稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

【考察】突きにおける刃先の向き

2019年07月22日 | 剣道・剣術
一刀流の稽古においても、なかなか本気で突く場面など無く、
形稽古の悪弊で、届かないところから打ったり突いたりするのが常で、
たまに本気度90%で打方が技を出し、応じて仕方が返し技を出したりすると、
何を危ないことをやっているんだ!とお小言を戴いたりしてしまう。

演武での形の披露は、どちらかというと公式の無難なものだ。
あれを剣術の稽古の集大成であるかのように思われても困る。
言わば「よそ行き」の形であり、本来稽古すべきはもっと激しく地味である。

たまに相方と二人だけの稽古の際は、下手をすれば骨折も在り得るようなものになる。
現に数年前の小太刀の稽古では鬼小手の上から小指を折られた。
ほんの数センチの打突のズレでも怪我を免れないので、
本気度の高い稽古をする場合は、相手を選び、真剣に行う必要がある。

そこまでの技の修練で無くても、
何となく打ち込んできた打方に応じるには、
多少いい加減にやっていても、まあ何とかなるもので、
それに慣れて「形稽古などこんなもんなんだ」と卒業した気分になる者もいる。

しかしながら形稽古も数を行えば行うほど疑問も出てきて、
ああだこうだと考えながらやっていくのもまた楽しいものだ。

さて突きだが、刃先を右下に向ける突きと、左下に向ける突きがある。
反りがある刀の場合、あまり刃先を真下に向けて突くことなど無いようにも思う。

突きは、先(せん)で突く場合は刃先は右下であり、
相手の突きに応じる場合の刃先は左下になるのが原則と考えて良い。

わかりやすいように、日本剣道形の三本目を剣術的に解説すると、
打太刀が最初に突く場合は刃先は右下で突き、
仕太刀はその突きを、刃先を左下に、向かえるように手を伸ばし支え、
その後、手元に引き入れるように刃先を右下に転じて打太刀をなやすのである。

※注意
剣道形ではそこまで詳しくは述べられていない。
あくまで「剣術的に考えると」ということである。
以下も同じ。

なやしてからの突きは、打太刀の剣先が外れているので、
どのように突き返すのかはその時の状況によって変わる。

打太刀がまだ生きている場合は刃先は左下で用心しながら突くほうが理に適う。
打太刀が死んでいて剣先が自分から外れているなら、殺す気なら刃先は右下で突く。
(剣道形は気位で勝つので、刃先は真下で突くとなっているのだと思う)

つまり状況に応じて、刃先の向きは目まぐるしく変化する。
反りのある刀の場合は、刃先の向きで理合が大きく変化するからである。

小野派一刀流の2本目「乗り突」の場合、打方が先に突いてきたなら、
仕方は刃先は左下で突き返し、途中、刃先を右下に転じて打方の内小手を押さえる。
しかし、打方が突こうの「つ」の瞬間なら、仕方は刃先を右下に、先の先で一気に突く。


(乗り突きの突きは刃先を右下に突くのが原則だが・・・)

このように同じ形ながら刃先は状況によって変化する。
物理的な先(せん)なのか、精神的な先(せん)なのか、
それによっても使い分けるほどにならないと本物と言えないのだ。

20日の一刀流の稽古を傍で見ていた。
大太刀の「折身」において、打方は、折り敷いた仕方の左肩を、
袈裟に切っていかなければならないのに、遠慮がちに切っていく。
つまり袈裟ではなく左拳を目がけ浅くゆっくり切り込んでいくのである。

そうなると仕方はそのまま鍔元に乗れば良いので刃先は下でも右でも良い。

打方が本気で袈裟に切って来たなら、
仕方も本気で打方の運動エネルギーを消さねばならない。
仕方は立ち上がりながら刃先を左下に打方の右拳を確実に押さえ、
打方の動きを止め、その上で鍔元を右下に転じて押さえ突くのである。

たくさんの形があるが、同じ形でも状況に応じて、細かい部分を変化させ
使い分けることが、剣術の稽古では必要では無いかと思った次第だ。

理合を追求すると、深みにはまって頭でっかちになる。
知っていても、とっさに使えなければ何の意味も無く攻撃に対処出来ない。
瞬間的に閃いて、理合に合った動きが出来るかどうか・・が大切なのである。
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