
たった今、「釈迦内棺唄(しゃかないひつぎうた・作=水上勉、劇団希望舞台)を観てきました。
以前、前進座の浅利香津代さんが主演して公演が行われたことがありますが、残念ながら未見です。今回は、有馬理恵さん(俳優座)の主演の劇団希望舞台の公演でした。有馬さんは、ライフワークとして演じ続けています。劇団は、作者の水上勉氏と千回の公演を約束したそうです。今日は、387回目の公演でした。
オンボ(隠望)という言葉を久しぶりに聞きました。オンボとは、亡くなった人の死体の埋葬を職業としている人を指す言葉で、今では、死語となっていると思われます。日本では、古代から死を穢れとして忌み嫌ってきました。そのために、死体を扱う人を差別してきました。オンボというのも、差別語とされてきました。
幕が開くと、そこには火葬場の炉の場面がいきなり現れて驚かされました。真ん中の特等の炉の中から主人公の薮内ふじ子が登場します。炉の中にこびりついた人間の油をそぎ落としていたのです。亡くなった父親の為に、炉の掃除をしていました。彼女が火葬場の仕事を継ぎました。社会から差別され続けてきたふじ子の言葉で劇が進行していきます。そして、回想の場面では、酒を飲まずには仕事をやっていられなかった父親の弥太郎と、貧しい家に生まれ、足の悪かった故に弥太郎の許に嫁いだ母親のたね子、そして二人の姉が登場します。彼らも、また、差別され続けられる人生を送っています。そこへ、近くの花岡鉱山から逃亡してきた朝鮮人の崔東伯がやってきます。
釈迦内というのは、花岡の近くの町の名前です。花岡鉱山では、虐殺された崔さんのような思想犯や中国人が過酷な労働をさせられていました。食べ物も十分与えられることもなく、やがては花岡鉱山事件が起こります。こうした鉱山や花岡事件のことに関しては、当然、右派の人やネット右翼は完全に無視しています。麻生首相の父親も、外国人捕虜を麻生鉱山で働かせていました。戦争中の日本をなんとか正当化しようとする人々は、都合の悪いことには口を閉ざしています。こうした事実は、特に、若い人に伝えていかなければなりません。
底辺に生きた人々の心の優しさを描いた作品です。朝鮮人の崔さんへの薮内一家の思いも、差別された弱い者同士の心の通じ合いを感じさせるものでした。崔さんの火葬を拒んだ父親の思いと、代わりに火葬をすることになる母親の思いは、悲しみ、怒りをうちに抑え込んだものでした。
主演の有馬さんの公演でのエピソードが新聞(しんぶん赤旗 3月6日)に載っていました。松山の公演では、チマチョゴリを着た十数人の在日朝鮮人の女子高生たちが、崔さんが殺され焼かれる場面では号泣していたそうです。有馬さん達出演者も舞台上でもらい泣きしながら演じました。
長崎での公演では、角刈り頭や服装から、観客のほとんどが右翼か、右翼の人かと感じたそうです。いつもは拍手が起こる『天皇さまはおらと同じべ』というセリフでは、客席がシーンと凍ってしまったそうです。その時は、椅子が飛んでくると思ったそうです。父親が死んだ人間の灰をまいて、コスモスを育てていました。父親が『この花はおっ母かもしれねえな』『この花は朝鮮人の崔さんかもしれねえ』と亡くなった人たちの名前を言っていたという場面も済んで、幕が下りてから、恐る恐る打ち上げ会場に言ったそうです。そしたら、すごい拍手で大歓迎されたということです。
公演は、この後、14日にはさいたま会館、21日は長野・上田、その後、東京・町田、神奈川・鎌倉と各地を巡演するそうです。水上先生との千回の上演という約束を目指して、この作品の思いが一人でも多くの人に伝わることを希望しています。