渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『ならず者』(1943)

2023年05月25日 | open



1943年作品。
日本公開は戦後の1952年昭和
27年だ。
ドク・ホリデイとビリー・ザ・
キッドが知り合い、反目し合い
ながらも保安官パット・ギャ
レットから共に逃げるという
物語。
そこに例によって女(ジェーン・
ラッセル)が絡む。

物語は完全なオハナシ創作だが、
舞台劇のような俳優陣の演技が
楽しめる。
台詞も演技もハッキリとしてい
るのだ。
そして、複雑なストーリーの
展開は無い。

ドク・ホリデイを演じるウォルター・
ヒューストンが後年のリチャード・
ハリスに容貌もそうだが、声と
セリフ回しがそっくりだ。


ドクとパットは対峙しての
撃ち合いとなる。


ハンマリングピンが無いSAA。
これが後に意味を持つ。


左のSAAはフロントサイトが
削り落とされている。
これは早撃ちガンマンの象徴
だった。


あえて友人のパット・ギャレット
に撃たれたドク・ホリデイ。
「病気で死ぬよりましだ」と
言い残して死んでいく。

パットからドクの銃を形見に
受け取れと言われて喜ぶビリー。


ビリーを汚い手で騙し討ち
しようとしたパットを柱に
縛り付けて、ビリーは立ち
去る。元ドクの愛人だった
女を連れて。




間抜けなパット・ギャレット。


このシーンはカラーだったら
どんなに美しい光景だったか。
多分、『シェーン』(1953)の
ラストシーンのような風景では
なかろうか。






だが、THE EMD ではない。
まだ、映像は続く。


真実の歴史でも、パット・ギャ
レットがビリー・ザ・キッド=
ウィリアム・ヒコック・ボニー
を射殺した事にはされているが、
ビリーの死体は未確認のまま
だった。
それゆえ、ビリー・ザ・キッド
生存説もあるのだが、本当の
事実はパット・ギャレットの
みが知っていたのではなかろう
か。
ビリーとパットは友人だった。
そして、ビリー・ザ・キッドは
犯罪に問われてはいたが、冷酷
非常な極悪人ではなかった。
アイルランド系移民であり、英
国系アメリカ人に差別されて
いたビリーは人種差別をせず、
当時非常に差別と屈辱を強いら
れていたメキシコ人たちとも
親交を広げた。
合衆国南部に住むメキシコ人で
ビリーを嫌いな者は一人もいな
いとさえ言われていたという。

映画『ならず者』(1943)は、

今から丁度80年前の映画だ。
だが、今でもかなり楽しめる。
劇中のピースメーカーは無煙

火薬時代の1stジェネレーション
のSAAの実銃も使われていて、
マニアックなところでも面白い。


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