刃付けを変えてみた。
これはこの前に手を加えた別な
ナイフのように小刃の中を蛤に
するのではなく、私の流儀
の研ぎを施して、狙った刃
味を得る事にした。
ナイフのように小刃の中を蛤に
するのではなく、私の流儀
の研ぎを施して、狙った刃
味を得る事にした。
ナイフ研ぎで平地の腹をこする
バカはいない。いたとしたら
それはバカである。確定。
なお、ブレードの断面形状の
グラインドによって蛤刃か否か
などと言うのは、知見と呼
べるものにさえならず、
刃物に関する見識が低すぎ
て話にならない。
蛤にもいろいろある。断面形状
のままベタ研ぎにするのが蛤刃
かと思っているような低レベル
の者が研ぎの深みも無知なまま
のままベタ研ぎにするのが蛤刃
かと思っているような低レベル
の者が研ぎの深みも無知なまま
人様を非難して嬉々としている
としたら、それほどの愚はこの
業界の斯界にない。
としたら、それほどの愚はこの
業界の斯界にない。
蛤刃にも角のない滑らかなRに
したり、多角付けの蛤にしたり、
いろいろある。
したり、多角付けの蛤にしたり、
いろいろある。
極小の小刃部分のみをあえて
蛤にする場合も勿論ある。
蛤にする場合も勿論ある。
ベタ断面がコンベックス蛤の
刃物にあえて小刃を付けて、
さらにその小刃をいろんな
刃物にあえて小刃を付けて、
さらにその小刃をいろんな
状態にどうにかする場合も
無論存在する。
無論存在する。
そして、私の研ぎは1ミリ程
の狭い小刃の中をどうするか、
という研ぎなのである。
の狭い小刃の中をどうするか、
という研ぎなのである。
私から流派の研ぎ要諦のテキ
ストを貰った人は、この研ぎ
の理論的な意味と状態を
ストを貰った人は、この研ぎ
の理論的な意味と状態を
正確に観察することがで
きている。
きている。
知見無き場合、この画像を見て
も意味不明だろう。
も意味不明だろう。
私の研ぎとは、任意の狙った
刃味、切断力、切開力、割断力
を得る事だ。
よく切れるなどというのは大前
提の前の極限前提だ。そんなの
は当たり前。
提の前の極限前提だ。そんなの
は当たり前。
当たり前のありきたりではない
研ぎを私は刃物に施す事を目標
にしている。
研ぎを私は刃物に施す事を目標
にしている。
私の研ぎは、物理的な数値だけ
でなく、切り手の体感をも研ぎ
手が任意に掌中にする研ぎだ。
でなく、切り手の体感をも研ぎ
手が任意に掌中にする研ぎだ。
使い手のお望みの、繊細でこと
細かい切り味を実現させる。
「切れ味」ではない。「切り
味」を追求している。
細かい切り味を実現させる。
「切れ味」ではない。「切り
味」を追求している。
特殊な用途以外、ほぼベタ研ぎ
はしない。
はしない。
これらの内実の真の姿が理解
できない者程、私のこの方
向性と研ぎの現実的な実態
できない者程、私のこの方
向性と研ぎの現実的な実態
をネットで誹謗中傷し非難
したがる。
したがる。
現実を知っている人は、私から
手渡された刃物を実用に供して
「なんだこれは?」と瞠目する。
それは現実であり事実であり、
手渡された刃物を実用に供して
「なんだこれは?」と瞠目する。
それは現実であり事実であり、
真実なのだ。その目の前の手に
した刃物こそが全てを物語って
いる。
した刃物こそが全てを物語って
いる。
刃物について、中身がどうして
こうなっていて、なぜそうする
のかもサッパリ脳で理解で
きないのに的外しで人を侮
辱して楽しむような者に、
人間が作る刃物の本当の良
し悪しなど理解できる道理
がない。
こうなっていて、なぜそうする
のかもサッパリ脳で理解で
きないのに的外しで人を侮
辱して楽しむような者に、
人間が作る刃物の本当の良
し悪しなど理解できる道理
がない。
それは人の世には金輪際
無い。人以外の人に非ずの
世界の事は不知。人の心
無き魑魅魍魎の世界の事は
私には関係がない。
先ごろ、私以外の刃物好き
の人の研ぎを貶していた人間
本人の研ぎを見た。
論外だった。腹こすりまくり
の疵だらけ。一言でいうなら
無残。ネットで覚えた嘘研ぎ
を見よう見まねでやったド
素人の初心者(以下)である
事がすぐに看取できた。
そのような内実でよく人様
無い。人以外の人に非ずの
世界の事は不知。人の心
無き魑魅魍魎の世界の事は
私には関係がない。
先ごろ、私以外の刃物好き
の人の研ぎを貶していた人間
本人の研ぎを見た。
論外だった。腹こすりまくり
の疵だらけ。一言でいうなら
無残。ネットで覚えた嘘研ぎ
を見よう見まねでやったド
素人の初心者(以下)である
事がすぐに看取できた。
そのような内実でよく人様
の事を揶揄したり「指導」
的上から目線で物言いする
なぁと思った。
こっぱずかしいの極みだ。
的上から目線で物言いする
なぁと思った。
こっぱずかしいの極みだ。