渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ドラマ『プロハンター』(1981)

2020年08月10日 | open



1981年の人気ドラマ『プロハ
ンター』
を観る。今観てもお
もしろい。

横浜を舞台にした現代劇なの
で、出て
くる電話や車は当時
の物だが、物語自体
は40年後
の現代でも何ら古さを感じさ
ない。かっこいい。
元刑事の藤竜也、元新聞記者
の草刈正雄
が横浜の港近くで
探偵業の事務所を開く。

そして数々の難事件を受任し
て解決して
いくのだが、二人
があくまで二枚目では
なく二
枚目半であるところが良い。

そして、草刈正雄(当時28歳)
はコテコテ
の小倉弁を素で話
している。しかもとぼけ
て人
を食うようなキャラを演じる
のだ。

草刈正雄は後年「素はコメディ
キャラ
なのに二枚目役ばかり
の役柄を演じる
のは辛かった」
と語っている。典型的な
二枚
目の役は映画『汚れた英雄』
(1982)
だろう。

このドラマでは小倉出身の草
刈正雄が
素の自分の方言で違
和感なく話すので、
伸び伸び
やれたのではなかろうか。

当時、方言を主人公がセリフ
で話す作品
は非常に珍しかっ
た。芸能界ではアイドル
は方
言が禁止されて全員が標準語
で話さ
なければいけないとさ
れていた時代だった
からだ。
唯一大阪のローカル放送のみ
「上方文化圏」として大阪
弁以外は話さ
ない、という風
習があった。

世の中でテレビで表に出てく
る言葉は
「標準語 or 大阪弁」
だった。京都弁では
なく大阪
弁。関西弁ではなく大阪弁。
1950年代や60年前後の映画作
品などでは、
方言を使っても
どこの方言なのかまるで
判ら
ないようなチャンポン方言が
よく
使われていた。あれらは
意図的だろう。

吉永小百合主演の『ガラスの
中の少女』
(1960)でも、冒
頭の山中の湖に浮かぶ
少女を
発見した地元の人たちの言葉
各地方の方言が混在してい
て、その湖が
どこであるのか
は特定できない。方言の映像
表現にはセンシティブな問題
があった
のである。
小倉弁を普通に話す草刈正雄
の『プロハン
ター』は当時の
時代としては新鮮だった。
新たな時代、1980年代のニュー
ウェーブ
を感じさせる作品の
味付けだった。

一方、藤竜也は、この役でい
わゆるニヒルな人食いの「フ
ジタツ」
のイメージを確定さ
せた。


ここで探偵の助っ人役で出て
くる柴田恭兵
のキャラと演技
もなかなかだ。

後年『あぶない刑事』(1986~)
で刑事
セクシー大下を演じた
時、ドラマの第一話
で「刑事
になる前はかなりワルだった」

と呟きながら鍵をピンで開け
るセリフが
あるが、それは明
らかにこの『プロハンター』

でのキャラのパロオマージュ
だ。

『プロハンター』の主題曲は
クリエーション
の「ロンリー
ハート」だ。これもヒット

た。いかにもヨコハマっぽい
曲だ。

『プロハンター』、懐かしい
ドラマだが
かなり面白い。
アクションシーンもふんだん
に出てくる。

アクション担当は劇団「若駒」
だ。

ほぼ全員が小林康宏刀を使う
「武劇」を
創作した殺陣師林
邦史朗氏が主宰した。

林氏は長年NHKの大河ドラマ
の殺陣を
つけていた時代劇界
の重鎮だった。

ドラマ『プロハンター』は現
在動画サイトHuluで観ること
ができる。
とにかく草刈正雄のオトボケ
ぶりがいい。
とぼけた坊やのようなドジキ
ャラなのになぜかかっこいい。
嫌味のないかっこ良さなのだ。
『プロハンター』は草刈正雄
を見るドラマなのかも知れな
い。
それと、1981年当時のヨコハマ
を。
劇画『ケンタウロスの伝説』
の頃の横浜はまさにこのドラ
マに出てくるヨコハマだった。
暮らしてわかるハマの風。
横浜は「行く所」ではなく
「住む所」と感じさせる。
国際犯罪都市だけどね(笑)。



 


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