6月4日木曜日 朝7時 ↑コレですよ 昨日の夜、往復250kmの距離を走って取り戻した買ったばかりの55-200の望遠ズームレンズ
35ミリ換算にすると82-300なので
200側にするとかなり引き付けられます。
うわっ 汚っちゃね~っ
昨夜 高速を制限速度+αで激走したので かなりの虫がロードスターのフロントバンパーにダイブされています。
ここから30分ほど運転して長崎港に移動します。
いよいよ軍艦島上陸ツアーの開始です 楽しみ~ コレは今回の旅行で絶対に押さえたいポイントですからね
事前にヤホーで 軍艦島 ツアー とアンド検索すると この4会社がヒットしてきました。
軍艦島コンシェルジュ
やまさ海運株式会社
軍艦島クルーズ
軍艦島ツアー
今回利用したのは やまさ海運株式の軍艦島上陸周遊コース
09:00長崎港発 → 09:30軍艦島着 → 10:30軍艦島発 → 軍艦島周遊 → 11:30長崎港着
1時間の間、上陸して 軍艦島を見学できます
決められた見学コースがあるので、廃墟の中に立ち入ることは出来ませんが、
廃墟マニアの聖地みたいな所ですので楽しみですね
長崎の山にへばりついたように建っている建物、 XT1には望遠ズームを付けっぱなし、
望遠で撮ると圧縮効果がありますね。
55側で撮る 新型タンカー タンカーの上部にカバーを付けることにより、燃費が向上するらしいです
先ほどのタンカーを200側で引き寄せます。 昨夜 無駄に高速走って 正解ですわ
横には色違いのタンカーも
あっ マンションの新築工事と思うでしょ?
三菱重工業長崎造船所立神工場で作っている 豪華客船なんですよ こっから見てもビルにしか見えへんでしょ
長崎には教会が多いんですよ 神の島教会とマリア像
伊王島の沖ノ島天主堂
飛島磯釣り公園
長崎港を出て25分後 見えて来ました 端島 通称、軍艦島
1810年 石炭が発見され 佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが、
1890年 三菱合資会社の経営となり、本格的海底炭鉱として操業が開始されました。
出炭量が増加するにつれ人口も増加し 狭い島で多くの人が生活するために
1916年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され
最盛期には約5,300人のもの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度まで達しました。
島には小中学校や病院、寺社、警察、映画館、理美容院、パチンコ店などがあり、
無いのは墓地と火葬場だけといわれるほど完結した都市でした。
高台に建てられたRC構造4階の幹部用職員社宅 島で惟一風呂付きの間取りです
1950年代 家電3種の神器 白黒テレビ 冷蔵庫 洗濯機 全国平均10%の時代
ここ軍艦島では100%の普及率を見ると炭鉱というものが国策で優遇されていたのでしょう
エネルギー革命により エネルギーの需要が石炭から石油に移った事で
出炭量も人口も徐々に減少して1974年1月に閉山した後は同年4月に
無人島になりました。
ドルフィン桟橋に接近、船員が桟橋に降りて船の着岸用意です。
岸壁の杭にロープが括りつけて船が引き寄せれます。
外海なので、数回に一回大きなうねりの波がやってきます。
大きな波に船が上下して、手馴れているはずの船員さんも着岸に手こずっています。
船員さんの作業が止まっています。 えっどうしたんやろ
なんと うねりがキツいので今回は上陸を見送るっていう館内放送が、
(´Д`)え~っ ここまで来て上陸できないん
船は無情にも桟橋から離れて行きます。
先ほど着岸を試みたドルフィン桟橋 今見ると波穏やかなんですけど 数回に一回大きなうねりが来るっていうことで
上陸中止となり 軍艦島の周りを回る周遊コースに変更になりました
ツイてへんわっ
もともと軍艦島は現在の3分の1ぐらいの大きさだったのですが、周りを6回にわたって埋め立てる形で
護岸堤防の拡張を繰り返し 今日の島の形状になりました。
鉱山の中枢であったレンガ造りの建物は総合事務所で 大きな共同浴場があり 浴槽はいつも真っ黒だったらしいです。
設備の修理やメンテナンスをする仕上げ工場
電気や水道の確保は 軍艦島では切実な問題でした
電気は当初、島の自家発電で供給されていましたが、
人口の増加などに伴い 電力不足となったため 1918年 高島から海底ケーブルが敷かれ 送電されるようになりました
また 飲料水も当初は海水を蒸留していましたが、のちに給水船で運ばれるようになり
高台にある貯水槽に蓄えられ、数カ所の共同水栓から配給されるようになりました
風呂の水は海水を沸かしたもので、上がり湯だけしか真水を利用できませんでした。
1957年には対岸の三和町から6,500mの海底送水管が敷かれ、送水されるようになりました。
ここから見た姿が軍艦に似てるような気がするのですが、
軍艦島を時計の中心とすると時計回りに7時か8時くらいの位置から見ています。
島の灯台は閉山して翌年 建てられました それまでは 24時間灯りがついていたので必要なかったのです
この灯台だけが、今も動いているのです。
昭和30年代からプロパンガスが利用されましたが、 それまではかまどを使っていた為、アパートには煙突があります。
1981年から1947年の閉山まで約1,570万トンの石炭を採掘しました
海底炭鉱である採掘作業は、海底下1,000m以上の地点にまで及びました。
海底炭鉱は勾配もきつく 気温30度 湿度95% 悪条件のもと ガス爆発など常に危険と隣あわせの仕事は
とても過酷なものでした。
木々を育てる場所が無かったので、屋上に土を運び 花や野菜を育てました。日本初の屋上菜園だったと言われています。
台風と嵐で窓ガラスというガラスは見る影もありません
凄まじい 姿です、
時間が完全に止まっています。
左上の三角屋根の建物は端島神社です
最盛期5,300人が暮らしていた住居群です。
人々が豊かな暮らしをしていた、栄枯盛衰を感じる廃墟群
手前の建物は端島病院 危険と隣合わせの炭鉱夫や家族の健康を守っていた場所ですね
端島小学校 1958年に建設された7階建てで1階から4階まで小学校 5階と7階が中学校
6階は講堂、 図書館 音楽室 7階には特別教室があり、島で唯一エレベーターがある建物です。
校舎の手前にはグランドがあり 大勢の子供達が遊んでいたと思います
当時 今のこの光景を誰が予想したでしょうか
長崎港に戻ってきました。 ネットで調べたら6月上陸率90%なので、2回目はなんぼなんでも上陸できるでしょ
お昼なので長崎の四海楼でチャンポン食ってから、船会社を替えて昼から軍艦島上陸再度挑戦致します。
軍艦島の記録
祝!世界遺産勧告! ドローン空撮 軍艦島~Battleship Island~