4月のコブシ(辛夷)、5月のタムシバ(田虫葉)、いずれもモクレン科で学名にMagnoliaという名前がついている。樹の下から咲き誇るそれらのマグノリアの花たちを眺めると、その清楚のすがたに安らかな心地を覚える。
毎年、マグノリアたちに出会うと、
賢治さんの不可思議な「マグノリアの木」という童話あるいは仏教説話を読む。
このお話で、賢治さんは「マグノリアの木は寂静印(じゃくじょういん)です。」と書いているので、賢治さんもコブシやタムシバの樹の下でなんともいえない安らかな気持ちになったのだろう。
物語は、険しい峰々をいくつも苦難の末渡って来た主人公がやっと頂上と思しき平坦な場所に辿り着き、そこに立つマグノリアの木の下で聖者のような男と出会う。上の会話はその時のもの。何やら、われわれ登山者が苦しいルートを登りつめて山頂に立った時と同じ心地。
だが、物語はそう単純な話ではない、マグノリアは頂上よりもむしろ険しい山谷にいっぱい花を咲かせているという。そして聖者は、「その平らかさはけわしさに対する平かさだ。」という、だからマグノリアは寂静かだという。この物語のむつかしさは、この不可思議な論理を理解することにあるが、何度読んでも理解できない。だから、コブシやタムシバと出会うたびに、オイラはこの童話とも説話とも言い難い物語を毎年読み続けるのだろう。
ちなみに、今日図鑑で覚えたこと。コブシとタムシバの見分け方。コブシは花が開いているとき、花の下に葉を1枚つける。きのう青葉山で出会ったマグノリアは、間違いなくコブシだ。
賢治さんは、
「サンタ、マグノリア、枝にひかるはなんぞ」
「天に飛びたつ銀の鳩。」
と美しいレトリックを用いている。
(その銀の鳩が、遠いウクライナまで飛んでいきますように、合掌)
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