渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『メッセージ』(2016年)

2021年02月13日 | open


言葉が通じない異星人との会話を試みる
女性言語学者の苦悩と希望を描く。
時間軸が我々地球人とは異なる次元を持つ
異星人が全世界に12の飛行物体で飛来し
た。日本にも飛来する。
そして、地球の各国首脳は、それぞれ
バラバラに彼らにアプローチするが、
中国、ロシアは武力攻撃を行なおうとす
る。
未来を感知できる異星人は、人間に脳内
映像として未来を見させる。
今の地球人は武器を持っている、という。
その武器とは決して武力の武器ではない。
そして、3000年後には地球人は自分らを
救うのだと異星人は解かれた彼らの言語
により説明する。

とても深い不思議な映像の映画作品。
良い。
ただ、異星人が超ノスタルジックなタコ
さん形の異星人で、なんじゃこりゃー!
になった。
現実に我ら地球人が最初に異星人の姿を
想像で描いたものだ。火星人とかで。

しかし、地球人が描く異星人というのは、
SFの世界ではどうしても地球人よりも
地球人感覚では「みにくく」描くよね。
なんか下等生物のような。
「エイリアン」にしても「プレデター」
にしても「ET」にしても「スターウォー
ズ」にしても。
そこだけはどうしても違和感がある。
唯一、「エイリアン&カウボーイ」という
異色のSF西部劇では、攻撃的な異星人は
悪魔のみにくいサソリ人間のように描か
れていたが、地球人を救う別な異星人のみ
は「この姿は貴方たちの価値観に合わせ
た」として、超別嬪さんの白人女性となっ
ている。こういうのは珍しい。
思うに、異星人の事を地球人感覚で地球人
よりみにくく描くことを人間たちがやめな
い限り、映画『メッセージ』で描かれた
テーは現実社会では実現しないと思う。
作品『メッセージ』が、演出として、そこ
までを見越してあえて美しくはないタコ
さん形で異星人を描いたのかは不知。

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