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稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.59(昭和62年4月12日)

2019年08月10日 | 長井長正範士の遺文
○閑話休題 一寸面白い文献があるので、この辺で話題を変えて書きとめておく。
○若し我々が江戸時代に生きていたら。
百石どりの旗本は現代のサラリーマンに換算すると一石は2.5俵。
百石は250俵=1,000斗=10,000升=(精米にして)14,000キロ。
米価1キロ(普通米で)約450円として計算すると6,300,000円となる。
(このうち四分は自分のとり分、六分は農民のとり分)故に四分とると2,520,000円になる。

然し江戸時代はボーナスという名目のものが無く、
若し現代風に年間四ヶ月ぐらいのボーナスに価するものを渡してやっていたと仮定すると、
月収は2,520,000円÷16ヶ月=157,500円。即ち手取り157,500円が江戸時代百石取りの給料である。

二百石取りは315,000円となる。
小説の中の旗本退屈男の設定は1,200石であるので月収1,890,000円となる。
三百石取りは現代の課長クラス、四百石取りは部長クラス級の程度ではなかろうか。
NHKでお馴染の石坂浩二の柳沢吉保は綱吉時代の知行160石と廩米370俵取りが出世して
最後は150万石の大大名になった。

当時幕府の軍役規定というのがあって、女や小者を含め、家来を500人~千人かかえているが、
月収2億2千万円、1日の実収入は700万円あり、終生続いていたと言われる。

○千両箱は?
貨幣価値を1両を1石とする。
1石は10斗=百升。1升は14キロ、米価1キロを450円としてみると。
140キロ×450円=63,000円。×1,000両=6,300万円となる。



○米騒動昔ばなし
大正7年8月、当時1升20銭だった米が50銭になり、所謂「米騒動」が発生、
その鎮圧には軍隊が出動するほどの大事件になった。
その頃のけいさつ官の本俸は月額15円、諸手当が6円50銭ほどで
一般の下宿代が月12円。うどんは3銭であった。
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No.58(昭和62年4月11日)

2019年07月27日 | 長井長正範士の遺文


○親の子供に対する心がけについて
少年剣道指導者はよく心がけておかねばならない。
子供のやる気に自愛型と他愛型との二つがある。
この事をよく承知しておかないと躾を誤るから次に書いておく。

1)自愛型 子供の行為に金や物で報いるというやり方では
(続けてゆくと)子供は自分さえよければいい。自分だけ得をすればよい。
という心だから、そのためには何をやってもよいという「やる気」になり、
すべて俺が俺がという気持ちで皆より先に出るやる気になってゆき、
そういう子は人ともよく争う。

2)他愛型 すべての親が子供に望んでいるのは、
周囲の人達と仲良く調和してゆける力をつけたいという事で、
そのために子供の中に伸ばさなければならないのが他愛型のやる気で、
これは金や物ではなく、有難う、うれしい、助かった、すばらしい等という感謝の心、
よろこびの心、感動の心を全身で表現してゆくという子供への表し方で
子供は初めて伸びてゆく。

◎之がため親は次の事項を心がけてやらねばならない。

1)自分は動かずに口だけで子供を動かそうという態度をとらないで、
先ず親自身が、立ち、動き、働くという、いきいきした生き方を見せること。

2)・・・しなさい。・・・いてはいけないという支配、
命令、禁止、強制の形で接するのではなく、子供の中に「よしやって見よう」という
「楽しさ、自由さ、面白さの備わったやる気を大きく作り伸ばすように援助する。

3)他の人達と調和し、他の人達に役に立ち、
他の人達と共に楽しく暮せる能力を身につけさせる。

4)親が何かことを始める時に、子供に「ちょっと助けて、力を貸して、教えて、
というような救いを求め、それに対して、有難うと感謝する。
それによって子供は感謝されるよろこびを知り、更にやる気を増すものである。

所で今日のわが国では、子供の登校拒否、家庭内の暴力、校内暴力等、
深刻な社会問題になっている。

登校拒否の原因は、父は知らず知らず、自分の枠にはめている。
母は世話焼き、これによって子供はやる気が無くなるのである。

実に、親の過保護、過干渉、過期待は子供の人格を認めて心を開くとき、
子供は自分を認めてくれたことを喜こび、やがて自らの意欲を呼び起こすのである。

○やる気とは「生きる力」である。
それもきちんとした正しい方向性をもったやる気でなければならない。
親は子に対して、可哀想の思いが勝つと、わが儘依頼心の強い子に育つ。
可愛いいの思いが勝つと、又いけない。
ただ可愛いからこそ、厳しく、自分のことは自分でやるように躾ける。

躾は言葉で教えるのではない。目に見せて、しつけてゆくのである。
(女の子が春先の暖かい日に道ばたでゴザをひいて、
おもちゃのお茶わんなど持出して仲よくままごとをしている姿をよく見かけるが、
お母さんが何も口で教えないのに大人顔負けのお母さん役、子供役、姉妹役をやっている。
平素からチャンと見ているのである。ここが肝心。

之が為、

1)親も失敗を隠さないこと、
2)かげぐち、悪口をつつしむ、
3)可愛いい、可哀想の区別、
4)よい聞き手になってやる。
 (なま返事や空返事、又、よくある事であるが、
  今いそがしいからあとで、というなど最もいけない事である。)
5)言葉をかけ合う事、
6)食事を一緒にとる、
7)親子は裸でつき合う、
8)躾はユーモアをもって
 (王でも三振、猿も木から落ちる等の例をもって)、
9)えこひいきしない事、
10)叱り方を上手に(怒るは自分の感情が入っているからいけない)、
11)手をふれてやる、
12)子供を恥ずかしめてはいけない、
13)はいといいえの区別をはっきりさせる等心がける事。

道場でいつも言っていることは、
あごのひけた、背すじの立っている子はしっかりしている。
相手をまともに見て話が出来る子は躾がしっかりした証拠である。と

注)子供の躾、子供のやる気については、
昭和59.6.9、昭和60.6.8の二回にわたって全剣連の少年指導法担当講師として
私が大阪修道館でお話をした。受講された方はもう一度テキストを見て下さい。
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No.57(昭和62年4月10日)

2019年06月15日 | 長井長正範士の遺文


○一刀流の教え
改めて逐う(おう)て押えて隙に乗じて勝つべき實体(じったい)を見極め、
勝つべきところで、わが気剣体一致をもって、切込んで勝て。

切る時には、両足に切りを乗せ、両手に切りを集め、
物打ちを働かせる正しい心の切りをもって切れといっている。

故に現代のように道具を纒い(まとい)、竹刀を使って行う稽古でも、
素肌と思い、丸い竹刀でも、反り、鎬ぎがある真剣と心得、法にも適った
技法をもって必殺必勝の攻防をかけてこそ真剣味をもつ剣道が学ばれるのであると。

私はこの素晴らしい一刀流の精神技術を如何に竹刀剣道に表現するかという事を
絶えず念頭に入れ稽古に励んでおり、少しでも本物の剣道に近ずきたいと思っている。

右の教えは簡にして要を得た名文である。何遍も読んで心の糧として修養して頂きたい。

○剣道を正しく学ぶと、万事の観測が正確で、予見が適中し、
必然的に心も行いも正しくなり、人格が立派になり、
必勝不敗の人生を完了し得るに至るであろう。

それには、ただ観念的に思いをめぐらすばかりでなく、
具体的に先ず剣を正しく使う稽古から入らねばならない。

○奥伝の「捨目付」について
形に見える目付を一切捨て去ること。
過去を見て、現在を悟り、現在を見て未来を察するという巧智を捨て、
過去、現在、未来の三色を透見して無色の中に臨在する永恒を真観し、
万全の真相に突入する明哲至極に到達せよと教えているのである。

ここまでくると奥の深さが無限に深いことを思い知らされるのである。
お互いに生涯を通じ精進して行こうではないか。(この項終り)
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No.56(昭和62年3月30日)

2019年06月05日 | 長井長正範士の遺文


○相手を理解して励ませば實を結ぶ
文芸評論家の小林秀雄氏が亡くなった後、小林氏の追悼集の中で、
小林氏の義弟に当る田河水泡さんが「一番印象に残るのは、私が衰微していた頃、
ホンモノはつぶれないんだよ、キミはホンモノだよ」と励ましてくれた事。
そういう事は絶対言わなかった人だけに、大変うれしかった言葉でしたと言っておられた。
「君は本物」の言葉は田河さんにとって、どれだけ力強い励ましになった事であろう。

○親の励ましが子供を立派にする
相手を見抜く点で、親、とりわけ母親にまさるものはないと思う。
平安時代に地獄と極楽を説き、その著「往生要集」で知らされる源信が十六才の時のこと。
(源信は十三才の時、母のすすめで出家し、比叡山で勉学にいそしんでおり大変秀才であった)

彼は選ばれて村上天皇の御前で仏典の講義をするまでになった。
天皇は、その学才を賞され、立派な白布を下賜されたのである。
これは誠に素晴らしい栄誉で源信はよろこび、その気持ちを書き添えて、
白布をふる里の母に送ったが、母は送り返して、その手紙に「天皇さまの御前で、
おほめにあずかるのは名誉なことです。でもあなたはお坊さんです。
現世の名誉や利益に迷うことは、有難い仏教の教えに、そむくことではないでしょうか。
夢のようなこの世で同じように迷って生きている人々に名を知られ、
それを名誉と思うとは何事です。永遠の悟りを極め、仏さまの御前にこそ、
あなたの名を挙げて下さい」と書いてあった。

源信は手紙を抱いて泣き伏したということである。
やがて立派に成長し高僧になったのである。
母の厳しい手紙が源信に本当の悟りへの道を開かせたのである。
母の厳しい手紙が源信に本当の悟りへの道を開かせたのである。

○励ましは人と人とを継ぐ心のかけ橋である。
そしてその橋を渡っていくものは愛と思いやりである。
励ます人の深い愛と温かい思いやりが素直に励まされる人の心に伝わらなくてはならない。
励まされる人も、励ましてくれる人を理解し、尊敬しなければ、
励ましも、ただのおせっかいに終わってしまう。

○あのイギリスの映画監督、デビッド・リーンの名作、
戦場にかける橋も汽車を通すための橋づくりが映画のテーマではないので、
戦場にあって敵、味方が対立する時でさえ尚、敵、味方を超越した人と人との心の交流、
即ち「心のかけ橋」がこの映画の最大テーマであった
「戦場にかける橋」が人間同士の「心のかけ橋」だったからこそ、
あの過酷なビルマ戦線で多くの尊い人命が救われたのである。

今、人を励まそうとする時、われわれは持てる力の限りを尽くして、
相手が立ち直り、立派に成長してくれることを願い乍ら最大の努力を払わねばならない。
励まされた人は必ずこの励ましに心から応えてくれるに違いない。現在、とがめることの多く、
励まされることの少ない世の中で、親と子、先生と生徒、友と友、先輩と後輩、男と女・・・。
互いに励まし、励まされ、支え、支えられて日々を生きていきたいものである。

時には又自分で自分を励まさねばならない場合もある。
こんな時は、他人をよく理解して励ますように、己を厳しく見つめ
「自分よくじけるな!」「最後までやりぬけ!」などと励まさねばなるまい。
人生には苦労がつきものであるが、わがとわが身を励まし乍ら、
このリハーサルのない人生を価値あるものにしていきたい。この項終り。
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No.55(昭和62年3月30日)

2019年05月29日 | 長井長正範士の遺文


○励ましについて話題を提供しておきたい。
励まし、それは人を奮起させ、生きる事の自覚をうながすものである。
愛と思いやりに満ちた励ましは、言うなれば、人間の力を根源から沸きたたせる
カンフル剤とも言うべきか、われわれ剣道を後進に指導する心がけとして大変重要な事柄なので、
私が会員であるニューモラル(新しい道徳)の教えにより、折りにふてて、
いろんな会場でお話をした中から代表的なものを記述する。

○献身的な励ましは人を奮起させる
江戸後期の小説家、滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」で有名だが、
その小説の途中、六十七才で片眼を病み、見えなくなり、七十四才で両眼を失うことになった。
「眼が無くては文字が書けない。失明は馬琴にとって死を意味した。

妻は夫の苦衷(くちゅう)などは知らん顔をしている。
年老いた馬琴の面倒は、すでに他界していた息子の嫁、お路にまかせきりだった。
お路は町人の娘で、学問はなくとも心根の美しい女性なので、
しゅうとの無念の胸中を思うにつけ、役に立ちたい気持ちで一杯になって来た。

そして、ある日「おしゅうとさま、差しあげたいものがあります」
「この私に何をくれるというのじゃ」
「私の眼でございます。私は文盲ですが習えば字も覚えられます。お教え下さい。
きっとおん眼のかわりになります」。

馬琴にはこみあげるものがありました。
文人仲間からは偏屈といわれるほど孤高を保ってきた馬琴であったが、
そのひとことほど胸を打った言葉はなかった。
真っ暗だった馬琴の世界に一条の光がさし込んだのです。
その日から舅と嫁の師弟は必死になって、文字の教授と習得に励んだのでした。

やがてお路は馬琴の口述を文字に写すことが出来るようになり、
こうして南房総・里見家の不思議な物語は完成することになったのである。

勿論七十四才でふるい立った馬琴の精神力もたくましいが、
それも、お路の献身的な励ましの言葉と行為があったからと言えよう。
馬琴の創作力は八十二才で没するまで衰えることなく、
その間、お路は、眼の代わりをし続けたのである。

お路は馬琴を励まし、奮起させたわけだが、ここで注目したいことは、
お路自身進んで文字を習得しようと励んでいることで、
他者への励ましは自分の励みとなって返ってくるのである。

○無言の励ましは人を感動させる
人情ばなしと怪談ばなしを得意とし、名人といわれた三遊亭円朝は、
落語界の復興に力を尽くした人としても知られている。

その円朝がある時、その才能を認めた若手の桂文治が、
円朝の出ている寄席とは余り遠くない寄席へ競って出たことがある。
当然乍ら円朝の方へ客足は繁く、文治の方は閑古鳥が鳴く始末、文治はすっかり、
くさっていた。所が三日ばかりたったころ、円朝が急病で休演ということになった。

それで客足が文治の方へ流れ、流れた客は改めて文治の芸を認めたのである。
文治は内心得意になり乍ら円朝のもとへ見舞いに行った。
ところが円朝は病気どころか元気一杯である。

割り切れない気持ちで文治は帰って来たが、
あとでその理由を聞いて感激のあまり泣いたのである。
円朝は文治の芸を客に認めさせるために、仮病を使ったのである。
これはまさに無言の励ましであった。

文治は一大奮起して益々芸に磨きををかけ、落語界復興の一翼を荷うことになった。
以上、円朝の無言の励ましの心に文治が泣いたお話。(励ましの話あと続く)
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No.54(昭和62年3月25日)

2019年05月15日 | 長井長正範士の遺文


○健康長寿を考えると血液の循環が基本である。
随分前になるが国士舘大学体育学部教授、
金子藤吉先生のお説が大変参考になったので紹介しておく。

運動で心臓も強くなれば胃腸をはじめ内臓も丈夫になる。
筋肉は使わないと萎縮する。先ず手足の指をもみほぐすこと。
手足は体の末端部に当り、時に手の端は体全体各部の最精密機関で、
足の指と共に循環系の末端部で心臓からの距離は一番遠い。
従って心臓のポンプから押し出される血液が、
この遠い手足の指に送るには大変心臓の負担になる。

故に心臓が一番骨を折って血液を送り込む手足の指をもんだり、強く押えたりするとよい。
そうすると指の運動が心臓の過労を助け、その障害を除くのに役立つ。
この運動を毎日欠かさず実行していると、心臓の鼓動が平静になり、
肩こりがとれ、頭痛も消え、熟睡が出来、食欲も進み、便通もよくなるという。

さて指をもみほぐす方法はいろいろあろうが、
指の根元から先の方にもんでいく動作を何回も何回も繰り返えせばよい。
そして最後に爪の上を強く押えれば上々である。

私は一本の指を二十回もみほぐしている。
さて指は心臓から一番遠くにある上に、組織が精密で、
神経系と循環系の毛細血管が交錯しているところなので、
心臓にちょっとした故障がおこっても、循環系が乱れて
順調に血液を送りのが困難になり、血液の抵抗となって血圧を高めることにもなる。

又、老化現象は末端部からはじまる。
従って指をもんで、心臓の働きを助け、末端部への血液の循環をよくすることは、
高血圧の予防、治療にも役立ち、老化現象をおくらすことにも効きめがある。
よくお寺の住職や、ご隠居さんが、掌の中に「くるみ」二個を入れて、
暇さえあれば「ゴリゴリ」ともてあそんでいるのを見かけるが、
これも指の運動として効き目がある。

然もこの効果の高い運動は、寝ながらでも、テレビを見ている時は勿論、
新聞を読みながらでも、人と対談中でも、電車やバスを待ち合わせている時でも
車中でもやろうという気さえあれば出来ることであり、
又、足の指の運動は寝床に入ってからでも、朝起きる前にも出来るのである。

もはや、激しい運動やスポーツの出来なくなったお年寄りには、
もってこいの運動であるといえよう。
別にわざわざゴルフ場まで出掛け、高い金を払って、クラブを振り廻さなくとも、
散歩は楽しく気分転換になり、テレビや本を読みながらでも効き目のある運動をやることは、
誠に結構なことと言わねばなるまい。
体育ということを、このように理解して欲しいものだ。

○以上を要約すると、健康は血液の循環からという事になる。
1、健康は細胞の新陳代謝によって保たれる。
2、細胞組織の新陳代謝は血液の循環によって行われる。
3、血液の循環は手と足の毛細管の刺激膨張によって完全である。
4、足の疲労は体全体の疲労である。 以上

○剣道は心身の鍛錬というが攻防打突の中に手足の指一本一本の働きがあることは、
№6、№23、№36等に述べた通り心すべきである。 完
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No.53(昭和62年3月25日)

2019年04月24日 | 長井長正範士の遺文


○柳生宗矩兵法家伝書に、

一、おびき出す身とある。
これは身、足、手にて敵の先をおびき出して、敵に先をさせ勝つなり。
われから、さまざまな色を仕かけると、敵の色が表われる。
その色に従って勝つ也と教えてある。一刀流もそう言える。

一、心が一つの事に留まるのは病いである。
病いが心の中にある故、これを離れて心を整えるのである。

○昔の武士訓に心についてこう言っている。

一、心は一身に流行して暫くも止まらざるを要とす、
滞るところを名ずけて、死物という。俗にいう居つくというはこれなり。

一、心は身に従い、身に武具を従わしむべし、武具に身を従わしむること勿れ。

一、先をとるというは、技をもっていうに非ず、
かかるに非ず、待つにも非ず、気位をさして言えり。

一、技をつくして、技を捨つべし、技を放れざれば、芸を得たる人に非ず。

一、勝負は竹を割る如し。元の一節を割れば末まで割れる也。
軍書に破竹の勢いと記せり、然し一節だけ割ったまま止めれば、末まで割れない。
これを留まるといってきらった。瞬目のたるみもあるべからず。

一、柔よく剛を制するの理を辨(わきま)えるべし。
しいて強がらんと思えば、かえって弱きことあり、われ強ければ、彼も亦強し。

一、大極動いて陰陽生じ、陰陽合して万物を生ず、
もろもろの事にこの理なき事あたわず、武術にたとえて言えば、
太刀をひっさげたる所一大極なり。敵とむかいたてる所陰陽なり。
打ち合せたる所、陰陽合したるなり。万物の化生はたがいの心にあるなり。

一、はじめという名あれば、終りという名あり。
はじまるというものを、おこると名ずけてきらうなり。
始終一貫して不変不易なるべし。

一、勝負一にありて二にあらず。
一たびあやまりあれば、再びあらたむることあたわず。
勝負は瞬目の間にあり、手を打って音生ずるに似たり。
若し、それ武具を合せて後、千変万化のはたらきにありといわば、
世にいう人形兵法にて用に足らざるなり。
千変万化は発せざる前の心をさしていう。

一、勝負は石をもって水を打つが如くすべし。
石をもって石を打つが如くすべからず。
石をもって水を打つとは、気の位をもって敵を発して対応するをいう。
かく場をあわせて後勝つことをもとむるは愚にあらさればまどえり。

(以下省略させていただきます)以上、竹刀剣道の理合の資とされ度い。
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No.52(昭和62年2月12日)

2019年04月17日 | 長井長正範士の遺文


五武器は「そうか、それなら俺は行くぞ」といって、
武器を受取り悠々と山を越えたということであります。

われわれには死がある。死があるからまた生まれて働けるのだ。
楠木正成も死んで生きている。大石良雄も死んで生きている。
吉田松陰も死んで生きている。ここに負け勝ちの外に武士道がある。

山岡鉄舟は武道の奥義に“行く先に我家ありけり蝸牛、悟らぬも悟るも同じ迷いなり、
迷わぬ先を悟りぞという”とある。勝ちだ、負けだ、悟りだ、迷いだ、そんな事が何か。
迷わん以前、勝ち負け以前のものを掴め、そこに本当の自己がある。
洋々として限りのないものがある。底知れぬ人格がある。肝がある。
それに徹するのには本当の所、坐禅をして貰うより仕方が無いのだ。

要は実の如く本当の自分を知り、
本当の自分を見失はないように修練をするにあるのであります。
武道は敵を方便として前において
假(かり)に負け勝ちを論じ精一杯の力を出して眞の自己の、今の、ここの、
はたらきを鍛錬し創造するものである。
以上が「武道と禅」という題で澤木興道老師が老師が講演された要旨です。
謹んで拝写させて頂きました。

◎№20に書いた親友巽会長の社是の加筆(巽君の社是についての考えは
誠に見事であり我々剣道を志す者心すべきであるので№20の追加文と心得て頂きたい)

商売は商品の品質、価格が最も重要であるが、人間関係も大きなウエイトを占める。
心の結びつきのない商売は、単に物品の受渡し業となって味気ないものである。
一つの商品が完成されるまでには自然の恵みに加え、
多くの人々の汗の結晶がこめられている。

商品の大小にかかわらず、粗末にすることは、自からを粗末にし、
ひいては良い人間関係が結ばれない。
だが現在はそれのみでは利益確保はむずかしい。
変革、激動の時代にふさわしい合理化も必要である。

合理化はもともと一方が利すれば、他はシワ寄せを受けるケースが多い。
合理化の不便さを解消するには、相互理解で、
いくら乗せても重くない真心を通い合わせることである。

物皆に感謝し、人と物との恩恵を受け乍ら、
自分も社会に奉仕することで生き甲斐を感じる。
自分のあり方一つでは商売はさまざまに変化する。
その妙味をゲームと置きかえれば愉快で楽しく励むことができる。

欲で追う利は逃げやすい。寄ってきた利は去らないものである。
人の欲は無限であるけれども、自分の分を知り、感謝して商売を楽しめば、
もろもろの徳も期せずして寄ってくるだろう。

損得にこだわれば不得が生れ、徳にはげめば、
自ら利がついてくるのは理の当然ではなかろうか、というのが、
この社是で巽会長のこうありたい、そうあるべきだとの強い願望でもある。

念のため、もう一度このすばらしい社是を書いておく。

“売る商品に心を乗せて 物皆に感謝し 商売を楽しむ 無欲の欲”

尚、巽君は会長になってから「商売を楽しむ」の商売を人生に置きかえて
「人生を楽しむ」道を進んでゆきたいと言っており、もとより非才の身ながら、
更に知性と教養を積み重ねるべく、ここかしこに「我も良し、会社、社員はもとより、
人もまた良し」の道をさがし求めますと。

そして言う。「今、私が知っていることは子への孝行、会社、
社員への孝行をしたいの一念です」と。
竹馬の友とは言え、巽君は実に私の師であります。(完)
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No.51(昭和62年2月1日)

2019年04月13日 | 長井長正範士の遺文


このように人間は人格の奥へ進みたい。
我々は本来の自己に立ち帰り、正真正銘の日本人にならねば駄目です。
昔から一子相伝というが、これはつまり本来の自己を練りあげることを相伝するのです。
相伝の内容は人格です。この人格が幾つもの卵を生んで一人息子が百人も出来、
千人も出来、日本国中ことごとく武道の極意の人にして貰いたいのです。

○お経の中に五武器という五つの武器を使い抜く達人がおった。
即ち槍、弓、棒、刀、薙刀のようなものだったでしょう。
この達人が諸国修行に廻った。この修行は無畏という修行です。

さて達人は山を登って峠を越えて他国へ行こうとしたところ、
麓の村の人達が「もしもしお侍さん、この山には恐ろしい化物がおります。
どんな者でも取って食って了います。この山越えは危険だからお止めなさい」といった。

五武器は「何んの俺は畏れのない修行をしているのだ。
一切のものを畏れないのだから心配しないでくれ」と言って、どんどん山へ登って行った。
山へ深く入ると果たせる哉。怪物が現はれた。

何という怪物か、漆と膠と鳥もちと、おまけにエレキ仕掛か何か知らんが
何しろ粘着力の強い、然も弾力性のある恐ろしい化物である。
五武器は先ずもって、矢をつがえて之を射た。
ある限りの矢を使い果たしたが、矢は怪物の体にペタリと貼りついただけだ。
今度は槍をしごいて向かっていった。然し槍も突き立たない。
槍もまた怪物にひっついてしまった。
今度は薙刀で行ったが、これもまた、ひっついてしまった。
刀もひっついてしまった。

仕方がない、五武器は体当りで行った。
体がひっついた。手で突いた。手がひっつく。足でんと蹴った。
足がひっついて了った。頭を打ちつけた。頭もひっついて了った。
五武器はまるで、とりもちにひっついた蝿のようになった。

怪物は五武器が自由を失ったのを見届けて、愈々(ゆうゆう)食う算段を始めた。
さてどこから食おうか、五武器をあっちこっち見まわす。
すると五武器はまるで赤ちゃんがお母さんに抱かれたような優しい顔をしてじーっとしている。
怪物はそれを見て、不思議に思った。一体これはどうしたのだろう。
今、食われようというのに、更に恐がる様子もなく、驚く様子もない。

そこで怪物は五武器に向い「コラ小僧、貴様は一体何という奴だ。
貴様のような不思議な奴は見たことがない。
大概名な奴は、あんあん泣きほざいて助けてくれの、人殺しだの、騒ぎ立てるのに、
貴様だけは何も言わないで、じーっとしているのはどういう訳だ。変な野郎だぞ貴様は」と
怪物になじられて五武器は底力のある声で答えた。

「おおそうさ、貴様は俺を食おうと思っているだろうが、
一体貴様という者が、俺以外にあると思うか、
又俺という者が貴様以外にあると思うか。俺達の本体は宇宙一杯なんだ。
この宇宙一杯の生命にくらぶれば、この肉体なんか、ほんの名刺みたいなもんだ。
貴様は俺の中のものだ。逆に俺は貴様の中にあると言ってもいいのだ。
貴様の外に俺なし、俺の外に貴様なしだ。そこのところをよく呑み込んで、
貴様もいい加減に悟るがいい。それでも食いたいならば、勝手に食え、
さあ何処からなりと食え、さあ食え」といって五武器は平気でいる。

怪物は五武器のいうことがよく判らぬが、何んだか気味悪くなり
「何、本体は宇宙一杯というのか、俺の外に貴様はない、貴様の外に俺はない。
変なことをいう奴だ。貴様みたいな野郎を食うことは止めにした。勝手にせい」
といって五武器を突き放して武器を戻して了った。(以下、続く)
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No.50(昭和62年1月26日)

2019年04月08日 | 長井長正範士の遺文


すべて武道要諦というものは、
自分の智慧に自分が欺かれないようになることだと思う。
自己の波長と宇宙の波長とがぴったり合って、
天地と隙間のない人間になりきった所が武道の極地です。
人が何んと言おうが、何んと思おうが、本当に自分を掴んで、
本当の自分だけは見失なはない。そして眞の自己に親しんでいる。
こういう人になれるよう、われわれは修錬をせねばならない。
(※この例の面白い話を№30に貧乏村の和尚として書いてある。)

「如実知自心(実のごとく自心を知るなり)」武道の奥義もここにある。
雲弘流の目録を見ても、そういう意味が一ぱい書いてある。
「負ける事なし、勝つことなし」とあるのもそれです。
「是非と言わず己れを全うして外を願わず」とあるのもそれです。

雲弘流は人間修養の立場から見て実に痛快と思う。
自分で自分に明徹しなければいかぬ。
自己という話なら現代人は得意である。
何かにつけて自己をふり廻したがる。
然し、その所謂自己はどうも本物の自己ではない。
他人が評価した自己であったり、月給の多寡や地位の高底等で、
評価の出来るような自己だと考えている者が多い。

川柳に“先生が、月給順に並びけり”月給で価値が定まるような自己が何んだ。
顔でも洗ってくるがいい。「一合とっても武士じゃ」という科白がある。
これは面白い。この意気である。この意気地あるところ、日本精神がある。
「一合とっても武士じゃ」これほど痛快な言葉はない。
大勲位菊花大綬章をぶら下げておらなければならないことはない。
勲一等、功一級でなければならぬことはない。
何んでも本当の自己を掴んでいるならば立派な人間である。
そこを「天上天下唯我独尊」というのである。

この言葉はお釈迦様が俺が一番偉いんだという自負心を表明されたものと思ったら大間違い。
そんな事じゃない。これは天地と一つになった悟りの境地である。
天地と波長の合う人間になって、
山を見ても、川を見ても、鳥とでも、獣とでも一つ気持ちになれて
「鶴の長きを羨やまず、鴨の短かきを嘲らず」
これはお釈迦だけのものでもない。われわれもその境地に居るのである。

月給順に並んで、一円でも多く取って上に座るような事ばかり考えているから、
その境地から離れて了うのである。
禅では月給順に並ばぬ自己の眞価を現わしてゆく、宇宙一杯の事故に親しむのです。
細川候が宮本武蔵に「巌の身」について問うた事がある。
(※余りにも有名な話で皆さんもご承知の事と思いますが、
老師のお話を忠実に書きしたためておきます。)

武蔵は一諾して、寺尾求馬介(細川候の小姓)を御前に呼ばれん事を乞うた。
彼は武蔵の弟子で既に武道の奥義に達していた。
呼ばれて、求馬介は殿様の前に出て、かしこまった。
やがて武蔵は厳かに「君命により切腹を仰せつける。直ちに用意を致せ」と言った。
求馬介は「ハハッ」と畏まり、静かに別室に下った。
その態度は神色自若、少しの乱るる所もなかった。
これを見送って武蔵は「只今の求馬介の態度こそ正しく巌の身でござる」と言った。
求馬介は勿論非常なお褒めにあずかったのである。
腹を切れ、といわれて、顔色一つ変えぬ、何が起ってもビクともせぬ、
この心構え、これであります。これでなくては本来の人間じゃない。
これを唯我独尊ともいうのです。
何事をするにも、命がけでやらねば本当のことは出来ない。

かって早稲田の剣道選手が優勝した時の事です。
勝った早稲田は皆端然として静座しておったという。
負けた方は今や将に泣き出しそうになった時、
相手の早稲田がじっとして静座しているのに気がついて、
それを見て一人坐り、二人坐り、三人坐りして、
負けた者も勝った者も両軍共に端然として静座したということを聞いた。
(以下続く)
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No.49(昭和62年1月26日)

2019年03月30日 | 長井長正範士の遺文


凡そ如何なる場合でも、心にひいき、眼にゆがみがあってはならぬ。
自己のひいき、自己のゆがみに欺されてはいけない。
負けても自分を見失はず、勝っても自己を見失はず、という。
そこに力一杯、ある限りの力を出すのである。

我々の人格を隙間のない人格に育て、
どうでもこうでも力一杯の人間になるという事が、人間として一番大事である。
どこかに隙があるといかぬ。隙間なく一生懸命やっている。それが成佛という事である。

無眼流という剣道は盲人の橋渡りを見て発明したものだという。
それは我々は自分の眼や耳に欺されている事が澤山ある。

○中里介山の何かに書いてあるそうだが、
彼のドレンレンレンの祭文語り(注:俗曲と同じ 当時のはやりうた)が、
武者修行に化けて、ある道場へ試合にいった。
非常に日焼けした大男が刀の鞘の禿げちゃくれた、ドエライやつを差して、
「頼もう」といった。既に日は暮れかけている。
道場主は一風呂浴びて今、晩酌でもやろうと思っていた所である。
「もう日も西山に傾いている。お弟子達とお手合せばご免蒙むる。
先生と直接一太刀お稽古願いたい」という。えらい奴が来たものだ。
先生も仕方がない。道場に出た。

先生は少し変だと思ったが「イザッ」といって立ち上がった。
立ち上がって先生は驚いた。これは何という隙だらけだ、
隙だらけも道理、剣術も何も生れてこのかた一度もやった事がない祭文語りだ
(賣ト者という説もある)木賃宿に行くには、今日は不景気で銭が入らぬ。
剣術道場に行って、先生に突っつかかれば、うまくいけば晩飯にありつけるぞという太い奴だ。
どやされるのは覚悟で来ている。そう度胸を据えてくると体中に隙はあり乍ら、
馬鹿に出来ぬ所が見える。

諸国を渡り歩く武者修行、これほどに開けっ放しに隙をさらけ出すというのは、
ただごとではあるまいと、先生の方が気味悪く考えた。
どういう剣か、深い戦略があるのかも知れん。
そういう風に頭が働き出したら疑心暗鬼を生ず。
祭文語りの馬鹿げた構えが種々の名手に見えて、先生恐ろしくなった。

やや立合っているうちに生汗をかき出した。
打ち込もうとは思うが、此方がこう行けば、彼方は、ああくるんだろう、
此方がこう出れば、彼方はああゆくだろう、と、
先生は自分の智恵に欺かされてしまったのだから、どうにも仕方がない。

竹刀をガラリと投げ出して
「恐れ入った御腕前、先生は一体何流の達人で御座るか」と言ったという。
先生に頭を下げさせてしまえば祭文語りも安心だ。
然しこの男は根が正直者で「いや実は、私は祭文語りで、
あぶれて飯を一杯戴きに上がった次第で」とあっさり名乗ってしまった
という笑話があるが、自分で自分に欺されると、こんなへまを見るのです。

迷いというのは、つまり自分に欺されたものの姿である。
自分に欺されねばいい。禅ではこれを「心の主となれ、心を主とする勿れ」という。
お互いは、いつも自分に欺され通しだ。
自分の足音を聞いて「おや!追っかけてくるぞ」と思う。
墓場を通っていた男が自分の足音に驚いて気絶したという話がある。

閑話休題。長正作小話。
晩秋の夜、檀家の逮夜参りをすませて帰り道、
小心の坊さんの頭に熟した柿がビシャッと落ちた。
坊さんびっくりして、後ろからやられたと思って頭に手をやると
真っ赤な血のりがついているではないか。
坊さん、それを見て気絶した話。

これは少年に話をする何かの機会に面白おかしくアレンジして話して頂きたい。(続く)
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No.48(昭和62年1月25日)

2019年03月16日 | 長井長正範士の遺文


過去のことばかり言っている者は、過去の亡霊だ。
未来、未来といっている奴は未来の幻だ。
われわれは何時でもピチピチして思いきり充実して生きていねばならぬ。
過去、現在、未来を包容する強い自己を何時も持ち続けていなければ駄目です。
試合で腹を立てたら負けである。技で仮りに勝っても人格で負けている。
人格がゼロで技や力で勝つのが嬉しいなら、ライオンや狼になるがいい。
平素から洋々として底の知れない人格を持っているならば、
技に負けても何んの恥でもない。そこが雲弘流の言わんとする
“あと先のいらぬ所を思うなよ、只、中程の自由自在を”である。

○話の途中ですが、澤木老師は禅の話をされるが、
われわれ武道家は武道の話として聞くとよく理解出来ることを申し添えて以下続く。

武道は敵を前に置いて、自己を創造するものである。
これは武道ばかりではない。自己に創造のない者は死人である。
敵を前に置いて本当の自己を発明する。
宮本武蔵は「独行道」の二十一ヶ条の中に
「我事において後悔せず」という箇条があるが、
大抵の者は自分の事を後悔している。

他人が何をしても、ちっとも後悔せん。
試合で面を打たれた。しまった負けたと後悔する。
しまったなら、しまったでよいじゃないか、
こちらが負ければ相手が勝つ。神様から見れば同じだ。
こっちが負ければ相手がよろこぶ。向うが負けたら此方がよろこぶ。
どっちかでよろこんでいる。神様から見たら過不足はない。

武道は勝負にあるのではない。
最高至上の人格内容を銘々の上に蘇らす道である。
こういう意味で武道をお奨めする。
どうでもこうでも勝たねばならぬという事ばかり、
とらわれるならば、それは武道では無い。

昔は武道は実用むきであり、生命を保護するものであったが、
今日は人格を鍛錬するためのものである。
昔、実用にした時代でも「飛び道具は卑怯である。名を名乗れ」
といって勝負をした。
決して卑怯なことをしていない。武道は人格向上のためのものである。
武道は人格を涵養(かんよう)して日本人をこしらえるものである。
人格を養う道もいろいろあるが、本当の人格を作るのが武道である。
自己本来の面目を打ち出してくるのが武道である。

武道は心を取り扱うものである。誰の心でもない。
自分の心を取扱うのである。
どう取扱うかというと、それは「眞理に到達するまで、
宇宙の眞理と波長が合うまで取扱え」と
柔道の楊心流目録の「静意の巻」に書いてある。
眞理は本の中にあるものだと思っている連中があって、
本ばかり見て、青瓢箪になっている。
本当の眞理は本の中などになく、眞理はその動き方に、その生活態度にある。
剣道で眞剣になって、有るったけの力を出して、
以ってそこに自己を発明するのである。
自己も自己、本当の自己を発明するのである。

宮本武蔵の五輪の書の「空の巻」の中に
「その身、その身の心のひいき、その眼、その眼のゆがみによりて」
とあるが、これは迷いということである。
このように皆見方が違うということである。
(迷いによって見方が変わってくる。)

水の中に落ち込み、死ぬ人もあるし、水の中に入ったら助かる魚もある。
それ程ゆがみというものは違う。命がけで戦争をして、敵の陣地を占領して、
あとで、自分の攻撃していた方を眺めなほしてみると
「ナーンダ、あんな何でもない所だったのか」と思うことがある。
それが攻撃していた時分には鬼が島のように見えるものである。
ゆがみがあるからである。(以下続く)
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No.47(昭和62年1月25日)

2019年03月13日 | 長井長正範士の遺文


腹の中に何もない。腹の破れた世界がある。これが石によく現れている。
石は殴られても、さすられても黙っている。石は全く座禅している。状態を現している。
石はどれだけ見ても飽きない。石の中に天地の声が聞こえる。
無碍自在(むげじざい)、座禅は万物一体に入る。この石の下に集約されている。
石は大自然を現わす。大自然は自分である。自分と自分を見つめる姿。
心のみそか、そして元旦。

以上が西川禅師のことばであったが、自分は剣道人としてこのお話を
剣に置きかえて何遍もなんべんも口で唱えて夜寝る前、床の傍らで座禅をしているが、
もろもろの雑念が次から次えと自分を襲って来て頭が痛くなり
道のまだまだ遠きを知るのである。

因に私は吉田誠宏先生にならって朝起きると寝床の上で約三分軽い運動をし、
終れば小用のあと約十五分座禅をする。それから後、朝げいこに行くのである。
夜は前述の如く約十分の短時間ではあるがずっと座禅を続けて今日に至っているが、
その時の心の持ち方であろうか、夜の十分は或る時は長く然も苦しく、
或る時は短かくすっきりして寝る時等様々で未だ本来の自分に帰ることが出来ない
未熟者であることを皆さんに披瀝する次第である。

然し七十二才の現在、朝晩の座禅(座禅と言えない、ただ座るだけであるが)
で何事もあせらず落着いて来たように思う(剣道もそうである)今年から楽しんで座禅をし、
時間を無理なく伸ばし、目標の三十分座禅に持ってゆきたい。
一刀流の切落の精神と共に生ある限り自分を見つめて行きたい。

○雲弘流について
熊本に負けることなし、勝つことなし、つまり相打ち精神の雲弘流というのがある。
互いに素面素小手で袋竹刀を持ち、互いに三足半、ツツツーと歩みよって
同時に相手を叩くのである。

熊本で井上平太というお爺さんが「昔の衆は、ひどい試合をしておりなはした。
雲弘流の武道家の川並権太先生が某と試合した時の話です。二人は同じ流儀なんです。
この二人が両方からものの見事に相打ちも相打ち、
イヤッという程、頭の打ち合いをやって、そのまま「ウーン」と気絶してしまったんです。
他の人が驚いて水をぶっかけたり、気付薬を飲ましたり活を入れたりしてして
漸やくのこと二~三十分ばかりして生きかえった。
そして二人は顔見合わせ「ご無礼でありました」といって挨拶したという。

以下この項は昭和十一年十一月二十三日、石中先生記“武道と禅”と題し講演された
總持寺後堂兼駒沢大学教授、澤木興道老師のお話を謹んで要約させて頂き記述します。

座禅でも群がる敵中に只一人で踊り込んで戦っている真剣さがなければ座禅も何もならぬ。
私共の座禅は前に敵が居ないから仲々力が出しにくい。
足が痛いやら、退屈やら、睡いやら仲々えらいものです。やってみん事にはわからん。

修業というものは現在というものに力を一杯入れること。
そうすれば未来というものは一服がない。一服したら死んだと同じことです。
現在は現在の生命を掴んでおらねばならぬ。
若い者は「糞ッ!今に見ておれそのうちに成功してやるぞ」という・
こんなことを言って一生暮らしてしまう。未来にねじりつけて現在を空虚にして了う。
今日を空虚にして(続く)
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No.45 (昭和62年1月23日・続きの続きの続きの続き)

2019年03月05日 | 長井長正範士の遺文


になる素材を選び出すことは容易なことではない。

如何に技前に秀でた立派な剣道であり、強くもありする人であっても、
大自然に接してその中から成生躍動する大生命の息吹きを感じとる底の
「禅味」を体現している人でなければ、こうした芸当は出来ないのである。

今のところ先生は約三百本の名刀を世に出したいと申されているが、三代後、十本は残るだろう。
三代後の人がこの竹刀を見て、剣道とはかくなるものかと理解して下さる人が一人でも出来ればよい。
その一人を得るために、三万本の中から三百本の竹の名刀を創造するのである。
誠に剣道を愛し、遠慮することかくの如しである。
最後に井上監督と森寅雄氏に贈呈した名刀を拝見したときの私の感想を述べて、
竹の名刀たる所以(ゆえん)を記してその趣意とする。

五、如何なるか是名刀
学生剣道渡米も間もない或日のこと、井上マーチャンこと在米の森寅雄氏に贈呈する
快心の名刀が出来たから見せましょうと言い乍ら床の間に立てかけてあった四本の竹刀を
目の前に置かれた時は正直なところ何か一大公案を提出されたような気がした。

事実目前の竹刀が問うている。「如何なるか是、竹の名刀」と、
そこでこの竹の名刀に直参してみるに、

一、相がよい。
胴張りから物打の方をじいっと喰い入るようにみつめてみると実にたまらない感じがする。
胴が豊かに張りをみせ、手元強く、何処でどう削り落としているのか
中程は実に「ため」がきいて調子がよい。
そのためか切先の物打のところで、ひときわぐんと引締まっているので、
打が「ピシリ」と極まる威(チカラ)を備えている。

全体を眺めてみれば品あり、位あり、威あり、その上実に豊かさがあって王者の風格と貫禄がある。
「我は無限の冨者なり、心の王国の王者なり」の自覚のもとに生活しているものでなければ
一本の竹刀に王者の風格と貫禄とを表現することは出来ない。
我は無一物中無尽蔵の在りに住し、山上に月あり、花あり柴あり、
谷に大根なすびあり、谷深くして水絶えざるが如く大福田を有して花蝶風月を友として、
大自然の交響楽を窓越しに聞きゆうゆう自適している者の境涯でなくしては
大々名の風格や王者の貫禄をその作品に現わすことが出来ない。

まことに、まことに、林間の道場最もよしと剱の妙所に安住している者にのみ、
こうした芸当が出来るものであろうと思われる。

二、国宝級の仏像から受ける円満寂静さを具備している。
相手を生かすことによって自分も共に生きる相手と共によろこび、
共に楽しむのが、剱の本性となるが故、角ばったものであってはならない。
竹質が余り堅からず、やわらかならずして弾力に富んだ
京都の八幡の三年竹が最良とされているようであるが、
こうした良質の素材を生かして丸く且つ円く実に円満なる相に仕上げている。
この一点特に作者の苦心がうかがわれる。
如何なる是慈悲の剱道という公案を竹に托してものの見事に解決している。
作者にとっても快心の作であろう。

こうした名刀であればこそ私のような畜生剣道であっても救われそうな気がする。
剣道に「わび」や「さび」があると申せば笑われるかも知れませんが、
私はあえてあると申し上げたい。

・・・・・・・・長井のことば
「名刀を拝見すると筆舌に尽くしがたい、何とも言えない「わび」「さび」があるように
多年の修行の結果、人生自体に「わび」「さび」が出来てこなければならない。
それを剣道によって養わなければならない。この項一応終わりとする。

枠外:
吉田先生が私のために晩年作ってくださった竹の名刀一振と木刀は
生涯通じて家宝として後進に幾久しく伝えていきたい。

------------------------

(編集記:現在、長正館にこの竹刀は伝わってはいない)
(木刀は、振り棒の事で、2017年の閉館の折、育徳会の田中氏に貸し出した)



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No.44 (昭和62年1月23日・続きの続きの続き)

2019年02月26日 | 長井長正範士の遺文


吉田先生は、こうした意味で剣道界の国士であり、達道の人である。

この吉田先生が高野茂義先生の死を聞くや、その晩は殆ど一睡もせず、
現代剣道の在り方と、その動向について考えたり自己の今後の剣人としての行き方を考えたり、
剣人としての茂義先生の生き方を考え、今後、十年間に、どのくらい剣の道を達成し得るか、
その限度と方法を如何にすべきや、と考えたりしているうちに、夜も白々と明けわたり、
山上の樹木もさわやかに、朝の挨拶うぃかわす頃、卒然として閃いてくるものがあったという。

如何なる名人、上手と雖も人は電光朝露(でんこうちょうろ)の如く、
泡の如く、虹の如く、無常なるものである。

今日までの自己の行跡を案ずるに、一体剣道界に何を残し得たであろうか。
自分の剣道を自己の人間性を本当に知っていてくれた、
お歌所の千葉胤明先生と八代将軍、剣道の育ての親とでも申すべき南天老師等は既になく、
自分が今日までに営々として開拓してきたこの剣道を何に托して後世に残そうか、
という問題に想到したときに、天来の声として霊示があった。
それが竹刀作製の事であったという。

如何なるものと雖も、現象的な、ありとあらゆるものは無常なものではあるが、
若し損傷されずして残れば二代、三代と伝わるだろう。

今日までに達し得た剣道の境地を竹刀に托してみよう。
二代、三代後の剣人がこの一刀を手にしたとき、ああ竹刀とはかくなるものか、
剣人にしてかくの如き竹刀を作り得た吉田誠宏なるものの剣道は
如何なる境地を開拓したものであろうかと、考えてくれる者が一人でもあるならば、
高野茂義先輩の死を意義あらしめる事であると悟ったと申されております。

誠に高野先生の竹の名刀の由来を知れば知るほど、今日名刀の得難い時に吉田先生が、
その名刀作製に乗り出して下さった事は私達にとって誠によろこばしい事である。
先ず手初め渡米記念にと思い、井上監督や、森寅雄君にあげるんだと
言って造られたものを拝見したのであるが、是れまさしく名刀である。

四、真の名刀
だれしも、これが名刀であると言われて、それを手にして見るとき、
成程そのよさがわかるのであるが、さてその名刀一本を数百本の凡刀の中に入れて、
ここに名刀一本あるからより出してみなさいと言われた時、
果して名刀はこれだと発見し得るだろうか。

茂義先生は七十年間中ご自分で買求めたものに一本も名刀はなかったと述懐しておられる。
これに反して、尊師高野佐三郎先生は竹刀で名刀というものは、こうしたものですと言い乍ら
三本ほど持出していろいろと名刀についてのお話をして下さった事がある。
ここに尊師の剣道と茂義先生の剣道にひらきがあった。へだたりがあったと見受けられる。

大海原のほとりに立って仰いで蒼々たる天空を視れば、
片々たる雲の瓢々として遊行するを眺め、俯しては茫々たる大海原を望めば
朗々波々ひねもすのたりのたりとうねっている実に寂静そのもの平和そのものである。
頭をめぐらして目を転ずれば妖岩躊石の肌合に和して、
松風の瓢々として一曲をかなでているを聴く。

こうした大景観の中に書かざる経文を読みとり、
そこに剣理を発見して宇宙の大生命に直接ふれてゆくことの出来る人!
それは剣人としての吉田誠宏先生その人である。

こうした人であってこそ、京都の尚武号で知られている高橋定康氏が
竹刀の材料としてもっている荒割りの三万本の中から仕上げれば
名刀となりそうな素材を五百本選び出し、それを更に仕上げてみて、
吉田誠宏作と銘を打てるものは、三百本出来ればよいとの事であるが、
玉石三万本の中から名刀(以下続く)
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