Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

わたしが来たのは、罪人を招くためである。

2011-11-19 17:25:58 | 文学
医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
――「マルコによる福音書」第2章第17節

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 「ごめんなさい。今日は一緒に行けなくなりました。」
 メールの文面はそれだけだった。彼は携帯を手にしたまま冷笑を浮かべ、しばらく後にそれをポケットに突っこんだ。
 彼にとってそれは予期したメールだった。そうなるのではないか、と彼は一週間も前から漠然とした不安を覚えていて、いやもっと言うならば彼女と約束を交わした一瞬後にはもう不安に囚われていた。
 彼が手当たり次第に女性を遊びに誘うようになったのは最近のことだ。恵まれた容姿を備えていた彼は、しかし中学、高校と男子高に通っていたせいか女っ気がまるでなく、その傾向が大学卒業まで続いていたため、自分でも女性には興味がないのだと思っていた。ところが大学院に進学して初めて女性と深い関係を持ち、そして別れてからというもの、彼は女性と交流する楽しみを知った。気遣い、心配り、白い肌、優しい眼差し、自分のさして面白くもない話に身を乗り出して聞いてくる好奇心、そういったもの全ては彼がこれまで経験したことのないものばかりであり、女性特有のものであるように思われたのだった。
 彼女と別れてできた心の空洞とやらを埋めるために女漁りをしているのだとは彼は考えなかった。第一、彼には下心がなかった。誰か女性と二人きりでどこかへ出かけたとしても、それ以上の関係を彼は一切望まなかった。美術館に行けば二人で並んで鑑賞し、夕食を共にし、ひとしきり談笑した後は、そのまま何事もなく手を振って別れた。彼はそれで満足だった。そうして2週間ばかり時が過ぎると、再び誰かを誘って別の場所へと赴くのだった。
 寂しいのだと彼は思っていた。けれどもそれは彼女と別れた寂しさではなく、自身の人生そのものから来る寂しさだと思っていた。いわゆるモラトリアムで大学院に進学したものの、研究生活には覇気がなく、研究対象にも興味を抱けなかった。自分は何のためにここにいるのだろう、と彼はよく考えた。夜、大学からの帰りに突然の雨に降られた際などには、とりわけそういう重苦しい観念が彼の頭を支配した。まるで自分の体が夜に塗り込められてしまったように彼には感じられ、自分という存在の儚さと脆さに思いを巡らした。
 よく知りもしない女性を片っ端から遊びに誘うことに彼は何の抵抗も感じていないつもりだったし、そういう点における倫理観は欠如していると自分で考えていた。しかし、女性から初めて断りのメールを受け取ったとき、彼はそれを予期していたこと、常にそういう事態を恐れていたことをやはり初めて悟った。こうした不安や恐怖が何に由来するのかは彼にはよく分からなかったが、実はこの遊興への罪悪感が彼の心の深い所に根差していて、それが原因なのではないかと曖昧に感じてはいた。
 彼は女性の裡に救いを求めていた。自分を今の状態から助け出してくれるもの、たとえそれが仮初だったとしても、たとえ僅かな心の慰安に過ぎなかったとしても、せめて一瞬でも苦しみを忘れさせてくれるものに縋りたかった。それだけだった。それなのに、この罪悪感はどこから来るのだろうと彼は訝しんだ。もちろん、我々は彼の独りよがりな思惑を断罪することができる。自分ひとりのことしか問題にしない彼の驕慢、その狭隘な心を蔑むことができる。しかし彼の思いは切実だった。やるべきことは淡々とこなしがら、これからの行く末を必死で考え、自らを責め、恥じ、嘆いた。そして女性に救いを求めた。もし彼が間違えていたとしたら、それが一人の女性ではなかったことだ。

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キリストを必要とする人間ではなく、キリストが必要とする人間を書こうと思った。いや、単なる暇つぶし。もう時間だ。書きっぱなしで終わり。続きはない。

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