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稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

生駒高校剣道部(昭和45年、奈良中央武道場前の写真)

2020年05月11日 | 剣道・剣術
写真を整理していたら、昨年亡くなった車谷健三先輩の手紙と写真が出て来た。
以前に「奈良県立生駒高等学校剣道部(昭和48年度卒業)」という記事を書き、
その追記に車谷健三先輩が亡くなったことを書いたが、
その時、この手紙を探していたのが見つからず今見つかったのだ。

奈良県立生駒高等学校剣道部(昭和48年度卒業)2019年9月21日
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20190921/



写真は奈良中央武道場前で撮影されたもの。
2年上の車谷健三先輩は左から2番目でコートを着ている。

ちなみに左端は1年上の水野泰嗣先輩(現在、奈良西少年剣道クラブの指導者)で、
右端は1年上の吉田先輩。他の2名は見たことがあるような無いような、そんな記憶しか無い。

おそらく車谷先輩が3年生の引退試合に出た時のものだと思う。
そうであれば、この時私は1年生で、たぶん剣道部に入部した頃だと思う。



上は車谷先輩からの手紙。

2016年10月1~2日に洞川温泉に旅行に行った時に、偶然、車谷先輩に会ったのだ。
その時にお話しして、翌日、写真とお手紙を送っていただいたのだ。

いずれにせよ、生駒高校に入学していなかったら剣道はやってなかったと思う。
そういうわけで、車谷先輩と出会ったことは私の剣道人生の大切な接点でもあったのだ。
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最終回 鍛錬的稽古法の意義 全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月10日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 高野佐三郎範士は、その著『剣道』(大正4年刊)の一節において、「剣道の特色は其の鍛練的練習なるの点」にあり、「是れ剣道が発育的又は矯正的なる諸多の運動法に対して特長とする所なり」と述べています。もちろん、他の武道・スポーツ種目にも鍛練的なトレーニング方法はありますが、剣道では、鍛練的練習に独特の意義や価値観がもたれているように思います。剣道における「鍛練的」な練習といえば、「切り返し」「打ち込み稽古」「掛り稽古」などが思い浮びますが、たとえば、寒稽古の期間中には切り返しと掛り稽古中心の練習メニューを組むということは、今も多くの道場で行われています。あるいは戦前の武道専門学校や国士舘専門学校では、下級生の間は切り返しや掛り稽古が稽古の中心であったとも聞きます。

 前回みたように、近世後期には竹刀剣術技術の細分化や体系化が進みましたが、一方で、鍛練的な稽古方法も工夫されました。この連載で何度も引用した『千葉周作先生直伝剣術名人法』のなかで著者・高坂昌孝は、「打ち込み」について「打ち込みとは、他流には余り無きことにて、実に剣術の上達を望む者は此の打ち込みの業を欠きては達者の場に至ること甚だ難しと云ふ。故に当流初心の者には、一ヵ年余も打ち込み計り稽古にて試合ひを禁ぜしものなりと」、「寒稽古30日間は毎朝3時より夜明け迄は、達者・未熟に依らず打ち込み計りにて」、「但し此の打ち込みの業は向ふの面へ左右より烈しく小業にて続け打ちに打ち込み、或は大きく面を真直ぐに打ち、或は胴の左右を打ちなど為ることにて、至極達者になる業なり」と述べています。

 また、同書では「打込十徳」として打ち込みの効果が10項目挙げられていますが、なかでも注目したいのは「息合ひ長くなる事」です。高坂は打ち込みを「他流には余りなきこと」と記していますが、少なくとも近世後期に盛んになったいわゆる幕末新流とよばれる撃剣流派では、「息合(呼吸)」を長く強くするような稽古法がそれぞれの流派で工夫されていたと思われます。『撃剣叢談』(寛政2年)には、神道無念流について「勝負あとをつむる也」とあり、また鏡心明智流について「跡をも詰てきびしく打合也」と記されています。以前紹介した『神道無念流剣術心得書』(天保頃)にも、直心影流について「敵(直心影流)は必(ず)後をかけるなれば、此方も多少の前後は論ぜず打だすべし」とあります。つまり、「あとをつめる(かける)」とは、一本打ちの打突で終わるのではなく続けざまに技を繰り出し、厳しく攻め立てることを意味しているようです。続けざまに厳しく攻め立てるためには、普段から打ち込み稽古のような「息合の稽古」を積んでおかなければ、難しいことと思われます。

 息合を長く強くすることの重要性はそれ以前から松平定信によって唱えられていました。定信は奥州白川藩主であった頃から家士に対して、「鑓も剣も、具足を着て突あひ打あふ流儀を学ぶべきことなり」(『修身録』)、「鑓・太刀の修行も稽古場にて斗りたたき合たるは用に立たず、譬(たとえば)、竹刀(ちくとう)(稽古鑓)・しなへ(剣術の撓)をかつぎ、五里七里も参り、其足を休めず鑓を遣ひ、しない打抔致し、身体足腰の草臥れたる時の働きをためし、息合の稽古致し申すべく事に候」(『白川候伝心録』)と述べ、道具を着用して遠慮のない打ち合い・突き合いをすることと、疲労蓄積時にこそ「息合の稽古」を積んで自らの心身の働きを確かめておくことが、「まさか(緊急)の用」の折に重要であると説いています。

 高坂のいうように、「打ち込み」には剣道技能上達のための必須の総合練習という側面があります。加えて、たとえば寒稽古などにおいて、精魂尽きるような切り返しや打ち込み稽古、あるいは掛り稽古を繰り返し行うことは、呼吸機能を強くすることはもとより、疲労蓄積時の自らの心身の働きを認識させ、ひいてはそれが、緊急時・非常時対応のトレーニングになるという考え方が継承されていることによるものと思われます。

 私の担当も今回で最後となりましたが、それぞれの技術や稽古法の形成に、先人達の工夫や創意、価値観の継承などを汲み取っていただけたならば、大変うれしく思います。
(おわり)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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第5回 竹刀剣術の技術形成と体系化 全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月09日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 前号では、剣道における面技重視の技術観が、近世後期に生れてきたことについて述べました。一方で近世後期には、竹刀剣術独自の技術研究や体系化も急速に進みました。前記したように、剣道具(防具)を使用しての剣術稽古は1600年代半ばまで遡ることができますが、それは各流派における修練上の必要(安全面への配慮など)に応じた簡素な剣道具を使用してのものでした。その後、1700年代後半からは、広範囲な廻国修行や他流試合を行う者も一部には出てきましたが、剣道具や剣道技術についての交流や情報交換が飛躍的に進んだのは、他流試合の禁が解かれた天保期(1830~1844)以降のことでした。

 天保期に水戸藩の郷校の剣術師範を務めた、助川郷(現日立市)の郷士・武藤七之介が書き遺した『神道無念流剣術心得書』には、神道無念流の立場からみた一刀流(中西派)、直心影流、鏡新明智流、柳剛流、新陰流(肥後)、義経流、浅山一伝流の技術的特徴、およびその対処法が克明に記されています。たとえば一刀流は、「竹刀を下段にもち、此方の胸板より面へかけてつき(突き)、左右の小手を打、胴を打つ」という特徴があるので、これに対しては、「敵より先へ打ちを出し、小手より面へしげくうつべし。敵のつき後になり、此方先になる」、あるいは「必立合て、つき有と思ふべからず。つきもうちも皆一様のものなり。つきありと思へば、此方身体乱て必まくべし」という対処法(心得)が記されています。

 また、鏡新明智流については「左りの足を先へ出し上段に取。上段より此方の面・小手をうつ。其上段のすみやかなる事、電光の如し」という特徴が記されています。この左上段からの素早い打撃に対しては、「間遠きに敵の上段此方の頭へ来る節は、しかとうけとめ敵の左脇下へうちこむべし」、あるいは「右の小手へ来る時は、さしとめにて敵の右の小手より頭へかけてうつべし」とあります。

 これらは、今日の剣道においてもそのまま通じるような技術や心構えであり、現代剣道の技術的ルーツはこの時期に芽生えたものと思われます。

 同書にはこの他にも、この頃までの胴(竹具足)が身体運動の自由を妨げる構造で、組打には不向きであったこと。また、胴を使用しない流派と立ち合うときには、こちら(神道無念流)も胴を使用しないことや、柳剛流のように足(脚)も含めて「五尺の体をきらひなく」打ってくる相手には、こちらも「敵の五尺の体の隙を見て」打ってよい、というように相手との関係において公平性を保とうとする考え方があったことなど、興味深い記述を多く見出すことができます(『剣道の歴史』資料編所収)。

 さて、時代が進んで弘化・嘉永期になると、さらに竹刀剣術の技術は整備され、体系化されて行きます。千葉周作の門に弘化期から嘉永期にかけて学んだ高坂昌孝(姫路藩)が、周作の校閲を得て北辰一刀流の竹刀打ち技術を分類整理したのが、いわゆる「剣術六十八手」(『千葉周作先生直伝剣術名人法』所収)です。「剣術六十八手」は、面業二十手、突業十八手、籠手業十二手、胴業七手、続業十一手から構成されていますが、個々の技は今日の剣道においても有効と思われるものが多く(なかには、全く行われなくなった技術もありますが)、その後の剣道技術の基盤ともなりました。また、一刀流の組太刀(形)が応じ技中心であるのに対し、剣術六十八手はしかけ技が多く、加えて組太刀にはない片手技も十手含まれていることから、従来の形剣術とは一線を画した竹刀剣術独自の技術体系であったことが、小林義雄氏らの研究で明らかにされています。

 前出『神道無念流剣術心得書』においては、「上段」を専らとし、「浮足」に構えての早業が特徴と記された直心影流が、『剣術名人法』では「其の事すたれて上段にさへ取る者も稀にして、一刀流の下段星眼となり」と評されているように、弘化・嘉永期には、竹刀剣術流派の技術的特徴の喪失がはじまり、竹刀打ち技術の画一化が始まっていることもみてとれます。これは、天保期の他流試合の解禁以降、廻国修行や藩邸御前試合などが盛んに行われるようになり、そのことが技術や用具の情報交換や共通化をもたらしたことに起因しています。
(つづく)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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第4回 面技重視の技術観 全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月08日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 剣道においては、面技(とくに正面打ち)を多く修練することが尊ばれます。たとえば、種々の素振りで最も多く行われるのは、正面打ち素振りだと思います。また、切り返しも、最初と中と最後に正面打ちを入れるのが一般的です。互格稽古の場面でも、どちらかが最後に面を打ったところで終わる、という光景もよくみられるところです。こうした面技に重きを置く技術観というものは、どのようにして形成されてきたのでしょうか。

 現在の試合規則のうえでは、面部・小手部・胴部・突部の四打突部位間に軽重はありません。しかし昭和初年頃までは、審判心得のうえで面技が他の部位に比して重視されていました。昭和4年の天覧試合を記念して発行された『武道宝鑑』のなかには、高野佐三郎・中山博道・斎村五郎三範士の連名による「剣道審判の心得」がありますが、そこには「飛び込み面は稍々軽くも採る」、「甲が先に胴を撃ち、一瞬の後に乙が甲の面を確実に撃ちたる時は、前後の相撃ちとす」、「甲が先に篭手を撃ちて、乙が稍々後れて左手横面を撃ちたる時も相撃ちとす」と記されています。これらの文言は、明治43年に大日本武徳会山形支部が発行した小関教政述『剣道要覧』のなかにもほぼ同様の表現で記されていますので、明治末年から昭和初年頃まで、武徳会の共通見解であったものとみて良いでしょう。

 しかし面(頭部)を打つことに価値を見出すことは、江戸時代の中頃まではそれほど一般的ではありませんでした。荻生徂徠などは享保12年に著した『鈐録(けんろく)』(巻十一)の中で「敵の頭を目当にして打つを第一とする流は、治世(泰平の世)の結構なり。尤、冑を打わる事もあるべけれども、冑には殊にきたひ(鍛え)に念をも入るれば、戦場には遠き流なりと知るべし」と述べ、戦国期の介者剣術から泰平期の素肌剣術へと移行したなかで、頭(面)を打つことを主眼とする流派がでてきたが、それは甲冑を着用した戦闘からは乖離したものであると指摘しました。

 その後、剣道具(おもに面と小手)が1700年代末までには流派を越えて広く普及し、天保期以降は他流試合の解禁もあって流派間交流も進みました。そうしたなかで、面技は他の技に比して難しいものであり、その難しいことをあえて修練することに価値がある、という考え方が流派を超えて広まってきました。

 天真白井流を学んだ筒井六華という人が著した『撃剣難波之楳』(安政5年)には、「業の内、上段より快く面を打を、搆第一とす」、「面を打には上段を第一とすれども、至てなしがたき業なれば、晴眼・下段より打て可なり」と述べています。また、神道無念流を学んだ小野順蔵という人は、他流の者からなぜ突と胴を打突しないのかと聞かれた時、「突・胴ハ成ヤスク、頭ト篭手ハ切難キ処ナリ。依テ、常ニ難キ処ノ修行ヲ先キトシテ、易キ処ハ学バザルナリ」と答えています(『神道無念流剣術免許弁解』、慶応3年、『久喜市史』所収)。さらには前号で紹介した内藤高治範士の「一番打悪い所は敵に対して面を撃つ」という言葉も、これらに連なるものだと思います。

 他方、幕府講武所頭取を務めた田宮流の窪田清音は、面を打つことの重要性について初学者指導の観点から述べています。窪田は『剣法略記』(天保10年)において、「初学び」の段階では「面に篭手に数多くうつべきことなれど、夫がうち面をうつことをむねとして、十度のうち面を七度、こ手を三度うちならふべし」といい、このように心掛けなければ、技の「はたらきかたよるもの」と述べています。また、これらの技は「生れ得しままの正しく直なるかたち」を崩さないようにして打たなければならない、とも説いています。

 現在の『剣道講習会資料』においても初心者の正面打ちについて「正面打ちはあらゆる技の基本となるものであり、多くの時間を費やし体得させるように徹底指導することが肝要で」と記されています。正面打ちが剣道技術のなかで最も大事なものとして捉えられてきた理由は、「難しいからこそ価値がある」、「正しい姿勢による面を多く打つことを心がけることによって、初学段階における技のはたらきの偏りを防ぐ」という価値観や指導方法論が受け継がれていることによるものだと思います。
(つづく)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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第3回「踏み込み足」の形成過程(3)全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月07日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 前号でみたように、幕末の北辰一刀流ではすでに、技に迅速を得るために「踏み込む」ことや「飛び込む」ことが認められていました。ただし、そのことは一定の理合のもとでなされていました。

 『千葉周作先生直伝剣術名人法』から、さらに詳しく見て行きましょう。同書「第三 剣術修業心得」の「相下段・相星眼にて向ふの面を打つ節」(原文はカタカナ)には、相手の切先の上がり下がりにかまわず飛び込んで打つというのは甚だ無理であるから、「向ふ(相手)の切先下がりたる処を相図に打つべし」とあります。また、相手は突こう打とうと構えていて、こちらが大きく振りかぶると必ずそこへ打ち突きを出してくるので、「太刀を半ば振り上げ打つべし。勿論、一足一刀に深く踏み込み打つを善しとす」と続きます。

 一足一刀に深く踏み込む理由は、「向ふの切先に恐れ、半信半疑に打ち出せば、三本目の突(面抜き突)などに当たるものにて、深く踏み込み打てば、向ふの太刀あまりて突くこと叶はぬ者なり。試めしみるべし。之れ所謂、『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ踏み込み見れば跡は極楽』と云ふ歌の処なり。依て、兎角猜疑心を去り、一足一刀に打つこと肝要なり」としています。つまり、「猜疑心をもたず、深い踏み込みによる(半分の振りあげでの)面を、一足一刀に打つことによって、相手の剣先や突き技を克服することができる」と説いています。ここには、今日の剣道につながる指導理論の一端がみてとれます。

 北辰一刀流におけるこのような考え方は近代に至っても引き継がれ、同流を学んだ内藤高治範士は、「無闇に胴を打たがる。是が悪い。胴といういものは一番打易い。一番打悪い所は、敵に対して面を撃つ(そのため)には体を捨なければならぬ」と述べています(「剣道修行についての心得・上」、『武徳会誌』九、明治43年)。すなわち幕末から近代にかけて、「相手の剣先や突き技を恐れず、体を捨てて、踏み込んで面を打つ」ことに価値が認められるようになったのです。

 しかし、体を捨て、踏み込んで面を打てば、そこには「余勢」も発生してきます。そのことに対して(この連載の第1回目で見たように)刀法的観点から明確に否定する考え方もあれば、反対に踏み込み足を剣道技術のひとつとして積極的に位置づけ、その結果として発生する余勢も容認しようとする動きが大正期には生まれ、それらのことが今日にまで続くある種の相克を生んでいます。

 現在の『剣道講習会資料』においても、足さばきはあくまで「歩み足・送り足・開き足・継ぎ足」の4つが基本とされています。ただし、現代剣道では多く踏み込み足が用いられていることを追認したうえで、送り足のひとつの発展した形態として踏み込み足の指導法が初級者の段階で示されています。一方、上級者に対しては極端に強い踏み込み足を戒め、送り足・開き足を多用して多彩な応じ技を支える足さばきに習熟することが求められています。こうした捉え方の背景には、打突時の足さばきについても、あくまで「一足一刀に打つ」ことを理想とする考え方が受け継がれているように思われます。

 では余勢の問題はどのように捉えたらよいでしょうか。故小森園正雄範士は、踏み込み足と余勢について「右足を踏み込んで打突したら、左足を素早く右足の後ろへ送り込むようにして引き付け、体勢を立て直して打突を極め、以後、余勢に乗って送り足を進める。送り足を進める歩幅は『一歩・半歩・五分…』と狭くして行く」と教導されたとのことです(大矢稔氏編著『冷暖自知―小森園正雄剣道口述録』)。これは、左足の素早い引きつけにより「体勢を立て直して打突を極める」ことに意義があり、それに続く送り足の歩幅を順次狭くして行くことで、必要最小限の余勢で速やかに次の対敵姿勢に移る、という教えです。

 この指導法は、小森園先生が、関西の先生方の間で伝わった教えを採り入れられた(編著者である大矢先生談)とのことですが、今日の一部の試合にみられる不必要なまでの余勢や、とってつけたような残心をみるにつけ、一考すべき教えであると思います。
(つづく)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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第2回「踏み込み足」の形成過程(2)全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月06日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 踏み込み足を剣道技術の一つとして位置づけ、それに伴う余勢も容認する著述が大正時代に一部であったことは、当時すでに剣道の実践場面において踏み込み足とそれに伴う余勢が多く出現し、そのことに対する理論付けが必要となっていたことを意味しています。では、そもそも余勢を伴うような踏み込んで打つ技術はいつ頃から出てきたのでしょうか。少し遠回りになりますが、剣道具(防具)を使用した剣術の発展過程を最初に見ておきたいと思います。

 史料のうえからは、1660年代頃には「皮具足」や「面顋(めんあご)」と呼ばれる道具を着用して稽古をする流派があったことが、明らかになっています(中村民雄氏「剣道具と道場の発達」、『剣道の歴史』参照)。その後関東においては、正徳年間(1711~16)の直心影流における道具の改良や、宝暦年間(1751~64)の一刀流中西派におけるその採用などを契機として、剣道具(主に面と小手)を使用して稽古や試合を行う流派が増え、1700年代末までには、全国的に行われるようになりました。

 ただし、この頃までの剣術について堀正平著『大日本剣道史』(1934)では、「1メートル(三尺三寸)内外の撓(袋竹刀)を持って、進退は常の歩行の如く(今日の形と同じ)した。即ち右左右、又は左右と進んで切るのが普通であった」としています。

 その後、筑後柳河(柳川)藩士で剣術と槍術の師範であった大石進が、天保年間における二度の江戸在勤(1833年と1839年)中、五尺三寸の長竹刀を駆使して江戸中の道場を席巻します。そのことを契機として長竹刀が急激に普及しますが、「柄が八寸以内の竹刀の時は、常に歩む通りで宜かったが、長竹刀に変ると柄も随って長く一尺三寸許りにもなったので、歩んだのでは構えが動揺する、夫れを動かすまいとすれば窮屈であるから、形のように歩んだのを止めて、右左と順に足を運ぶ様に変った。今日の足遣ひは、この時からで昔の足遣ひに比して板間で早い事をするには便利であるが、地面に於ては、ハヅミが出ぬから沢山は進み悪い」と、剣術において「送り足」が多用されるようになり、「板間での剣術」すなわち竹刀剣術独自の足さばきが生成したことに、堀範士は言及しています。

 残念ながら堀範士はこれらの記述の論拠となる出典を明記されていませんが、大石を破ったという逸話の遺る男谷精一郎(直心影流)も『武術雑話』のなかで、「近年稽古に用ひ候竹刀長寸に相なり、其うへ先きをいかにも細くいたし、長きは鍔先き三尺六七寸、柄共に五尺余のしなへを用ゆる人多し。稽古の勝口には寸長き利多し。―中略―。是、実事と甚敷懸隔致し候ことにて、真剣にては目方も重く、中々竹刀の所作の如く双手の突撃共に相成り申さず」と述べていますように、長竹刀の流行が、従来の剣術とは違った竹刀剣術独自の技術形成の一因となったことは明らかなようです(榎本鐘司氏「幕末剣道における二重的性格の形成過程」、『日本武道学研究』参照)。

 天保期には、老中を務めた水野忠邦が文武奨励の立場からそれまでの他流試合の禁を緩めたことから、同期以降他流試合が表立って行われるようになりました(大石の他流試合もこのことが背景にあります)。各藩の江戸藩邸においても御前試合が行われるようになりますが、嘉永4年(1851)に藤堂藩江戸藩邸で行われた試合の様子を、久留米藩士・武藤為吉が師である加藤田平八郎(加藤田神陰流)に送った書簡の中に、千葉周作(北辰一刀流)の次男・栄次郎の剣術を評した部分があります。「上段・中段・下段何とも上達、なかんずく、誓願にて真に試合の節は、踏込で撃突致候。其神速成事、中(あたり)と云、気前と申、実に一点の申分御座なく」とあり、「踏込」を伴う迅速な技を繰り出していたことがみてとれます(村山勤治氏「鈴鹿家蔵・加藤田伝書『剣道比試記』について」参照)。また、弘化年間から嘉永年間にかけて千葉周作の門に学んだ高坂昌孝(姫路藩)が遺した『千葉周作先生直伝剣術名人法』にも、「踏み込み」や「飛び込み」という記述が多くみられます。幕末の北辰一刀流では、技に迅速を得るために「踏み込む」ことや「飛び込む」ことが認められていました。
(つづく)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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第1回「踏み込み足」の形成過程(1)全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載

2020年05月04日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/

全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進

 剣道という身体運動文化の中核を成すものは、何といっても「有効打突」(一本)であると思います。現行の試合・審判規則における有効打突は、「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」(第12条)と規定されています。また、指導の場面では、「気・剣・体」の一致した打突が有効打突であると指導される方も多いでしょう。その気・剣・体の一致については、「気は打突の意志とその表現である掛け声、剣は竹刀、体は踏み込む足と腰の入った姿勢をそれぞれさし、三者が打突時に一致すること」(『幼少年剣道指導要領』)、あるいは、「気とは気力のこと、剣とは竹刀操作のこと、体とは体さばきと体勢のこと。これらがタイミングよく調和がとれ、一体となって働くことで有効打突の成立条件となる」(『剣道和英辞典』)と説明されています。

 剣道における「気」論をめぐっては、埼玉大学の大保木輝雄先生に詳細かつわかりやすく前シリーズで解説していただきましたので、このシリーズでは主に剣(竹刀操作)と体(体勢を含めた足さばき・体さばき)の変遷についてみて行きたいと思います。

 前記の気・剣・体一致の説明に、「体は踏み込む足と腰の入った姿勢」(『幼少年剣道指導要領』)とあります。この「踏み込む」動作というのが、剣道の運動形態を特色づけているといえましょう。もちろん、古流の形などのなかにも、部分的・瞬間的な踏み込み動作はみられます。しかし、多くは歩み足・送り足・開き足などの足さばきによる動作が一般的です。そこでまず、この「踏み込む」動作に焦点をあて、それが剣道の歴史のなかでどのように生成し、技術として認知されてきたかについて述べてみたいと思います。

 しかし、このように認知されてきたのはそれほど古いことではありません。昭和のはじめ頃には、踏み込み足に伴う余勢については議論がありました。中山博道範士は、「一本の太刀を打っても今は民衆化の剣道の方法というものは一本打ってポンと打ちますと、対手を打つと手で打ってあとヒョロヒョロと二足三足位前に出て行く。ああいうことは船の上だったらどうするんです。相手を倒しても自分は水の中へ飛び込んでしまう。あれは一足一刀で打つと共に足の数だけ打って行かねばならぬ」(慶応大学校友会誌『つるぎ』第6号、昭和9年)と述べていますが、日本刀の操法に精通されていた中山範士ならではの見解で、明確に余勢を否定されています。

 一方、現実にはこれ以前から、踏み込み足に伴う余勢(中山範士のいう「民衆化の剣道の方法」)は、試合や稽古の場で多く出現していたようです。高野佐三郎範士が指導した東京高等師範学校の卒業生のなかには、踏み込み足に伴う余勢をむしろ積極的に容認し、これに理論的根拠を与えようとする人たちもいました。金子近次著『剣道学』(大正13年)では、踏み込み足を「踏切」として、図・写真入りで詳細に記述されています。また、富永堅吾著『最も実際的な学生剣道の粋』(大正14年)では、「乗込み面」として、「全然我が身を棄てて一刀のもとに相手を制しようとする撃ち方で、―中略―、刀を振上げると同時に、思いきって一足跳に深く乗込み、―中略―、そうして余勢をもって相手を押倒すようであるがよい」とされ、踏み込み足とそれに伴う余勢まで明確に肯定されています。
(つづく)

*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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転載「新型コロナウイルス感染症の集団発生を防止するためのお願い」

2020年04月07日 | 剣道・剣術
全日本剣道連盟のお知らせを転載しておきます。
https://www.kendo.or.jp/information/20200405/

----------------------------------------

 新型コロナウイルス感染症は世界的に急増しており、わが国も例外ではありません。今後は急激な感染拡大や医療崩壊が起こる可能性があります。
 
 この病気は、感染者を中心に患者集団(クラスター)ができて、急激に感染が拡がることがわかっています。したがって、剣道愛好家はみずからの感染防止とともに、クラスター発生防止が大事です。

 以下は、全日本剣道連盟からの「新型コロナウイルス感染症の集団発生を防止するためのお願い」です。特に、現時点で感染者が10名以上の都道府県においては、必ず守っていただくようお願いします。

 ただし、事態はきわめて流動的であり、状況が変わり次第、このお願いが変更される可能性があります。よろしくご理解ください。
1.当面、対人的な稽古は中止してください。

 すでに首相官邸、厚生労働省からは以下の3つの条件を避けることが示されています。
 1)換気の悪い密閉空間を避ける
 2)多数が集まる密集場所を避ける
 3)間近で会話や発生をする密接空間を避ける

 これら3つの条件(3密)がそろうと、クラスター(集団)発生のリスクが非常に高くなります。残念ながら、剣道の対人的な稽古はこの3つの条件がすべて含まれています。実際、すでに一部の地域では剣道の稽古による感染クラスターが発生しているようです。したがって、感染の流行が収まってくるまでは、対人的な稽古は中止してください。

2.室内や室外でのトレーニングには、以下のことを必ず守ってください。

室内、室外にかかわらず、複数の人とトレーニングを行う場合には、相互に、前後左右、1.5〜2メートルの距離を取ってください。
室内では換気を積極的にすることが必要です。施設の扉・窓を開いたままにするともに、送風機などの換気設備を利用して、積極的に外気を取り込んでください。
屋外では換気は問題となりませんが、上記の対人的距離を必ず守ってください。また、集団でトレーニングをすると、周囲の人から嫌がられることがあります。5人以下の集団が望ましいでしょう。

3.こまめに手洗いをしましょう

稽古の前と後にこまめに手を洗ってください。せっけんによる手洗いが大事です。
道場の入口などの前には消毒用アルコールを置き、トレーニングに入る前と後に必ず手指の消毒をしてください。

4.病気の疑いがある人はトレーニングをしてはいけません

発熱が37.5℃以上ある人
咳、痰、強いだるさ、息切れなどがある人
解熱剤を飲んでいる人

 などがそれに該当します。これ以外でも病気を疑う症状がある場合は止めてください。
5.もともと病気がある場合(糖尿病、心不全、呼吸器疾患などがある人、透析を受けている人、免疫抑制剤や抗がん剤などを用いている人など)や高齢者(65歳以上)はトレーニングをしてもよいか、主治医と相談してください

 上記の場合は、新型コロナウイルス感染症によりかかりやすく、重症化することがわかっています。
6.健康の維持に努めてください

 健康を維持するためには免疫を低下させないことが大切です。そのためには規則正しい生活をすることが大事です。

たとえば、早起きをして朝陽を浴びながら散歩すると、バイオリズムを刻む体内時計が動き出します。すると、食欲が増進し、夜も寝やすくなります。
適度に運動することは、体内時計を動かすのに役立ち、免疫力のアップにもつながります。
ストレス(精神的及び肉体的)を減らすことは大切です。ストレスは免疫力をダウンさせることから、過度のストレスは避ける工夫が必要です。

 なお、重ねて申しますが、このお願いは、感染流行の度合いによって変わることがあり、あくまで暫定的なものであることをご理解いただきたいと思います。

 会員の皆様が、上記に述べたような「行動変容」を心掛けることによってしか、患者数の急増防止は達成できません。今が我慢の時です。上記のことを守ってください。

全日本剣道連盟
医・科学委員長 宮坂 信之
アンチ・ドーピング委員長 宮坂 昌之
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新型コロナ陽性 大勢で“剣道の稽古”

2020年04月05日 | 剣道・剣術
とうとう剣道関係の武漢ウイルス感染が公になってしまった。

剣道稽古での感染は、いつか起こるだろうとは思っていたが、
最初にニュースに取り上げられるというのは困ったもので、
それ見た事かとスケープゴードにされるのがオチにはなるが同情もしてしまう。



YAHOOニュース(東海テレビ 4/2(木) 17:55配信)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00027676-tokaiv-soci

 東海地方の新型コロナウイルスの感染者数は愛知で183人(19人が死亡)、岐阜で34人、三重で12人と連日増え続けています。
 このうち、1日愛知県で確認された2人は愛知県警の男性警察官ですが、2人は“特殊な警察官”でした。
 1日、新型コロナウイルスの感染が確認された2人の男性警察官…。

(リポート)
「2人はともに愛知県警警備部の機動隊に所属していました」
 感染が確認された2人のうちの1人、名古屋市に住む20代の男性警察官は、3月26日に発熱があり、検査の結果、1日陽性と判明、もう1人の愛知県江南市に住む30代の男性警察官は、3月28日に発熱や倦怠感を訴え、1日陽性が確認されました。
 2人が所属していたのは「機動隊」。

(リポート)
「陽性が確認された2人は、愛知県警の剣道特別訓練員でした」
 特別訓練員とは、逮捕術などの指導員になるために1月から11月までの期間を剣道や柔道の稽古に費やし、それ以外の時は、機動隊員として職務に当たる特殊な警察官です。
 自宅から直接、稽古場となる名古屋市港区の愛知県武道館へ通勤することとなっていて、感染が確認された2人は、それぞれ名鉄電車と市バス、また自転車で通勤していたということです。

(リポート)
「警察官らは発症前にあちらの剣道場を利用していたということです」
 愛知県武道館では、今年1月から指導官を含めた特別訓練員合わせて65人が、剣道と柔道の稽古に当たっています。
 3階で剣道の稽古をしていたのが、感染が確認された2人を含めた34人。2階では31人が柔道の稽古をしていていました。
 愛知県警によると、剣道の特別訓練員の男女合わせて9人に、発熱などの症状が出ていて、このうちの30代の男性警察官1人が1日、PCR検査を受けたということです。
 県警は武道館にいた特別訓練員65人のうち、感染が確認された2人が接触した可能性がある49人を1日から自宅待機とする措置を取りましたが、愛知県警幹部は…。
<愛知県警の幹部>
「発熱した9人のうち、少なくとも2人は味覚や嗅覚に異常を訴えている」
 愛知県警は感染した2人が発症前に立ち寄った機動隊の庁舎と、警察署5カ所を消毒。稽古をしていた武道館は、消毒をしたうえで2日から15日まで臨時休館としています。

---------------------------

やはり剣道は危ない。息苦しいのでマスクをして稽古をするわけにもいかない。
大声を出すし、鍔迫り合いをするので、お互いに唾の掛け合いになってしまう。
ウイルスはある一定以上の数が体内に入らなければ感染しないとはいうが、
感染者が一人でもいたら、一緒に稽古してしまえば間違いなく感染してしまうだろう。

ただし、県警の特練なら剣道も専門家で仕事のうちである。
私のように趣味で稽古をしていて感染していたのではない。
自粛せよというのもわかるが愛知県警の今回の件は少し可哀想な気もする。
一生懸命に稽古に取り組んできた警察官や関係者をあまり責めないで欲しい。
ともかく、はやく、堂々と剣道の稽古が出来るように収束して欲しいと切に願う次第だ。
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転載「感染拡大の状況下、剣道の稽古はどうするべきか?」

2020年04月01日 | 剣道・剣術


全日本剣道連盟のお知らせを転載しておきます。
https://www.kendo.or.jp/information/20200330/

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全日本剣道連盟 アンチ・ドーピング委員長
大阪大学免疫学フロンティア研究センター・招へい教授
宮坂昌之




剣道関係者の皆様

 東京、大阪で急激な感染爆発が起こりそうな状態のもと、剣道の稽古はどうすべきかという議論があります。これに関して私の意見を申し上げます。

 添付の図はオーストラリア政府が作ったものを私が改編したものです。昨日のテレビ番組で使いました。

 それを見ていただくとわかりますが、通常、新型コロナウイルスは1人が感染すると2.5人に感染をうつすので、5日目には感染者が2.5人となります。この2.5人が動き回ると、30日後には感染者はネズミ算式に増えて406人になります。

 ところが、人との距離を1.5メートル以上空けて、さらに人と接する機会を半分減らすと、5日目の感染者は1.25人、30日目で15人と大きく減ります。

 さらに1.5メートル以上の距離を保ちながら人と接する機会を4分の1に減らすと、5日目の感染者は0.625人、30日目の感染者は2.5人となります。

 これは彼らの計算ですが、私は非常にわかりやすく、十分に信頼できるものだと考えています。

 さて、剣道ですが、竹刀を持っての相手との距離は2メートル近くです。しかし、大きな気合を出して相手を打とうとすると、多量の飛沫を吐き出し、相手に近接します。もし片方が感染者であれば、相手が感染する確率が大です。

 そのように考えると、今の流行がひと収まりするまでは、対人稽古は難しいかもしれません(特に高齢者の方は)。

 一方、個人レベルでのトレーニング、稽古は、お互いの距離を1.5メートル以上保ち、三密(密閉、密集、密接)を避けることが出来れば、可能なはずです。

 今後の読みは難しいですが、私は中国のように日本でも近いうちに感染者が減ってくると思います(ただし、1.5メートルの距離を保ちながら三密を避ければ、ですが)。そうなったら、いくらでも剣道の稽古は可能になります。

 それまでは慎重に考えることが大事だと思います。「打って反省、打たれて感謝」のこの素晴らしい文化を継承していくために、ここは皆さん、慎重に考えるべき時だと思います。
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武漢ウイルス(新型コロナ)に思う事。

2020年03月30日 | 剣道・剣術
少人数ながらも稽古を続けていることについて、
かなり感情的に非難されたのでここに考えを書いておく。

イタリアのように高齢社会で、
衛生観念(マスクや手洗い)が日本ほどでは無く、
日常生活で握手や抱擁を頻繁に行い、
帰宅しても靴を脱がない生活習慣では、
驚くほどの死者数(本日で1万人越え)を出してしまっているのが現実である。
6,000万人の人口からすれば死者数は0.017%で決して無視出来ない数値になりつつある。

しかしながら日本は死者は54人。
人口が1憶2,595万人だから、0.000043%で、1万人のうちの0.43人、
言い方を変えれば2万3,000人いたら1人が死ぬという確率でしか無いのである。

これははっきり言うが大きい数値とは言えない。

感染して死ぬのは80才以上が中心で、次に70才以上。
高齢者は注意して生活すべきだと思うが、ほとんどの社会人は関係ないレベルなのだ。
(もちろん、感染者数と死者数が爆発的に増えたらこうは言ってられないが)




(令和2年3月17日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部の資料から)

現在のところ、日常生活に注意して、
外出時には人混みを避け、電車やバスの吊り革や手すりを極力触らす、
マスクを着用して、家に帰ったらウガイと手洗いをしっかりしていればかなり防げる。

何か持病をかかえていないのなら、
若い人は(注意しつつも)日常生活を続けるべきであり、
決して武漢ウイルス(新型コロナ)におびえて萎縮することが無いよう願っている。

普通の風邪と一緒と考え、体調が悪かったら栄養を摂って休養すること。
それでほとんどの人は治ってしまうのが今回のウイルスだと思う。

問題は風邪の症状が出た人が、慌てふためいて病院に行くことだ。
今回の武漢ウイルス(新型コロナ)は感染力が高いのは事実だ。
かかってしまった人は、他の患者にうつしてしまうことになるし、
かかっていなかった人は弱った身体に武漢ウイルス(新型コロナ)をもらってしまう。

調子が悪いと思ったら、病院には行かず、自宅に帰って栄養つけてよく寝ること。
それで充分なような気がする。というか、そのほうが良いと思う。

それから一般の社会人は身内であっても老人には近寄らないこと。
誰もがどこかでウイルスを付着させる可能性を持っている。
それをそのまま老人の近くに持ち込むことは避けるべきなのである。

慌てふためいて検査などするからマスコミは騒ぎ、
感染者を抱えた企業は大きな痛手をこうむっているのが現実である。
これはマスコミによる魔女狩りのような気もしてしまう。
今回の騒動を見る限りマスコミなど害の方が大きい。

感染しても「大したことは無い」と思うことこそ正しい。

昨日初めて知ったが、どこかの剣道団体さんが、
「うちに稽古に来ませんか?」とPRして非難をあびていた。
場所を見たら、私の職場のすぐ近くである。

これには反対する。
見知らぬ者が大勢集まるような稽古会はやり過ぎだろう。


(一刀流の木刀と鬼籠手)

私は剣道稽古も一刀流稽古も続けているが、
少ない人数で細々と自己責任の範囲で行っているのだ。
呑気に考えているのでは無い。
健全なる危機感を持って適正に行動しているのだ。

それを、過剰反応して、感情的に非難してもらっても困るわけである。

武道家たるもの、今こそ「平常心」で過ごすべきでは無いか?
慌てふためいて、驚き、騒ぎ、悲しみ、怒り、感情的に行動することなどあってはならない。
今こそ、どう判断し、どう行動すべきなのか、冷静になってよくよく考えて欲しいものである。


追伸

武漢ウイルス(新型コロナ)で入院していた志村けんが肺炎で亡くなった。
好きな芸能人だったのでこれは少なからずショックである。
謹んでご冥福をお祈りしたい。本当に残念である。
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往馬玄武会と一刀流の稽古(2020年3月28日)

2020年03月29日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

【緊急連絡】
現在、往馬玄武会では、会員以外の方の出稽古はお断りしています。
出稽古の方の入場、稽古は出来ませんのでご了承願います。



(生駒市武道館の前で)


(出稽古禁止の張り紙がしてあった)


(私を入れて4人だけの稽古だった)


(玄武会のあとは生駒一振会の稽古が始まる)

人数は少ないが思いっきり声を出し身体を動かす。気持ちが良い。
週に一度の稽古(来週の4月4日はお休みだが)だが稽古出来るのは嬉しい。
出稽古が禁止で少し人数が少ないのは寂しいが時節柄仕方が無い。

急ぎの出荷を片付けて本町まで仕入れに行ってから中野中学に向かう。
17時からは長正館、小野派一刀流の稽古。
参加者は8名+井上館長、それに休館中のS田さん。

人数が少ないので、休憩を入れないで大太刀60本を続けて打った。
発(ほつ)で仕方1名が肉離れをやってしまった。後半は刃引。


(私の愛用の修理を重ね使い古した鬼籠手)


(休憩時間に田村鍼灸師による井上館長の鍼灸治療)

鍼灸 潤氣堂(じゅんきどう) TEL.06-7500-9598 大阪府門真市栄町9-16
http://jyunkido.com/medical/


(稽古のあとでS田さんとのツーショット)


【感想・反省点】

武漢ウイルス(新型コロナ)への対策について意見の相違があったが押し通した。
(イタリアの死者は異常だが)現状では国内での武漢ウイルスは恐れるに足らない。
館員へのラインには以下のように通達しておいた。

--------------------------------
今後の稽古についての連絡です。
当面の間は自主稽古として稽古を継続します。
稽古は換気のため窓やドアを開放し、各自マスク着用を奨励します。
自主稽古なので館費は免除します。
社会においての立場上感染するわけにはいかない方、健康に自信が無い方は来ないでください。
中野中に来る経路でも感染する恐れがあります。
無理をして稽古に参加する必要はありません。
稽古はリスクを承知で自己責任として参加してください。
なお、社会情勢が悪化すれば自主稽古自体も中止する可能性があります。
以上ご了解のほどお願いします。
--------------------------------

個人的には、武漢ウイルス(新型コロナ)は通常の風邪と同じだと考えている。
普通の風邪でも特効薬は無い。かかったら栄養を摂って身体を休めれば治る。
現に日本で死んでいるのは70才以上の高齢者で何かしらの疾患があった者なのだ。
怖がり過ぎて活動を自粛するなど今のところは必要が無いと考えている。
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往馬玄武会で稽古(2020年3月21日)

2020年03月22日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

【緊急連絡・2020/03/25追記】
現在、会員以外の方の出稽古はお断りしています。
出稽古の方の入場、稽古は出来ませんのでご了承願います。


新型コロナウィルス禍中での貴重な剣道稽古だ。
いつもどおり自宅で急ぎの仕事を片付けてから参加。
行ってみたら、夜の稽古(宝剣会)で一緒のN村五段、
長正館のK芦五段、養正会のM六段が来ていた。最終的に計8人。













【感想・反省点】

一週間ぶりの稽古。切り返しから始める。
調子が戻るまでしばらく時間がかかってしまった。
2分間の回り稽古を2回。打っても足が止まってしまう。

最後に六段審査のN村五段とK芦五段の立会い稽古を1回だけやった。
N村五段は姿勢を崩して打つクセがあるが意識していたようだ。
K芦五段は構えて触刃から安易に交刃に入っていくので注意した。

打ったあとは鍔迫り合いの間合ではなく、お互いに離れるように。
審査は試合や稽古とも違う。「審査員に見ていただく」ことを意識するように。





11時過ぎからは生駒一振館の稽古が始まった。
自己責任で稽古は続けているという。それで良いと思う。

夕方からは難波の剣武道具店で、なんば養正会の理事会。
今後の稽古をどうするかというのが主な議題である。
取り合えず3月いっぱいは稽古を自粛し、4月からについては
3月末でまた理事会で話し合って決めようということになった。
何とも先が見えないがやむをえない。


(難波までは中央線で本町のりかえ、いつもより人が少ない)
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往馬玄武会で稽古(2020年3月14日)

2020年03月15日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

新型コロナウィルスのお蔭でとうとう稽古はここだけになった。
武道館は冷え込んでいるが、ウィルス対策の為だろうか窓は全部開けていた。
開けていても剣道の稽古には無意味だろうと思ったが黙っていた。
稽古は9時過ぎからだが私は急ぎの仕事をしてからで10時前からの参加になる。


(朝から冷たい雨、胸には喘息バッチと花粉バッチ)




(左のH名四段の構えは良くなってきた)










【感想・反省点】

同時に相面になるとガッチャンコしてしまう。
少し遅れると相手のほうが早く届いてしまう。
微妙に遅れて面を打つと擦り落としてこちらの打ちが相手に届く。
この「微妙な遅れ」が本当に難しい。
「微妙に速く」は理想だが、今の私にはもっと難しい。

五段を目指すH名四段の構えは指導を続けたせいか随分良くなった。
あとは気構え身構えに勢いを表現するというところ。
どうしても優しい彼の人柄が出てしまうようである。





11時半からは生駒一振館の稽古が始まった。
コロナウィルスに負けないで稽古は続けて欲しい。
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往馬玄武会で稽古(2020年3月7日)

2020年03月08日 | 剣道・剣術
生駒市武道館、往馬玄武会にて稽古。
(往馬玄武会は複数の剣友会の有志が集まる稽古会)

人数は少なく、小学5年生1人を含んで7名。
武道館は冷え込んで、外よりもかなり低い気温である。
久々の稽古で、身体が思うように動かなかったが気持ちよく稽古が出来た。








【感想・反省点】

非登録の有志の稽古会なので新型コロナで自粛が言われているが規制は受けない。
(夜の宝剣会の稽古は中止になった)

自分自身の面打ちの遅さにはほとほと嫌になる。
先を取って打とうとすると「準備完了」がわからなくなる。
準備完了を意識すると遅れてしまう。間合いがわかっていないのかも知れない。


(往馬玄武会のあとは同じ場所で生駒一振会の稽古が始まった)
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