンなのですよね。親の子離れを最後に描く、という意味でここで初めて、花は一段成長するのですよね。この先のエピソードが無いのが残念ですが…。

雪の告白シーンは映画の中でも白眉のシーンです。
嵐の日に、小学校にこっそり隠れて残って窓を開けてカーテンが揺らぎながら、姿が人間からオオカミになり、そして、また人間になる。それを、同級生にずっと言えなくてごめんね、と謝りながら涙を流すのですが、ここは涙なくして観られない名シーンではないかと思います。(よくよく考えるとこれもセリフや見せ方まで計算して実写でやろうとするととんでもなく難しく、小説だとこの美しさは伝わらず、まさしく"アニメならでは"のシーンだと感じます。)
この同級生との一連の話は最初の「お前ん家、ペット飼ってるだろ?なんか、獣の臭いがするんだよなあ」から始まるわけですが、全てに殆ど無駄がなくよく考えられた展開だなあ、と思いました。これは映像作品ならでは、ですが、確かに匂い、というファクターは言われなければわからないポイントであり、ここを第一次成長を迎えつつある小学校四年生の女の子に無神経に同級生の男の子が投げかけてしまうところまでいちいちリアリティあるなあ、と。

細田守作品の端的に素晴らしいところをいくつか挙げるとしたら、みなさん、食べ物の美味しそうな描き方を挙げると思います。おおかみおとこが雉を狩ってきて、雉で鳥雑炊を作ってあげる描写などはかなり印象に残ります。食べ物美味しそうに描く、と言うのはアニメでは実は何気なくとても大事なことでして、観ていてほっこりするんですよね。

その他、雨と雪の本格的な喧嘩のシーンなどはこれもまたオオカミに変身するからこそ、やたら激しく家中めちゃくちゃになってしまいますが、「丁寧に母親が掃除して手入れしてきた部屋をあっさりとなぎ倒す子供ら」と言うのも子供の時と親からの目線では違って見えるでしょうし、(花が夫の写真が立ってる本棚をなぎ倒されたときに、一瞬「ああっ」と言うあたり、彼女の心の支えがその写真だったりする、と言うのもまた描かれてて芸が細かい)小学校高学年になると、男の子と女の子では徐々に喧嘩した時の力も逆転し始めたりする、と言うのもリアリティのあるお話です。

挙げればきりがないのですが、この映画はそういった細かい所作の描写の積み重ねで話が構成されており、美しい自然の描写やとても現実的な目線で話が積み上げられてるのですよね。アニメならではの描写とうまく組み合わせつつ、きちんと最後まで隙なく描き切った細田守は完全にジブリとは違う「親が安心してこどもに観せられるアニメとしての細田守ブランド」を作り上げつつあるのではないかな、と確信した作品になりました。次回作にも大いに期待したいと思います。今度は絶対映画館で観たいですね。

東京家族 ★★★★★

2013-01-27 20:02:24 | ★★★★★
東京家族

TOHOシネマズ上大岡で鑑賞。

(映画解説)
「男はつらいよ」「学校」シリーズの山田洋次81本目の監督作。映画監督生活50周年を機に、名匠・小津安二郎の「東京物語」(1953)にオマージュをささげた家族ドラマ。瀬戸内海の小さな島に暮らす平山周吉と妻のとみこは、子どもたちに会うために東京へやってくる。品川駅に迎えにくるはずの次男・昌次は間違って東京駅に行ってしまい、周平はタクシーを拾って、一足先に郊外で開業医を営む長男・幸一の家にたどり着く。すれ違った周平も遅れてやってきて家族が集い、そろって食卓を囲む。「東京物語」の舞台を現代に移し、老夫婦と子どもたちの姿を通じて、家族の絆と喪失、夫婦や親子、老いや死についての問いかけを描く。
(以上、映画.comより)

展開やあらすじは東京物語のあらすじを知っていたので、大まかには想像していた通りだったのですが、それでも、泣かされてしまいました。

ネタバレします!というか、あまりネタバレとかを気にしなくてもいい映画です。

東京で開業医で生計を立ててる立派な長男、理髪店を営む長女、兄といつも比べられながら不安定な舞台芸術の仕事で食いつなぐ次男。この三人の人物造型も、昭和から平成にかけての家族の普遍的な形だと思うし、小津監督が昔描いた東京物語の骨子がどれくらいしっかりとした土台の話か思い知らされる思いでした。

私からすれば、家族が揃って食卓を囲んだりするなんて、とても羨ましい話でして、この美しいながらも、現代の東京や日本の家族の形の古き良き美しいところを見せ付けられたような気がしました。(ただ、よくよく考えると、この映画、この家族が食事を一緒に食べるシーンはついぞ描かれていないのです。食後のシーンは描かれるのですが。ホテルで夫婦が食事を共にするシーンはあるんですけどね。この辺りはよく計算されているなあ、と感じます。)

私の父も定年し、いつか、周吉と同じように誰が世話をするのか、みたいな話が交わされる日が来ると思うと、誰にでもいつか訪れるんだな、と感じるのです。

この映画に悪人はいません。みんなが一人一人の都合があって、生きている。家族だけど、夫婦は他人、それでも一緒に生きていくことを決意して艱難辛苦にも耐えて生きていく。たぶん、人生も同じで、みんなそれぞれの事情があって一緒に生きていこうと思った人と歩いていくのだなあ、とそんな気持ちにさせられたのでした。

「感じのいい」人ね、というセリフが何度か出てきます。主には、蒼井優が演じる紀子や吉行和子が演じるとみ子が人物評に使っている言葉です。最近ではあまり聞かなくなった気がします。感じのいい人というのはどういう人か、と言うのは具体的には言及されないのですが、役者の一つ一つの丁寧な所作の積み重ねや表情で、感じのいい人と言うものがどういうものなのか、と言うのはセリフでくどくどと説明しなくても観客には強く伝わるのは素晴らしいと感じました。たとえば、部屋の片付けをする紀子もとみ子も脱ぎ捨ててある上着をそっと椅子にかけてあげたりするシーン。ちょっとした所作なのですけど、こういう所作がきちんと随所に差し込まれることで、感じのいい、ということが伝わるようになっています。
また、一つ一つの言葉選びも素晴らしいなあ、と感じました。「おばあちゃん、こんなんになってしもうた」と言われて、揺り動かされない人なんていないですよね。

中盤、とみ子は紀子に大金を渡し、映画終盤では周吉は紀子に正式な形見分けの前に、とみ子が30年も使っていた時計を渡してしまいます。お金だって、たぶん、年金暮らしのとみ子がコツコツと老後のために貯めていたものだろうし、時計だって、周吉がいつまでも持っていたって、よかったものを渡す。映画序盤、この老夫婦はお土産を長女や長男の嫁には渡すけれど、本当に老夫婦たちにとって大切なものは実の子どもたちではなく、いずれも紀子に渡ります。家族と言うものはこうしたことを通じて強く結び付いていくことがある、ということなのかな。紀子は島から出るフェリーの中で、周吉の思いを噛み締めながら、昌次に話すのでした。

あと、周吉の自宅の近くに住んでる女の子があまりに快活で素直で、甲斐甲斐しいところや瀬戸内の美しい島にたった一人で住むことになった周吉のこれからを思うとまた、とても切なくなるよい演出だと思います。

音楽が前面に流れるシーンはあまりなく、これぞ、久石譲!という旋律はエンドロールの余韻で初めて流れ始めます。久石譲という大物を起用しておきながら、足し算ではなく、引き算の劇中音楽にまたもや、感服させられ、涙を流していました。

その他にも色々と、胸を打つシーンがありました。正直、そのどれもが心に響きました。

劇中、平山周吉の旧友である沼田君が飲み屋で、「お前はいいじゃないか。息子は医者になって…」というようなことを言われて、「いや、そうでもないよ」と返すシーンがある。

このシーンは周吉がなぜ、お酒をやめていたのか、寡黙な彼が声を荒げたり、その後、娘の家で暴れたりすることで、彼の人となりが少しずつ浮き彫りになっていく面白みのあるシーンなのですが、(しかも、周りにいる客に「嫌なもん見せられた」「でも、部長もいつかああなるんですよ」と言わせることで、年寄りの愚痴が世間的にはみっともなくはた迷惑で、それでいて、誰にでも避けられないことであることも描いてる秀逸なシーンだと思います。

お葬式のあと、近所のおばさんや紀子が朗らかに笑いながら、お皿洗ったりしてるシーン。お葬式を実際に何度も経験してる人ならよくわかると思うのですけど、よくある光景でして、お葬式にお手伝いに来てくれる人たちや遠縁の親戚はその場が悲嘆に暮れすぎないように(意識せずに)明るく振舞ったり、健やかな笑顔が交わされたりするんですよね。こういうシーンをきちんと丁寧に積み重ねていくのは小津監督へのオマージュでもあるのでしょうね。
横浜の観覧車をボーッと見ながら、滅多に観られるもんじゃないからゆっくり見よう、と語りかける周吉ととみ子のシーンも、同じ瀬戸内の片田舎の人間からすると、膝をうつようなセリフです。東京や神奈川の人からしたら見飽きた光景なんでしょうけどね。このシーンで、悪気なく、東京生活に疲れてる長女や長男は善意から両親である老夫婦を横浜のホテルに泊めさせるわけですが、結局、一泊するだけで、二泊目はキャンセルしてしまうわけです。これもまた、わかる気がします。長女に対してホテル代がもったいない、と周吉は言いますが、初日に惜しげもなくタクシー代で一万円以上支払ってたりするあたり、本心ではないのだろうな、と感じるのです。もう東京には二度と行かん、と言うのも意固地で言っていると言うよりは、息子たちに迷惑に思われたくはないという気持ちからくるものなのだろうな、と。
昌次と紀子が震災復興のためのボランティアで出会ってる、と言うのもまた今という時代を象徴してる。父周吉が心配するほど息子はその日暮らしではないし、多少屈折したにせよ、本当に心の優しいいい子なのだと思います。瀬戸内の温暖な気候で育った快活な心根を持ってるのだ、と今の時代の人たちにも響きやすくキャッチーな表現だと思いました。

私はこの映画を撮ってくれた山田洋次監督にお礼が言いたいなあ、と強く思わされました。同じテーマで巨匠の伝説的作品にオマージュを捧げる、というのは勇気の要ることだし、根気の要ることだと思うけど、それでもこういう形でこの話を楽しめて本当によかったと思う。また、歳を重ねながら折に触れて観たいと強く思わされる稀有な作品だと思います。

桐島、部活やめるってよ ★★★★★

2012-08-18 21:13:56 | ★★★★★
桐島、部活やめるってよ

上大岡のTOHOシネマズで鑑賞。ネタバレせずに話すのが難しい映画なので興味ある方は早く映画館へ!傑作だと思います。今年観た映画の中でもベスト3に入る出来。興行的には苦戦してるそうですが、この映画はぜひ色んな人に観てほしいと思ってます。


さて、ではネタバレします。

(あらすじ)
早稲田大学在学中に小説家デビューし、第22回小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウの同名小説を、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の吉田大八監督が映画化した青春群像劇。田舎町の県立高校で映画部に所属する前田涼也は、クラスの中では静かで目立たない、最下層に位置する存在。監督作品がコンクールで表彰されても、クラスメイトには相手にしてもらえなかった。そんなある日、バレー部のキャプテンを務める桐島が突然部活を辞めたことをきっかけに、各部やクラスの人間関係に徐々に歪みが広がりはじめ、それまで存在していた校内のヒエラルキーが崩壊していく。主人公・前田役に神木隆之介が扮するほか、前田があこがれるバトミントン部のカスミを「告白」の橋本愛、前田同様に目立たない存在の吹奏楽部員・亜矢を大後寿々花が演じる。
(以上、映画.comより)

この映画はどちらかと言うと観た人観た人によって、その鑑賞後の印象が大きく変わる映画だと思うんですよね。傑作!と思う人もいれば、なんじゃこりゃ?な人もいっぱいいると思う。色んな人が作中の登場人物に感情移入しながら観てしまうと思うんですよね。私事ですが、私は高校時代、吹奏楽部でして、そういう意味では劇中の吹奏楽部部長に少し感情移入しながら観てたように思います。

「部長が楽器吹いてるところ、見たら、好きになってくれる人たくさんいると思うんですよね。」

という台詞には思わず背筋がゾゾゾっとしました。いや、この映画の恐ろしいところはこういう地雷原になり得る台詞や描写がそこら中に埋め込まれてるし、その描写がとても嘘くさくない、今を切り取った映画に感じるということです。こういう光景は日本中の高校で繰り広げられていて、これこそが実際の高校生活なんですよね。現実はほろ苦いし、大したドラマもないわけです。

でも、そんな鬱屈した退屈で死にそうになるくらい何者にもなれない自分を常に誰かから突き付けられる世界でもなんとか、生きていかなきゃいけないわけでそんな世界を克明に切り取ってるんですよね、この映画。
決して重なりはしない個々の生活、重ならない感情、すれ違うんだけど同じ教室、同じ校舎で繰り広げられるちょっとした事件。

帰宅部には帰宅部の、吹奏楽部には吹奏楽部の、映画部には映画部の、バレー部にはバレー部の悩みやら苦しみやらがあって、それぞれがそれぞれの世界で戦ってる。学校という小さな世界が全ての彼らの中である日、ぽっかりと居なくなるバレー部エースの桐島に翻弄される人間たちと、そんなの関係なく生きていく人達。

この一連の描写が本当にそこでそういうクラスが実在するかのような空気感で迫ってくる。

私は映画部ではなかったのですが、映画部の前田の気持ちも何となくわかるんですよね。そして、前田が味わうかすみの密かな恋を知ることによる絶望感。同じ経験したことある人間からすると、あれはきっつい。自分と同じ共通項を見つけて喜んでたら、あっという間に地獄の底へ。まー、現実ってそんなもんなのですが、こんな経験を克明に描かれちゃうと、危うく生きる気力を根こそぎ持っていかれそうになります。

あと、この映画では鑑賞後に久しぶりにパンフ買ったのですが監督の話とか総合していくと帰宅部の宏樹が自分の人生の軸と言うか中心が色々あるってことに気付くまでの話なんだ、と。
確かに前田のパートでこの話はクライマックスになりますが、実際には宏樹の話が締めに入ります。彼は野球部に再三カムバックを要請されており、辞め部員としては桐島よりも先輩、辞める桐島の気持ちも少し理解できるにせよ、自分が信じて打ち込めるものがある人の輝きと辛さを野球部のキャプテンと映画部の前田との会話を通じて見つけていくわけですね。映画自体はそこで終わりますが野球部の練習の喧騒で終わりを迎えるこの映画はきっと、彼が野球部にカムバックして活躍することを予想させるものですし、帰宅部の彼らは彼らでまた普通の日常が続いていくのでしょう。

吹奏楽部の部長のサックス練習はどんなシーンよりも緊張感とか焦燥感を感じさせました。こんなこと、実際にあるよね!という。音階練習が思わず途中で止まってしまう、観てるこっちも息が詰まりました。その後の合奏シーンからのゾンビシーンや、吹奏楽部部長の場所取りの一連のやり取りにはいちいちやきもきさせられました。あー、そうそう、ちなみに吹奏楽部のコンクールは本当は夏ですから、冬には大きな大会はありません。でも、その他の描写はいちいちリアルでした。あのキーボードを使って合奏前に音の長さや強さ、ピッチを合わせていく様子は本当にやってますし、それなりの吹奏楽部ならどこでもやってる練習風景でしょう。実際に、うちの高校でも色んな場所で練習してましたし。

映画部の部室が剣道部の中にあるっていうのも、あの狭さも少し意地悪な描写かな、とも思いましたが、実際、映画部が高校にあるだけでも凄いと私は思いました。なかなか難しいですよね、映画部自体が。

帰宅部の方たちの生態と言うのも結構リアルなんですよね。何をするわけでもなく、運動部やら文化部の連中にちょっとした負い目を感じながら、でも、イケてるのは俺ら、私らだぜ、という自負は捨てないし、それがアイデンティティ。まー、それも少し誇張かな、とも思うのですが…。

この映画、スクールカースト、上下関係ものではない、という批評を読みましたが私も同意です。これは別に上も下もなくて、ちゃんと平等なんですよね。スパイスとして、映画部の描写がクスリと笑えるようにはなっていましたが、そんな彼らのことも眩しく見えたのが宏樹である、というところからもこの映画がそういう上も下もない映画であることはわかるかな、と。

とにもかくにも色んな角度で色んな話ができる、そんな映画として幅広い世代の感想が聴きたい映画になっていたと思います。

イップ・マン 序章 ★★★★★

2012-02-12 10:39:34 | ★★★★★
やっとDVDで観られました。ずーっとレンタル中でなかなか観られなかったのです。
カンフー映画の傑作がまた一つ生まれた、ということですね。


イップ・マン(葉問)は実在する人物です。ブルース・リー(李小龍)の師匠としてその世界では有名な方のようです。数百万人がマスターした詠春拳の中興の祖とでも言えばいいのでしょうか。ドニー・イェンが演じており、非常にすばらしい演技を披露しています。彼が体得した詠春拳の型もさることながら、そのたたずまいは相当にイップ・マンという実在する人物をトレースしており、優雅かつ、誠実な彼を演じています。タバコやお茶を飲む姿は相当に研究したのだろうな、と感じさせるものがありました。

日本でも「五福星」などの作品で有名なサモ・ハン・キンポーがアクション指導で参加しており、数々の名シーン、名バウトを構築しています。

音楽は川井憲次が担当しています。ここ最近の川井憲次はその作風は変わらないにせよ、確実に自分の音楽の立ち位置を理解した作品への参加の仕方が目立つように思います。彼の音楽がカンフー映画にもぴったり合うことを発見した監督は素晴らしいですね。


ここからはネタバレ注意です。

序章では、中国の南方・彿山に住む孤高の武道家、詠春拳の使い手としてのイップ・マンが日中戦争時の日本軍による占領下でのやり取りが描かれます。イップ・マンは妻子のある身ですが、どうやら資産家の息子だったようで、豪奢な家に住み、特にこれといった定職にはつかずに友達の事業に投資してあげたりして、暮らしていました。ときたまやってくる来客はみな、武館街(道場街みたいなものですね)の若者や師匠連中で毎日、誰が強いだの、誰が弱いだの、カンフーを教え合ったりしていた。イップ・マンの強さは圧倒的で、それでいて弟子は取らず、周辺の武館の師匠からも、街の人たちからも深く尊敬されていました。でも、それは彼自身が強さに驕らず、常に謙虚で本当に必要な時にしか、その拳を振るわないから、でした。詠春拳は攻防一体、流れる流水のように優美な構えでして、相手の打撃をきれいに受け流し、そして、的確に相手を打ち、倒します。あるとき、道場破りが現れて彿山の武館街の師匠は次々と北派武術の達人であるチョウの道場破りに敗北します。サイモン・ヤムが演じるチョウもなかなか、素晴らしい立ち姿で荒々しい雰囲気が出ており、イップ・マンとの直接対決によって、敗北を悟ると、彿山から逃げ出します。イップ・マンの屋敷でのチョウとの対決はなかなかに見応えがありました。チョウの怒濤の攻撃で、武館街の師匠たちは軒並み敗北したのに、詠春拳の前には何一つ通用しなかったのです。最後は剣まで取り出して、倒そうとするのですが、ハタキにはたかれてチョウは完膚なきまでに敗北します。実際には武器を手に持った相手に勝つには「剣道三倍段」などとも言いますからよほどの実力の差がなければ、そういう圧倒的な試合展開にはならないわけで、この作品ではイップマンは始終圧倒的な強さを誇ります。

日本軍による占領時代になると、イップマンの屋敷は接収されて、極貧生活を強いられるようになり、生まれて初めてまともに肉体労働したりして、なんとか飢えをしのぎながら、妻子とともに耐え忍ぶ生活が続きます。その中で友人が日本軍人との手合わせで死ぬという凄惨な事件がおこります。それを知ったイップマンは確かめに日本軍人たちの道場へ向かいます。当時は占領下、中国人には日本人を糾弾する術は無いに等しかったわけです。その道場では、中国人の武道家をつれて来ては日本軍人と対決させて、勝てば米をもらえる、というシステムで組み手をさせていました。日本軍人は空手をマスターしており、簡単には勝つことが出来ません。その道場でかつての武館街での師匠仲間が一人、イップ・マンの目の前で銃殺されてしまいます。怒りに燃えるイップ・マンはその道場で10人と同時に対決して、勝利を収めます。怒りに震えるイップマンの拳は少し悲哀も感じさせました。本来は怒りに任せた拳は振るうべきではなく、何事も和を尊び、話し合いで解決したい、というイップ・マンの気持ち、生き方を踏みにじるような相手には遠慮などないということでしょう。

彼に目を付けた日本軍人 三浦はイップ・マンを探そうと必死になります。

その一方、友人である周は綿花工場を営んでいましたが、その彼の綿花工場を生活に困ったチョウの一味が襲撃します。イップマンは彼らを守るため、そして、彼らが彼ら自身で戦えるようにするために初めて詠春拳を人に教え始めます。チョウの一味の2度目の来襲に対して、イップ・マンも助太刀し、チョウの一味をすべて倒すことに成功します。このシーンでのチョウに対峙するイップ・マンの長い竹の棒(物干し竿?)での戦いは見物です。カンフー映画ではよく、手近にあるものを武器にして戦うことがありますが、イップ・マンが手に取る得物がいずれもハタキや物干竿だったりして、それでいて、相手が手も足もでないほど打ち据えることができるところが非常に面白い。
チョウの一味にかつての友人の弟がいることを見つけ、彼に生き方を自分で選ぶことを諭すシーンはこの映画の中でもかなり良いシーンになるのではないでしょうか。

三浦にとうとう見つけられてしまったイップ・マンは三浦と直接対決をすることを選びます。

三浦を演じるのが池内博之です。この人選もなかなか意外でした。日本公開は香港公開の3年後ですから、池内博之もなかなかヤキモキしたかもしれませんね。川井憲次といい、日本でも売れている人がアサインされている映画なのだから、もっと早く日本で公開されてもよかったのになあ。。。

三浦は空手の達人で、腕に自信があり、「日中文化交流のため」大衆の面前での対決を望みます。そして、直接対決ではイップ・マンに鋭い攻撃を放ち、何度か彼を打ち据えることに成功します。(この作品では、イップ・マンはほとんど攻撃を受けておらず、唯一、三浦の攻撃だけはクリーンヒットしています)ただ、イップマンの日頃の鍛錬の成果は確実に三浦を捉え、彼を最後は徹底的に打ち据えて試合はイップ・マンの勝利に終わります。そして、イップ・マンは日本軍人に殺されかけますが、友人の助けを借りて脱出することに成功します。

実際、現代でも葉問派詠春拳は世界的には人気な中国武術であり、ブルース・リーの影響もあって、習得を希望する人が多いそうですが、残念ながらこの日本軍占領下のことがあってからか、詠春拳は日本人には教えてはならない、というイップ・マンの教えが伝達されており、香港でもなかなか習得できないそうです。元々詠春拳自体が習得が困難なことも相まって本当に詠春拳をマスターした日本人は少ないそうです。この映画で描かれている内容がどこまで事実かは正直わかりませんが、それでも日本軍人、日本のしたことを許したくない、というイップ・マンの強い感情が根強く伝えられていることは間違いがなさそうです。

この映画の作劇(抑圧からの反抗)はブルース・リー映画のそれと非常に近しいものがあるわけですが、それは彼がブルース・リーの師匠であった事実と十分に関係している、といっていいのでしょう。中国には英国や日本に侵略された記憶があるからこそ、こういった外圧・抑圧への抵抗という図式での作劇が非常に効果的に作劇に作用するという典型的な作品だと言えるでしょう。日本ではアメリカの占領という事実を前向きにアメリカに従順するとい形で昇華して経済成長を遂げただけに、このアメリカへの反抗という感情を爆発させる映画はあまり多く観られないように思います。米国の映画においてもそれは同様だと思います。(米国には西部劇という伝統的な様式美がありますが、あれはまたちょっとまた違いますよね、下手すると迫害の主体だったりするし。SF映画などではよく米国本土は侵略されていますが、相手が具体的な国籍を持った人間ではない、ことがポイントです。)映画はそれが制作される時代背景や、描かれる時代、公開される場所によって色々な類型的な特徴を持つことになりますが、このイップ・マンではそのことを非常に考えさせられましたね。


仮面ライダーフォーゼ&オーズ MOVIE大戦2011 MEGAMAX ★★★★★

2011-12-11 19:34:28 | ★★★★★
仮面ライダーフォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGAMAX ★★★★★

TVシリーズの仮面ライダーオーズが終わって仮面ライダーフォーゼが始まって三ヶ月、ここまでの映画体験をさせてもらえるなんて思ってもみませんでした。
★五つは当然、TVシリーズをきちんと見てる人に限られる評価かもしれませんが、少なくともアギトのプロジェクトG4に始まる平成ライダー映画の中では最高傑作確定です。特撮、いや、ヒーロー映画の括りで観ても安定感抜群、アクションてんこ盛り、そしてまとまりのある映画でした。
それにしても一つずつのエピソードを思い出すとバラバラにも思えるのに、きちんとまとまってます。これはひとえに財団Xの存在が大きいですね。きちんとWのTVシリーズの頃から黒幕的存在として暗躍してきただけあって、一本筋の通った悪の組織になってます。NEVERにもゾディアーツにも鴻上ファウンデーションにも「出資」という形で関わってましたよー、というのは中々に面白い。よく特撮ファンの間では無限に暗躍する悪の組織の開発費や活動費などの「資金源」が気になるって話になりますが、こういう存在が居ると納得性が格段に上がります。この設定は今後も活かせそうですね。
ディケイドで一区切りついたのか、今回は平成ライダーはW、オーズ、フォーゼだけ。そして、昭和ライダーも一号からストロンガーまでとなっています。ライダーの場合、登場してないライダーもどこかで戦ってる、と思えるからこれくらいの人数の方が描きやすくていいですよね。ストロンガーまでの理由は学園祭の仮面ライダー部のハリボテシーンでわかりますよね。フォーゼのキャスト、ライダー部の面々の役名が歴代ライダーのアナグラムというのは前から言われてることでしたが、ここへ来てこういう形で描かれるとはね。

さて、今回はネタバレメガマックスです。




映画は隕石が落下してくるところから始まります。そして、昭和ライダーたちの戦闘から始まるわけですが、今回はストロンガーまでに絞ったおかげでここで一つの役得が生まれます。残念ながら今回も中の人登場は叶いませんでしたが、各昭和ライダーの必殺技がしっかりと描かれます。後半ではV3の反転キックやXのライドルスティックを使ったXキックなどもワイヤーアクションたっぷりで見られます。(最高!)
ライダー2号のライダーパンチもしっかりとしたエフェクトで描かれていてSPIRITSっぽさがあってすごくよかったです。坂本監督、ワイヤーの人というイメージが強いですが、この2号のライダーパンチでは重みの表現もうまくできていて、かなり嬉しかったですね。あ、ちなみにライダーパンチは後半で観られます。

オーズ編からまず始まります。早速未来からの来訪者によって大変な事態になります。
暴走したコアメダルの化身と40年後の仮面ライダーアクア。今回のオーズでのゲストキャラと設定は中々に奇抜ですが面白いと感じます。しかも、事態の発端はやっぱり年老いた鴻上会長というオーズの少ない登場人物で完結、という特徴を活かした展開になってます笑。
40周年記念に40年後のライダーが出てくるというのは中々に素敵な設定です。アクアはあまり主人公っぽくはないデザインですが、40年後にも仮面ライダーがコンテンツとして残っていて、彼が主人公のTVシリーズが展開されたら素敵だな、と思わされます。水が苦手な水の力で変身するライダーというのも面白い設定。彼が水への恐怖を克服し、成長する、というのもまた一つのこの映画で描かれてるわけなのですが、この短時間でよく描けてるなあ、と感心しました。そして、アンクの登場。今回は、刑事さんの肉体を使わずメダルの力だけで人間体を維持してる、という設定。彼の復活の謎はそれほど難しい謎ではないものの、そこが一つのフックとしてオーズ編は展開します。ちゃんとオーズ編の最後でバックトゥザフューチャー的な展開で説明してくれます。
510さんと伊達さんも登場。残念ながら彼らははあまりいいところが無く、バースも伊達さんのプロトタイプは初戦敗退と残念な引き立て役になってしまいました。バースのテーマ曲ってかなりカッコいいのですが…。そして、登場時のイメージか、伊達さんのバースって、かなり強いイメージあったんだけどな…(^^;;今回は、セルメダルでのアタッチメントもあまり登場せず。510さんのバースもブレストキャノンまでは撃たせてもらえたものの、結局強制変身解除、全治三週間と完全にオーズの引き立て役になってしまいました。

今回はクスクシエも知世子さんも里中くんもきちんと見せ場があり、オーズのメイン登場人物はしっかりと彼らの持ち味をスクリーンに焼き付けることに成功してます。せいぜい30分の間に本当にしっかりとしたストーリーテリングですよね。

個人的には映司がアクアに対して、パンツのことを説明するくだりが良かったなあ、と。TVシリーズ第一話から見せていた異常なまでのパンツへのこだわり。それは「明日の」パンツってとこらがミソなんだよ、って言うシーンは映司もまた仮面ライダーとして一年戦って来たからこそ、増した説得力を持っているように思います。僕らの心の中でずーっとTVシリーズの勇姿が焼き付いているからこその名シーンだな、と。
アクアの助勢もあり、なんとかコアメダルの暴走を止めることに成功して、アクアが未来へ帰っていき、未来のコアメダルが財団に奪われ、オーズ編は終了。

Wについてはテロップなしの短編が挟まります。まさかのフィリップ変身拒否(笑)により、まさかの仮面ライダージョーカー再登場。製作陣もファンも翔太郎単身で変身する仮面ライダージョーカーが好きなんだなあ。本編含めてまだ、数回しか出て来てないフォームなのに!(笑)
翔太郎のクールな三枚目は健在ですね。ライダーパンチがまた観れたのは本当に嬉しい。

そして、フォーゼ編。
今回は学園祭シーンからスタート。学園祭では様々な催し物をやってるわけで、この題材を使えば、TVでもいろいろできたはずですが…まあ、映画優先ですかね。

仮面ライダー部がしっかりと「部になってる」良いタイミングでの映画公開だったため、今回も彼らの「友情」を基軸に物語は展開します。
それにしても、リーゼントの高校生 弦太郎の恋という、子どもには少しハードルの高い題材をうまく描きましたね。初恋の相手がメタリックな宇宙生命体というのも可哀想な話ですが…。ターミネーター2を彷彿とさせる生命体が物語のキーの一つになっており、女性ライダー、仮面ライダーなでしこという飛び道具も登場。真野さんは中々にこの「実は宇宙生命体」というぶっ飛んだ役をうまくこなしてますね。月のシーンでヘルメット外して銀色の液体になってしまうシーンとか中々にアイドルにはつらい描写ですが…苦笑。嫌がる人もいるでしょうけど、しっかりこなしてるのは偉いなあ、と。仮面ライダーなでしこについては、まあ、ちょっと観てる方が恥ずかしくなるものの、許容範囲内かな…(^^;;ノーベルガンダムとか許せる人なら多分大丈夫かな、と。

弦太郎のデートシーンも中々に面白い。弦太郎は真面目な奴なので、今後、TVシリーズでは彼の恋模様は恐らく描かれることがないんだろうなあ、とも思いますが…。
男が泣いていいのは財布を落としたときと、失恋したときだ、ってのは中々に面白いセリフだよね。
ってか、マジで失恋というか、ほぼ死別に近い悲恋を経験させてしまうわけで、今回の劇場版での弦太郎の成長度合いたるや、推して知るべしですよね。彼の泣く時間を必死に作るために確保する仮面ライダー部の面々の優しさには本当に胸が打たれました。そう、どんなに敵が近くにいたって、泣きたいときがあるんですよ、男にだって。いやー、こういうワイワイガヤガヤな面々で繰り広げるトレンディドラマ的展開がフォーゼの真骨頂なのだな、と今後のTVシリーズも安心して観ていられそうだな、と確信するに足る展開の熱さを見せてもらいました。

そして、そこから普通にバイクで映司登場笑。そんなに近いの?学園と。(^^;;「友達はたくさんできた?弦太郎くん。」という映司の台詞にはしっかりと映司らしさが詰め込まれてましたね。

ここから、Wとも合流して四人揃い踏み。翔太郎と弦太郎が盛り上がって、それをフィリップが冷ややかに見てて、映司が冷静に止めに入るという、形で彼らの人となりを短時間で描き切る。坂本監督の手腕たるや、凄まじいものがあります。
ここからは、Wと別れてフォーゼとオーズは財団を追い、Wは彼らの追っ手を食い止めます。翔太郎はちゃんと映司と会った時の「ライダーは助け合いでしょ」という台詞を覚えてるというところが胸熱ですし、弦太郎に「先輩」と呼ばれてる絵がまた胸が熱くなります。二人で一人の仮面ライダーという、途中まではあきらかに半人前ライダーだった彼ら。仮面ライダースカルという大先輩ライダーの背中を追いかけ続ける二人にとってはむず痒くも悪くない展開だったに違いありません。このようにきちんと過去の作品をしっかりと踏襲した脚本になっており、過去の作品をきちんと観て来た人ほど楽しめる作品になってます。

完全にここからの後半戦はアクションてんこもりシーンでした。オーズは全コンボを披露し、次から次へと敵をなぎ倒し、フォーゼも各種これまで出てきたスイッチを活用して戦います。オーズのコンボは流石に大量の敵と戦うのに向いてますね。
Wもいくつかのメモリの組み合わせを披露してくれます。やっぱりW、かっこええ…そして、主題歌もばっちり流れるところにWへの愛を感じました。タイトルにこそ書かれてないですが、この映画のW率は結構高めです。残念ながら風都のメンツやアクセルや所長は出て来ませんが…(^^;;

そして、ラストバトル。オーズはここへ来てさらに未来のコアメダルで新フォームを披露。フォーゼもロケットの新フォームで成層圏バトルを繰り広げます。CGとワイヤーの上手いシームレスに見える組み合わせでハイスピードバトルを完璧に描いていました。

最後は、撫子とのxxxも少しだけあるのですが、その後の「恋ってほろ苦いね…」という先輩ライダー映司の優しさが痛い展開に笑わせてもらいました。オーズやWの面々の再登場を祈るばかりです。メインキャストも段々大物になっていくケースが多いですしね…。
そして、メテオが少しだけ顔見せし、ギャバンVSゴーカイジャーとライダーvs戦隊の映画予告でてんこ盛りの映画は終了しました。


はっきりと大傑作ですよね。ファンのツボをしっかりと抑えつつ、アクションは坂本監督お得意のワイヤーとCGの高次元の融合、テーマ音楽も惜しげもなく投入し、主題歌まで流し、新ライダーまで二人も出しつつ、強大な敵も何人も出しておきながら90分で全て収拾つける。(撫子が空から降ってきた理由だけが描かれてませんが気にならないレベル)きちんと台詞の端々にTVや劇場版の細かい伏線回収などをさせてるし、アクションもファンが観たいモノをしっかりと取り込んでる。こんなお得な大人も子供も楽しめる映画なかなか作れないですよ。ほんとに驚愕です。個人的にはかなりの上位ですよ、今年公開映画の中でも。


ライダーファンにはほんとにオススメです。

レナードの朝 ★★★★★

2011-05-13 00:15:08 | ★★★★★
地上波で放送されていたものを鑑賞。
カットが多くてちょっとなみだ目でした。
やはり劇場、もしくはDVDで観るのが吉ですね。
大まかなあらすじなどは理解できましたが、満足感が段違い。

(あらすじ)
1969年、ブロンクス。慢性神経病患者専門のベインブリッジ病院に赴任してきたマルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)は無口で風変わりな男だったが、患者に対する態度は真剣で、彼らが話すことも動くこともできないものの、まだ反射神経だけは残っていることを発見すると、訓練によって患者たちに生気を取り戻すことに成功し、その熱意は治療をあきらめかけていた看護婦のエレノア(ジュリー・カブナー)の心をさえ動かしていった。そんなセイヤーの患者の中でも最も重症なのがレナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)だった。彼は11歳の時発病し、30年前にこの病院に入院して以来、意識だけはあるものの半昏睡状態で寝たきりの生活なのである。何とか彼を救おうとしたセイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みる。そしてある朝、ついにレナードはめざめを迎えた。

(以上 goo映画より)



これまでも各所で評判は聞いていましたが、これは涙なくしては観られない映画です。実話だというのですから、更に驚きです。もともとはオリバー・サックスの著書を舞台にしたものを映画化したとのことです。映画として観たときのテンポの良さ、音楽のチョイスの妙は本当にこの映画を映画たらしめているな、と。更に名優ロバート・デ・ニーロの素晴らしい演技が相俟って作品をさらに良いものにしていると感じました。
音楽では、やはり食堂でのダンスのシーンで流れるdexter's tuneが涙なくしては聴けないシーンになっており、この曲を聴くとあの切ないダンスシーンが目に浮かびます。

30年間眠りについている、植物人間の状態に陥ることなど、想像もつきませんし、「もし、自分がこんな目にあってしまったら」と考えるのも難しい話です。それだけに、最初にレナードが目覚めるシーン、彼の映写機の前でのセリフ、そして、徐々にまた訪れる麻痺の恐怖も含めこの病気の恐ろしさも生きることの素晴らしさ、喜びもまた彼が映画の中でたくさん見せてくれます。

原題は「Awaking」つまり目覚めという意味なのですが、目覚めるのは何も患者たちだけではなく、この作品に登場する人物がそれぞれ色々な気付きを得ることがそのまま「目覚め」なのだと思います。
決して治らない病気だという思い込みが晴れる病院の人々、1人で研究ばかりに没頭することを一旦止めて人とのふれあいの大切さを気付くセイヤー、そして、30年の眠りから目が覚めるレナード。皆が皆、映画の中では活き活きと描かれており、「目覚め」を豊かに表現している。

この映画はぜひ観ておいて損は無いと思います。

映画館で見たかったなあ。。。


グラン・トリノ ★★★★★

2011-05-08 13:56:50 | ★★★★★
グラン・トリノ
DVDで鑑賞。

(あらすじ)
フォードの自動車工を50年勤めあげたポーランド系米国人、コワルスキーは、愛車グラン・トリノのみを誇りに、日本車が台頭し東洋人の町となったデトロイトで隠居暮らしを続けていた。頑固さゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人と悪態をつき合うだけの彼は、亡妻の頼った神父をも近づけようとしない。コワルスキーを意固地にしたのは朝鮮戦争での己の罪の記憶であり、今ではさらに病が彼の体を蝕んでいた。
その彼の家に、ギャングにそそのかされた隣家のモン族の少年タオが愛車を狙って忍び込むが、コワルスキーの構えた銃の前に逃げ去る。その後なりゆきで、タオやその姉スーを不良達から救ったコワルスキーは、その礼にホームパーティーに招いて歓待してくれた彼ら家族の温かさに感じ入り、タオに一人前の男として仕事を世話してやる。だが、これを快く思わないモン族のギャングが…
(以上Wikipediaより)

クリント・イーストウッド監督、主演作品。エンディングでは歌まで歌ってるという、イーストウッド尽くしの映画。映画館で見事にスルーしてしまい、DVDで観る事になってしまいました。映画館で観るべき映画でしたね。2009年鑑賞作品では自分の中ではベスト1の映画でした。
各所で語り尽くされてる事ではありますが、この映画はイーストウッドが好きな人なら必ずと言っていいほど随所にイーストウッドの小ネタが差し挟まれており、楽しめる映画でありながら、全くイーストウッドを知らなくても人間ドラマとして見事なまでに楽しめる素晴らしい作品になっています。イーストウッド作品をたくさん観て来たファンであればあるほど、この作品でイーストウッドが演じる役柄の意外性であるとか、テーマには泣けるのではないでしょうか。それにしても家二軒で殆ど展開されるため、このお話って殆ど製作費はビッグバジェットムービーと比べても安いものになっていて、それでこんなに内容の濃い映画が撮れるのだから映画って金も大事だけど金じゃないんだなあ、と思わされるわけですよ。要は撮りたい理由、描きたい世界、テーマを作り手が持っているかがとても大事であって、そういうものがなければアタマカラッポの中身スカスカムービーになってしまうよ、という事ですね。

この映画に出て来るモン族の少年タオとの心の交流を通じて、コワルスキーの罪の意識もまた、変わっていくのですが、まあ、本当に彼の最後に選ぶ選択が涙無くしては観られないわけです。

コワルスキーはフォードで勤めて来た誇りがあり、その誇りが結実しているのが、彼の乗るグラン・トリノなわけです。コワルスキー自身が古き良きアメリカの象徴として描かれており、東洋人に対する負の感情は殊更、戦争での罪の意識も相まって根強いものになっています。彼が最後に選んだ選択が、色んな意味で意味深いものになっていてそこがこの映画の鑑賞後の思案のしどころと言ったところでしょうか。
GMの破綻やトヨタの台頭のニュースが駆け巡った2009年だからこそ、意義深い映画だったとも言えるでしょう。その後のトヨタのリコール問題とその顛末を考えると、イーストウッドが考えてるほどアメリカの魂というのは美しいと手放しに言えるものでも無かったのかな、とも言えますがね。

それにしても、後何作品くらい、イーストウッド作品を観る事が出来るんでしょうか。インビクタスのような名作の事も考えるとこれからもどうか出来るだけ彼の作品は映画館で観ていきたいなあ、と思わされる次第です。

トイ・ストーリー3 ★★★★★

2011-05-05 16:59:02 | ★★★★★
トイストーリー3
DVDで鑑賞。


(あらすじ)
第1作目から10年後。おもちゃ達の持ち主であるアンディは17歳になっていて、おもちゃと遊ぶことからは卒業している。そして、もうすぐ大学に進学しようとしている。アンディは引っ越しに際して、長年のお気に入りだったカウボーイ人形のウッディだけを持っていき、アクション人形のバズをはじめとする他のおもちゃたちを屋根裏にしまうことを決めた。
ところが、屋根裏行きのおもちゃ達が手違いでゴミに出されるという事件が起こる。危ういところで難を逃れたおもちゃたちは、アンディに「ガラクタだ」と言われたことにショックを受け、捨てられたと思い込み、地元の託児施設へ寄付されるおもちゃたちの段ボールに自ら入り込んだ。託児所「サニーサイド」のおもちゃたちに歓待を受けたバズたちは留まることを決意し、仲間を説得するために同行したウッディは諦めて去ってゆく。
だが、新入りのバズたちに割り当てられたのは、おもちゃを乱暴に扱う年少の子供たちが集う部屋だった。「サニーサイド」が強い人間不信を抱えるぬいぐるみのロッツォによっておもちゃの牢獄と化していることを知ったウッディは、仲間を救うために帰ってきた…
(以上 wikipediaより)


ちゃんと観ていたのにまだレビューは書いてなかったのですね。言わずとしれたピクサーの名作トイストーリーの三作目にしてシリーズ最終作という事もあり、気合の入りようも去る事ながらその映画の展開にも手に汗を握るものがありました。
それにしても、おもちゃを主人公にした映画としてこの映画以上のものが今後現れる事はないのではないだろうかと思わされる映画でしたね。おもちゃが子どもたちが寝静まった夜に動き出すというのは童話としても童謡としてもスタンダードなお話ですが、着想としてはそれだけなのにここまでお話を広げられるものなのだなあ、と。

ネタバレします。
観たい人はもう観てるよね。


自分ももういい年齢なのでおもちゃをたくさん持っているわけではないけれど、子どもの頃には人並みにたくさんのおもちゃに囲まれて遊んでいたし、おもちゃを並べて写真に写ったりしてた。お気に入りのおもちゃができると、どこだろうが構わず持ち歩いて無くしたりすると泣き叫んでいたと思う。子どもの頃には団地暮らしだったので団地の四階からお気に入りのおもちゃを落としてしまったりした事もある。おもちゃは捨てられたらどこに行くのか、そして、捨てられなかったおもちゃはどういう風に扱われれば彼らにとって幸せなのか、という事を考え込んでしまうラストでした。正直、溶鉱炉のシーンとラストのシーンは涙無くして観られないと思います。っていうか、リアルタイムでこの映画を観てきた人たちにとっては時間経過も手伝って、絶対泣いてしまうようなお話でしたね。私は後追いで三作を観た人間なのでそこまでの感慨は無かったのですが、そういう意味ではリアルタイムで三作を観られた人が羨ましい限りです。
おもちゃというのは、子どもにとっては無くてはならないものなのですが、そのおもちゃが存在意義を無くしていく瞬間とはどういう時なのか、遊んでもらえないおもちゃたちの気持ちだとか、そういうものに考えを巡らしてしまうと本当に意義深い作品になっていて、自分に子どもができたら見せてあげたい作品だなあ、と思うのです。
ピクサーの作品にはそういう素晴らしいお話が多いので、これからもこういう作品づくりを続けていって欲しいものです。

愛のむきだし ★★★★★

2011-04-01 01:36:52 | ★★★★★
(あらすじ)
幼い頃に母を亡くし、神父の父テツと二人暮しのユウ。理想の女性“マリア”に巡り合うことを夢見ながら、平和な日々を送っていた。しかしテツが妖艶な女サオリに溺れてから生活は一変。やがてサオリがテツのもとを去ると、テツはユウに毎日「懺悔」を強要するようになる。父との繋がりを保つために盗撮という罪作りに没入していくユウ。そんな彼はある日、罰ゲームで女装している最中に、ついに理想の女性ヨーコと巡り合うが……。(goo 映画より)


DVDで鑑賞しました。「冷たい熱帯魚」「自殺サークル」の園子温監督の映画ということで。。。DVDは前後編で2巻編成になっておりまして、映画そのものの時間も4時間程度ある、ということで休日にまとまった時間を確保して相方と腰をすえて鑑賞しました。

いや、本当に既に関係各所では言われまくった後なので、今更私が言うことも特にないのですが、この映画、めちゃめちゃ面白いよ!まだ観てない人はぜひ観て欲しい映画です。

私が冒頭に書いた「あらすじ」だけ見ると変わった映画だなあ、と思うだろうし、このあらすじだってこの映画の全てを全く説明できていないんだけど、この映画は本当に色んな映画の要素がつまりに詰まっているし、エンターテインメントとしてここまで徹している日本の映画って最近はなかったのではないだろうか、と思うわけです。それにしてもタイトルが出てくるところであんなに笑うとは思わなかった。なんせ、タイトルが出てくるまでに45分くらいかかっているんだよ。そこまでの延々とした前振りですら、前振りですらなかったりするわけで。4時間、とさっき書いたけど、正直4時間なんてあっという間に過ぎてしまうような非常な傑作になっていると思います。

それにしてもこの映画は役者が素晴らしい。そして脚本が濃密、そしてカットが素晴らしい。

役者は言わずもがな、主人公の西島くんはAAAの男の子だし、ヨーコを演じるのは満島ひかりだし、でも、この2人が本当にいい味を出しているし、彼らにしか出来ない役を熱演していると感じました。
本当に素晴らしい。西島くんの盗撮アクションは特に素晴らしい。
満島ひかりのアクションもまたかなりイケている。アクションを指導したのがVERSUSの坂口拓とクレジットを見て納得。特に西島くんのコートの感じとか、VERSUSっぽいなあ、って思ってたのよね。

それにしても、この映画はよかった。

冷たい熱帯魚が全くといっていいほど救いのない映画だったので、(自殺サークルも救いはなかったような)正直、鑑賞後、重たい気分になったらどうしようと思っていたのだけど杞憂に終わりましたね。本当に最後の最後のシークエンスは涙なしでは見られませんでした。


この映画の凄いところは本来であればそのシーン単独で見れば笑ってしまうようなばかばかしいカットがそこまでの積み重ねによって感動に昇華していくというところ。勃起するシーンで泣けるなんてこの園子温監督は映画がどうして映画なのかっていうことを本当によく理解しているすごい監督だと脱帽せざるを得ませんでしたね。


とにかく観るのに時間がかかる映画ではありますが、だまされたと思って一度鑑賞することを強く強く強くオススメします!!