稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

昨夜の稽古

2016年12月08日 | 剣道・剣術
六段を目指している人生の先輩がいる。ベテラン五段である。
もう10年以上も前から受審しているが進歩は止まっている。
そして何とか六段を合格させたいと私は強く思っている。

姿勢、気勢、竹刀の握り、構え、振り、打ち、残心、全部悪い。
悪いが永年の経験があり、そこそこ地稽古では強い。
強いが審査員を納得させる内容からはほど遠い。

指摘し、指導すると、それなりに納得するが直らない。
せめて竹刀の握りと振り、左足の向きが直れば良いのだが。

指導方針は自分の欠点を自覚してもらうこと。
当分の間は「当てることを目的としない」である。

特に下の者との稽古では、竹刀の握り、撞木足、間合い、
待って打つのではなく引き出して打つ、打ってからの捌き方、残心、
これらを一つずつ確認することを普段の稽古の主目的とすること。

1年以上も付きっ切りで強化指導してきた。
先週の木曜日に再度念を押し、次の稽古から気を付けると言ってもらえた。
下の者との稽古の大切さをやっとわかってもらえたかなと思っていた。

ところが昨日、三段受審者(現二段)との稽古を見て愕然となった。

撞木足のまま、竹刀を横から握り、交刃の間合いから、
中心取らずにダラダラと間合いを詰め、いきなり強引に小手を打つ。
小手を外されると強引に面に打ち込んでいく。
打ちは左足が残ったまま。打った後の足の動きも遅い。
ゆっくり歩いて向き直って無言で交刃の間合いまで入ってしまう。
二段相手にそのような稽古を5分以上やっている。
まるでストレス発散のような稽古内容である。
10年前と何ら変わらない。意識すりゃ出来るのに。

稽古を中止させ先輩に注意。
「言ってたこと、何一つ出来てませんやんか」
「下の者との稽古で自分の欠点を直さなあきませんやん」
「下の者と同じように打ち合ってどうすんですか」
「六段目指すなら、相手を引き出すような稽古せなあきませんやん」
「まず構えが駄目ですやん」「左足も曲がってますやん」
「打った後、何でゆっくり歩いてゆっくり向き合ってるんですか」
「稽古はダラダラしたらあきません」「短く激しくせなあきません」
「こんな稽古ならやらんほうがええです」「悪いクセ付くだけです」
「審査目指すんなら、毎回、何か目標持って稽古して下さいな」


のちほど私と稽古。先週出来ていた一拍子の打ちもまた出来なくなってた。
地稽古はあきらめ、面の基本打ち(一拍子の打ち)ばかりを稽古して終了。

面を外して全体の礼をしてからまた個人指導。
打ち込んでからの体捌き、一拍子の打ちの確認。中心の取り合い。
でも何か根本的に違うと気が付いた。

自分で素振りの見本を見せて、先輩にも同じような素振りをやってもらう。
するとむやみやたらと早く振ろうとする。肩を使っていない振りだ。

「先輩、早く振ったら誤魔化してしまうことになります」
「ゆっくり大きく丁寧に振ってください」

まずは体幹を鍛えることから始めようと思った。
ズレる手と足は連動させる。使われていない肩や背中を鍛える。
出来るだけゆっくり、出来るだけ動作を大きく素振りする。
ゆっくり行うと自分の体幹のブレがもろに出てくる。

「撞木足ぐらいはセルフチェックしてくださいね」
「身体のブレは体幹出来てきたら直ってくると思いますよ」

左足重心。振りは大きく上腕が耳と重なるほど。
大きくのびやかに、大きくのびやかに。ゆぅーくり、ゆぅーくり。
右足は大きく、床を擦って前へ、左足を大きく、床を擦って後ろへ。
ゆぅーくり、ゆぅーくり。大きく丁寧に、ゆぅーくり、のびやかに。
そうそう。あ、左足曲がってますよ。真っ直ぐに。そうそう。
ゆぅーくり大きく丁寧に。ゆぅーくり大きく丁寧に。のびやかに大きく。そうそう。。

10本ばかしも振ると寒いのに汗ばんでくる。
先輩は昔バレーボールをやっていたせいか、上に上げると右肘が曲がってしまう。
「何とか右肘曲がらないように出来ないですか?」
難しいが努力してみるとのこと。

結局は素振りから訂正しなければならなくなった。
えい、負けるものか、頑張るぞ! と思った。頑張れ自分。
コメント
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