Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

書店、仲間、専門

2014-02-08 03:21:01 | Weblog
モスクワの書店情報をしかるべきサイトに提供しました。他に適任者がいるだろうと思って黙ってきたのですが、あることがきっかけで、こちらから申し出ました(元々もしよかったら提供して下さいとは言われてたんだけど)。これからモスクワに行かれる人の役に立ってもらえたら幸いです。

去年くらいに書いた気がするのですが、仲間について。そのとき自分がどんなことを書いたのかは忘れてしまったんですが、仲間というのは排他的なシステムでもあって、仲間内ではわいわいやっていて楽しいかもしれないけど、他所から見ればかなり腹立たしい。例えばある集団の何人かが同人誌を作るとして、その仲間内では盛り上がるんだろうけど、その仲間に入れなかった人は寂しいだろうなと。

だから仲間を嫌う人もいるわけで、少年時代とかに仲間に入れてもらえなかった経験のある人なんかは、そうなんじゃないかなあ。でも、そういう人が大人になってから、どこかの集団から仲間に加わるよう求められ、そして加わってしまったら、みっともないことこの上ない。というか、申し訳ないけれどもちょっと哀れだ。

ぼくの思うところでは、仲間というのは排他的であるけれども、それでも共同で何かを分かち合うという体験は何物にも換え難い。だから、ぼくは仲間を作りたいと思う。

専門について。もうね、素人と専門家と、ほとんど垣根なんてないと思ってます。これも随分前に書いたことがある気がします。例えばロシア文学の専門家っていうのは、ただロシア語が読めるだけって悪口言う人がいるみたいですが、案外当たってると思います。少なくともぼくは自分の専門性なんて感じたことがありません。だから、専門家たちが集まって何かを書いたりするのは、もう大して意味がないんじゃないか。専門家も素人も自由に参加できるプラットフォームが必要なんじゃないか。いやもうそういう場所はあるわけなんですが。

「専門家」と呼ばれる人たちが、一般向けでござい、啓蒙でございと大衆に「専門分野」を紹介する時代はもうとっくに終わっているんじゃないか。たぶん、かつて「ただの風景」が発見されたように、今は「ただの人」が発見されつつある時代だ。「専門家」という既に何者かである人が高みから説教するのではなく、未だ何者でもない、匿名の、ただの人が自らを発信する。そうでなくてはならない。そういうシステムを構築しなければならない。

高みを望む人の方が多いかもしれないけれど、ぼくはそういう人になりたくない。ぼくに専門性はいらない。