伝説の最終戦 原田哲也
世界初挑戦でチャンピオン
1993 GP-2 原田哲也チャンピオン
最終戦 ハラマ ノーカット
WORLD GRAND PRIX R14 JARAMA
最高の走りだった。
固唾をのんで見守った。
優勝した時、妻と立ち上がって
抱き合って喜んだ(笑
SP忠男出身の原田哲也選手は
17歳の時から日本国内のレース
ではチャンピオンは何度か取っ
ていたが、世界グランプリで
世界チャンピオンというのは
原田選手自身だけでなく日本
人として初の事だ。
日本からのエントリーでは、
1977年に片山敬済選手が350
で世界チャンピオンになって
いたが、日本人としては原田
哲也選手が世界初の日本人世
界チャンピオンだ。
歴史的な出来事だった。
この後、世界グランプリ=ロ
ードレース世界選手権で多く
の日本人世界チャンピオン
が誕生する。
ロードレース人気も日本でも
爆発的に高まり、NHKでさえ
フルのノーカットで生中継放
送していたほどだった。
日本人チャンピオンは125、250
クラスでは何人も誕生したが、
最高峰クラスでの日本人チャン
ピオンは未だ登場していない。
なお、世界GP250が廃止される
最後の年の世界チャンピオンも
日本人だ。(2009年、青山博一
選手)
ロードレースに体格等は関係
ない。
不滅の王者ケニー・ロバーツ
も木下選手も本間選手も原田
選手も身長は160センチ程だ。
だが、速い。超人的に。
二輪は体格で乗る乗り物では
ない。
あくまでも技術だ。
そして魂。
以下は世界チャンピオン原田
哲也氏を取材したレポート。
非常に良い文章でつづられて
いる。
原田哲也が、 再び走り始めた。 - WEB Mr.Bike