稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

木曜会定例稽古(2019年9月26日)

2019年09月27日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)


四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時20分まで。今年32回目。参加人数25名ほど。
涼しいが湿度は高めかも。

素振りのあと3人組で基本稽古と相面稽古。
最後は六段以上と五段以下に分かれて1分間の回り稽古。

気のついたところのみ記す。

---素振り---
右手中心にならないこと。右手は柔らかく。
腕の力を鍛える目的では無く、体幹を整え肩を柔らかく使えるように。
子供への左右面の指導は手刀で軌道を確認してやると良い。特に右面の角度。
先に竹刀を上げて打つ指導は警察剣道に多い。


(素振りの後の面着用のひとコマ)

---基本---
呼吸法の切返し。(子供は8と9の間に息を吸う)
心気力が一致した機剣体のある技は息を詰めた中から瞬時に出す必要がある。

正面打ちでは姿勢が崩れないところまで間合いに入ること。

思い切って中(相手の鍔元)まで入る。
そしてしっかり止まってそこから打つ。
打ったあとの体捌き、残心の取り方に注意する。
足が悪く、抜けれないのなら、打った瞬間に残心は終えておく。
そこから歩み足で下がって間合いを取ってしっかり構える。慌てないこと。

入る時は恐る恐る入るのではなくシュッと入る。

相面勝負は先の気持ちで。
間合いが詰まってすぐ打つのではなく「仕掛ける」こと。
待ったり避けたり受けたりしてはならない。
自分で間境、慮点を探って欲しい。
手首が固いと竹刀と竹刀がぶつかって有効打突に結びつかない。
素振りで「先を効かす」ことを学ぶこと。

---回り稽古---
打ったあとは美しく。

自分から仕掛け無いと駄目。当てにいっては駄目。
スイッチを入れるまでが剣道。技前(経過技術)の剣道を目指すこと。
あとは捨て身となること。

---終礼にて---
山岡鉄舟の話より。
剣道における「勝機」は相手が打とうとしたところ以外に無い。
どちらも打ちたい。その打とうとするところを打つのが本当の勝ち。

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【感想・反省点】

基本打ちでは時々良い打ちが出る。
力は入れ過ぎていないが抜き過ぎてもいない。

相面稽古は時間を多く取ってもらった。これは勉強になる。
先の気持ちだが慌てても駄目。このへんのサジ加減が難しい。
結局は打つ前の準備をするタイミング。相手によっても変わる。

1分間の回り稽古は審査のつもりで。礼法からきっちりと。
六段七段相手だと、なかなか有効打突になるものでは無い。
同門(木曜会の剣風)同士なので気持ちが良い稽古が出来る。
打たれても良しの稽古。

受ける避けるを多発する六段には注意させてもらった。
木曜会の稽古では必要ない。

山岡鉄舟の話は下に付録としておく。
私のレベルではまだまだ難解で理解は難しい話である。


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【付録】

剣法邪正弁(けんぽうじゃせいのべん)
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夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
敵の好む処に随ひて勝ちを得るにあり。

敵の好む所とは何ぞや。
両刃相対すれば必ず敵を打んと思ふ念あらざるはなし。
故に我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝と云ふ。

譬へば箱の中にある品を出すに、先ずその蓋を去り、細かに其中を見て品を知るが如し、
是則ち自然の勝ちにして別に法なき所以なり

然りと雖も、此術や易きことは甚だ易し、
難きことは甚だ難し。
学者容易のことに観ること勿れ。

即今諸流の剣法を学ぶ者を見るに、是と異なり、敵に対するや直に勝気を先んじ、
妄りに血気の力を以て進み勝たんと欲するが如し。之を邪法と云ふ。

如上の修業は一旦血気盛なる時は少く力を得たりと思へども、
中年過ぎ、或は病に罹りしときは身体自由ならず、
力衰へ業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
無益の力を尽くせしものとなる。

是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。

附して言ふ、此法は単に剣法の極意のみならず、
人間処世の万事一つも此規定を失すべからず。

此呼吸を得て以て軍陣に臨み、之を得て以て大政に参与し、之を得て以て教育宗教に施し、
之を得て以て商工農作に従事せば、往くとして善ならざるはなし。

是れ余が所謂、剣法の秘は、万物太極の理を究むると云う所以なり。

明治十五年一月十五日

山岡鉄太郎
コメント
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