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稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

咳が続くのでX線検診に行った。(2020年2月7日)

2020年02月08日 | つれづれ
毎朝、食後に持病の薬を飲んでいる。
高尿酸血症(いわゆる痛風)と高血圧症の薬。
親から受け継いだ体質である。

薬は職場近くの内科&整形外科に月に一回行っているのだが、
何かあるといつもここでお世話になっている。

で、咳の話。
咳は持病のアレルギー性鼻炎のため慢性的なもの。
しかし今回のはちょっと重く長引く。耳鼻咽喉科では治らない。
もしかしたら肺炎かも?という心配も少しある。
熱は無いが、昨日の木曜会での切り返しで息が続かなかったのだ。

実は1月14日にも定期健診でX線を撮ってもらっていた。
(定期健診というものでは無いが、血液検査とともにたま~にしてもらう)

で、医者に経過を説明する。

年明けから鼻水が出始めて咳も出るので耳鼻咽喉科に行った。
アレルギー性鼻炎の薬とうがい薬をもらったが治らない。
その次にここでX線検診で異常なし。
そのあとで女房がインフルエンザにかかった。
うつされたのか、熱は無いが咳がひどく身体もだるくひたすら眠くなった。
女房のタミフルを貰って飲んだら身体のだるさは無くなったが咳だけは続く。
翌週、耳鼻咽喉科に行き、アレルギー性鼻炎の薬とシロップとうがい薬をもらう。
シロップが効いたのか咳はおさまりつつあった。
シロップが切れ、昨日からまた咳き込むようになった。
ともかく咳を鎮めたい。もしや肺炎では?という心配もある。

いまはレントゲンとは言わないみたい。
X線検診と、昔ながらの聴診器で診察を受ける。



1月14日のものと比べるが異常は無し。肺炎の疑いは無し。
「タミフルが効いたということはインフルエンザだったのは間違い無いでしょう」
「咳が長引くのは若い頃と違って治癒力が弱まっているから」
「身体は元気そうに見えても血液中の白血球は年取って活動が鈍ってくるからね」
「まあ、急性気管支炎ということで薬出しておきましょう」と医者が言う。



もらった薬はロキソニン(鎮痛・抗炎)、カフコデN配合錠(咳止め)、セファクロル(抗生物質)。
ついでに常用の痛風の薬(フェブリク)と高血圧の薬(テルミサルタンとアムロジン)ももらっておいた。
しかしながら我ながら薬漬けだワ。





待合室で面白い本を見つけた!「昭和40年男」
宇宙戦艦ヤマトや、相澤ロボット、サンダーバードの記事がある。
私は昭和30年男で、チャンバラ系か大東亜戦争物。
チャンバラと大戦がごっちゃになった「忍者部隊月光」というのもあったなあ。
昭和40年男とは世代は違うが話題はまあ合うので記事は面白い。

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ともかく大ごとで無くて良かった。
剣道で大声あげるせいで咽喉が痛むのはしかた無いのかも知れない。
声を出さずに稽古は難しい。昨夜の木曜会も思いっきり気合を出していたものなあ。
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実はまちまち、マスクの裏表、について!

2020年01月28日 | つれづれ
中国の武漢とは関係ないが咳が続くので人前ではマスクをするようになった。

マスクはドラッグストアで買ったものとか、コンビニで買ったものとか、
人に貰ったもので、白い普通のマスクで、製造メーカーはまちまちである。

マスクを着用する時は、メーカーを問わず、
“ワイヤーを上にして、プリーツのひだが下を向くように”していた。

TV報道で、マスクの裏表にご注意くださいとあったので気になって、
ネットで「マスクの裏表」と検索すると、けっこう曖昧であることに気づいた。

1)ワイヤー部を上にして
2)プリーツのひだは下向きに

ここまではどこも同じである。

3)ゴムひもの取り付け部分は外側にして・・・
4)ゴムひもの接着部分(マスクと接続している部分)を内側にして・・・

ここはバラバラの記述が多い。

5)最初にヒモが折りたたんであるほうが内側

こういうのもあった。

なんとなくわかったのは、
ワイヤー部を上にして、プリーツのひだを下向きにという法則である。
しかし手持ちのマスクの中には、マスクの真ん中から、
外向き(つまり上下に)にプリーツのひだがあるものもある。

箱入りで買ったマスク(エスセレクト立体型Wワイヤー)では、
外箱の写真(イラスト?)では、ヒモの取り付け部が外になっている。
プリーツのひだは下向きではなく上向きになっているように見える。
ひもの取り付け部は外側になっている。


(スギ薬局のエスセレクト立体型Wワイヤー)


(この商品は、こちら側が内側になる)


(こちら側が外側になるわけだ)


(よく見ると「外」という刻印が打ってあった)

いままで、何となくひもが付いているのを内側にして着用していた。
ネットの情報を集めれば集めるほど混乱してきたので、
買い求めた店舗(スギ薬局)で聞いてみた。

どうやら、マスクの裏表については、メーカーによって基準が異なり、
ゴム紐の付け位置や、プリーツのひだの向きだけでは判断出来ないということらしい。

あらら、何といい加減なものなんだろう!

幸い、この商品には「外」という刻印があるので間違うことは無いが、
他で買った商品や貰ったものは裏表の判断が出来ない。
いや、これとて「外」という刻印が無ければ間違っていたところだ。


(有名なバリエールは、ひもが付いたほうが内側である)


(やっと安心、マスクをして運転している)

説明書があるものは説明書に従って着用するように。
どうせ着けるなら効果が高いように着用したいものである。
ネットの情報、はあてにはならない。一般論も通用しない。
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ホワード飲み会「O石会」(2020年1月23日)

2020年01月24日 | つれづれ
「O石会」という飲み会は、
船場にあった衣料卸のホワード勤務時代の仲の良い者の集まりだ。
改めて考えてみたら、集まったメンバーの最終的な部署は総務、経理、情報、販売、広報である。
と言っても、ながい勤務年数で、ほとんどが営業(商品担当バイヤー)も経験している。

ホワードは、経営者と役員の無能と失策で今は無い。

例年どおり18時半から心斎橋の「かつら亭」。
昨年の夏の集まりには行けなかったので皆とは1年ぶりに会う。
今回は時間的余裕が無く職場から直接難波まで行った。
吉田駅まで自転車を使うと50分で心斎橋まで行ける。

18時半~21時過ぎ。
今回も楽しくあっという間に時間が過ぎた。
カッキーが微熱が出たとかで欠席したのだけが残念だった。



















帰りは皆と心斎橋液で別れて一人で難波まで歩く。
カメラ(SONY NEX-C3)で少しだけ街並みを撮影してみた。











心斎橋は私が生まれ育った街である。
道頓堀の街の灯りを見ていると幼い頃の記憶も蘇るのだ。
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鼻の病気「後鼻漏」について(その2)

2020年01月14日 | つれづれ
(その1)の続き

風邪を引いたのがきっかけで職場の近くの耳鼻咽喉科に行くようになった。
風邪でも内科には行かない。私の体質は耳鼻咽喉科系が原因で風邪の症状が出るから。

案の定、耳鼻咽喉科の院長から「アレルギー性鼻炎ですね」と言われた。
鼻の奥が炎症を起こして鼻汁が咽喉の奥の炎症を引き起こし、
咳や発熱など、あたかも風邪のような症状が出るのだと言う。

噴霧器治療の治療が定番の医者だが、
座ると目の前に「後鼻漏(こうびろう)」の説明書きが張ってある。



張り紙には、
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鼻水がのどに流れたりしませんか?
□鼻水がのどに流れる
□のどがイガイガする
□のどに違和感がある
□のどがいつも痛い
□いつも痰がからむ
□長く話していると咳が出る
□常に鼻炎である
□咳が長引いている
--------------------------------------------------

これすべてがぴったり当てはまる。
まさしく私は「後鼻漏」なのだと確信した。
振り向いて院長先生に聞くと「うん、あんたは後鼻漏や」と言われた。

「後鼻漏(こうびろう)」は初めて聞く言葉である。

鼻水がのどに落ちる、後鼻漏(こうびろう)
--------------------------------------------------
後鼻漏は、異常な鼻水がノドの方へ流れ落ちてくる症状です。
いくら鼻をかんでも鼻水は前方から出ず、絶えずノドに流れ込んでしまい、その鼻水を口から吐き出し続けるか、飲み込み続けるしかありません。その不快感はとても大きく、重症になると食事や睡眠などの日常生活から対人関係にまで弊害を及ぼします。例えば鼻・副鼻腔の感染性後鼻漏、アレルギー性後鼻漏、好酸球性後鼻漏、術後性後鼻漏、形態性後鼻漏、自律神経性後鼻漏、加齢性後鼻漏など、様々なタイプがあります。
(アレジオ銀座クリニックのサイトから拝借)


(鼻の治療器、超音波式ネブライザ)


(鼻に差し込む部分は一回ごとに交換し洗浄される)


(噴霧中)


(処方された飲み薬、他に大量のうがい薬を処方してもらった)

咽喉を痛めているとそこから免疫が低下するのか発熱することもある。
アレルギー性鼻炎は後鼻漏を生み、後鼻漏は咽喉を痛める。
咽喉を痛めると風邪を併発しアレルギー性鼻炎がますます悪化する。
結局は悪循環の連鎖で慢性化してしまうというわけだ。

医者は「完全な治療法は無い」と言う。「悪くなる前に来なさい」と言われる。
悪くなるから医者に行くのであって悪くなる前に医者に行くほどヒマでも無い。

ようするに鼻に爆弾を抱えているようなもので、いつ爆発するかはわからない。
生まれつきの体質的なものなので、騙しだまし付き合っていくしか無いのだ。
困ったものだが、死ぬまでこのアレルギー性鼻炎と付き合っていくことになるのだろう。

洟垂れジジイにはなりたくないなあ・・・
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鼻の病気「後鼻漏」について(その1)

2020年01月13日 | つれづれ

(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

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物心ついた時から鼻が悪く、
小さな頃はセーターの袖を鼻でテカテカにしていた記憶がある。

鼻はだいたい詰まっているので口で呼吸をする。
口で呼吸をするのでいつも口を開けている事が多く当然アホに見える。
小学校の時に担任の先生に「粕井くん、口を閉じなさい」と度々叱られた。
口を閉じたら息がほとんど出来ない。詰まった鼻で息をするほど苦しいものは無い。
強盗に襲われて口をテープで覆われたら確実に死んでしまうと確信していた。

いつも、ぽか~と口を開けてるか洟(はな)をたらしているかで皆から馬鹿だと思われていた。
小学校3年に、母親はこの担任に「粕井くんは頭の線が一本切れてますね」と言われたそうだ。
ティシュなどはまだ無い時代。ポケットにはいつも大量の鼻紙を持っていた。

小学校の頃はよく兄弟喧嘩をした。
兄弟げんかは一方的に殴られたり押さえつけられたりした。
豪快に殴りつけてくるのは長兄。馬乗りで押さえつけ上から顔にツバを落とす陰湿なのは次兄。
いずれにしても小さな頃は毎日のように喧嘩をした。きっと生意気な弟だったのだろう。

泣き出すと、涙と一緒に驚くほどの鼻が出る。
鼻が出ると「誠、鼻が通ったなあ」とお袋が喜んだのを憶えている。
確かに、泣きながらも「鼻が通ってるやん」と少し嬉しく思ったことも何度かあった。

余談だが、自分のほうが強くなったと感じた頃から喧嘩はしなくなった。

高校だか大学だか、彼女が出来て一緒に映画を観に行ったことがある。
映画の題名は忘れたが、映画の途中で彼女から「粕井くん、息がうるさいよ」と言われた。
最初、何のことかわからなかったが、私の口呼吸+鼻息がうるさいのだと気づいた。
気づいたがこれは生まれつきで直しようが無い。呼吸に意識が行くと映画どころではない。
気まずい思いで映画館を出た。楽しいデートでは無かった。

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そんなわけで、耳鼻咽喉科は小さな頃からお世話になっていた。
小さな頃は「鼻カタル」と言われた。鼻カタルとはいわゆる「鼻水」のことである。
鼻水を吸い取って薬を噴霧して脱脂綿が先に付いた金属の棒で薬を塗っておしまい。
そんなことで治るわけもない。

「アレルギー性鼻炎」という言葉は無かったが、アレルギーという言葉はあった。
小学生の頃、「トラ」という野良のメス猫が家に居着いて可愛がっていた。
猫がアレルギーの原因と考えたのか「お前の身体のために猫は捨てる」と言い聞かされた。
深夜に母親が「トラ」をどこかに捨てに行き、翌朝、私は布団の中で泣きじゃくった。
アレルギーが心底憎く辛く悲しかった。

中学か高校の頃、鼻中隔弯曲症とも言われた。鼻の隔壁が曲っているらしい。
これが曲っていると鼻が詰まりやすく蓄膿になりやすいと言われた。
鼻茸(はなたけ)もあるとも言われた。
自分の頭の中にキノコが生えてきているのだと想像して怖かった。
手術が必要になるかもと言われたが、その後の医者に手術を勧められたことは無い。

鼻風邪を引くと青っ洟が出て「蓄膿」と言われた。副鼻腔炎のことである。
鼻の奥の目に近いあたりに大きな空洞がある。そこが副鼻腔でここが炎症を起こす。
炎症を起こすと鼻汁は黄色くなり、悪化すると熱が出た。


(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

小学校5年の夏、白浜でクラゲに刺されたことが原因でアレルギー性皮膚炎が始まった。
刺されたのは一箇所だが、全身に湿疹が広がり10年間ほど苦しんだ。
これは本当に困った。鼻どころでは無い。かゆくてたまらない。

何度か京都の北区にある有名な皮膚専門の医者まで母親に連れていってもらった。
自宅から電車、市電をを乗り継いで2時間はかかった。処方されたのは漢方の塗り薬。
薬を塗って上から小さく切ったビニールを貼りテープで止める。
手足全部で10箇所ほどだが毎晩のことで大変だった。

大学になって千葉に下宿し、帰省するごとに京都の医者まで行った。
医者も代が変わり、漢方薬ではなく薬局でも買える「フルコートF」という塗り薬に変わった。
京都まで2時間もかけていく必要も無くなり近くの薬局で自分の小遣いで買いはじめた。

鼻のほうも相変わらずで、薬局で鼻療(びりょう)という漢方薬を買って飲んでいた。
自分のこづかいで薬を買っていたのにはわけがある。
自分はダメな人間だし、自分の病気で親に負担をかけてはいけないと考えていたのだ。

鼻の漢方薬と皮膚病の塗り薬で年玉を溜めた金や月々の小遣いは薬代でかなり使った。
親からすれば大した金額でも無いのだが薬代は親には出してもらわなかった。
今から思えば何故出してもらわなかったのだろうと思うが、
長引いた病気は、劣等感を土台にして妙な片意地をはらせていたのだと思う。
自分の劣る部分はたくさんある。それ以上の欠点を親に言えなかったのだ。

社会人になると体質が変わるのか鼻も湿疹も症状は出なくなった。
湿疹は完全に治ったが鼻は時々悪化する。悪化するが医者に行くほどでは無くなった。

長くなったので(その2)に続く
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とんぼ堂の刺繍ミシンを譲りました!(2020年1月10日)

2020年01月11日 | つれづれ
昔のことだが、とんぼ堂の創世記には何をして良いかわからず、
オリジナルの刺繍ワッペンや竹刀袋なども作って売ろうと考えていた。

それまでミシンなどいじった事も無いのに結構高価な刺繍ミシンを買ってしまった。
取り扱い説明書を見ていじってはみたものの、
ほどなく自分には縫製関係の仕事は向いていないのがわかった。

あきらるのも早く、ミシン一式は知り合いに貸し出して何年も経ち、
昨年手元に戻って来たが使い道も無く、稽古会で会ったK井さん(ご主人)に声を掛けていたのだ。

K井さんのご自宅は島本町で、自宅の奈良からは小一時間かかる。
運び入れたら1時間ほどで帰るつもりが、ご主人もおられ、仕事の話、剣道の話、
バイクの話などなど、話が楽しく弾みに弾み、3時間ほども長居してしまったのである。

ご自宅の素晴らしい工房も見せていただいた。
本当に良いところに貰われたと感謝感激している。

(肝心のミシンの写真は撮るのを忘れてました)


(K井さんの工房)


(人形用とはいえ、竹刀、袴のヒダ数も本格的に再現してある)


(小さな袋物)


(裏地もついた丁寧な作りである)


(防具入れにお勧めの匂い袋各種)


(香りの元はお好みでブレンドできるらしい)

-------------------

お話を聞いているとK井さんは私と同じで商売が下手で、
足が出るようなことを何度も何度も繰り返しているご様子だ。

実は剣道関係は知り合いが多いので頼まれたらイヤとは言えないことも多く無理をする。
私の とんぼ堂の特注品でも言えるが、原価は知れていても、手間や時間が無茶苦茶かかる事が多い。
良いものを作ろうとすると手を抜けないので結局持ち出しが多くなると言うものである。

反省も込めて、いろいろアドバイスさせていただいた。
K井さんの作品は、そのうちお見受けすることもあると思う。ぜひご贔屓に!


(ネズミの匂い袋いただいちゃいました!)


---おまけ---
K井さんのブログ(島本剣生会と私・・・剣道が大好きな私の徒然日記)
https://blog.goo.ne.jp/minekotoryuu
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恒例行事・実家での集まり(2020年1月2日)

2020年01月03日 | つれづれ
親父もお袋も亡くなったが実家に1月2日に集まるのは恒例行事である。
お袋の系統(奈良の扇田家)はともかく宴会が好きな血筋で、
昔からお袋の実家には事あるごとに親戚が集まって酒を飲んでいた。
それを引き継いでいるわけである。粕井家の風習ではなく扇田家の風習だ。

年末の12月30日は私の家で餅つきをして酒を飲む。
翌年の1月2日は実家(次兄が継いでいる)に集まって酒を飲む。
だらだら飲んで陽気に話す。楽しい良い酒である。

昨年は昼から始めて夜の10時まで飲んでいた。
諸事情により今年は午後3時から。
お開きは夜の10時頃かな?
実に7時間。集合写真で中締めとなる。


(実家の門前で)






































(恒例の集合写真)








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ブログの始まりは「小さな放送局」が原点

2020年01月02日 | つれづれ
ブログを毎日書くようになったのは一昨年からだったでしょうか?

最初は独り言のような、くだらない日記でしたが、
「読んでるよ」という人がちらほら出始め、少し内容に気を使い始めました。

実はこのブログの原点は小学校の頃なのかも知れません。
あの頃、やりたかったことはこれなのかも・・・と最近になって気づいたのです。

小学校のクラブ活動では「放送クラブ」という部活のようなものに属してました。
朝や昼、下校時の校内放送をするのが活動のメインです。
校内放送は音楽を流し、決まりきったセリフを言うだけでしたが、
曲目は当番に任されていたので「きょうはどれを流そうか?」と楽しんでいました。

活動の合間に3球ラジオという真空管式のAMラジオを組み立てたことがあり、
自分の作った機械が音を出すということが楽しくて、その後、市販のキットで
「小さな放送局:2球ワイヤレスマイク」というものを買ったのです。

小学生ですから「放送局」の文字だけで夢が膨らんでしまい、
2球ワイヤレスマイクがどれほどの性能かも知らずに夢中で組み立てました。


(2球ワイヤレスマイクのイメージ・作ったのもこんな感じでした)

あれこれ苦労して何とかキットは組み立てました。
さっそく翌日から夜の8時から1時間と決めて放送をし始めたのです。
原稿を作り、オープンリールのテープレコーダーを横に置き、流す音楽を決め、
音楽の合間にその日の出来事や感想、雑談めいたことをマイクに向かって話すのです。
自分の言葉が電波に乗って、この夜空を遠くまで飛んでいるのだ・・という感激がありました。

数日たって、この電波がどこまで届いているか心配になってきました。
奈良市内はカバーしてるかな?いや、自宅の周囲、数キロぐらいかな?
そういう疑問が起こり、トランジスタラジオを持って、いざ実験開始です。

自分の部屋から廊下に出たところまでは聞こえました。
しかし台所まで行ったら雑音が多くなって聞き取れません。あれれ?
「家の外なら遠くまで届くのかも知れない」と外に出ましたが駄目でした。

その後、アンテナを窓の外に長く高く張ってみましたがまったく変わらずでした。
けっきょく作った放送局は、せいぜい5メートルも飛ばないガラクタだとわかったのです。

その後、大人になってからアマチュア無線もやりましたが、
あれも放送局のイメージではなく一対一の電話のようなものです。

インスタでもFacebookでも、youtubeのような動画配信でもありません。
実はブログが、小学校の時に思い描いた放送局のイメージに一番近いものなのです。

読んでいる人(=聞いている人)がいるかも知れない・・・
私はどうやら小学生の頃からさほど進歩していないのかも知れません。

出来るだけ続けられるよう頑張ってみます。
今年もこの「小さな放送局」におつき合いください。
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あけましておめでとうございます!

2020年01月01日 | つれづれ

(2019年10月、鳥取砂丘にて)

2年続きの喪も明け、やっと大きな声で「おめでとうございます」が言えます。

あいかわらず仕事、剣道、剣術、猫、酒に明け暮れ、
たまにバイク、ごくたまに温泉旅行と元気にやっております。


(2020年、令和2年、皇紀2680年元旦、自宅前にて)

今年の5月には65才になります。前期ですがいよいよ高齢者の仲間入りです。
じじいですがボケないよう頑張ります。今年もよろしくおつき合いください!




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餅つき・年末のご挨拶(2019年12月31日)

2019年12月31日 | つれづれ
恒例行事である12月30日の餅つきも無事に終了しました。
今年も本当にお世話になりました。

本日は餅つきの写真です。
母方の扇田家から受け継いだ推定100年以上の伝統ある行事です。



































来年が、本当によいお年になるよう心から祈りまして、
年末の挨拶に代えさせていただきます。

今夜は年越しそばでも食べておとなしくしております。
一年間、ありがとうございました。
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がたついた椅子の修理

2019年12月24日 | つれづれ
自宅の食堂で使っている椅子は、千葉に住んでいた頃、奈良に引越しが決まった時に、
鹿島神宮参拝の帰りに茨城県のカインズホームセンターで買い求めたものだ。
奈良の新居の食堂に新しいテーブルと椅子6脚を設置して20年以上が経っている。

確か1つで数千円の安物だが、テーブルと同じウッドハウス的な雰囲気が好きで、
猫が爪とぎにするのでボロボロになってはいるが今でも重宝している。

さすがに20年以上も使っているとガタが出てきて、 最近はギイギイと揺りかごのような動きをする。
さすがに修理が必要かな? 修理が無理なら買い換えようかな?と思っていた。

トイレの通風口の取り付け作業の合間に椅子をバラしてみた。
裏返して座板を止めている8本の木ねじを外す。

あとは木づちでトントン叩くと簡単にバラバラになる。


(バラバラにしたところ)


(愛用の木工用ボンド)

緩んだ接合部に、たっぷり木工用ボンドを付けてあとは元通りに組み立てるだけ。


(ボンドは、はみ出るぐらいたっぷりと)


(組み立てはバラした順序と逆に)


(ほぼ完成)


(少し乾いたら、上から乗ったり木づちで叩いたりして足の長さを調整する)

座板を付ける前、まだ接着剤が固まる前に、 4本の足の長さを同じにするよう木づちと体重で調整する。
これを忘れるとがたつきのある座り心地の悪い椅子になってしまう。


(はみ出たボンドは拭き取っておく)

ボンドが固まったら木ねじを止めて終了。

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しかしね、慣れとは面白い。
ガタつきも無く、しっかり安定しているのだが妙に落着かないのだ。
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ニオイ対策・トイレに通気口を取り付ける

2019年12月23日 | つれづれ
トイレの換気扇を回しても、入ってくる空気が無ければ、
ニオイは外へ抜けないのだと聞いたので「なるほど!」と思ったのだ。

トイレの換気扇はスイッチを切っても5分間は回っていがニオイはさほど抜けない。
入る空気が無ければ換気扇は空気をかき回しているに過ぎないらしい。

それなら空気の穴を開けてやろう!

思いたったらすぐ実行で、ホームセンターに行って、
1個398円の円形の空気穴カバーを2個買ってきた。


(カバーは厚みがあるので半分ほどに切り取った)


(電気ドリルでカバーの直径より小さめの穴を開ける)


(こんな感じ)


(細いのこぎりで穴を大きくする)


(こんな感じ)


(廊下側からトイレを覗き込んだところ)

外見さえ気にしなければ、これで通気口の役目は出来る。


(木工用のヤスリで穴を整える)

穴は多少いびつになったが、カバーにはツバがあるので入ればOK。
なお、後から気づいたが、もう少し内側に穴を開けると木枠から外れるので作業はし易い。


(カバーを嵌め込んでおしまい)


(トイレの中から見た感じ)

換気扇を点けると、通風口から空気が入ってくるのがわかる。
ニオイも少し抜けるのが早くなったような気がする。
家族とはいえ、自分以外のクサイのはヤダからねえ。お互いに。
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臨海合宿で歌った思い出、讃美歌312番の「なぎさのやしのみ」

2019年12月02日 | つれづれ
キリスト教には興味は無いが讃美歌は好きである。
310番「しずけきいのり」、167番「アメイジング・グレイス」、
239番「さまよう人々」、320番「主よみもとに」など、YouTubeで聴いていた。

312番「いつくしみ深き」の曲で「ああ、これは椰子の実の歌だ」と思った。

椰子の実は、島崎藤村の詩「名も知らぬ遠き島より・・」が超有名だが、
私にとっては、小学校の臨海合宿で配られた「なぎさのやしのみ」のほうが
今でも口ずさめる思い出のある歌であり歌詞である。
(ちなみにこの詩は他で見たことが無い)

--------------

「なぎさのやしのみ」

あかるい月夜の なぎさにひとつ
はるばる流れて うちあげられた
やしのみやしのみ さびしゅはないか
夢にもみるだろ みなみのしまを

しらないおくには ザボンがにおう
なぎさのおふねと おはなししても
やしのみやしのみ ことばがちがう
そこでさびしゅて なおさらなける

--------------

奈良女子大学文学部附属小学校では、5年生と6年生の夏、
福井県の高浜で、3泊4日の臨海合宿を行った。

今では高速を使って2時間だが当時はバスで5時間もかかった。

奈良から京都市内を抜け山陰線に沿って綾部まで。
綾部で方向を変え、舞鶴を通って高浜まで。バスの5時間はけっこう長い。
舞鶴を抜けたぐらいで海が見えると「海だ~!」の歓声があがる。
海の無い奈良の子供たちにとって海は憧れの存在だったのだ。

臨海合宿の班分けはクラスではなく所属するグループで活動する。
グループは、放送や図書、劇、音楽などがあった。

6年生が5年生を導く形で水泳を中心に城山や魚市場の見学などを行い、
夜には宿の外の海岸でキャンプファイヤーを行い全員で歌詞集の歌を歌った。


(全員に配られた臨海合宿のしおり)


(5年生の時に演劇のグループにいた)(Nameかと思ったら、Namaeだった)

夕食後、夜空に舞い上がる火の粉を見て全員で歌った経験は、
半世紀以上経った今でも鮮明な感激の記憶として焼き付いていて、
その後、バイクを使ってソロキャンプにはまっていた時期があったのも、
小学校の頃の、この臨海合宿のキャンプファイヤーが原点なのかも知れない。


(「なぎさのやしのみ」と「赤いかわの谷間(The Red River Valley)の歌詞」)

「なぎさのやしのみ」が讃美歌312番だとは知らなかった。
下の「赤い川の谷間」とともに、切なく哀愁のある曲である。
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映画「決算!忠臣蔵」を観に行った。

2019年11月27日 | つれづれ

(決算!忠臣蔵、公式サイトより拝借 https://chushingura-movie.jp/

【解説】(映画.com https://eiga.com/movie/90445/
「忠臣蔵」を題材に、限られた予算の中で仇討を果たそうとする赤穂浪士たちの苦労を描いた時代劇コメディ。堤真一と岡村隆史がダブル主演し、監督・脚本を「殿、利息でござる!」の中村義洋が務めた。元禄14年3月14日。清廉潔白な赤穂藩主・浅野内匠頭は、かねて賄賂まみれだった吉良上野介に江戸城内で斬りかかり、即日切腹を言い渡される。突如として藩主を亡くした赤穂藩士たちは路頭に迷うこととなり、筆頭家老の大石内蔵助は勘定方の矢頭長助の力を借りて財源の確保などに努めるが、そうした努力や幕府への働きかけも虚しく、お家再興の夢は絶たれてしまう。それでも一向に討ち入る様子のない内蔵助だったが、江戸の庶民たちは吉良への仇討を熱望。しかし討ち入りするにも予算が必要で、その上限の都合上、討ち入りのチャンスは1回きり。予算内で仇討を成功させるべく奮闘する浪士たちだったが……。金欠に悩まされるリーダー・内蔵助を堤、ワーキングプアなそろばん侍・矢頭を岡村がそれぞれ関西弁で演じる。
(2019年製作/125分/G/日本 配給:松竹)

いやはや面白い。そういう切り口もあるんだ!
笑っちゃいけないと思いつつ何回も笑ってしまった。周りからも笑い声が絶えない。
ボケとツッコミが満載でコミカルで、時に切なく時に共感する場面もあった。

最初から最後まで楽しめた。
時代劇が苦手な人も楽しめると思う。
お勧めの一作である。



お昼は、しゃぶしゃぶの一番安いコースにしようと楽しみにしていたが、
改装中のため並びのラーメン屋に入った。まあまあそれも美味かった。満腹。
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昔の灯油ストーブ「レインボー RB-2」

2019年11月16日 | つれづれ
いつ手に入れたのか忘れたが、我が家に唯一ある対流式石油ストーブ。
レインボーRB-2型。おそらく昭和40年代のものだと思う。

レトロなストーブは、年末の恒例の餅つきに使っている。
年に1回の使用以外はずっと車庫で眠っていた。
何年も同じ灯油を使い回ししているの芯がカチカチに固くなっていた。
屋外で使うので何も気にしないで使っていたのだ。

夏に工房を改装した時に、タンスの奥から替え芯が5個も出てきた。
なぜ5個も買ったのか憶えていない。
こういうことが私の場合は頻繁に起きる。
計画性が無いのと整理整頓が出来ないからだ。

さっそく車庫のストーブを工房に運び入れた。
分解掃除をして芯を替えてみる。
芯の入れ替えは、ちょっと面倒だがすぐ出来た。

キレイにしたのは工房でストーブを使おうと思ったから。

エアコンもあるがストーブのほうが雰囲気が好きである。
ストーブも温風ヒーターよりも対流式のほうが好き。
炎のゆらぎを見ているだけでも癒される。
ほんのり香る灯油の臭いもけっこう好きかも。


(レインボーストーブ、RB-2型)


(タンスの奥から出てきたミキシンの替え芯、5個のうち1個を使用)


(機種適合表)

トヨストーブ:CT-1、CT-1A、CT-1B、CT-1C、CT-1K、CTA-1、CTA-1D、RB-2旧、RB-2新
トヨセット:TSC-12、TSC-15
コロナ:SS-K、SS-DK、SS-DKA


(直径50mm、厚味2.8mm、長さ155%、三木商事株式会社)

調べてみたら、この三木商事はすでに廃業されているらしい。
この規格の替え芯もすでにどこも作っていないようだ。

アヤハディオの1,100円の値札が貼ってある。
バーコードでは無いところが年代を感じる。


(乾電池を入れ、自動点火で点けてみた)


(温かみのある赤い炎)

使っていないヤカンをかけて湯を沸かそう。
そしてそのお湯を湯たんぽに入れて寝てしまおう。

今年の冬はこれで楽しむつもり。
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