稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

曽祖父・粕井秋五郎(かすいあきごろう)

2016年12月15日 | 剣道・剣術
曽祖父の粕井秋五郎の写真を私は持っていない。
祖父(粕井豊誠)が同居していた伯父(粕井宏)の家にはあるかも知れない。
しかし伯父とは絶縁状態だからもう見ることは無いだろう。

高校一年生になると同時に剣道部に入った。生駒高等学校である。
剣道部に入ったことを祖父に報告すると意外なほど喜んでくれた。
「おじいちゃんのお父さんは撃剣の先生でなあ、めっぽう強かったんや」
「背ぇも高こうてなあ、お前みたいに鴨居に頭がつかえるほどやった」
「家にはいつも稽古着が掛かっててなあ、それに宮本武蔵と書いてあった」

秋五郎は萩藩(山口県)出身で、旧姓は岡本。
大阪に出て、鴻池家の使用人になった。
使用人だが鴻池で撃剣を教え、用心棒のような立場でもあったらしい。
女中頭であった曽祖母の粕井マスと結婚し婿養子になったのだという。

親父も喜んでくれた。
「海軍でなあ、下士官が我々予備士官を剣道でいじめるんよ、無茶苦茶叩きよるんよ」
「せやけど大学で剣道やってたもんがおってなあ、下士官全部返り討ちにしよった」
「あれは今思い出しても痛快や」

祖父も親父も運動はからきし駄目で、実は私もスポーツは大の苦手である。

高校の剣道部は憧れていたチャンバラの世界とは違い過酷なものだった。
今と違って水など飲ませない。休憩も滅多に無く、休憩姿勢は蹲踞のまま。
真夏の稽古で面の中に反吐を吐いてそのまま稽古させられた者もいた。
15名ほど入部したが、3年まで続けたのは私を含めて3人だけだった。

1年生の夏休みに暑中稽古があり、2年生3人が猛暑の剣道場で待っていた。
ところが稽古に行ったのは私だけ。他の者は全員ずる休み。
「ほかのもんはどないしたんや?」「さあ、わかりません・・・」「なにぃ?」
結局、2年生3人を相手の30分連続懸かり稽古が始まった。本当に死ぬかと思った。
この時の稽古はいまだにトラウマで、今も懸かり稽古は恐怖でしかない。
(ちなみにこの時の先輩の一人が奈良西少年剣道クラブの水野泰嗣先生である)

結局、稽古が嫌で、勉強だ生徒会だと言い訳してはサボり通した3年間だった。
そんな嫌いな剣道も、就職し就任した盛岡で、他に何もすることが無いため再開した。

曽祖父の秋五郎の旧姓は岡本。岡本秋五郎である。
鴻池で同じ使用人の粕井マスと結ばれて粕井姓になった。
明治維新の時はまだ子供だった秋五郎は時の変革に参加出来なかった。
剣士の矜持を持ち続け、何かせんと、たまらず大阪に出てきたのだろうと想像する。
秋五郎の子、孫、ひ孫は全部で25名だが、剣道をある程度以上やった者は私だけである。
(兄の粕井隆は居合と槍術をやっている)
コメント
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