渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

伝説の最終戦 原田哲也 世界初挑戦でチャンピオン 1993 GP-2

2024年05月15日 | open

伝説の最終戦 原田哲也 
世界初挑戦でチャンピオン 
1993 GP-2 原田哲也チャンピオン 
最終戦 ハラマ ノーカット 
WORLD GRAND PRIX R14 JARAMA


最高の走りだった。
固唾をのんで見守った。
優勝した時、妻と立ち上がって
抱き合って喜んだ(笑
SP忠男出身の原田哲也選手は
17歳の時から日本国内のレース
ではチャンピオン
は何度か取っ
ていたが、世界
グランプリで
世界チャンピオンと
いうのは
原田選手自身だけでなく日本
人として初の事だ。

日本からのエントリーでは、
1977年に片山敬済選手が350
で世界チャンピオンになって
いたが、日本人としては原田
哲也選手が世界初の日本
人世
界チャンピオンだ。

歴史的な出来事だった。


この後、世界グランプリ=ロ
ードレース世界選手権で
多く
の日本人世界チャンピオン

が誕生する。
ロードレース人気も日本でも

爆発的に高まり、NHKでさえ
フルのノーカットで生中継放
送していた
ほどだった。
日本人チャンピオンは125、250

クラスでは何人も誕生したが、
最高峰クラスでの日本人チャン
ピオンは未だ登場し
ていない。
なお、世界GP250が廃止される

最後の年の世界チャンピオンも
日本人だ。(2009年、青山博一
選手)

ロードレースに体格等は関係
ない。

不滅の王者ケニー・ロバーツ
も木下選手も本間選手も
原田
選手も身長は160センチ程だ。
だが、速い。超人的に。
二輪は体格で乗る乗り物では
い。
あくまでも技術だ。
そして魂。



以下は世界チャンピオン原田
哲也氏を取材したレポート。
非常に良い文章でつづられて
いる。
原田哲也が、 再び走り始めた。 - WEB Mr.Bike

 


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