渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

1985 GP500 Rd.5 SUGO 決勝 "3ワークス最強対決 No.1平忠彦YZRが4戦連続のポールポジション”

2024年04月28日 | open

1985 GP500 Rd.5 SUGO 決勝
"3ワークス最強対決
No.1平忠彦YZRが4戦連続の
ポールポジション”


この頃の平さんは本当に乗れ
てた。
一番良い頃だったのではなか
ろうか。
余談だが、スタート直後で4位

につけた斎藤仁さんは、当時の
国内レーシングライダーでウエ
アやヘルメットオリジナルデザ
インでは最高のセンスだった。
ジンプライスというオリジナル
ブランドを持っていて、当時
プライベーターではそうした
方向性を確立していたのは斎藤
さんが光る存在で嚆矢だった。
ヤマハ系ワークスの高井さんの
プロショップ高井も人気があっ
たが、デザインと色使いまで
含めたハイセンスでまとめた

製品群はジンプライスが頭一つ
抜けて光って
いた。
今では珍しくもない選手が経営
するファッションまで含めた
ライディングブランドショップ
だが、当時はとても珍しかった。

学生時代の後輩の二輪乗りで
局所戦の元同志(笑)は今はツー
リングマップルなる手引書を
作って出版物は売れているよう
だが、その男が平さんとの面談
の時に私にサインを貰ってきて
くれた。
その色付き絵画色紙は平さんが
一番活躍していた頃の走行画の
色紙だった。
始めた頃が同時期なので埼玉
時代の平さんの走りはよく知っ
ているが、とにかくノービスの
頃は多く転んでいた。
国際Aになってから安定度が
異様な程に増し、プライベート
ながら1982年に角川映画『汚れ
た英雄』の吹き替えをする頃に
は「この人、ワークスに行くの
では」と思った。

この映画の走行シーンは平忠彦

選手。

この映画は映画館で6回観た。
大スクリーンでの映像は大迫
力で圧倒された。
また、ビデオDVDでは数えき
れない程観ている。
シナリオと照らし合わせたら、
走行シーンは細かい出たり引
いたりの部分に至るまで、シ
ナリオ通りに本物レーシング
ライダーが演じた高度な演技
であった事を知った。
『汚れた英雄』(1982)予告篇【4KSDR】


平選手は翌年1983年に、ヤマハ
ワークス入り。

それからは破竹の連続日本チャ
ンピオンとなり、世界グランプ
リに250クラスで1986年にヤマ
ハワークスとしてフル参
戦する
ようになった。

そして、ほぼ最後尾から全員を
ぶち抜いて優勝する伝説のWGP

初優勝を決めた。
まるで汚れた英雄の北野晶夫の

ようだった。
このレースは当時タイムリーに
観て
いて涙が出た。
平忠彦 WGP250 1986
サンマリノGP感動レース

なお、今の時代、ウイニング
ランでこれをやるとペナルティ
をくらう。
走行中にヘルメットを脱いで
クールダウンラップでゆっく
り走って観客に素顔でアピール
したら。


事実、レース終了後にヘルメッ
トの顎紐を緩めただけでペナル
ティをくらった選手が最近Moto
GPにいた。罰金は数十万円から
次回出場停止まである。
胸のファスナーが開いただけで
ペナルティをくらった例も最近
あった。
マシンに立ち上がって観客に
アピールしただけで炎上騒ぎ
も世界戦で起きている。
レースでの安全は大切だが、
どうやら心狭い良市民ぶるバカ
が日本では爆発的に増えたよう
だ。何かのウィルス感染のよう
に。

なにがコンプライアンスだ。
笑わせるな。


 

 


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