Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

消失

2011-11-21 01:25:08 | アニメーション
涼宮ハルヒの消失を観たんですけれど、こんなにおもしろいとは思っていませんでした。で、色々と感想を書きたいような気がするんですけれど、まず第一に明日は朝が早い、第二に何から書いていいのか分からない、ということで、走り書き程度になります。

何がこんなにおもしろかったんだろう。長門が異様に可愛かった、というのがキーになっているように思われるのですが、そのことと、こんなにもおもしろかったということとがどのようにして結びついているんだろう。

迷惑だと考えていた日常が、実はとても大事なものであるということに気が付く、つまり日常の価値を発見する物語なわけですが、まずはそのテーマがぼくの好みですね。それと、単純に長門とキョンのありえたかもしれない恋を垣間見ることができたこと、これもぼくの嗜好に合っていたのかもしれません。

日常の価値を再発見するというテーマは、震災後の現在はいよいよ切実なテーマになってきているわけですが、日本のテレビアニメというのは日常の一コマを切り取った作品が増えてきているので、その流れの中に『消失』を位置づけることができるのかも。このかけがえのない当たり前の世界、普通の日常を愛おしく思うという感慨は、失われゆく現在とも背中合わせなわけですから、そこには切なさも同居しているので、それは何らかの物語になる素材なのだと思います。

そしてその日常というものは、長門との恋物語に発展しえたかもしれない。ハルヒのいる日常と、長門のいる日常と、どちらか一方を選択することをキョンは迫られたわけです。これに対して彼は、日常性を肯定するという行為をもってハルヒのいる世界を選択しました。つまり、キョンにとって日常というのはハルヒのいる日常に他ならなかったわけですね。

それはそうと、このシリーズでおもしろいのは、キョンと誰かとの関係が恋に発展しそうで実は全くそうならない、というところだと個人的に感じています。そこに何となくもどかしさみたいなものがあって、いい。だからこそ、今回の長門との関係性はまさしくそこをストレートに突いたものであって、ぼくの気に入ったのかも。

とまあ、こんなことを考えてみました。いやあ、おもしろかったなあ、それにしても。なんでこんなにおもしろいのかなあ・・・最初の疑問に戻ってしまったけど。


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