渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バイク整備リフトに転用 ~パワーゲート付軽トラ~

2024年04月28日 | open




私はバイクの専用リフトを
持っていないので、手持ち
のこの新明和さんのパワー
ゲート付軽トラを使ってい
ます。
車体下回り整備の時に便利(笑
ゲートに二輪を乗せてリフト
アップして整備します。
片側からのみなので、逆側を
いじるのには一度リフトを下
ろしてバイクの向きを変える
けどさ。


トランポもあるけど、それは
二輪等運搬用。この軽トラで
バイクを運搬する事も多いけ
ど。

友人とかが近場でエンコでお
助け
コールの時などはこの軽
トラ
でお助けマン参上。
遠距離はトランポです。
でも、昨年、広島県西部の人

が私の地元の友人から格安で
買った原付を
この軽トラに積
んで届けた事があります

往復下道200km位。

知り合い同士の仲継ぎ役なの
で運賃陸送手間賃
ロハで。
尤も、運送業者ではないので
料金貰ったらいけないし。
お土産にコロナビール貰った(笑



まあ、トランポも軽トラも
あるから、神戸でベスパ買
った時はそれらの四輪積載
予定で取りに行け
ばよかっ
たのだけど、気分
は走行帰還
だったので、新幹線で神戸に
行って、雨
の中、夜も走って
神戸から
252kmの距離を乗っ
帰って来た。
3月20日なのに雪も降ってい

た。距離は何ともないが、
足先を防備しなかったのは
大失敗で、寒すぎて足指が凍
傷になるかと思っただよな(笑
ドイツ軍の大戦中タイプの
軍用ブーツ、ありゃダメだ。
他の身体の部位は防寒固めて
たので、氷点下以下でも何と
もなかった。とにかく足先。
これ、大切ですね。
兵士ブーツだけでなく将校用
の乗馬ブーツも入手しようか
と思っていたがやめた。二輪
には実質上使えない。あの手
のブーツが使えるのはカリフ
ォルニアでのハイウェイパト
ロールあたりだね。灼熱の地
だから、逆に足蒸れ蒸れだろ
うけど。

日本のヤン車ハンドルみたい(笑
だが、このアップダウンハン
ドルは実は車体操作がやりや
すい。1970年代マル走たちが
スラロームやすり抜け、急速
旋回(アクセルターン含む)が
とんでもなく上手かったのは
このアップダウンハンドルに
拠るところが大きい。
ハンドル両サイドを内側に絞
って幅を狭くしていたのはすり
抜けのためだ。これはかち上げ
絞りと同じくバイク便の都内最
速ライダーの真似。(バイク便
は現場撮影写真等を超速で新聞
社に届ける外部雇用の走行専門
の傭兵集団)
暴走族の旗竿もバイク便ライダー
の真似からマル走たちは始めた。
これ、歴史的事実。
実は布製風防もそうだ。超速
バイク便(道交法全て無視)の
人たちの真似から1970年代に
登場した「暴走族」のスタイル
は開始されている。
暴走族消滅後の暴走しない騒
音族の車両仕様はチンドン屋
のようでダサすぎてまるでて
んで話にならない。
1970年代マル走は走る実用を
主体として車両改造をした。
そのため、四輪などではまるで
レーシングカーのような改造
車ばかりだったのだ。
ちなみに、二輪のアップダウン
ハンドルは1970年代中期~
末期には「クールスハンドル」
と呼ばれていた。環八スタイル
がどうのこうのは、エンジンを
極限に傷めるコールをする珍走
団登場以降だ。
珍走団スタイルは関東チバラギ
から全国に広がった。
あれらは暴走族ではない。
暴走せず、騒音をまき散らすだ
けだから。
暴走族は二輪最低200台、四輪
400台ほどで、それが複数の
チームで土曜の夜に都内を爆
走する集団。都内は騒乱状態。
サタディナイトは都内のあち
こちで万余の二輪四輪、人員
が暴走を続けた。
環七、環八、甲州街道、ルート
246あたりを大集団で巡行速度
120~140km/hほどで大井埠頭
まで走る。
信号は旗持ちが両サイド車線
を鉄道の遮断機のようにして
強制停止させるので、すべて
赤信号でも爆走スルー通過。
数キロに亘りチームのテール
ライトが遥か彼方までネオン
のように連なる。
例えるならばスズメバチが大
集団で飛行突進するような感
じ。音は羽田空港でのジェット
機の着陸後の逆噴射の時のよう
な音だ。
個体区別と車両車間確認の為に、
二輪各人は右下にホタルの灯火
を装着していた。
それが本物の暴走族だ。
爆音は轟かすが、一般人に危害
は加えない。暴走のみ。
それゆえか、検問での検挙の
時には都内の住民のおじちゃん
やおばちゃんたちは、お腹減っ
てない?とか寒くない?とか
少年たちに気遣いを見せていた。
これ、事実。
そして、時にはおにぎりを差し
入れしてくれるおばちゃんたち
までいた。これまた事実。
機動隊にぼっこぼこにボコられ
後の少年たちは道路に座って、
それを涙して口にした。
「どこから来たの?」と話し
かけてくるおばちゃんの事を
「先輩。うざったいすね」と
囁くように言った隣りの奴は、
おにぎりを差し出されたら言
葉をつぐみ、涙を浮かべなが
らぱくついた。
少年たちは「何か」に飢えて
いたのだ。だから反抗してい
た。それを「甘ったれ」とか
で単純には片づけられない。
でもおばちゃんたちは皆言った。
「お母さんに心配かけたら駄目
よ」と。大田区の住民が特に
親身に心配してくれていた。
きっとワンチームだけでなく、
通過しようとして集団検挙さ
れたどのチームの連中にも同じ
ように接していたのだろう。

なお、1978年12月の道交法改
訂まで、暴走族の集会で検挙
されても、信号無視と停止命
令違反の合計4点のみの加点
しかなかった。大抵の車両に
は剥がせない「故障」の大き
な赤地白抜きの紙シールが
貼られたが、整備不良では
いちいち切符を切らなかった。
だが、検問では交機だけで
なく乱闘服ではない制服の
機動隊がマル走車両をぼっこ
ぼこに警棒でめちゃくちゃ
殴って損壊させていた。
バイクのタンクなどはボコボ
コ。四輪もボディぼこぼこ。
整備不良で切符を切らなかっ
たのは、実際の現場では警察
が車両破壊を実行するためだ
ろう。だが、剥がすのに何時
間もかかるシールだけは車に
警察は貼りまくっていた。
長い警棒で走行中の二輪の
運転者を殴り倒してすっ転ば
して手錠かけるなどというの
も恒常的に行なわれてていた。
手錠組は年少か鑑別所送りに
なった。よくて保護観察。
だが、不良たちはわきまえて
不良をやっているので、別段
意にとめなかった。権力に確
保される事にビビり無し。
調べ室でテーブルドン!と叩
いて
「おいっ!どうなんだ?」
「まあまあ、長さん。どうだ
かつ丼食うか?」
という路線を使うのは学生運
動の政治犯だけでなく少年交
通違反者についても同じ手口
で、それは実話なので大いに
笑えた。

ベスパ引き取りを乗車走行帰
還にしたのは、初期挙動特性
も確認したかったから。
日の沈む前から通しの250km
走行でいろいろな点が確認で
きたので、それはかなり良か
った。

124ccではなく125cc丁度で馬
も11.56PSあるので、結構走
る。

ある特定速度、エンジン回転
域から
ヒューンというモーター
ようなエンジン回転音になる
のが楽しかった。
そして、この車格クラスレベル
での高速度
域での倒しこみ旋回
も特性が
よく判った。
ベスパLX125ieの3バルブモデル
はかなり走る。
良い二輪だ。
排気量制限で原付クラスになって

いるが、高速道路も充分走れる
走行実力を具備している。
オイル交換の時に車両の下に工具

が入り難く、リフトの端に乗せて
作業がベストなのだとベスパ販売
代理店のメカニックの人が言う。
「リフト持ってますか?」と尋ね
られたので、「ありまぁ~す」と
答えた。ちょいネタ古いが。
そのリフトとはこの軽トラのパワー
ゲートの事。


カワサキ本社横にて。


 


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