広島県三原市内の律令時代以前
に整備開通された古代の山陽道
(旧古山陽道)を車で通った時、
あまりに厳しい道なので参った。
古墳時代あたりに開かれた道だ。
やがて律令時代には約16kmごと
に駅家(うまや)が設置された。
現在も、一部舗装部分を除けば、
古墳時代と同じ面影を残してい
る。
なお、ここら一帯は超古代製鐵
である「赤土からの製鐵」に欠
かせない原料の産出エリアだ。
そして、西に数キロ下ると古墳
群エリアに入る。
超古代には、「赤土の文化」が
存在した。それは石棺内部を赤
く塗る顔料等にも使われた。製
鐵原料としても使用された。
やがて、砂鉄製鉄の導入期に、
日本の文化は「赤と白の拮抗」
という状態に突入する。
神社に赤い神社と白い神社が
存在するのは、それの名残な
のだが、古代史や考古学の観点
からそれを学術的に研究する人
は少ない。
唯一、民俗学的分野においての
み、「日本古代の赤と白」につ
いて言及されているにとどまる。
日本の歴史の真実の解明は、一
度「皇国史観」から徹底的に離
れないと、実現は不可能だろう。