渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

原作・シナリオ・映画作品、その差異 ~映画『ハスラー』(1961年)~ (2017年記事再掲)

2022年06月29日 | open



映画『ハスラー』(1961)について、
原作(日本語訳)、シナリオ、映画
作品(英語版、日本語吹き替え版)
の四者の描写の違いを検証してみる。

というのも、映画の日本語吹き替え
版を観ていて、あきらかにおかしい
(=不整合な)部分に気付いたから
だ。
私は英語音声版はこれまで200回近
く観ているが、日本語吹き替え版は
まだ数回しか観ていない。見ていて、
突然「あれ?これおかしいぞ」と
思った部分があったのである。
そこで、最初のさわりの部分だけ、
原作(日本語訳)とシナリオと
映画作品ではどうなっているのか
を比較検証してみた。

まず、映画でオープニングとなる
小さな町で主人公エディ・フェル
ソンが素人を装って、ビリヤード
でバーテンダーをカモる時のシー
ン。


【最初に登場する町の名】
<原作(日本語訳)>
イリノイ州ワトキンズ
(訳文記載ママ。日本語ではワトキンス
と一般的には表記される。
原語発音では「ワッキンス」がネイティヴ
発音に近い)

<シナリオ(スクリプト)>
SMALL TOWN

<映画>
不明



この位置関係は、この映画の場所
を理解する上で重要なので把握す
る必要がある。
原作と映画作品で異なる件、映画
作品での英語原文と日本語翻訳で
表現(台詞そのもの)が異なる
ことにより、位置関係が大きく
変わってしまうのだ。(詳細後述)



【最初に登場する店】
<原作(日本語訳)>
イリノイ州ワトキンズにある店

<シナリオ>
ARMSTEAD'S BAR

<映画>
Armestead BAR & GRILL


原作と映画では決定的に異なること
がある。
それはエディの目の色だ。ポール・
ニューマンは実年齢35歳であり、
作品では25歳の若者を演じた。
そのニューマンの魅力は何といって
も透き通るようなブルーの目だ。

しかし、原作のエディは別な目の
色なのである。

【エディ・フェルソン】
<原作>
黒い瞳

<シナリオ>
不明

<映画>
ブルー(ポール・ニューマン)


さらに、エディの相棒のチャー
リーの名前まで原作とシナリオ
では異なる。

【チャーリー】
<原作>
チャーリー・フェニガー

<シナリオ>
CHARLIE

<映画>
チャーリー・バーンズ(マイ
ロン・マコーミック)


最初の店で飲む酒は、映画では
全編を通して主人公エディの
キャラクタを決定づける酒と
して登場した。
J.T.S.ブラウンという非常に古い
時代からある老舗酒造のバーボ
ンで、私も愛飲していたが、残
念ながら数年前の醸造所の火事
により、別場所に移転後にブラ
ンドが完全消滅した。終売。
だが、原作の日本語訳版では最
初の店でJ.T.S.ブラウンの名は出
てこない。後から出てくる。
最初の店ではただのウイスキー
となっているのだ。
原作原文には酒の銘柄が出て
こないのか、日本語翻訳者が省
略したかは不明。映画の日本語
吹き替えでは全編完璧に銘柄は
省略されている。

【酒】
<原作(日本語訳)>
ウイスキー、J・T・S・ブラウン・
バーボン

<シナリオ>
J.T.S.BROWN

<映画(英語音声および日本語字幕)>
・J.T.S.BROWN(ブラウン)
・バーボンのJ.T.S.

<映画(日本語吹き替え)>
・ウイスキー
・とびっきりの一本



バーボン1本を買うのにエディ
は100ドルも出している。
2017年現在100ドルは1万円程
だが、1961年の100ドルは現在
の10万円強程の金額になる。
ストレートプールでの勝負で
途中経過でエディが勝った金額
は1万8千ドルである。
現在の金額で2,000万円ほど。
当時の日本円に換算すると、
当時は固定相場で1ドル360円
だったので、当時の額で18,000
ドルは648万円。
2017年現在と1961年当時の日
本人の所得換算とすると約11倍
の差があるから、当時の648万
円は当時の日本人にとっては
現在レートで換算すると7,280
万円の額面になる。
ひと勝負で7,280万円。それが
エディ・フェルソンがファッツ
に途中経過で勝った額である。
(日本の低所得時代のレート換算)
実際の米国レートでは、現在
額面だと2,000万円程の額だが、
2,000万円としてもとんでもな
い大勝負の額面だ。
バーボン1本に10万円を出すの
も頷ける。
だが、ここでも、この大雑把
さがエディの敗因となってい
くことが描かれている演出だ
と読むと、かなり物語が面白
くなってくる。
ちょうどこの画像キャプチャ
ーのシーンの瞬間からエディ
が頂点からどんどん奈落の底
に落ちて行くのだ。
その分岐点のカットがこの使
い走りのプリーチャーに酒を
買ってこさせるところなので
ある。バーボン1本に10万円
も出す無軌道ぶりで。
エディのオツムのネジが外れ
て行くのがここからなのだ。

さて、時間軸を映画では最初
に戻す。
最初の店ではバーテンダーか
ら巧妙に金を巻き上げるのだ
が、そのバーテンダーが最初
にエディとチャーリーに質問
する。
ここ、かなり重要な台詞で、こ
れにより、主舞台であるミネソ
タファッツがいる大都市がどこ
であるのかが判明するのだ。
西海岸のカリフォルニア州オー
クランドからその都市に向かう
までの間の車の旅で、エディと
チャーリーはちょこちょこ賭け
玉で稼いで来た。
原作では6,000ドルも得たこと
になっている。
原作では、向かう先は全米第二
の大都会シカゴであり、そこ
でミネソタファッツとは対戦
せずに、これまでの道中のよう
に小さく数多く稼いでいこうと
チャーリーはエディに提案する
が、エディはファッツとの大勝
負が主目的だと言うのである。
映画ではすべてそのやりとり
は省略されている。
ただ、映画ではファッツとの対戦
が始まってすぐにチャーリーが
挙動不審になり、「もうよそう」
と言い出すあたりで、映画では
省略された原作のやりとりの背
景を表現演出しているのである。

そのシカゴ到着前の名もなき町
でのバーテンダーとの会話を見
てみる。

【バーテンダーの質問】
<原作>
「シカゴか?」

<シナリオ>
Pittsburgh?

<映画>
「ピッツバーグ?」

原作では明確に「シカゴ」が
出てくる。位置関係は以下で
ある。(赤丸は作品で登場す
る町ワトキンス)


ここで疑問に思うのは、原作
ではワトキンスの町でバーテ
ンダーをカモるのであり、そ
こでバーテンダーに
「シカゴか?行きか還りかど
ちらだ?」
と質問される。
原作がワトキンスであること
は、西海岸のオークランド(全
米有数の犯罪都市で治安が非
常に悪い)からシカゴを目指
す車で旅の途中ならばこれは
無理は全くない。
しかし、映画シナリオでは「ピ
ッツバーグか?」と書き換えら
れている。
この意味がよくわからない。
西海岸から車でシカゴを目指
しているならば、ピッツバー
グはニューヨーク寄りであり、
シカゴからは500kmも東に離れ
ている。わざわざ途中に寄って
小銭(100ドル=2017年現在の
レートで10万円強程)を稼ぐ
ためにより道するような距離
ではない。日本で例えるなら
ば、博多から陸路で東京を目
指し、その東京行きの途中で
道すがら小遣い稼ぎをするの
に青森に寄った、みたいな
ことになってしまうのである。

ここで気づくのだが、映画作
品では、悪人バート・ゴード
ンが裏世界を仕切る町の名、
つまりミネソタ・ファッツ
とエディがプールの大勝負を
する町の名は一切出てこない
のである。
劇中の大ビリヤード場「エイ
ムス」は、実はニューヨーク
に本当にあったプールホール
であり、そこで店内ロケが行な
われている。
もしかすると、映画作品は舞台
を原作のシカゴではなく、ニュ
ーヨークとしていたのではなか
ろうか。町の名は映画では一切
出てこないが、そうであるとす
るならば、すべてに位置的な
移動の空間的整合性の説明が
つく。

しっかりと、映画ではニュー
ヨークの町が写っているのよ
ね(笑)。
原作ではシカゴ。なのでシカゴ
としてここを描いていること
になる。
これは当時タイムリーに映画
作品を観たアメリカ人(北部
の地理に詳しい人たちでヒット
作の原作小説を読んだ人)たち
は、「???」となったのでは
なかろうか。「舞台がニューヨ
ークになっとるやんけ!」と。
舞台が大阪なのに大阪ロケ大変
だからと東京タワーを通天閣
の代わりに撮影したけど何か?
みたいな(笑)。


さて、さらに衝撃的ともいえ
る違いが原作と映画作品では
存在する。
それは、主戦場となった大勝負
の店の名がまるで異なるのだ。

映画での店。
この黒人の掃除夫のヘンリーは
25年後の続編『カラー・オブ・
マネー(邦題「ハスラー2」)』
(1986)でビリヤード場のオー
ナーとして登場する。彼はこの
店での下働きから、後に金を貯
めてプールホールのオーナーに
までなったのだった。25年後に
エディと偶然再会する。
続編は丁度25年後に撮影公開さ
れたというのが素晴らしい。

25年後に再会したエディとヘンリー。



店の名は1961年作から1986作
続編ではMcGirr's AMES から
McGeer's に変っている。この
真相は不明。
また、1961年公開の一作目が
撮影されたAMES はニューヨー
クに実在した AMESBILLIARD
ACADEMY だが、25年後の続編
では McGeer's とされているの
で、米国内でも研究者たちに混
乱をきたしている。
実際のプールホールの AMES は、
ニューヨークの160W.44th St.7th Av.
(160ウエスト44通り第7アベ
ニュー。アベニューとは、南北
もしくは東西の通りと交差する
東西あるいは南北の条のことで
ある)に存在した。
私の調査によると、ニューヨー
クタイムスその他の記事では、
1960年代後半にビリヤード場は
閉鎖され、その後、1階部分は
セフォラ社、その上にはグッド
モーニングアメリカ社と他の
いくつかのオフィス・スタジオ
が入居していたようだ。
McGirr's と McGreer's の関係お
よび McGirr's と AMES の関係に
ついては不明である。
映画『THE HUSTLER』の中には、
AMES とだけ出てくるのみだ。
これは会話の台詞と窓外の看板
に出てくる。

さて、この『ハスラー』に出て
くる肝心の大勝負の店の名前が
原作と映画作品では異なるので
ある。

AMES の外看板。スヌーカーも
あり、プールは正式にはアメリ
カ合衆国でもポケット・ビリヤ
ードと呼ばれていた歴史性が判
る。
この建物の様子からすると、2階
部分に撞球場があることが看取で
きる。

【店の名】
<原作(日本語訳)>
ベニントンズ・ビリヤード・ホール

<シナリオ>
AMES

<映画>
AMES

この店名については、原作では
深い意味がある。
それは、原作ではこの店を開設
したオールド・ベニントンと
ビッグ・ジョンは30年前に店の
3番テーブルで勝負をしたのだ。
ビッグ・ジョンはコロラド州の
コロンバスからシカゴにやって
きた若き燃えるプレーヤーだっ
たが、ベニントンにコテンパン
に負けたのだった。そして、
彼はシカゴに住みついた。

この仕事もせずに昼間から玉屋
にたむろしている風采の上がら
ないオヤジが、実は30年前には
燃え燃えの勝負プレーヤーだっ
たビッグ・ジョン(マイケル・
コンスタンティン)である。


彼は物知り顔でエディに「ファッ
ツとの勝負はやめとけよ」と親切
心から言うのだが、実は若き日の
自分がエディと重なっていたから
だという演出は、原作を読まない
と全く掴むことができない。
ただ、映画の中でもやたらと気に
なる人物である。
そして、ミネソタ・ファッツが
ビッグ・ジョンにエディのこと
を「ビッグ・ジョン。この子は
ハスラーかな?」と尋ねること
からも、ファッツからも一目置
かれている人物がビッグ・ジョ
ンであることを表現している。
なによりも私が初見の時から驚
いたのは、ビッグ・ジョンは、
エディとファッツの36時間にも
わたる死闘を最後まで観戦して
いたことだ。もちろん寝ずに。
36時間寝ずにいたのは、チャー
リー、バート・ゴードン、ミネ
ソタ・ファッツ、点数つけのオ
ヤジ、そしてビッグ・ジョンだ。
エディは途中でゲーム中に酔っ
て寝てしまい、ファッツに何度
も取りきりのワンキューで125
点撞き抜きをされている。ノー
ミスでの総取り=ランナウトだ。
その大勝負を最後まで観戦して
いるだけで、ビッグ・ジョンは
ただ者ではないという映像演出
表現がされているのである。
原作小説での最ラストは、ビッグ・
ジョンが一人玉を撞くシーンで
終わっている。

ちなみに店の名に「~'s」と
するのはアメリカ合衆国では
よくあることだ。
オーナーの名前を店の名前に
するのだ。独自の店名ではなく。
たとえば「チョーキーの」とか
「マクギアの」というのを店名
にするのだ。
日本でいうならば「山田商店」
や「高島屋」のようなものだ。
したがって、マクギアなのか
エイムスなのか米国内でも議論
があるが、実は「マクギアさん
のエイムス」という店舗名だっ
たのではなかろうか。
なので、店を表すのに「マク
ギア」でも「エイムス」でも
正解であるとすれば、25年後
の『ハスラー2』でエディが
ヘンリーと再会した時に、
「う~む、最後に君を見た時
は君はマクギアの店の床を掃
いてたよ」とエディがヘンリ
ーに言う台詞にも不自然さは
なくなる。

さて、その大勝負のプール・
ホールだが、店名だけでなく、
店舗があったビル内の階も異
なる。

【店の階】
<原作>
8階部分でエレベーター利用

<シナリオ>
不明

<映画>
階数不明、階段利用







以上、作品序盤での原作と映画
の大まかな違いを見たが、他に
も細かい部分ではかなり異なる。

面白いのが、映画ではどの作品
でもかなり多くみられる「同じ
シーンであるのに、キャメラの
カットが替わったら置かれてい
る物の位置が異なる」というも
のだ。
有名な映画では『ローマの休日』
がある。目の前の出店にアイス
クリームを買いに行くシーンで、
背景に映る時計台の時刻がアイ
スクリームを買って戻ったら数
時間過ぎていた、というもの。
これは有名だが、こうした映画
作品上での失敗は多くある。
この『ハスラー』でも沢山ある
が、その一つに次のカットがある。

ファッツに負けたエディは、失意
のうちに相棒チャーリーをホテル
に残して立ち去ろうとする。
その時に、ベッドにはエディの
キューケースが置かれている。


直後にベッドに腰かけるのです
が、なぜかケースの向きがまる
で違います(笑)。取っ手が上
向いていたのに横になってる。


こうしたことは、現場で何度
も撮り直ししているうちに、
製作者スタッフが何が何だか
分からなくなって起こること
で、映画という映像作品では
ものすごく多い出来事だ。
ポラロイドカメラが活用される
までは。
しかし、この『ハスラー』の
DVDにおいては、映画の日本
語の吹き替えでまるっきり
異なる台詞を入れてしまって、
作品をわけわからなくする
ことがされており、それは
さすがにいただけない。
その検証をしたいというのが、
今回作品を原作とも照らし合
わせてチェックする動機だった。

問題のシーンはここだ。
エディがファッツに完璧に敗北
して、ホテルになけなしの200
ドル(2017年現在額面で約20万
円程)程のうちいくらかをテー
ブルに置いてチャーリーを部屋
に残したまま訪れた早朝のバス
ステーションでのことだ。


ここで、このバスターミナル
では場内放送がされている。
朝6時前なのに完全に日は昇っ
ており、土地柄がよく分かる。
このバスターミナルでの日本
語吹き替えの場内放送が問題
なのだ。

【場内放送】
<原作>
場内放送についての記述なし

<シナリオ>
場内放送についての記述なし

<映画(英語音声日本語字幕)>
放送不明(私が聴き取れない)
/字幕なし

<映画(日本語吹き替え音声)>
「クリーブランド、シカゴ方面
の特急バスは6時に発車致します」
(女性による明瞭な放送)

英語音声は聴き取りはできな
かったが、「クリーブランド」
「シカゴ」という地名は言って
ないことだけは確かだ。
となると、である。
この日本語吹き替えの台詞は
どうして入れられたのか、と
いうことだ。
原作では、ここはシカゴのはず
である。
シカゴのバスステーションに
おいて「シカゴ行き」とはどう
いうことか。
しかも、特急で行くほどに距離
が離れている場所ということに
なる。
日本語吹き替えでは、ファッツ
と勝負したビリヤード場エイムス
の現在地をどこにしているのだ
ろうか。
バスの行先方面からの推測では、
クリーブランドが手前でその先に
シカゴがある町、ということに
なる。
となると・・・・


日本語吹き替えバージョンでは、
エイムスの店があるこの主舞台
の町はもちろんシカゴではない
のであるが、このバスステーシ
ョンのシーンでの場内放送から、
「ピッツバーグ」としているこ
とが想定される。
このこと自体は、映画の中では
一切「シカゴ」という地名が
出て来ていないことと何ら不
整合はない。
それどころか、最初の小さな
町で、バーテンダーに「ピッ
ツバーグに行くところか?そ
れともピッツバーグから帰る
ところか」とエディとチャー
リーは質問されているので、
もしかすると、映画でのこの
エイムスの町は、シカゴでは
なくピッツバーグ、もしくは
ニューヨークの設定なのかも
しれない。
少なくとも、日本語吹き替え
バージョンでは、シカゴとク
リーブランドでないことだけ
は、これは論理的に確実であ
る。
仮に映画の設定が、エイムス
はニューヨークであるとする
のならば、店舗が実際にニュー
ヨークにあり、そこでロケさ
れたので不都合はない。
となると、最初の名もなき小
さな町というのは、映画では、
ピッツバーグを基点に、ニュ
ーヨーク側の東のどこかか、
あるいは西側のどこかの街道
途中にある町ということになる。
原作のイリノイ州ワトキンス
というのはもちろん当てはま
らない。原作は目的地がシカゴ
であり、ワトキンスでは「(目
的地は)シカゴか?」と質問
されていて、シカゴまでの行き
か還りにワトキンスを通った
ことは位置的に不整合はない
からだ。
だが、映画では「ピッツバー
グに行くのか?それとも還り
か?」と質問されているので、
やはり場所をシカゴとした場合、
西海岸からシカゴに向かう途中
でピッツバーグ周辺(東西どち
らか)をうろつくということに
はかなりの不自然さがあるのだ。
小銭稼ぎで数百キロも迂回して
走る意味がないからだ。目的地
までの道程の街道筋で稼ぐのが
普通だろう。
それは映画『ギター弾きの恋』
で、主人公が車で移動しながら
街道沿いの田舎町で素人を装っ
て芸能コンテストで賞金をかす
め取ったように。
それがハスラー(ゴト師)の手
だろう。

となると、映画『ハスラー』の
舞台はシカゴではなく、やはり
ニューヨークと設定されている
ことが非常に可能性が高い。ある
いは、ピッツバーグである。
ただ、ピッツバーグとした場合、
そこは鉄鋼業が盛んで、昔から
教育文京都市であるので、裏筋
街道のギャンブラーがひしめく
ような土地柄ではないように思
える。全米で一、二を争う犯罪
都市オークランドからわざわざ
「しけたゲームとはおさらば」
したいために出てきたエディが
言う「大都会」とするには、
ピッツバーグはあまりにも健全
な町過ぎて不似合だ。
ここはやはり原作通り、アル・
カポネが存在したシカゴが一番
似合っているのだが、映画では
位置的関係から不整合が起きる
ので、位置関係を映画の中の各
設定から探ると、シカゴよりも
もっと東の都市を舞台とした物
語だろうという推測が成立する
のだ。


てなことを昨夜ふ~と考えて
いたら眠れなくなったので、
日記に映画鑑賞四方山話として
書いておく。
実際のところは、映画『ハスラ
ー』は、6週間かけて全編ニュ
ーヨークで撮影されている。
作中には「シカゴ」という場所
であるということは一切出て
こない。
そして、劇中のプールホールは、
McGeer's と Ames Billiard Academy
という実在の店舗(現在閉店)を
実名のまま撮影に使用しているの
である。
有名なホールだったので、映画に
おける場所の設定はニューヨーク
で確定事項となる。

映画でも原作でも出てきたキー
ポイントとなる町がケンタッキ
ー州のルイビルだ。
この町では、全米で最大の競馬
であるケンタッキー・ダービー
が開かれる。
アメリカン・クラシック三冠の
第一冠であり、このダート10ハ
ロンのレースを全米のすべての
騎手は目指して競馬をしている。
エディは、足が不自由な女子大
生サラと一緒に暮らしている時、
弁当を持って二人でピクニック
に行った。
そこで、エディは、自分を競馬
の騎手に例えて、自分を説明する。
人馬一体となり誰にも止められ
ない勝負の世界を繰り広げるジ
ョッキーと自分は同じなのだ、
とエディは言い、それを見つめ
るサラはエディに愛していると
言う。だがエディは「愛」とは
何かがよく解らないので答えに
躊躇する。
そのエディが自分を例えたジョ
ッキーの天王山がケンタッキー
のルイビルで行なわれるケンタ
ッキー・ダービーなのである。
その町にエディとサラとバート・
ゴードンは出かけた。富豪と大
勝負して金を巻き上げるためだ。
エディはこの地でようやく人と
して一番大切なことに目覚める
のである。
サラの自殺によって。

この『ハスラー』のラストシー
ンは、『カサブランカ』に並ぶ
映画の名ラストシーンといえる。

まるで舞台演劇のように緻密に
計算されたプロットを俳優がす
べて各人の息がピタリとあって
演技されている。役者が本当に
演技をする映画、CGでのごまか
しなど利かなかった時代の、俳
優の演技こそが劇作のすべてで
あったという時代の良質な芸術
表現をこのラストシーンに見る
ことができる。

同時に動き出す者たちと静止す
る者とがまるで「生と死」のよ
うに明暗の比喩として描写され
ているのである。

ファッツなどは、己の象徴であ
った赤いカーネーションを千切
り捨ててエディに続いて店から
出て行く。
最後はエディから「ありがとう
よ。多くを学ばせてもらったよ」
と言われたファッツもまた、エ
ディから学んだのだった。
それは自ら死んで教え残した女
子大生サラが彼らに訴え続けた

ことだった。「悪魔に魂を売ら
ないで」と。

ファッツは、自分の象徴でもあ
った勲章のような真っ赤なカー
ネーションの残り茎を自らかな
ぐり捨てて最後には店を出る。

同じ土俵で精根尽きるまで戦っ
た者同士がようやく理解できた
ことがあった。

それを理解した者と理解しよう
としない者を、ロバート・ロッ
セン監督はこのラストシーンで
見事な演出手法で描き切ったの
である。

『ハスラー』はビリヤード映画
ではない。
1961年にお化け作品の『ウエス
ト・サイド・ストーリー』と
アカデミー賞を争った作品だ。

間違いなく、歴史に残る名作で
ある。













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