渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

プロ野球と呼称

2020年07月19日 | open


阪神がじわりじわりと最下位から順位上昇。
このまま快勝連続よろぴこ。

しかし、何だな。
「セントラルリーグ」てのは、俺様中心
主義全開の名称だな(笑)。
今はセ・パ両方人気があるけど、1980年代
まではパリーグはほぼ全く人気がなくて、
観客動員数が果てしなく少なかった。
コアな南海ファンや阪急ファン、ロッテ
ファンはいたが、他は球団名さえ「はて」
みたいな感じがあった。
川崎球場でのロッテ阪急戦でさえ、観客
1000人位?という試合も多かった。
しかし、80年代初期に西部ライオンズが
出来てからパリーグにも人気が出てきた。
これは、「巨人ー阪神戦」以外はプロ野球
ではないとするそれまでの国内の風潮の
流れが変わったことも示していた。
ロッテが大映毎日オリオンズだった1960年
代はコアな野球ファンしかパリーグには目
向けなかったのは確かだ。野球少年たち
でさえ、オリオンズの本拠地が後楽園で
あることも知らないことが多かったのでは
なかろうか。ヤクルトなんて無くて、産経
アトムズの頃ね。
ロッテはその後東京の本拠地を失い、あち
こち移転した後、横浜球場建設に着目して
大洋との共同本拠地に乗り出すが挫折、
ローカルな川崎球場を本拠地とした。

実はその川崎球場での数々の試合が面白
かった。私も川崎球場でのパリーグの試合
はよく行った。ビールの紙のでかカップ
の底を抜いてメガホンにする。
プロ野球選手と観客の密着度が感じられた
のが川崎球場で、あれは他の球場とは全く
異なる空気だった。後楽園や神宮や横浜で
の試合と全く違っていた。

首都圏は野球場が多く、後楽園、神宮、
西部は交通利便性から観客動員数が多か
った。神宮などは「仕事帰りにプロ野球
観戦」というパターンも多かったし、あれ
だけ観客がいたのに、何故か不思議とチ
ケットは売り場ですぐ買えた。
そして、首都圏であるので、対戦する両軍
のファンが入り乱れていたのが面白かっ
た。色が一色に染まる球場という図式は
首都圏の球場にはあまりない。それがまた
かった。

後楽園で閉口するのは帰りの電車ね。
最寄り駅に5万人が一気に押し寄せるのだ
から、電車なんて乗れやしない(笑)。
明治神宮の初詣状態ね。
国電の最低料金が30円の頃などひどかっ
た。

その国電料金30円の時代は長く、私が
小学生から高1までは1区間30円だった。
1976年秋に一気に倍の60円になった。
通称の国電呼称は1987年に国鉄が分割
民営化されて消滅した。
おかしいのが、分割民営化直後に「E電」
という正式呼称を新生JRは使用しようと
して駅のプレートも差し替えた。
しかし、全く根付かずにいつの間にか消滅
した。あれはなんだったのだろう。

いくら民営となっても、公共物の無理やり
の上からのネーミングというのは、どうや
らあまり定着しないようだ。
やたら横文字使えばよいという感覚が、
すでにいかしたホットでゴキゲンなナウい
ヤングではないのよ。
東京都知事などは、「夜の街」をナイト
タウンと言わなかっただけよしとしとこう
however(笑)。

(現都知事)
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