Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

世の中の頑張れない人たちへ

2012-12-18 20:32:01 | Weblog
世の中の頑張れない人たちへ。

頑張れない人は、甘えているのだそうです。だから自分は甘えているのだそうです。自分は、生きていく意欲なんて持ち合わせていないから、両親に何かあったら自分も死ぬつもりです。ずっとそうするつもりでしたが、ここで決意表明いたします。

追記
誤解されないために書きます。
上のような文言が既にして「甘え」だという言う人はいるでしょう。だからこそ自分は死ぬつもりだと言うのです。
この世界には、弱い人の考えを理解してくれる人もいます。しかし一方で、強い人間がいて、弱い心を解さない人間がいます。そして往々にして世界はそういう人間によって支配されている。そういう中で生きるのが、自分には苦しいのです。どうも居心地が悪いのです。端的に言えば、同じ空気を吸っていたくないのです。いかなる関係も持ちたくないのです。彼らと同じ空間・同じ時間を「共有」していることが我慢ならないのです。
自分は、世界から締め出されるのではありません。自分から出て行こうというのです。自分の意志で、そうするのです。自分には、この世界はどうも適さないようなのです。もう15年間も同じことを考えていましたが、やはりそうみたいなのです。
繊細すぎるから?弱すぎるから?臆病すぎるから?分かりません。しかし事実として、どうにも生きようがないのです。
15年前は、単に「いま死ぬ」ということばかり考えていました。ただ、数年前からでしょうか、「あとで死ぬ」という発想に切り替えました。自分は眠れないときなど、よく自殺の仕方に考えを巡らせることによって安心を得て、一休みします。「いつか死ねる」「自ら出て行ける」ということが、安心材料なのです。では、「いつ」がいいのか。やはり、両親の後なのです。それまでは、嫌悪を我慢しながら、毛虫の道を踏みしめながら、生きていきます。世界が変わることは期待できません。自分が変わることも期待できません。とすれば、この方法しかないのです。15年間抱えてきた荷物は日々重くなる一方ですが、やがて自らそれを放り捨てられる日が来るはずです。
自分は、「その瞬間」のことをよく考えます。本当に自分に可能なのか?最後の最後で怖気づくのではないか?・・・恐らく、大丈夫です。成功するでしょう。この自信には根拠があります。

追記2
お詫びと感謝も書かなくてはなりませんでした。
約15年もの間、自分が一貫してこのような考えを抱懐し続けていたわけでは決してありません。翻意させようとしてくれた人もいたし、その態度そのものが翻意を迫っているような人もいました。そして実際、自分はそのとき確かに翻意したのです。家族との接触、友人との付き合い、そして読書や映画鑑賞・・・この3点が、自分をして考えを改めるように促しました。だから、自分はその人たちに感謝しなければならないし、そしてお詫びしなければなりません。ありがとう。ごめんなさい。やはり自分は、駄目みたいなのです。これからも、事ある毎に自分は翻意するかもしれない。しかしその度に再び戻ってくるでしょう。自分はそういう生き物です。だからもう、自分に「それでも生きる」ように説かないでください。もう、いいのです。これでいいのです。これがいいのです。
救いがあるとしたら、「お前」だ。15年間探し求めてきた「お前」だ。ここで謎解きをしよう。あの日の答えは、「お前」だよ。「よく知っているが実は全く分かっていない人のこと」。覚えてるか?ストーブの前で話したことを。

幸運は知らないうちに

2012-12-18 00:31:25 | Weblog
思わず呻き声をあげる。

自分の無気力の原因は複数考えられる。しかし、それらについて真剣に考えたことがなかった。無気力だから。でも、これはひょっとして何かの病気なのか?そうだったら、ちゃんと治療を受けなければいけないのだが・・・。これほど無気力になったり、何もかも嫌気がさしたり、胸が重苦しかったり、皆が皆こんな状態に苦しんでいるとはとても思えないんだが。

駄目だ、ブログには書けない。しかし、自分がただ生活しているだけでやっとなのは、この無気力のためだ。上昇志向の欠如。意欲の欠如。生きている死体。意欲を振り絞ろうとする意欲がない。体の中にあるはずの支柱が根元からぽっきり折れてしまっている。立ち上がれない。でもどうして立ち上がらなくてはいけないのだ?もし立ち上がらなくては生きていけないのだとしたら、生きていたくない、というのは甘えだと罵倒されたとしても、それでも自分は立ち上がらないまま生きていてもいい世の中に住んでいたい。それでは生きている意味がないと嘲笑されたとしても、その嘲笑する人間が考えるのとは別の生きる価値を探したい。いや、自分だって本当は立ち上がれるものなら立ち上がりたいのかもしれない。でも、そんな意欲はどこにある?みんな頑張って生きているんだよって言われたって、どこにその頑張る意欲があるのだ?くれよ。せめて貸してくれよ。その探し方を教えてよ。

何もする気がない。本当に、せめて娯楽に享楽を見出せればいいのに。何もする気がなくて机に突っ伏していて、それだけでは廃人になるからって娯楽にうつつを抜かすことができれば、どんなに幸福だろう。じっと耐えている。この無気力にじっと耐えている。でも、ときおり思わず呻き声をあげてしまう。

「幸運は知らないうちに」。そういうタイトルで書きたかったんだっけ。でも、思わず洩れた呻き声で、それも霧散したな。