昔々、
小学生時代に練習し過ぎ!
なんてことを言われたものですが、これって練習し過ぎて失敗した経験がある人からの助言であれば耳を傾けるものですが、そうではないことが大半だったので、参考にとどめていた。(右から左)
選手時代の経験を踏まえてそのように言われる方もいましたが、他人様の子育てを知らずして土俵にあげるのはナンセンスだし、実際、毎日練習していても楽しんでるところもあれば、週1でも嫌々しているところもある。
そして、毎日していても、ただやらされているところもあれば、週1でも集中しているところもあるので一概には言えない。
ただ、誰かも言っていましたが、『量より質』なんてことは、量をこなしたからこそ『質』が分かるもので、量をこなした中での『質』であったり、遠回りや不要なものが分かるのではないかと。
そして、遠回りであったり、不要だったものを失敗と言う人もいるが、これらが全て失敗だっかたかと言えばそうではないのかなと。
遠回りして来たことで学んだこと、培ったことも沢山ありましたから。
最近、特に思う。
『質』を学んだつもりで近道しようとしても、何か薄っぺらいと言うか、粘りがないような気がする。
長い目で見れば、遠回りや、三歩歩いて二歩下がりながら歩んで来た人間の方が粘り強いし、執念や味も出るのではないか。
質を知るには量、粘りを出すには遠回り・・。
いや〜古い考えか。
ま、子供が嫌気をささないように量をこなすってのが難しいところなんでしょうね。