渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

フォースとパワー

2023年04月14日 | open
 
 
ビリヤードのキューにはフォース
(repulsive force)はあれど、
パワーは存在しない。
エンジンではないので出力は
無い。キューはただの棒だ。
だが、ストロークによって生
エナジー伝達率(transmission 
rate)の差異や反発力(リポルシ
フォース)の大小は個体
よって
その差異が存在するし、
物理法
則によってそれらフォ
ース
自体も存在する。
だが、キュー自体にパワーは
一切存在しない。
キューの伝達量や伝達率の事
をパワーと呼ぶのは、根本的
な不見識で、そのような不適
合な概念で事象を規定して
いる
は日本人だけだ。
例えば揚力(lift)はパワーでは
ない。反力(counterforce)も
パワーではない。
そんな不見識を言ったら、航空
工学や力学、一般学識の世界で
笑われる以前の存在と見做さ
れる。
だが、日本撞球界では世界的
レベルで非常識な反アカデミ
ズムのような無知蒙昧が大手
を振っていろいろな場面で
場している。
多くの不見識な誤認誤謬が日本
のビリヤード界
に根強く蔓延っ
ているのは
事実だ。
キューにパワーが等語るのは
「元気を貰う」と言うのに等
しく誤認による完全不適合で、
あり得ない存在しない事を
ある
かのように誤認してい
る概念化
なのだ。
元気が出るのは内発的な人間
の個体感情や身体状態であり、
他人が他人に元気を与える事
はできない。
腹痛は自分の腹痛であるよう
に。
人を悲しませるのと元気が出る、
元気や勇気が自己内部に生ま
れるのは大きく異なる。
元気づける事は元気という他人
の内発を触発させる事であり、
元気とは自分自身のものなので
ある。自分の中に生まれる。
それを他人にあげたり貰ったり
はできない。
「元気を貰う」「勇気を貰う」
というここ20数年ほどで登場し
女のミュージシャンが言
い出
た概念化は完全誤謬
であり、
しない。
「元気づける(られた)」「勇気
づける(られた)」は存在するが、
元気や勇気を人から貰ったりあ
げる事は存在しない。
主体が存在しないからだ。
「元気の素」はあっても、元気
そのものは自分の中に生まれる
ものだ。
 
それと似たような誤認誤謬錯誤
が「キューにはパワーがある」
という発想だ。
キューにパワーは存在しない。
だが、日本のみがこの大いなる
不見識があたかも常識のように
罷り通っている。
キューにパワーがあるなら、
一体何ニュートン、何PSある
のか示してほしい。
反発力や伝導率はパワーでは
ない。
キュー自体が出力たるパワーを
持つ事は、物理的にあり得ない。
パワーのある釘やトンカチが存
在しないように、パワーを持つ
キューという棒はこの世に存在
しない。
 
一体、いつまで日本撞球界は
出鱈目な概念(パワーとは20年
程前にハイテクシャフトなる
物が広まりだした頃にメーカー
が初めて言い
始めた新造の作為
的な概念=不存在を存在するか
のように人をして欺罔せしめ
る概念)で真実を人から遠ざけ
ようとするのか。
パワーのある刀、パワーのある
杖、パワーのある木刀、パワー
のあるノコギリ、パワーのある
槌、パワーのある板、パワー
のある棒、パワーのある柱、
パワーのある紙、パワーのある
鉛筆、パワーのある線路、パ
ワーのある翼、パワーのある
ヘリのプロペラ、パワーのある
電柱、パワーのあるアスファル
ト、パワーのあるプラスチック、
パワーのある黒板、パワーのあ
るガラス戸、パワーのあるタイ
ヤ、パワーのあるボールe.t.c.
・・・。
そういう物はこの世には存在
しないのである。
存在しないものを存在している
かのように広める言質は、それ
世迷言であると同時に人心
わす大きな罪である。

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