
ふと思う。
自分はいつ何時も反骨心が源だったような気がしますが、何かをしようとした時に気持ち良くやってみろと背中を押してくれるような人の右腕としてやってみたかったという気持ちがある。
また、招かれる場所、望まれる場所であったらどんな人生だっただろうかとも考える。
くそっ!という反骨心があったからこそ今の自分があることは確かなんだけど、反骨心だけだとしんどくなることが多々あり過ぎた。
腹立つこと、悔しいことばっかりだったけど、時間を、出会いを、子供達の能力や保護者の努力を無駄にするわけにはいかないという思いだけだったなと。
救いは子供達が幼い頃から現在まで道逸れずに頑張ってることであったり、理解をしてくれる人であったり、必要としてくれる人がいたということ。
ま、紆余曲折、困難なくして栄光なしなのかも知れないが、二度と通って来れない道だったと思う。