膨大な著作群
例えば:
「音楽芸術」巻頭の「カイエ・ド・クリティク」---当時よく理解できない部分もあった。
70年代---毎月の配本が楽しみだった白水社の全集。
イメージは、同じころに読んだ H. シュトゥッケンシュミット「20世紀音楽」(平凡社世界大学選書)の表紙。
翻訳ではあるが、いかにも氏らしい文章になっている。
「第3楽章あたりから、単に音が鳴っているのではなく、それこそ音楽が流れ出した」。その批評は自分が感じていたものと一致していたため「吉田秀和という評論家は、よく音楽をわかっているヒトだ」という----当たり前のことなのですがね---生意気なことを友人に話したことがあった(背伸びしたい時期の若気の至り)。
これが最初の吉田秀和体験。
渡辺曉雄が指揮する京都市交響楽団による、モーツァルトの交響曲41番とファゴット協奏曲、そしてシベリウスの交響曲2番というプログラム(東京文化会館)の演奏会評のこと。
渡辺曉雄のシベリウスは当時から定評があり、日本フィルを指揮したレコードを愛聴していた。オケはちがうものの実際に接したその演奏(シベリウスにしては、オケはやや音が細かったが)はいまでも記憶に残っている。
92年ごろの冬の晴れたある日、暖かそうな外套(という表現がどこかぴったりする)を着た氏が、鎌倉小町通りから少し入った扇ガ谷を奥様と一緒に散策されているのに出会ったこともあった。
どのような人か
音楽を、「音楽」の狭い枠に閉じ込めることなく、広い視野をもってとらえ、演奏とは別の立場----教育や現代音楽の啓蒙活動、そして評論など---からアクティブに音楽に取り組んだ人といえるだろう。
昨夜の放送では、こういったことが確認できただけでなく、90歳を越えてなお、瑞々しい感覚と明晰な頭脳を持ち続けておられるその姿を見ることができたのは、驚きを越えて、一種の感動すら覚えるものだ。
とても正直な方なのだなと思う。
ホロビッツ骨董騒ぎについて、ご本人にとって「過去の実績や評判、さらにはイメージといったものに左右されることなく、単に、その時に感じられたものを、そのまま表現しただけ」なのであろう。ある意味で、しごく真っ当なことであり、周りが騒ぐほど大きなものとしては思っていないようである。
音楽批評として身近なところでは朝日新聞の「音楽展望」。
「音楽展望」というタイトルでありながら、音楽については、終わりの方でほんのわずか触れる程度で、ほとんどは印象派の画家(たしかマネだったか)について書かれていたことがあった。氏だからできた、ということもあるだろうが、そこに書かれているのが、美術がテーマであったとしても、その深いところで音楽にもつながるものがあることを示されているように思う。
これは、氏が音楽や美術、文学(そして悠治に揶揄されもした?相撲)を、ヒトの様々な営みの表現の一つとしてとらえ、しかもそれらは、個々に独立するものではなく、お互いに関連しているものとして受け止めておられるからであろう。
言葉を非常に大切にしており、書いた文章に手を入れるのが好きだとのこと。また引用する譜例も自身で五線紙に写され、それを切り取り、原稿に糊付けされていた。
氏の文章から感じられる「温もり」の秘密は、このあたりにあると改めて思うのだ。
そんな氏から見ると、最近の音楽評論が「レポート、報告のようになっているのではないか」という指摘は、鋭く核心を突いていただけでなく、音楽評論の今後にとって大きな示唆でもある。
NHKのTV番組「女性手帳」で、5日連続して音楽について話をしていたことがあった。氏はそのときピアノで「エリーゼのために」を弾かれ、この曲の魅力について話をしていたのが思い出される。