1日1日感動したことを書きたい

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人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「怖い絵3」(中野京子)

2009-11-05 19:25:21 | 
 「怖い絵3」(中野京子)を読みました。「怖い絵」「怖い絵2」に続く、とてもおもしろい怖い絵のお話です。ボッチチェリのビーナスの誕生やミケランジェロの聖家族など、20の作品が紹介されています。絵が描かれた歴史背景の考察がとてもおもしろかったです。

 自らが肥え太るために、搾取し、人間の尊厳を踏みにじり、貧しい者たちを再生産していく権力者たちの怖ろしさ。愛に随伴する憎しみ、嫉妬、苦悩、復讐心。貧しさから抜け出すために幼い少年の睾丸を切除して「カストラート(少年の声のままの男性オペラ歌手)」として育てようとする親の非情さなどなど。人間の心がとても怖ろしいのです。

 この本を読んで、プラド美術館に行った時、ゴヤの「マドリッド、1808年5月3日」の前で、しばらくうごけなくなったことを思い出しました。


    
 筆者は、ゴヤの「マドリッド、1808年5月3日」について、次のように解説しています。この一節が、この本のハイライトなので、少し長くなるけど引用しておきます。

 「画家が彼らの側に立ち、彼らと一緒に死を前にして怯え、苦しみ、絶望し、何より烈しく怒っているからだ。度重なる外国からの侵略に、政治の無策に、血の犠牲に、神の沈黙に、心の底から憤激しているからだ。のたうちまわるゴヤの魂が、画面から血を噴くのが感じられるからだ。だから胸を衝かれる。この絵を前に金縛りになる。
 これは遠い過去の、異国の、自分とは無関係な事件だと、突き放せる人はそうはいないであろう。愚かしい歴史のくりかえしとして、人間に共通の悲劇として、迫りくる死への恐怖として、この絵は普遍的意味を帯びた。傑作とは、つまりそういうことなのだ。」

 ベトナムでカンボジアで。そしてイラク、パレスチナで。いまも繰り返される悲劇が、あの絵の前で、僕を金縛りにしたのですね。

 ホガーズの「ジン横丁」(1751年)とゲインズバラの「アンドリューズ夫妻」(1749年)。


      ジン横丁


     アンドリュー夫妻

 同時期にイギリスで描かれた二つの絵の解説も目からうろこでした。「アンドリューズ夫妻」が所有する広大な農地の中にどうして農作業をする人がいないのか?「ジン横丁」の人々は、どうしてこうも悲惨な状況に置かれているのか?この二つの疑問を、筆者は、二つの絵が描かれた時代を考察することで明らかにしています。
 18世紀中ごろというと、産業革命がはじまったころなのですが、農村では大地主(アンドリュース家もその一つ)による「土地の囲い込み」が進んで行きました。農民の多くは、「囲い込み」によって農地を奪われ、農繁期にだけ農業労働者として働くという生活を強いられました。農村での生活が困難になった人たちは、次第に都市へと流入していきます。「ジン横丁」の悲惨な民衆の姿は、大地主によって土地を奪われ、農村から都市へと流入せざるを得なかった人々の姿なのです。

 この他にも、ミケランジェロの「聖家族」のヨセフはどうしてこんなにも年寄りに描かれてるのか?ボッチチェリのビーナスの顔の右半分と左半分の大きさ違いは何をあらわしているのか?などなど。なるほどとうなづく解説がいっぱい詰まっておりました。怖い絵シリーズの最終編。とてもおもしろかったです。




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