渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『遠すぎた橋』(1977)での監督からの重要なメッセージ

2024年06月29日 | open




リチャード・アッテンボロー
監督の大作。
英国では受賞したが、米国で
は不人気だった映画。
第二次大戦中のノルマンディー
上陸に次ぐ最大の作戦「マーケ
ットガーデン作戦」での失敗を
描いた作品なので、勝利しか好
まないアメリカ人には全く受け
なかった。
1944年5月以降の連合軍による
ドイツ本国進行作戦の一環とし
て、ドイツに続く道路にかかる
いくつもの橋を同時に確保突破
する作戦だ。
それを空からの大空挺部隊と陸
路の機動部隊と歩兵が連携して
橋を奪取確保する世紀の大作戦
として敢行された。
マーケットとは空、ガーデンと
は陸を表し、マーケットガーデ
ン作戦と名付けられた。

この映画作品は限りなく史実を
忠実に再現している。
私が高校2年の時に劇場公開前
の映画館貸し切りで初めて観た
時、非常に印象に残るシーンが
二つあった。
それは、英軍情報将校がレジス
タンスが寄せた情報により偵察
機を飛ばして撮影された現地
車両について報告したシーンが
一つ。
撮影された現地の写真には、進
撃予定ルートにドイツ軍最精鋭
のSS機甲師団が森に隠れている
のが撮影されていた。
だが、その報告はマーケットガ
ーデン作戦の副司令官によって
「これは故障車両を放置して
いるものだ」と決めつけられて
排除されてしまう。
事実を観て驚愕の眼差しだった
副司令官は、既に決定した作戦
を遂行したいがため、情報将校
の必死の訴えも、まるでその
将校が疲れているから間違える
とする態度で同情するかのよう
に一蹴した。
その後、その真面目な情報将校
は軍医によって強制休暇を通告
されてし
まう。「すでに決まっ
た事だ」と告げられて。
情報将校は涙を浮かべながら
「私は何もやってない」と呟く
が、英軍上層部から排除された。
精神病扱いにされて。

正しい事が通らない組織の力学。
なんだ?これは?!と思った。

もう一つのシーンは、マーケット
ガーデン作戦が開始され、戦闘
当初苦戦を強いられたドイツ軍
側のシーン。
作戦で墜落して目的地まで飛べ
なかった英軍輸送機を発見した
ドイツ
兵は、機内で作戦概要の
資料を入手
する。マーケット
ガーデン作戦全容を記した将校
用の情報資料だ。

そしてその報告を受けたドイツ
軍SS隊長
は大ニュースだと上官
に報告す
る。英米連合軍の作戦
全容を把握できる極秘
重要情報
だとして。

だが、上官は「これは英軍によ
るニセ情報だ」と決めつけ、真
剣に上申するSS長官(ハーディ
クルーガー)の報告を誤った物
だとこじつけで排除する。「さ
あ、まずは食事だ」と言いながら。
呆然
自失となるSS隊長。

英軍上官の失敗と全く同じ事を
ドイツ軍もやっている。
この理不尽さは一体何なのだ?
と、高校2年17才の私は思った。
それは、かなり衝撃的だった。
高校卒業後、大学で私が属した
組織はそうした組織体質は皆無
だった。ゼロ。
だが、社会人になってみて、民
間営利企業ではない法曹界(法
律事務所)に正式に就いてから
とそれを辞してから入った民間
企業時代の両時代でぶったまげ
た。
その『遠すぎた橋』で描かれて
いたような人間の理不尽という
ものが組織体の中では横行して
いるのだった。
全く映画と同じケースの状況も
あれば、あるミスを上司により
捏造されて部下が排除される事
が実行されたり、上司が為した
ミスを部下がやった事として
罪を着せ部下が突然処罰対象に
させられたり
する事もあった。
なんという理不尽。
他の組織体でも理不尽な左遷や

閑職追いやりは常にある事も知
ったし、それらは今でも続いて
いる。

そうした理不尽は社会の組織体
の中では日常茶飯事で
横行して
いるのだ。

これが日本社会かとは思ったが
思い起こすに遥か第二次大戦中
の英国やドイツでも同じだった。
どうやら人間社会とはそうした
どす黒く腹黒い連中が牛耳って
いるようだ、というのを私は社
会人になって初めて実感として
目の前に横たわる現実を知った
のだった。

その手のどす黒い「力」はどの
ような組織にも人間社会の中で
は存在している。
それは、教育界やスポーツ界や
一般企業内、公共団体、警察、
自衛隊、果ては私的サークル等
までもがそうした曇った人間の
利己心と自己中心性に貫かれて
いる。
特に組織の上層部に行けば行く
程、そうした汚いパワーが働い
ている。組織末端にはそれらを
感知させない構造と力学が確実
に存在する中で人々が生活して
いる。
その否定しようのない現実=真
実は、社会人になってから初め
て目の当たりにして驚愕した。
学生時代の組織活動においては
かなり上層部に属したが、その
手の構造は思想的に一切排除さ
れていた。組織決定は決定で従
い任務を遂行するが、その決定
においては、ありとあらゆる利
己的思惟が排除される作風と構
造を組織が構築獲得していた。
これは属した組織が特殊な思想
集団だったために、過去の歴史
から多くを学んでいたからだろ
うと思われる。
そのため、絶対に「総括」が
各自に課された。自由な「相互
批判」と「自己批判」という
厳しく自分に刃を向ける事を
組織の骨子とする集団には、私
的利己心や功名心などは徹底的
に排除されるという現実があっ
た。

組織体として極めて健全である
し、実のところ活動における物
理的対峙側面等を除外すれば
「強い組織」であった事が看取
できた。本質部分において。


だが、一般社会に出てからは
人間社会はまるで違った。
もう汚い事、汚い事。
それは企業体だけではなく、社
会のありとあらゆる「組織体」
「団体」においてそうした力学
を是として組織体を維持する事
が行なわれている現実があった。
これは本当にぶったまげた。
17才の時に観た『遠すぎた橋』
での理不尽さが現実として存在
している事実に驚愕したのだ。
戦時においては、そうした一部
の人間の利己心や功名心によっ
て何万何十万何百万という人た
ちが「死ななくてよかった」の
に死ぬことを決定づけられる。
そうした「自らの意志とは無関
係なところで決定された生存権
のはく奪」は悪であると確実に
思わせる事態と現実が、実際の
社会人の世界には渦巻いている
のである。

そもそも国家からして、国民
騙して国民を死に追いやる。
かつての日本軍の策謀もそう
であり、戦後の要人の不審死
という暗
殺が米国機関により
日本国内で実行
されたのもそ
うだ。

米国などは大統領が何回も殺さ
れても真犯人などは捕まらない
し、権力維持の為に大統領さえ
殺害する国家組織だ。
また、戦争開始の為には国民さ
え大量殺害する。
近年では、9.11などの捏造テロ
を国家自身が遂行して、国民を
大量に殺害して、かつ国民と
全世界を騙して、オイルマネー
の為に戦争を開始した。

『遠すぎた橋』ではもう一つ

印象的なシーンがある。
それは激戦地となった街では、
死んだ市民の亡骸を土嚢替わ
りに積んで行くのだ。市民たち
が。死んだ自分の息子さえも
土嚢替わりに積む。埋葬して
あげる事もできない。
ドイツ軍がそこに機甲部隊で
銃弾をあびせまくる。街ごと
英軍を叩き潰せというドイツ
軍指揮官の命令により。
孤立した英軍空挺部隊は、進
退極まり、ドイツ軍に降伏す
る。
壮大な計画のマーケットガー
デン作戦は、初期の情報を
無視した上官によって遂行
され、完全に失敗した。
だが、英軍指揮官であるブラ
ウニング中将は、モントゴメ
リーの承認を取り付け、作戦
の失敗の責任をポーランド独
立落下傘旅団の指揮官である
ソサボソフスキーに押し付け
た。
そして、ソサボソフキー少将
は戦後完全排除され、旅団長
の任を解かれて閑職に追いや
られた。
ソサボソスキーは1948年に除
隊した。
英軍内のどす黒く汚い上層部
の保身によって、作戦前から
マーケットガーデン作戦に批
判的だったポーランド人を差
別的かつ利用するだけ利用し
て英軍はぼろ雑巾のように捨
て去った。
理由は英軍元帥モントゴメリー

を批判したから、という表向
きの理由であるが、目的は軍
上層部の保身の為の生贄だった。
なお、英軍上層部は作戦前か

ら徹底的に外国人であるポー
ランド人軍人将校や兵卒を差
別的に扱っており、現代用語
でいうところのそのパワハラ
は筆舌に尽くし難いものだった。
英軍はドイツ軍最精鋭のSS機
甲師団が攻撃目標の場所に駐
屯しているという情報を握り
潰し、無謀すぎる作戦と指摘
するポーランド独立落下傘旅
団指揮官のソサボソフスキー
を排外し、「女と老人と子ど
もしかいない。そこにいる
ドイツ軍は老兵と少年兵だけ
だ」と攻撃軍の幹部たちを騙
してマーケ
ットガーデン作戦
を決行した。

そして、膨大な戦死者を出し、
作戦の目的も全く獲得できな
かったという大失敗に終わっ
たら、英軍上層部は
ポーラン
ド人のせいにして
自分らは保
身延命に走った。
日本軍の特攻を命令した多く

の軍上層部たちが戦後に逃げ
廻って自分だけ延命しようと
した実例があったが、英軍も
日本軍も質は同質だ。
だが、英軍上層部は、作戦は
失敗ではなく成功、という評
価を下し、自分らはそのまま
軍上層部に居続けようとした。
こうした点も英軍上層部と

日本軍上層部は質が似てい
る。
友軍が死地で戦っている間、
ブラウニング中将はまるで
仕立て直後のような綺麗な
軍服を着て戦地から命から
がら帰還した現場の作戦指揮
官のロイ・アーカー
ト少将を
迎えた。

人間のみにくさがよく現れて
いる。また、軍人としても
最低だ。

大なり小なり、人間社会は洋の
東西を問わず、どす黒い真の意
味での人間の悪意と悪そのもの
が渦巻いているし、それらが
絶対権力を握っている。
それは国家に始まり、教育機関
や医療機関、民間企業、公共団
体、私的サークル等の団体まで
それらの人間の薄汚い思惟と行
動が人間社会を支配している。
人間社会の真の支配者は、そう
した人間の悪意こそが実効支配
者として君臨している。
私は、その事は社会人になって
初めてきちんと現実として認知
できるよう
になった。

世の中「良い人たちばかり」と
か「そのような汚い行動は無い」
とか思うとしたら、よほどお花
畑だ。
現実は異なる。
ありとあらゆるところまで。
とりわけ「組織」「組織体」と
ると、確実にそうした人間の
悪意
が組織を支配している。
医療組織や宗教団体でさえそれ
あるのだから、もう人の世の
中、
助からない。
人の心根は、経済的下部構造に
は規定され
ない。もっと別な強
烈なファクター
により、人間の
意思は構成されて
いる。
そして、実効力としてその大部
分を占めるのは
「良心」ではな
く「悪意」である。

その悪意は宗教でさえ救えない。
キリスト教でさえ人間の悪意を
払拭する事はできない。
人間社会の「悪」と「悪意」は

人間からはどうやっても取り払
ない。
一体、人類はどうすればいいの
か。


ただ、何となくだが(極めて観
的だが)、感じるのは、人類
今後一挙的に「清算」される
が来るだろう、という事。
それは人類の消滅を伴う形で篩
にかけられる事だろう。

 


この記事についてブログを書く
« 東京の里山 | トップ | ヤマハのテック21カラー »