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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

柳沢雄造インタビュー(1988)

2024年02月27日 | open

柳沢雄造インタビュー(1988)1 根本健、富樫紘樹

柳沢雄造インタビュー 1988-2 YUZO MRD



今思うに、この柳沢雄造さんが
私の
為に、コース用TZではない
街乗り用のRZR250のクロスチャ
ンバー(2本目)を
ただで造って
プレゼントして
くれて、しかも、
シリアルNo.
ではなく私の名前を
刻印して
くれたというのは、なん
だか
考えたら凄いことなんだなぁ
と思う。
私のチャンバーがノーマルで盗難、

即YUZOクロスチャンバーをつけた
一週間後
に再盗難、という事態を
知って気の
毒がって私に2本目は
雄造さんはタダで造っ
てくれた。
目にかけてくれていた。
期待には最後まで応えられなか
ったけど。

YUZOさんは死んじまった。
ユーさんの家は私の生まれたと
このすぐそばだった。たまたま。
レーシングライダーだった頃の
ユーさんは知らない。

知り合って懇意になったのは
雄造さんが世界チャンピオンに
なった片山敬済選手のメカをや
めてかなり後だ。
コンストラクターで模索してい
た頃。
ユーさんのとこには平忠彦さん
もノービスの頃には通っていた
ようだ。
石川岩男さんが死んだ時には
ユーさんは泣きながら酒飲んで
寝てしまった。
その後も、抑えた激昂型のユー
さんは同じような暮らしぶりだ
った。
私には耳にタコほどに言った。
少しでも私の街乗り2ストバイ
クの
排気管が湿っていたら。
「バイク、やめちめえ」と。
「やめちめえ」が口癖。
ただ、私が高校時分にやってい
たロードレースを進学の為やめ
て久しく、再び
レース活動再開
の意志を私の先輩
M(安田南の亭
主)から告げられたユーさんは、
れまであまり見せた事のない
顔を見せたと先輩は私に語った。
期待には全くどころかてんで応
えられなかったが。
レース再開の年齢が23というの
を聴い
てユーさんは「遅すぎる」
言ったという。
それでも、警視庁第8機動隊官舎
(8機と4機は路上でよくラグビー
して遊んだ)近く
のYUZOに行く
たびに、ユーさん
は相変わらず
「やめちめえ」を私に連発して
いた。
あれは指導だった。どうでもいい

奴には言わない。それは他の人
への対応で見ていた。

あとブーツね。
直立ヒール型ではないブーツを
履いていたら「それは駄目だと
言ったろうが!帰れ」と言う。
結構本気であの人は言う。
万年炬燵で一緒に飲みながら話
して
いると実に理知的で哲学者
たいなんだけどね。
フレームのしなりとよじれの
違いとか、めっちゃ勉強になる
話だった。飲みながらの延々と
時間を忘れる対話。

YUZOさんの裏話で面白いのが
ある。
ある時「マイクロロン」という
被膜潤滑ケミカルが発売された。
「これいいんじゃない?」と
いう事になりユーさんはTZの
エンジン組む時にピストンに
塗った。
結果、アタリがまったく出ない。
だめだこりゃ!となりそのエン
ジンのピストンとシリンダーは
ばらして研磨してマイクロロン
をすべて除去した(笑
これ実話。
「それ、もしかすっとよくない
のではないでしょうか」と塗る
前に私は
思ったが黙ってた。
ユーさんは私の顔を見ながら
「やっぱり駄目だね」と言いな
がら苦笑いしていた。

俺は雄造さんが早死にしてし
まったのは生活習慣のせいだと
思う。
だが、もしかすると、あの人の
去って行き方は、あの人らしか
ったのかとも思う。
ネモケンとか今でも健在だもの
なぁ。
ネモケンは日本チャンピオンの
後に世界
グランプリに行った。
片山さん
たちと。
ネモケンで特筆的というか歴史
的なのは、彼は慶應義塾の人と
いう事。
大学に進学するロードレーシング
ライダーなどは当時は一人もいな
かった。
これはポケットビリヤードプロ
第一期生の藤間さんと似ている。
日本の歴史で、撞球師で国立大
などに進学する人どころか、大
学進学者などは1960年代には
一人もいなかったのだ。
手に職ではないが、中学卒業し
てすぐにその道に進む人が大半
だった。
世の中、好き嫌いはあるようだ
が、私はネモケン根本さんが
編集長時代の専門誌ライダース
クラブは大好きだった。
極めて理知的で論理的な文章。
一切の私的感情を排除して物理
的な解析を淡々と進める思考法。
それ、実はレーシングライダー
の核心部分であり、ネモケンは
それを体現していた人だ。
もし、日本にモーターサイクル
の殿堂という功績章典があった
ならば、根本健さんは間違いな
く殿堂入りの人物だと私は思う。
日本のモーターサイクルの発展
への氏の貢献は著しいものがあ
る。



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