学期末である。
今年度は三年振りにコロナで翻弄されないで授業が行われた。
あと少しで中学校の美術の授業ともお別れになるだろうから、色々と美術科の授業について書いておきたい。
今回は美術科において、ペーパーテストが必要か問題である。
私自身は教師生活40年近くでペーパーテストを行ったのはたった1回である。
しかも新任の頃に「実力テストを2日間にしたいから実施してほしい。」という今から考えたらとんでもない理由で訳も分からず行った。
そして結果、あまりのばかばかしさに点数の所を切り取って生徒に返却した覚えがある。
それ以来現在に至るまで一度も行ったことがない。
幸いというか皮肉にも新任校もほぼ一人配置だったし、以後たまに2人体制も経験したが、しなくても何も文句は言われない状況だった。一度すごく生徒指導が大変な学校で2人体制の時にもう一人の先生は実施していた。
私が新任の頃は中学校の美術の授業は週に2時間あった。それからあっという間に減らされて、1年生で1.3時間、2,3年生で1時間になってしまった。
そんな中で美術科のペーパーテストがどんな意味があるといのだろう。
今学期私が受け持った3年生の授業時間は一番少ないクラスで1学期で10時間だった。多いクラスで12時間。
例年なら他教科の授業をもらってでも12時間に合わせるが、今回は美術室がほとんど埋まっているので不可能だった。
ほぼ9時間で1学期の成績を付けなければいけない状態である。
本来、美術は実習授業と位置付けたい。
実習授業、実技授業として、保健体育がある。まず、保健体育は週に2~3時間の授業があるし、保健と言う教科も含む。
ペーパーテストで確認すべき事柄も多いのである。
次に技術家庭科であるが、これも3年生時は0.5時間、1,2年生は1時間と厳しいが情報や保育、調理など知識的に身に付けておいた方が実生活に将来役に立つ知識が多い。
同じ条件の音楽であるが、音楽理論はやはり必要だろう。ということでテストで必要なのはわかる。
美術以外の実技教科でも私個人ではテストの回数は年に1~2回でいいのではないかと思っている。
さて、美術科としては知識として身に付けた方がいい物はあるが、果たしてそれが、ペーパーテストで確認して本来使えるように身についているかは疑問である。昔、ピンクを作るは何色と何色を混ぜたらできるかと言う問題に答えられても実際のポスターカラーを使ってはできなかった生徒がいた。3年生になって着彩方法によって3本の筆を使い分けるようにと言って実際「この時は面相筆、この時は彩色筆、この時は平筆」と使えることが美術の知識が身についたということになると思う。そして当然技能も同時に上達する。
それとこんなに少ない授業でどんな問題を作るのだろうかという疑問。
よく鑑賞を出題するということも耳にするが、作品の作者名や題名や時代を答えさせるのが鑑賞授業だとはさすがにみんな思ってないだろう。
テスト中に鑑賞自体をさせることにどんな意味があるのだろうか?
教師のファシリテートもない他者との対話もなしで、、、。
昔研修で美術科管理職の先生に「絵の苦手な生徒を救済処置にペーパーテストは必要。」と言う意見をいただいた。
要するに記憶術にたけて日頃制作に苦手意識のある生徒を救えというのは本末転倒だろう。
酷い場合は値段の高い資料集を生徒費で購入させてP〇~〇までが試験範囲という教師もいたし、そのページに下線を引いてご丁寧に
増すプリして配布している教師もいた。
記憶力がいいのが美術の力ではないのは当然だ。
読解力もない記憶力はないけど、でも直観的に鋭い生徒、落ち着きはないが美的センスに優れた生徒、そのような生徒を救うためにはペーパーテストはない方がいい。そういうことを指導要領も新評価方法も言ってるのだはないか?
以前、地方の私学の時間講師をしていた美術科の先生から保護者から「ペーパーで80点も取っているのにどうして5段階評価が3なんですか?」とねじ込まれたと相談を受けた。結局、学校側も他教科の先生も誰も味方してくれなかったと悲惨にも心身を壊して辞めた。
いい加減この100点満点至上主義、偏差値至上主義から脱却せねばならない。
ということで私はここ40年、美術科のペーパーテストは実施ていない。たまに「どうしてこの評価なんですか?」と本人や保護者から質問は出るが「ペーパーテストをして欲しい。」と直接面と向かって言われたことはない。
但し、その代わりに毎授業緊張感を持たせるようにする。「今日の課題」は、はっきりさせる。そして採点する場合はどの観点で材料でどの基準で採点するかはっきり生徒には伝える。そこを「美術の授業は一生懸命真面目に作業していたらそれでいい。」などど生徒の成長に全く関心のない独りよがり教師によってあいまいにするのは生徒に失礼である。
教務必携には細かく採点した数字が結構な量並ぶ。
そうして毎時間、結構な緊張感を持って1年間が終わる。
自分が成長したなと実感した生徒はきちんと教師の前に来て「今日はありがとうございました。」と言うのである。
最近今の学校ではないなー。あかんなーと反省しりきである。
今年度は三年振りにコロナで翻弄されないで授業が行われた。
あと少しで中学校の美術の授業ともお別れになるだろうから、色々と美術科の授業について書いておきたい。
今回は美術科において、ペーパーテストが必要か問題である。
私自身は教師生活40年近くでペーパーテストを行ったのはたった1回である。
しかも新任の頃に「実力テストを2日間にしたいから実施してほしい。」という今から考えたらとんでもない理由で訳も分からず行った。
そして結果、あまりのばかばかしさに点数の所を切り取って生徒に返却した覚えがある。
それ以来現在に至るまで一度も行ったことがない。
幸いというか皮肉にも新任校もほぼ一人配置だったし、以後たまに2人体制も経験したが、しなくても何も文句は言われない状況だった。一度すごく生徒指導が大変な学校で2人体制の時にもう一人の先生は実施していた。
私が新任の頃は中学校の美術の授業は週に2時間あった。それからあっという間に減らされて、1年生で1.3時間、2,3年生で1時間になってしまった。
そんな中で美術科のペーパーテストがどんな意味があるといのだろう。
今学期私が受け持った3年生の授業時間は一番少ないクラスで1学期で10時間だった。多いクラスで12時間。
例年なら他教科の授業をもらってでも12時間に合わせるが、今回は美術室がほとんど埋まっているので不可能だった。
ほぼ9時間で1学期の成績を付けなければいけない状態である。
本来、美術は実習授業と位置付けたい。
実習授業、実技授業として、保健体育がある。まず、保健体育は週に2~3時間の授業があるし、保健と言う教科も含む。
ペーパーテストで確認すべき事柄も多いのである。
次に技術家庭科であるが、これも3年生時は0.5時間、1,2年生は1時間と厳しいが情報や保育、調理など知識的に身に付けておいた方が実生活に将来役に立つ知識が多い。
同じ条件の音楽であるが、音楽理論はやはり必要だろう。ということでテストで必要なのはわかる。
美術以外の実技教科でも私個人ではテストの回数は年に1~2回でいいのではないかと思っている。
さて、美術科としては知識として身に付けた方がいい物はあるが、果たしてそれが、ペーパーテストで確認して本来使えるように身についているかは疑問である。昔、ピンクを作るは何色と何色を混ぜたらできるかと言う問題に答えられても実際のポスターカラーを使ってはできなかった生徒がいた。3年生になって着彩方法によって3本の筆を使い分けるようにと言って実際「この時は面相筆、この時は彩色筆、この時は平筆」と使えることが美術の知識が身についたということになると思う。そして当然技能も同時に上達する。
それとこんなに少ない授業でどんな問題を作るのだろうかという疑問。
よく鑑賞を出題するということも耳にするが、作品の作者名や題名や時代を答えさせるのが鑑賞授業だとはさすがにみんな思ってないだろう。
テスト中に鑑賞自体をさせることにどんな意味があるのだろうか?
教師のファシリテートもない他者との対話もなしで、、、。
昔研修で美術科管理職の先生に「絵の苦手な生徒を救済処置にペーパーテストは必要。」と言う意見をいただいた。
要するに記憶術にたけて日頃制作に苦手意識のある生徒を救えというのは本末転倒だろう。
酷い場合は値段の高い資料集を生徒費で購入させてP〇~〇までが試験範囲という教師もいたし、そのページに下線を引いてご丁寧に
増すプリして配布している教師もいた。
記憶力がいいのが美術の力ではないのは当然だ。
読解力もない記憶力はないけど、でも直観的に鋭い生徒、落ち着きはないが美的センスに優れた生徒、そのような生徒を救うためにはペーパーテストはない方がいい。そういうことを指導要領も新評価方法も言ってるのだはないか?
以前、地方の私学の時間講師をしていた美術科の先生から保護者から「ペーパーで80点も取っているのにどうして5段階評価が3なんですか?」とねじ込まれたと相談を受けた。結局、学校側も他教科の先生も誰も味方してくれなかったと悲惨にも心身を壊して辞めた。
いい加減この100点満点至上主義、偏差値至上主義から脱却せねばならない。
ということで私はここ40年、美術科のペーパーテストは実施ていない。たまに「どうしてこの評価なんですか?」と本人や保護者から質問は出るが「ペーパーテストをして欲しい。」と直接面と向かって言われたことはない。
但し、その代わりに毎授業緊張感を持たせるようにする。「今日の課題」は、はっきりさせる。そして採点する場合はどの観点で材料でどの基準で採点するかはっきり生徒には伝える。そこを「美術の授業は一生懸命真面目に作業していたらそれでいい。」などど生徒の成長に全く関心のない独りよがり教師によってあいまいにするのは生徒に失礼である。
教務必携には細かく採点した数字が結構な量並ぶ。
そうして毎時間、結構な緊張感を持って1年間が終わる。
自分が成長したなと実感した生徒はきちんと教師の前に来て「今日はありがとうございました。」と言うのである。
最近今の学校ではないなー。あかんなーと反省しりきである。