山口県光市の母子殺害事件に対し、死刑の判決が出ました。
被害者の夫である本村洋さんのこれまでの事件に対する関わり方は、被害者の権利や意見陳述など、日本の法律を動かす力にもなりましたし、彼の率直で的確な表現は、ことばのもつ力をも改めて感じさせてくれます。
死刑でよかった・・・ような、でも、私は死刑には反対です・・と声を小さくして言いたいような、 とても複雑な気持ちです。
被害者の立場にたてば、きょうの判決はまっとうでしょう。気持ちはわかります。
本村さんが会見で話していたように、”こういう犯罪のない社会をどうしたらつくれるのか、考えていかなければならない” そうですよね。まったくその通りだと思います。
私もず~っとそのことを自分自身の問題としても考え続けています。
被告人も父親から暴力を振るわれて育ち、母親は自殺をしたといいます。もちろんどんな環境で育っても皆が犯罪者になるわけではありませんが、育ちの中で、暴力の中にあると、やがて他人に向かうか自分に向かうかの暴力を内包した人間になっていきます。DV(ドメスティックバイオレンス)の深刻さがここにあります。
人との関係性において、暴力的でない関係性をつくることを、国も地域も家庭も考えていきたいものです。
被告人の弁護士も、被告人の幼稚性や殺意の否定ではなく、彼の生育暦の中で暴力にさらされてきたことをもっと掘り下げていたら、またちがった展開になったかもしれないと思ったりしますが、被告自身の狡猾さが透けてみえていたので、なんとも言えないですが。
裁判員制度が始まったら、こんな裁判はとても自信がないです。どうしたらいいのでしょう・・・。