1940年のディズニーのアニメ
『ピノキオ』にプールが出て
くる。
それは「不良がやる遊び」と
して描かれていた。
実際に、ポケット・ビリヤード
は賭け事としてやられていたの
が現実だったので、まともな真
面目な人たちはやらない。
紳士淑女がやったのはプールで
はなくビリヤード=キャロム
だった。
だった。
この有名なディズニーアニメで
は、1940年当時のアメリカン・
プール・テーブルが描かれ
ていて大変興味深い。
ていて大変興味深い。
それは、1940年当時の最新式
のボールリターン式なのだが、
リターンフィーディングレーン
が木製の箱型ではなく、木製の
半筒型なのだ。非常に手間の
かかった家具のような造りに
なっているのである。
ただ、この「ビリヤードなどや
ただ、この「ビリヤードなどや
ると不良になってしまうぞ」と
物語中で言われるシーンでは、
絵柄的には辻褄が合わない事
がある。
それがこれ。まあこれは12番
ボールで合ってるのだが・・・。
次のカットではボールの向き
次のカットではボールの向き
が違う。
次には玉さえ違う。
なんというか、こういう事は
実写映画でもよくあるのだが、
ディズニーもやらかしてくれ
ていた。
古い画像作品は、作られた時点
の時代背景が分かる事も多く、
古い作品はそうした観点からも
楽しめる。
「玉撞きが不良の遊び」という
のはある程度当たっていた。
1980年代でも「ビリヤードな
どやる男とはうちの娘はつき
合わせない」と面と向かって
言う親もいた。これホント(笑
プールはそれ。
キャロムは皇室も御用達だった
が、ポケットはそれ。
実際に、賭け玉バクチしかやっ
ていない連中ばかりだったのが
つい最近までの日本のプール界
だった。
プロでさえ違法なバクチに明け
暮れていたのがプールだった。
キャロムでもピン倒し等で賭博
をやっている者たちも多くいた。
自分の娘をバクチ打ちなどと
つきあわせたくないのは正解
だし、自分の子をバクチ好きな
どにはしたくないのは親として
のまともな心かと思う。
今でも、バクチ玉をやらないと
上手くならない、などという
低レベルの発想の単細胞が多く
いるのも日本のビリヤード界だ。
そのうち、礼儀も作法もそっち
のけの世界的後進国のように
日本がなるのは目に見えて
いる。
日本がなるのは目に見えて
いる。
先進国の紳士淑女のソーシャル
スポーツとして普及させようと
など今のビリヤード界のお歴々
は毛頭考えていないからだ。
そもそも、プロには給料を払う
べきところ、どれだけ会員から
の上納金を搾り取れるかしか
頭に無いのが今の日本の協会だ。
親方からして搾り取りの考えな
ので、たかが知れている。
バクチのムシリと同じ発想だか
らだ。
らだ。
そして、やたらと高額商品を出
してユーザーからむしろうとし
ている企業群がいる。
プロとは、それのお先棒を担ぐ
だけの存在になっている。
腐敗しか無い。
グローブ、カーボンシャフト、
1個3000円のタップ、88円の物
を3000円とするチョークe.t.c.
そんなものはクソくらえだ。
グローブしてカーボン使って
高額チョークをこれ見よがしに
着けて積層不適正価格タップを
使っているプロは、プレーヤー
ではなく、利潤第一の企業の
提灯持ちの太鼓持ちである。
全員。
高額チョークをこれ見よがしに
着けて積層不適正価格タップを
使っているプロは、プレーヤー
ではなく、利潤第一の企業の
提灯持ちの太鼓持ちである。
全員。
これ、構造的に間違い無い。
自分のキューで昔ながらのギア
で第一線でトップで戦っている
選手も幾人かはいるが、圧倒的
に少数だ。
要するに、今の時代、提灯持ち
たちが集まって内輪で大会めい
た出来レースをやっているだけ。
企業のお先棒担ぎとして。
日本人も情けない魂の在りかに
なったもんだ。
着帽のままコーチやトッププロ
ぶってる失礼無礼の不作法な虜
外者がでかい顔してるのだか
ら、推して知るべしの業界
なのだが。
ら、推して知るべしの業界
なのだが。
中身はこの1940年に出てくる
不良と変わらない。
いくら偉そうに指導者ぶってい
ても、自らど失礼な振る舞いを
していて、人に何を教えようと
しているのか。
そういう非礼無礼を教えるつもり
なのか。
業界の底が知れる現象が現実に
転がっている。
ああいうたわけたちは野放しだ。
それどころか、業界メディアが
持ち上げる。
日本のプロビリヤード界、終わ
ってる。
今、実はアマチュア界が面白い。
プロ登録などしないトップアマ
たちの戦いが利潤とは無関係の
ガチ勝負なので見応えがある。
名人位を何期も獲り、球聖位を
何度も獲っている選手同士が
企業の利潤の広告塔などとは
無関係で真っ向勝負する。
それが本物のスポーツだ。
勿論、プロ申請したら実技など
は無試験でパスでプロライセン
スが付与される実力者たちだ。
そこらのボウラードプロなど
よりも遥かに実力が高い。
だが、ずっとアマチュアで選手
を続けている。
そこには何かのポリシーがある。
彼らは企業のお先棒担ぎの広告
塔のヒモ付きにはなっていない。
伸び伸びと、自分の愛するキュー
を使って、トップたちは最近
売り込み商品のグローブなども
着けずにプレーしている。
本物の本質的姿がそこにある。
世の中、何が本物の「不良」で
あるのか。
よくよく考えると、見えてくる。