直線も、このように起伏が
あったならば、なお楽しい。
この曲、ボーカルもだけど
ギターがいいなぁ。
敵を銃器を使わずに得物
で倒す時、背後から忍び
寄るにはスローフォック
ストロットで。
これは「殺」を目的とし
た現代マーシャルアーツ
だけでなく、やはり「斬
殺」を目的とした古流居
合術にもその技法が残さ
れている。
ゲームの話だよ。

(前から2台目おれ)
同学年の奴が昔職場で言って
いた。
「こないだ、そこでアメリカ
人に道訊かれてさぁ、『タノー、
タノー』と言ってるから何か
と思ったらトンネルの事だっ
たよ」
と。
まあ、TON-UP を「トナップ」
と言うようなもんか(笑
以前、職場の同僚のアメリカ
人に「なんでスピナッシュの
事をスピナッチと言うの?」
と尋ねたら、そんな事は言っ
てない、と言う。
ではこれは?と目の前の食っ
てるほうれん草を指したら、
スピナッチと言ってから、
「あ・・・」となっていた。
またある時、「なんでチャン
ピオンチップと言うの?」と
同じ奴に尋ねたら「そんな
言い方してない」と言う。
で、会話の中でWGPの話を
していて、彼が「チャンピ
オンチップ」と言ってるの
で「それそれ」と言うとま
た「あ・・・」と。
江戸もんの日比谷公園が渋
谷公園になっちまうような
もんかね。
おいらネイティブ標準語会
話者なので一切江戸訛りは
ねぇけどさ(笑
広島の事もきちんとヒロシ
マと発音できるぜ。すげー
だろ。
おいら、江戸訛りなんての
は喋った事もねぇよ。
広い地面が無いからお城の
上に明治時代に鉄道を敷設
したりした広島県だが、実
はその地形は返って逆に二
輪の走りどこは腐る程ある、
という現実に直結する。
そこらぢゅう、いたる所が
二輪走行に恰好のワインディ
ングだらけなのだ。
だが、地元や県内の二輪乗
りたちは、走りといえば有
名どこのワインディングに
しか行かず、ロードスポー
ツモデルに乗っていようと、
絶好近隣ワインディングを
流したりはしていないとい
う実態がある。
狭い決まった地場のいつも
のとこを短距離走っておし
まい。
ここは直線部もあり高速度
になりやすいので注意を要
する林間ワインディングロ
ードだ。勾配は緩い。
直線ときついRのコーナー、
高速S字と低速S字で構成さ
れている。
ただし、ここで飛ぶと救急
車が来るまでは1時間以上
は確実にかかる。市街地の
ように5分で到着、という
のは絶対に無い。
私はここは好きなので、しょ
っちゅう走っているロードだ
が、対向車も滅多に来ない場
所とはいえ、人里離れすぎた
エリアのワインディングなの
で走行には充分注意をしてい
る。
ここは、箱根の長尾峠によく
似ている。
かつて存在したローリング
族というのは、見物コーナ
ーなどで目立つ事を第一義
とした種族だった。
だが、ローリング族ではな
い峠族や走り屋は、ギャラ
リーの有無などは関係なく
ワインディングロードを走
った。
広島県。
有名どころのワインディン
グロードだけでなく、ちょ
いと内陸部の丘陵地帯に行
けばいくらでも走りどころ
がある。
だが、そうした環境である
のに、コーナリングマニア
や曲線番長をほぼ見かけな
い。
なぜだろう。
これは江戸前鮨に慣れ過ぎ
た東京もんが、江戸前以外
のスシもどきが蔓延し始め
たのを知らなかった1980年
代初期の時期に似ているの
か。
国内の歴史的経緯の事実と
しては、回転するスシもど
きが登場してからは、日本
人の多くはあれが「握り鮨」
かと誤認して思い込むよう
になった。
本物が身近過ぎて慣れ過ぎ
た東京人などはスシの変化
には気づくのが遅かった。
今や、本場本物のほうが激
減絶滅寸前になった。
近場に良い物がありすぎる
と、その貴重さに人は気づ
かない。
広島県内と岡山県内に溢れ
返る絶好ワインディングロ
ードの数々は、人をしてそ
の存在の有難さを忘れせし
めている。
あれにも似ている。
しまなみ原付専用道に地元
広島県人の多くが行かない、
というのに。
近すぎて「ふ~ん。そうな
んじゃ」程度の興味しか示
さない。
日本国内最高、最高、最大
級の超絶すばらしファンタ
スティックエクセレントロ
ードなのに。
なんだか、いろいろ勿体ない。
セカンドバイクの原付50で
2,000km程走って横浜に帰
ったら、RZ350が丸ごと盗
まれていたという現実(笑
長期留守にはご用心。
隣りの部屋のKO義塾のバ
イク乗りの奴の話では、ト
ラックで来て、ツナギを着
た人間が数人で載せて持っ
て行ったらしい。
ハンドルロックも鎖も意味
無し。
KOボーイによると、不具合
でも出て修理を頼んだのか
と思った、との事だった。
ちげーよ、それ(笑
広島県三原市。
海もあるけど山だらけ。
海に面した場所以外は一面
四方が山しかない。
遥か彼方まで山の山山。
関東地方みたいな巨大平野
は一切無し。
広島県自体は面積は広いが、
景観における視野は極めて
狭い。
小高い丘を下りて平地部に
行くと、後方から迫る山と
目の前の山までが自分の視
界領域だ。
それは極めて狭い。
視点と心構えを変えずに、
それが世界のすべてだと感
じると、それは房内に捉わ
れているのと同じく、完璧
に視野狭窄に陥る。
外の世界、別世界の存在を
知る事はとても大切だ。
一番遠くまで行ったのはボ
イジャー2号だけどな(笑
神奈川県川崎市の木月から広
島県の三原市まで。オール下
道。
今マップで確認すると780km
程だが、実際に1980年代初期
に走った時は、800kmを優に
超えていた。実走は850km程
だった。
バイパス等が現代のように完
備していなかったからかもし
れない。
給油しては最スタートを繰り
返して走り続けて、20時間強
で到着した。
原付50の規制速度等は一切無
視したが。
もしかすると原付で1日で850
kmを走った事ある奴(しかも
往路と復路あり)、日本にはい
ないのだろうか?
今の時代原付1種の50では諸
事情から無理としても、原付
2種であろうと。
日本では一人俺だけ?
過去から現在まで、一人だけ?
そんな事はないだろう。
何人も何十人も何百人もいる
だろう、きっと。
今の時代、そういう走行事実
を書いたり話したりすると、
まるで嘘をついているかと決
めつける者たちがやたら多す
ぎる。特にネット脳のSNS中
毒者や匿名の陰に隠れた引き
こもり病原体らが。
人間の質や種類が80年代とは
全く別物なのだろう。
ネットを通じていろいろ俺に
すりよって来る人間が多い。
とんでもなく多い。
今はオープンドアは閉じてい
るので直に連絡を取るのは難
しくなったので、1日8000の
来訪者があろうが、シャット
アウトできているが。
これまでの経験では、そうし
てファン顔をしてすりよって
来る人間たちの中には、言葉
の端にボロを出す者もいる。
本人は無意識なのだろうが、
ポロリとド失礼な事を口にす
るのだ。本人は全く気付いて
いない。一切気づいていない
のだが、人的質性を露見させ
る一言を言ったりする。
気を許して下手打ったのでし
ょうね。
こちらは、「あれ?」と思っ
て、それを聞き逃さず、ある
いは読み漏らさず(こちらは
文字として残るので絶対性を
帯びる)気づくのだが。
そういう人間は、全員が極め
て許しがたい事をしてから私
と関係を絶つ。そういう症例
のような言質を現出させた者
は漏れなく全員だ。これは事
実の現象として存在している。
とても判りやすい。
そういうのが何度も続けば、
いくら世の中お人よしのおバ
カさんでも気づくよな(笑
「あ~。また例のパターンね。
はいはい」と(笑
そして、その類型の人間たち
は完全に共通の事項がある。
単なる偶然ではないのではと
さえ思えるような。
なぜその属性の人間がそうな
るのか不思議なのだが、元々
がそういう人間だからそうな
るのだろう、という逆説の定
理を見るかのようだ。
非常に判りやすい経歴の例と
してそれは厳として存在して
いる。
それらの種族は、私は一切信
用していない。
信用できる要素が無い。
その人生の履歴を鑑みるにお
いて。
人を嘘つき呼ばわりする人間
は、実は本当はその者が深部
で大嘘つきである事が殆どだ。
その嘘とは、法螺や大風呂敷
や作り話の類の嘘ではない。
精神科医のM.スコット.ペック
が著書『平気でうそをつく人
たち』で指摘した嘘そのもの
の事である。
私は右と左のコーナーで
どちらかが苦手というの
は無い。皆無。
どちらが好きかというの
はある。
圧倒的に右コーナーが好
き。
理由は簡単。
左側通行の物理的な結果
として、視界が左に比べ
て右旋回は広く開けるか
ら。
あと、蒲鉾型断面による
路面のミューが減少する
右コーナーの物理特性も、
一般的には走りにくいの
だろうが、私は非常に面
白い。理論実践走行の典
型のような形で右旋回を
安全に円滑にスピーディ
ーに走る事ができる。
あくまでも私の場合は。
他の人の事はよく知らな
い。
ただ、右旋回と左旋回で
得手不得手があるとした
ら、それはまず物理的な
要因が真因にあるので、
いろいろ自分で自己検証
して精査したほうがいい
と思える。
走りにおいて曲がる方向
で苦手なものがあっては
二輪の走行上、とても危
険だからだ。
得手不得手、苦手意識は
右と左で私は皆無だが、
好みでいえば断然右コー
ナーが好きだ。
広島県内の「呉原市」と
いう架空地方都市での物
語。
昭和末期から平成初期の
時代設定。
呉原というのはロケは呉
市で行われたが、三原の
ヤッサ祭りの様子も出て
きていて、呉と三原を足
した架空都市名であると
判る。
あくまで創作物語ではあ
るが、広島県の実態はほ
ぼこれが忠実。
また、警察組織の実態も
広島県警に限らず、察庁
以下全国的にこれが普通
で当たり前。決して非現
実的な絵空事ではない。
謀略により、暴力団関係
者同士を争わせて殺害を
繰り返させた公安の人間
が、最ラストのシーンで
その遺族に事故を装って
暗殺された時には痛快こ
の上なかった。
一番汚い組織の汚い事を
やっていた人間が一般人
によって消されたからだ。
だが、ここで描かれた公
安警察の実態も絵空事で
はなく、現実もまったく
これだ。
2作とも衝撃作だが、視聴
にはご注意ください。
かなりリアルな殺害シーン
や死体が映像化されていま
す。
それは極めて「現実」を描
写するものとして。
映画作品としての出来は、
一作目よりも二作目のほう
が完成度が高い。
主人公松坂桃李の日岡刑事
が一作目と二作目で見せる
変貌ぶりも見逃せない。
まるっきり人間が異なるか
のようだが、純粋な根は変
わっておらず、二作目では
一作目で虐殺暗殺された刑
事(役所広司)の生き写し以
上に破壊的に刑事活動する
役だ。
だが、結局公安警察の手駒
の中で動かされ騙されてし
まい、それを知り愕然とす
る。あまりにもひどい。個
人的に非道な事をされただ
けでなく、一連の暴力団絡
みの殺人事件も公安が絵を
描いていたものだったから
だ。
この二連作では、一番汚い
真の悪は警察である、とい
う本物の本当の世界がきっ
ちりと描かれている点が評
価できる。
おためごかしの綺麗事で現
実の世の中は成立していな
い。
そして、綺麗事を並べたり、
人が好さそうな奴に限って
真の悪人である、という人
間界の現実の姿を真正面か
ら描写した連作作品にもな
っている。
広島市内の市街地のロケ地
は、現在は建物が取り壊さ
れて新築の別なビルが建っ
ている所も多いが、呉を含
めて私の良く知る場所も多
く出てきている。
なお、私は呉市の古い神社
の神官の血も引いている。
呉は私とも無縁の土地では
ない。
そうそう。
私たちが生きている現実の
世界でも、表向きの人が好
さそうな奴を信用したらい
けねぇよ。
手痛い裏切りと超ド汚いし
っぺ返しが必ず待っている
から。この映画で描かれて
いるように。
真に死ねばよい連中はそう
した奴らなんだけどね。
人の世にそれらはイラネ。
映画でのラストシーンでそ
の張本人が即死で暗殺され
た時には、溜飲が下がった
よ(笑
劇場で観てたら「よーし!
異議なし!」と叫んでいた
かも知れない。
日本列島における古代製
鐵の拠点は北部九州と東
北だったんだよね。
東北地区にあってはモグ
サ鍛冶との関連は無視で
きない。
俘囚の剣の流れにある湾
刀=日本刀の発祥地は東
北である可能性が極めて
高いからだ。というかほ
ぼ考古学的、歴史学的に
は確定的。
日本刀は朝廷中央が完全
支配していた西日本が発
祥ではない。東北が誕生
の地だ。
中央集権権力を嗜好する
御用学者勢ぞろいの皇国
史観で塗り固められた研
究界においては、日本刀
の発祥を中国地区やヤマ
ト勢力下の地に置きたが
るが、それは作為的であ
り、科学的ではない。
それが中世に入り、近世に
なると、一気に中国地方へ
と製鉄の中心地がシフトす
る。
日本の製鐵史においては、
古代前期の北九州と東北地
方の産鐵文化を無視する事
はできない。
一般的にいわれる製鐵とは
砂鉄製鐵が日本に入って来
て以降を指すが、それ以前
の赤土から鐵を還元製造す
るリモナイト製鐵について
ももっと学術界は着目する
べきだろう。
特に在地王権が跋扈した古
墳群の周辺地は「赤」い土
だらけの土地だ。地名でも
多くが残っている。
それは古代前期の日本独自
の製鐵、リモナイト製鐵に
深く関与している事だろう。
また、それらの古代史の中
での技術争奪を巡る戦いは
やがて「赤い神社」(反ヤマ
ト系)と「白い神社」(ヤマ
ト中央系)に分離して残滓が
現在までも続いている。実
体は形骸化しているが。
その神社の赤と白は、まさ
しく赤土製鐵と砂鉄製鐵と
の差異の象徴であり、ヤマ
ト中央権力とヤマトと拮抗
した地方の在地勢力との象
徴でもあった事だろう。
中国地方に東京から転住し
てまずおどろいたのは、鱒
族を求めて山間部に入って
行くと、あまりにもあちこ
ちに古いたたら製鉄跡が残
されている事だった。
そこらぢゅう砂鉄製鉄のた
たら場跡だらけ。
広島市街地の地面などは河
川上流山岳部での鉄穴流し
(かんながし/かんなながし)
という砂鉄鉱脈掘削での河
川への土砂流出による堆積
で土地が形成されたという
のも頷ける。広島の中州だ
らけの地面は中世末期から
江戸期以降に形成されてい
る。特に江戸期に広島城が
築城されて以降の土砂堆積
がひどい。
たぶん、当時は濁り切った
茶色い水が何年も何十年も
広島城周辺の多くの川に流
れていた事だろう。
現在、全国的にも珍しくア
マゴの航海型であるサツキ
マスが広島市内の川を遡上
するが、その姿が江戸期と
中世以前にもあったかどう
かかなり疑問だ。
山岳地において製鐵産業が
起きる以前は、文字通りの
清流が河口まで続いていた
事だろう。
砂鉄採取の山崩しによる土
砂流出は、荒ぶる川、赤茶
色に染まった川として、オ
ロチ伝説の一端にもなって
いる。
また、山岳上流部の産鉄民
と中流より下の農民たちと
の間での川の水を巡る対立
トラブルは古文書などにも
記録されている。
農業の米の生産に甚大な影
響を及ぼすほどに山岳地域
での山崩しによる砂鉄採取
は環境問題として古い時代
から存在していたのだった。
やがて産鉄民たちは、ヤマ
ト王権によっても、また在
地の民たちによっても、ダ
イダラボッチにされたり、
大蛇のオロチにされたり、
鬼や鹿(しし)など、悪の対象
としてのレッテル貼りで蛇
蝎のように嫌うべき対象、
として創り上げられた。
そうした事が公的な記紀だ
けでなく民間伝承で風土記
としても残されて来た。
日本国内における「鬼」の
存在は、ほぼすべてがヤマ
ト以外の旧来からの在地産
鉄民たちそのものだ。
それらをヤマトが成敗して
「悪者」をこらしめ、やっ
つける、という方式でお話
が創作されて後世まで残っ
た。
このヤマトが始めた日本固
有(元々はヤマト中央も異民
族だが)の排除排外主義は、
その後の千数百年以降も現
代の日本人が大好きである
差別排外主義の形成の土台
となっている。
人間の心さもしい排外主義
はヤマトが開始した。
アダムとイブが当初は純粋
無垢であったように、イザ
ナギとイザナミも最初は無
垢であっただろう。
だが、神話はともかく、実
態として日本の排除排外主
義を開始して徹底的に実行
したのはヤマトであり、そ
の核は現代の日本人にも強
烈に残存している。
日本人は友も血を分けた子
だろうが親だろうが血脈だ
ろうが平気で裏切る。己の
利己的な利益や欲を大切に
する事のみに忠実で。
残念ながら、それが現実だ。
人や事象を悪者にして排除
排外排斥するのが日本人は
古代から現代まで大好きな
のだ。
それはヤマトによって人民
の精神に刻み込まれた。
ヤマトを信奉し、その末裔
たちを崇め奉る現代人の多
くは右翼とか右派とかネト
ウヨとして現代では形成さ
れているが、彼ら自身の徹
底した排外主義的質性を見
れば、その実態こそが実体
である事が誰でもすぐに理
解できるだろう。
バイクで中国地区の山岳部
を道行くのはかなり個人的
には面白い。
あちこちで砂鉄製鉄の痕跡
に出くわすからだ。
そして、そのエリアは日本
海水系のヤマメも瀬戸内海
水系のアマゴも豊富に棲息
している。イワナのゴギは
元々日本海水系に棲息して
いたものを大正期に瀬戸内
海水系に移殖して自然繁殖
したので、生態系自体は崩
れている。
中国地区を走っていると、
いたるところに製鉄遺跡が
あるので、日本刀好き、歴
史好き人間にとってはたま
らない。
自動二輪でフラリと走って
いると、こういう遺跡や保
存施設が現れる。
こたえられないぜ。ほんと。
これは刀好きにしか解らな
い事かも。
偶然見つけてたたら場跡を
見学したが、とてつもなく
感動した。
うちのMCハチコマもいつも
のドッキューン!走りばか
りでなく、元々が日本刀愛
好者団体であり、刀術者集
団でもあるのだから、こう
いう所を巡り走る旅なんか
を企画出来たらいいなぁ、
とかふと思ったりもする。
伊勢正三の『夏この頃』を
聴きながら(笑
夏この頃 かぐや姫
刀剣と製鉄研究の盟友でも
ある日本刀研究者大村氏の
サイト。
たたら製鉄とは何か
私とは別な見解、視点から
日本刀と製鉄を研究されて
いるが、切り口は違えど、
とても勉強になる。
視点と解析方法は違えど、
同じ古代からの日本の鉄文
化を研究する同好の士だ。
ご先祖は幕末に有名な蘭学
塾の門下だった。
氏のサイト記事には、私も
氏から要請されて刀工小林
康宏師の関連で一部寄稿し
た。書籍として出版もされ
ている。
異邦人 - 久保田早紀
1979年12月、年の瀬も迫った
「ザ・ベストテン」登場が初
登場だった。
タイムリーに観ていた。
あまりの美人で驚いた。
楽曲性もそれまでになく、こ
の人の後に80年代の地中海ブ
ームが大きく広がった。
透き通るようなイメージの人
だった。
敬虔なバプテストのクリスチ
ャンでもあった。
今回、先週の走行記録をま
だ書いてないや。珍しく。
走行記録は自動二輪の場合、
40年以上前からつけている。
航海日誌みたいなもん。
二輪乗りの求道(ぐどう)者
になりたいと思った時から
書いている。
どの道をどのルートで走り、
どこがどうだったかを記録
している。フライフィッシ
ングの釣行日誌と同じく。
出発時間と帰還時間、走行
距離も出発前と帰還時をメ
ーター表示から記録する。
給油量と燃費計算も記載す
る。
走行内容についても、マシン
の状態やロードの具合、ど
ういう走り方をしたか等を
具に記録してある。
PCは1980年代中期から使っ
ているが、走行記録はPCな
どは使わない。デジタルデ
ータ信用してないんで(笑
日本刀学習ノートと同じく、
すべて手書きだ。
メンテ記録もすべて手書き。
事実を詳細に書いて、所見
も書き添えてある。
やった事だけでなく、考察
についても記述して残して
いる。
原付等では皆無ではないが、
それはあまりやらない。
ただ、ビーノの記載の項で
は2019/8/5までの記録で、
以下の記載がある。
【これまでのヤマハビーノの
自主整備記録(チューンナップ
やセッティング詳細は含まず)】
・ステム周り/オーバーホール
・燃料タンクおよびパイプ類/
洗浄、点検
・キャブ/オーバーホール
・インテークマニホールド/
新品交換
・エアクリーナー/ボックス
洗浄、マット交換
・プラグ/随時交換
・ギヤオイル/随時交換
・2ストオイル/ヤマハ青缶
随時補充、ゾイル添加
・バッテリー/新品交換
・フロントサス/左右新品
交換(社外品)
・リヤサス/新品交換(社外品)
・タイヤ/前後新品交換(随時)
・ミラー/新品交換
・シート/新品交換
・マフラー/中古純正良品に
交換(規制前触媒無)→社外品
新品交換
・センタースタンド/切断、
SUS丸棒溶接延長
・タイヤ/サイズアップ
・ボアアップ&登録
・その他、駆動部含め各部検
査、給油、調整、適宜部品
交換
・ブレーキシュー/前後交換
・ウエイトローラー/新品交換
・ベルト/新品交換
2019年以降も、ビーノはか
なりパーツ交換および手を
加えている。
特に、ことしに入ってから。
電子系・電気系に至るまで
チューンナップも試した。
いじり倒し。
昨年は春から年末まで人に
無償譲渡したら、壊されて
後ばらばらにされて8ヵ月間
放置されていたので、回収
して私自身がレストアした。
人に物など、まして愛車な
どはあげるものではない。
車が走れている時も一度も
洗車どころか布で磨く事さ
えしない人だった。二輪に
ついては結構大層な事を言
い続けていたので、そうい
う実体だとは知らなかった
私の間抜けなミス。
その後、回収後にエンジン
まで含めて完全に私がバラ
して直して、最高速セッテ
ィングにしたら爆速だった
が、4月に最高速出し続け
て走行したら焼き付いた。
なので、ボアアップ腰上一
式を再度新たに組んでから
500km程ナラシをひと月程
で私自身が完了して現在に
至る。
現在超絶絶好調。
今後の課題は熱対策。
自動二輪は航海日誌のよう
に走行日誌を残している。
当然、自分自身の走行技法
と見識の深度進展の為であ
り、非公開。
まあ、まとまった物は虎の
巻ならぬ猫の巻みたいなも
ん(笑
刀術についても、実践を通
してまとめた膨大な記録と
書き物があるが、こちらも
非公開。
善鬼のように甕に隠れて口
に咥えてまで欲しがる者は
いないだろうから、このま
ま死滅して野に埋もれて行
く運命の書き物。
きょう、国道バイパスで乗
れてるねーちゃんを見たよ。
乗れてるねーちゃんは久し
ぶりに見た。カッチョいい
ね~。
最近では男でもガッチガチ
の石仏大仏地蔵載り、てか
載せられマンが多いのに。
ねーちゃん、カッチョいく
て、見ていて気持ちいい。
ピューンとバイパスで抜か
して走って行った。
そういや、その街道で、上
り側を走っている時に目の
前で追突事故直後に出くわ
した。
運転者が下りて電話中で救
急車とか手配してたみたい。
追突された運転者は大丈夫
そうで、助手席に移動して
いた。下りて手助けする程
ではなかった模様。
帰りには、同じ街道で下り
線を走っていたら、やはり
上り線で四輪車が横転して
真横向いて道路の真ん中に
立っていた。ドミノみたい
に。警察が来て処理してい
た。
どういう事故なのだろう。
皆様も、どうか安全運転で。

カラーリングというのは
まあ、今の自分の399ccと
は549cc程差はあっても、
峠では全く差はつかない。
むしろ、場所場所によって
は399ccのほうがフルオー
プンで速く走らせられる。
ヒラヒラ感はあまり変わら
ないけど、パワーを使い切
る時のシーンとして。
長距離行く時だろうなぁ。
差が圧倒的につくのは。
200オーバー時とかではな
く、TON-UP巡行時と距離
でのエンジンへの負担度
とかで。
まあ、街中と400km以内の
ご近所走りでは、ホゲホゲ
と乗ってる399ccで充分かな。
でも、このカラーリングは
ズバーンと直球で来るんだ
よなぁ(笑
ミットに収まってからも何
かズビビビビッと余韻が残
るような感じで。
