
最近のブログを読み直してみると、今週の試合に向けてはやる気持ちであったり、落ち着かない気持ちを綴っていますが、この気持ち、決して試合に負けたらどうしょうという不安であったり焦りということではないんですよね。
要は・・・・とにかく寂しい・・。
本当にこれしかないんです。
体重別予選という、言わば、大晟の第一ステージの節目で、遠いと思っていた目標地点に到達してしまうという何とも言えない寂しさなんです。
時が流れれば、必ずや結果が出てしまいます。
その節目を迎えるのが怖くて、寂しいのです。
大悟の時も同じ気持ちでした。
結果云々ではなくて、家族が一丸となって歩んできた目標地点に、
『到達してしまった』
という感じ。
登山家やマラソンランナーが、それまで幾度とない苦難を乗り越え、山頂に到達しようとしたり、ゴール寸前に至れば、嬉しさがこみ上げるよりも寂しさがこみ上げる方が強いと何かで見たことがありますが、まさしくそれなのでしょう。
まだ大和もいるじゃないか
決してゴールなんかじゃない
と言われるかも知れませんが、大和なんて、努力の過程が2人と違い過ぎで話になりません。
また、他人からすれば、ただ単に時が流れていく中での、たかだか子供の試合の一つに過ぎないかも知れませんが、これだけ寂しさを感じるということは、その分、一生懸命歩んできたからなんだなと『心の糧』にしたいと思います。
最後に、ここで、自分に甘く子供達に厳しい親父の遺言。
『子供達よ、
何事も一生懸命であれ。
一生懸命であるからこそ、心底、嬉しいし、悔しいし、寂しいのだ。
そして、一生懸命な者を応援出来る人間であれ。
他人を妬むことがあれば、まずは自分自身一生懸命努力しているかを問うてみろ。
もし一生懸命努力しているのであれば、その時は妬むのではなく見習え。
人を認めるということは、決して恥じるべきことではなく、素晴らしい能力の一つである。
一生懸命、努力、そして、常に感謝の気持ちを忘れるな。
そうすれば、人から敬われ、感謝される人間になるだろう。』
全てがお前等との日々で学んだことではあるが、以上を親父の遺言とす。