渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

夏富士

2024年08月12日 | open




夏富士は雲や霧で見えない
事が多いが、今夏滞在中に
くっ
きり見えたとしたら超
ラッ
キー。
クリアな夏富士に期待しよ
う。

俺ってバカだからさ、西日
本に東京から
赴任転住した
時、富士
山が見えないので
びっく
した。いやまじで(笑
生まれてから40才近くまで
富士山が見える所にしか住
んでいなかったから、西日
本で富士山が見えないなん
て思ってもみなかった。

毎日西見ればそこにあるの
が富士山だったから。
もうね、トトさまカカさま

みたいなもの。
そりゃね、富士山が見えな
いという現実は、あーた、
月が無
くなった程におった
まげたん
だよな(笑

富士山は西は紀伊半島東端
あたりまで
しか人間は見る
事ができない。



さあ、ここで疑問が出て来る。
古代ヤマト政権があった場所
では富士山は見えないのだ。
ではどうやって富士山の存在
を知りえたか。
奈良時代末期に成立したとさ
れる万葉集には約4500首の和
歌が掲載されているが、富士
山を詠んだ歌はわずか11首だ。
やはり、当時の首都である大
和地方では富士山は「外夷」
「外(と)の物」の地にある山
だった事も伺える。
貞観大噴火(864)の頃には朝廷
の記録にも克明に富士の様子
が残っているが、4世紀頃には
ヤマト王権から富士山はかな
り遠方感覚だったのではなか
ろうか。
古墳時代からヤマト王権は現
甲府市内の豪族とも関係性を
持っていた事は甲斐銚子塚古
墳や中道往還の存在から明ら
かであるが、もっと遥か以前
の頃の富士山は日本を統一し
つつあったヤマト、統一以前
のヤマト勢力にとってはどの
ような存在であったのかに
興味が湧く。

そして、古来より「神の山」
されてきた富士山を信仰し
人々はヤマトとはどのよう
関係にあったのか。それは
一体誰
たちだったのか。
ヤマト勢力は畿内から外は
「野蛮な夷狄 (いてき)」とし
て「征伐」もしくは「征服」
の対象とみなして
いた。
これは中国から中華思想が
導入される以前からそのよ
うな思想性がみられるので、
古代の半島大陸との関係で
プチ鎖国による国風文
化成
立という日本固有文化成立
の遥か以前、中国からの中
華思
想導入の数百年以上前
倭国の頃から「外夷征伐
想」は日本には存在してた
事をも物語る。
さて、原初的に富士山を信
仰した倭国の人々はどこか
ら来た誰であったのか。
それと西日本を中心に「日
本人の中心」の勢力となった
ヤマト派との関係は如何なる
ものであったのか。

面白いよね。考えると。
富士山から見える古代史の
謎、というのも。
でもって、そうした古代史を
歴史学、考古学、民俗学、日
本古典文学、言語学、生物学、
医学等の各分野からアプロー
チして日本人を紐解いていく
と、総体
としてのぼんやりと
した実像
が見えて来る。
さらにそれは、古代王権は確
実に「製鐵」との関連性抜き
にしては解き明かせないとい
う命題に行きつく。
古代ヤマトの勢力拡大は、と
りもなおさず列島各地の古来
産鐵技術の奪取と独占という
のが最大命題であった事も
見えて来る。吉備王権の征伐、
出雲王権の傀儡服従化などは
典型だ。

倭国を征圧統一して大倭=
大和(だいわ)となったヤマト
=大和(やまと)の歴史は
鐵と
共にあった。

そして、征服された各地の王
や民たちは、ヤマトによって
鬼にされたり、大蛇、百足、
龍、鹿(しし)、猪(しし)
にされたりした。時にはダイ
ダラボッチのような怪物入道
にされたりもした。土蜘蛛と
されたりクマソやハヤトと

いう呼称で夷狄(いてき)と
めつけられた。
ヤマトの論理は「彼ら外夷は
野蛮で下劣な連中だから崇高
な我らにより征伐されて服従
されるべき者ども」というも
のだ。
この方式は「王道楽土」とい
う美名で偽装されて20世紀に
にも利用され、アジア環太平
洋大侵略が実行された歴史の
事実がある。

この日本列島で征服された
人々はヤマトに
よって虐げ
られ、あるいは
傀儡とされ、
時に最下層民に
貶められ、
時に下っ端使役
として道具
のように運用さ
れた。
そのくせ、製鐵技術を持つ
集団はそれを独占して各地
に飛ばして徴用製鐵事業に
従事
させた。最下層民とし
ての
階級を押し付けたまま。
その
場所は「別所」と呼ば
れた。

日本全国に別所という地名は
現在も残存している。
さらには、古墳を造営するに
動員した人民は古墳周辺に
守として強制集住させた。
それらを「守戸(しゅこ)」と

呼び、中世までいわゆる「賤
民」階級の一つの呼称だった。
これも古代から最下層民と
ての階級を強制した歴史の
足跡だ。その系譜は現代まで
も続く。現代被差別部落地区
(大型)が全国的に
古墳群周
辺に異様に多いの
には歴史的
なヤマトによる人民征圧史の
背景があると
いえるだろう。

ヤマトの日本統一などは美し
いものではなく、人を人と
して扱わずに虐げ、各地の
族長の持つ
生産技術を簒奪
する事によっ
て成り立って
いた。大和にとっては「殿
上人」のみが人であり、そ
れ以外は家畜と同じ物でし
かなかった。
だが、人民に叛乱蜂起を起

こされては困るので、ヤマト
は傀儡化
と同時に飴を与える
政策も忘れな
い。人民のうち
農生産部門
を負担させる被収
奪層を「オオミ
タカラ(大御
宝)」と呼称して国の宝であ
るかのような甘言を弄した。

さて、この列島では、富士山
信仰は、誰が始めたのか。
ヤマトたちからは見えなかった
(=存在さえ知り得なかった)
その山を誰がなぜ「神の山」
と崇め
たのか。
 誰だ、誰だ、誰だ~
 空の彼方に踊る影
という
ガッチャマンの歌い出
しのよう
なオハナシ。


 


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