Twitterでもつぶやきましたが、昨日のことをまとめて書きます。
地震のあった瞬間は芝浦ふ頭の会社施設にいました。
最初はぐらぐらという感じだったのですが、「揺れが収まらないなぁ」と思ってたら揺れが強くなってきて、こりゃいかんと会社施設を飛び出した。
我々だけではなくほかの施設の人も飛び出していた。
近くの30階だてくらいのビルをみるとゆっくり大きくはっきりと揺れていた。
で、子供の頃の沼津での生活を通じて津波の怖さはたたき込まれているので、とにかく海から離れなければと思い荷物をまとめて会社施設を出た。
田町駅へ向かった。
この時点では車は特に増えている印象はなかった。
ふりかえると黒煙がもうもうと上がっていた。おそらくは台場の火災のものだったと思われる。
田町駅に着いた。
電車は止まっていた。
駅のモニターには数多くの人が釘付けになっていた。
そうこうしていたら大きな余震がきた。
田町の駅舎はミシミシと大きく揺れ、潰れる!と思って駅舎を飛び出した。
「これは電車は復旧しない」と直感的に思い覚悟を決めて家に向かって歩き始めた。
もちろん海から離れた方がいいと思ったこともある。
サイレンが鳴り響き、ヘリコプターが飛び、ヘルメットをかぶった会社員が歩道を埋め尽くしていた。
続く
地震のあった瞬間は芝浦ふ頭の会社施設にいました。
最初はぐらぐらという感じだったのですが、「揺れが収まらないなぁ」と思ってたら揺れが強くなってきて、こりゃいかんと会社施設を飛び出した。
我々だけではなくほかの施設の人も飛び出していた。
近くの30階だてくらいのビルをみるとゆっくり大きくはっきりと揺れていた。
で、子供の頃の沼津での生活を通じて津波の怖さはたたき込まれているので、とにかく海から離れなければと思い荷物をまとめて会社施設を出た。
田町駅へ向かった。
この時点では車は特に増えている印象はなかった。
ふりかえると黒煙がもうもうと上がっていた。おそらくは台場の火災のものだったと思われる。
田町駅に着いた。
電車は止まっていた。
駅のモニターには数多くの人が釘付けになっていた。
そうこうしていたら大きな余震がきた。
田町の駅舎はミシミシと大きく揺れ、潰れる!と思って駅舎を飛び出した。
「これは電車は復旧しない」と直感的に思い覚悟を決めて家に向かって歩き始めた。
もちろん海から離れた方がいいと思ったこともある。
サイレンが鳴り響き、ヘリコプターが飛び、ヘルメットをかぶった会社員が歩道を埋め尽くしていた。
続く
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