とりあえず全部見てきました。12時30分の『星追い』から、『秒速』の終わる18時過ぎまで、トリウッドにずっといました。さすがにお尻が痛くなった。
で、色々言う前に、一言だけどうしても書いておきたいことがあります。
高校生よ、学校はどうした!!
君、お昼過ぎからずっといたよね・・・。いや、まあ、いいんだよ。そんなに新海誠が好きなんだね。ぼくもうれしいよ、なんか。
さて、今日はとても幸せな一日でした。色んな発見もあったし。まず、『星追い』が初見よりもずっとおもしろかった。そして、『彼女と彼女の猫』は、心に沁みた。実は、この短い作品、これまで何度も見たことがありますが、ぼくにはそれほど響かなかったんですよね。心の琴線に触れる、とよく言われるのにもかかわらず、自分には実感できなかったので、これまで漠然と悔しい気持ち、不安な気持ちがあったのですが、今回はばっちり感動しました。いやあ、新海節でしたね。繊細な映像と台詞回しに、哀しみにも似たじわじわとした感動を覚えました。何気に名作ですね、これは。
『星追い』は、初見時は大きな劇場の最前列ど真ん中で見ていて、そのせいで画面全体に注意を集中することが難しかったんじゃないか、という反省がありましたので、今回は比較的後ろの方の座席で鑑賞させてもらいました(そうしたら『ほしのこえ』の字幕が人の頭に隠れてよく見えなかったのですが、まあそれはいいや)。すると、やはり風景描写が大変美しいという(新海作品にとっては)当たり前のことに気付かされました。そして、ところどころ泣けた。泣けたとか感動したとか言うと、薄っぺらい作品だと思われることがあったり、芸術に必要なのはそんなものじゃないんだよ、と諭されることがあったりしますけれども、ぼくはそうじゃないと思っています。それに、この作品はお涙頂戴物の安易な作りをしていない。泣かせるために人を死なせるわけではないし、ハラハラさせるために試練を与えるわけじゃない。
喪失を抱えた者たちが、必死で夢中に歩いてゆく姿に、ぼくは素直に心打たれました。初見時には幾つか気になる点もありましたが、今回はそういうことは全て織り込み済みですから、すんなりと物語に入っていけて、というか入ったままでいられて、極めて濃密な時間を過ごすことができました。思えば、新海作品は何度も繰り返し見ていると、その度ごとに作品の魅力が増してゆくんだったなあ。新海監督の作品って、ちょっと気になる箇所もあるんです。でも、何度も見ていると、そういう部分は自分の中で捨象されていって、純度の高い、何か結晶のような煌めきだけが残ってゆくんです。川辺で取れる砂金のように、余計な部分は篩い落とされていって、後には金だけが残る、というようなイメージ。確かに、『ほしのこえ』のように、最初からダイヤモンドの原石を直球で投げつけられるような出会いをした作品もありましたが、でも『星追い』の場合は、少なくともぼくにとっては、時間が経つにつれてそれまで隠れていた輝きが光度を増してゆく感覚があります。
『雲のむこう』についてはもう既に何度も何度も書いているような気がするので、簡潔に。ラスト間際のサユリの台詞「藤崎くん」に、ぼくは痺れた。痺れ過ぎた。そうか、こんな見事なまでに淡白でそっけない言葉であったか。この、全てを物語る重たい台詞は。それから、この作品は詩だと思った。
『秒速』についても書いたことがあるように思いますが、ほんのちょっとだけ。今までどういう訳か見落としていましたが、中学1年のとき、タカキはラブレターをもらっているじゃないか!あと、結婚するサユリばっか責めるのはよくないよな、と思いました。タカキだって付き合っていて、ひょっとしたらそのまま結婚ってことになったのかもしれないじゃないか。うん。そうだ。成り行きですね、そういうこともあるものですよ。
最後に。きのうは『秒速』上映時の約半数が女性だったと聞きましたが、今日はやっぱり男性率高かったよな。ぼくの両脇はたまたま女性でしたが・・・。ああそうだ、高校生よ、大学に入っても、出ても、新海誠を好きでいてくれよ。
で、色々言う前に、一言だけどうしても書いておきたいことがあります。
高校生よ、学校はどうした!!
君、お昼過ぎからずっといたよね・・・。いや、まあ、いいんだよ。そんなに新海誠が好きなんだね。ぼくもうれしいよ、なんか。
さて、今日はとても幸せな一日でした。色んな発見もあったし。まず、『星追い』が初見よりもずっとおもしろかった。そして、『彼女と彼女の猫』は、心に沁みた。実は、この短い作品、これまで何度も見たことがありますが、ぼくにはそれほど響かなかったんですよね。心の琴線に触れる、とよく言われるのにもかかわらず、自分には実感できなかったので、これまで漠然と悔しい気持ち、不安な気持ちがあったのですが、今回はばっちり感動しました。いやあ、新海節でしたね。繊細な映像と台詞回しに、哀しみにも似たじわじわとした感動を覚えました。何気に名作ですね、これは。
『星追い』は、初見時は大きな劇場の最前列ど真ん中で見ていて、そのせいで画面全体に注意を集中することが難しかったんじゃないか、という反省がありましたので、今回は比較的後ろの方の座席で鑑賞させてもらいました(そうしたら『ほしのこえ』の字幕が人の頭に隠れてよく見えなかったのですが、まあそれはいいや)。すると、やはり風景描写が大変美しいという(新海作品にとっては)当たり前のことに気付かされました。そして、ところどころ泣けた。泣けたとか感動したとか言うと、薄っぺらい作品だと思われることがあったり、芸術に必要なのはそんなものじゃないんだよ、と諭されることがあったりしますけれども、ぼくはそうじゃないと思っています。それに、この作品はお涙頂戴物の安易な作りをしていない。泣かせるために人を死なせるわけではないし、ハラハラさせるために試練を与えるわけじゃない。
喪失を抱えた者たちが、必死で夢中に歩いてゆく姿に、ぼくは素直に心打たれました。初見時には幾つか気になる点もありましたが、今回はそういうことは全て織り込み済みですから、すんなりと物語に入っていけて、というか入ったままでいられて、極めて濃密な時間を過ごすことができました。思えば、新海作品は何度も繰り返し見ていると、その度ごとに作品の魅力が増してゆくんだったなあ。新海監督の作品って、ちょっと気になる箇所もあるんです。でも、何度も見ていると、そういう部分は自分の中で捨象されていって、純度の高い、何か結晶のような煌めきだけが残ってゆくんです。川辺で取れる砂金のように、余計な部分は篩い落とされていって、後には金だけが残る、というようなイメージ。確かに、『ほしのこえ』のように、最初からダイヤモンドの原石を直球で投げつけられるような出会いをした作品もありましたが、でも『星追い』の場合は、少なくともぼくにとっては、時間が経つにつれてそれまで隠れていた輝きが光度を増してゆく感覚があります。
『雲のむこう』についてはもう既に何度も何度も書いているような気がするので、簡潔に。ラスト間際のサユリの台詞「藤崎くん」に、ぼくは痺れた。痺れ過ぎた。そうか、こんな見事なまでに淡白でそっけない言葉であったか。この、全てを物語る重たい台詞は。それから、この作品は詩だと思った。
『秒速』についても書いたことがあるように思いますが、ほんのちょっとだけ。今までどういう訳か見落としていましたが、中学1年のとき、タカキはラブレターをもらっているじゃないか!あと、結婚するサユリばっか責めるのはよくないよな、と思いました。タカキだって付き合っていて、ひょっとしたらそのまま結婚ってことになったのかもしれないじゃないか。うん。そうだ。成り行きですね、そういうこともあるものですよ。
最後に。きのうは『秒速』上映時の約半数が女性だったと聞きましたが、今日はやっぱり男性率高かったよな。ぼくの両脇はたまたま女性でしたが・・・。ああそうだ、高校生よ、大学に入っても、出ても、新海誠を好きでいてくれよ。