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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

メディアウッチング「混迷する菅政権の分析」が今年の論説の主流

2010年12月31日 09時58分27秒 | Weblog

 30日の「京都新聞」では共同通信解説委員が今年の政治動向を分析する記事を書いていたが、簡単に言えば、菅―小沢対決は政治の権力闘争であるとの見方だ。一連の民主党のゴタゴタは権力闘争以外にないーという。

しかし、その醜態を見せ付けられるわれわれはたまったものではない。

 31日の「毎日新聞」社説は出口がない政治の混迷を分析していた。はっきりした政策実現のリーダーシップがなく、権力闘争しているから外に向かえないーというわけだ。

 混迷は鳩山首相時代から始まったという見方が両方の言論に共通している。毎日の2面の外交分析では小鳩政権は財源を過信したところから混迷が始まり、日米関係の見直し、対等なパートナーシップは土台なく概念先行で動き、その揺らぎが中ロの果敢な外交攻勢にあったという見方には頷くところが多い。菅首相は相当な覚悟で外交でのリーダーシップを示さないといけないという結論になる。

 分析では相当外務官僚も離反しているとの分析で、ブレーンがいないというわけだ。菅首相に頭ごなしに怒鳴られるということが書いてあった。萎縮するわけだ。菅さんも相当なもんだ。なんとかブレーンを加えて民主党の外交戦略態勢を立て直していただきたいと思う。

 だいたい政治動向などは新聞記者の取材でしかわれわれは情報を知りえない。これがおかしくなると大変だ。大阪地検特捜の証拠改竄事件は「朝日新聞」記者のスクープだった。もし彼がいなければ情報は埋もれてしまう。そういう意味でのジャーナリストの役目は巨大だ。

話は飛ぶが、その情報発掘の新聞記者の活躍を念ずると同時に、その役目を監視をはかる市民によるメデイア監視が2011年以降はとりわけ重要だと痛感する。だいたい読売の渡辺主筆の12月にみせた連立への動きをほかのメデイアが批判しないのはおかしい。読売は批判できないのは当然だが、ジャーナリストが政治の裏舞台で動くのはおかしい。言論活動の領域を越えている。ほかのメディアは沈黙しているのはどうも「がてん」がいかない。
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毎日新聞の「記者の目」はいい

2010年12月30日 10時14分51秒 | Weblog
毎日新聞の「記者の目」はなかなかのものだ。

 ロシア大使更迭を批判した記事はよかった。任命したのは誰なのか。政府・政権に何の責任もないのか。そんなことはない。誰しも思うことだが、菅首相が「ロシア大使に切れる」と報じたが、切れるのは国民の方だ。

 たちあがれ日本に連立を呼びかけたのは驚いた。同じねじれ国会で苦悩した福田政権のときに、共産党や社民党に福田さんが連立を呼びかけたか。そこまで「節操」ない政治行動はとらなかった。

 民主政権はそれをするとは本当に驚いた。民主政権に応援を送る側だが、なんとかしてほしいと声を上げたくなる。この政権運営に「記者の目」にひとことあってもいい。

 早く政策実現にがんばる姿を見たい。たしかに子ども手当てなどでの実現はいいが、ほかマニフェストに掲げたことがある。法案成立最低から脱する来年の通常国会にしてほしいものだ。
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2009年12月アクセスNO2記事 日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年12月29日 10時31分21秒 | Weblog
凱風社の本を2009年最後の日曜新聞読書欄簡単レビューで紹介したが、今年凱風社の本で縁ができ片山通夫さんの本など縁ができたのは不思議なものだ。以策ね12月のアクセスNO2の記事を再録します。
 
今年最後の日曜新聞読書欄簡単レビューです。以下敬称略。渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』(凱風社、一六八〇円)ー毎日ーは、嘉手納町長の宮城篤実さんの自治体運営の姿を描いた。国策を逆手にとり、まちおこしを行ったのだが、そういえば読谷村もそうだ。というより山内村長時代にアメリカに掛け合い米軍が使用する読谷飛行場を取り戻した。村役場がそこに建つ。国策を逆手にとったのではないが、沖縄の自治体は米軍との関係の中で自治を存分に発揮しないといけない状況にある。宮城町長の講演を町の文化センターで聞いたことがあるが、哲学者のような風貌の人だった。騒音被害などの米軍基地被害に対峙して町の六割以上を基地に接収されている状況を打開すべき奮闘されている。二〇〇億の巨額をどう役立て住民の生存権を守る営みをされたか、本書がその姿を示してくれる。『沖縄タイムス』で80回連載されたものがベースになっている。

 同じく毎日では、やがて100歳にとどこうかという高齢でも医者として現役で医療活動をする日野原重明がさきほど他界した森繁久彌に関係した本3冊をあげている。そのうちの1冊がレオ・バスカーリア『葉ッパノフレディーいのちの旅』(童話屋、1575円)。米国の哲学者の著者が子どもたちに死の意味を教える内容。葉っぱのフレディーが四季をへて土に帰る物語98年には日本でベストセラーになった。その後長男を失った森繁久彌は土に帰り新たないのちを育む地面フレディーから「いのちは循環する」ことを知り、長男の死という悲しみをのりこえ精一杯生きる勇気を得たという。日野原はこの一冊を最初にあげている。

折口信夫の旅の追体験をした書が芳賀日出雄『折口信夫と古代を旅行く』(慶応義塾大学出版会、三三六〇円)ー毎日ー。民俗学は旅により発見されるのかもしれない。折口はまれびとを古代研究の要として発見したが、その発見の背後に旅する折口がいた。その追体験はビジュアル折口学の案内書ともなっている。「神と人とのドラマをあざやかに目に灼きつける」と評者持田叙子は書いている。

読売も産経も朝日も「今年の3冊」特集だが、産経では早稲田大学の石原知秋が文学の危機について書いている。石原が『新潮』最新号の2つの対談特集についてふれ、平野啓一郎と東浩紀の「情報革命期の純文学」を主に論じている。自己プロデゥースしなければいまの危機は越えられないと説き、平野ー東は自覚的と評価する。もうひとつの大江健三郎と古井由吉対談では、「文学の外へ開かれていない」と評し、作家の自己プロデゥース能力を説く。文学が隆盛時は外に開かれずとも自足していたが、いまは時代が違うという。夏目漱石が『虞美人草』での道徳的テーマでの設定失敗から、自らの哲学を封印したと紹介している。商業主義は大作家をして外に開かせたというわけだ。
ただ石原が自己プロデゥース能力を具体的に書いていないから読者にはよくわからない嫌いがある。

読売の今年の3冊では女優の小泉今日子が青春にからむ3冊をあげている。宮下奈都子『よろこびの歌』(実業之日本社、1300円)、吉田修一『横道世之介』(毎日新聞社、1600円)、梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(角川書店、1700円)。最後の書は青春時代に兵士だった各界著名人へのインタビューだ。
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今年の漢字は「未」

2010年12月28日 23時20分32秒 | Weblog
やっと忘年会も峠をこした。

 あとは友人と会うのと画家の方との忘年会のダブルブッキングがあり、おかげで1日ですむ。

 原稿がたまりすぎている。聞き取り4本、仕事のが3本、本刊行は3冊が2月末までだから、当然と言えば当然、今年を象徴する漢字は「未」になる。「未」だ完了せず、「未」だが多すぎた。

 文学関係での約束を果たせず、これも「未」。来年もこれが「未」なら、信用を失う。毎日1,2冊は小説を読むと、作家の桜庭一樹さんは言っていたが、それは当然のことだろう。職業作家なのだから。

 歴史学者だとて同じ。哲学者だとて同じ。そういうものだ。宗教者はどれだけ経典を読むか。どれくらい繰り返し読むか。「未」ではすまされない。
 
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歴史的責任を痛感

2010年12月28日 08時45分37秒 | Weblog

奈良県王寺町での大和川改修工事の歴史を調べていて、町の引継ぎ文書が残されていたことは幸運だった。のべで35万人の労働者が1932年に亀ノ瀬の地滑りによる河床の隆起回復工事についた工事で、王寺町は工事概要などの資料を町史に掲載していた。ただし議会でのやりとりなどの資料はなかった。

 工事は当時の国鉄のトンネルが押しつぶされる地すべりの事態に周辺町村では対応できず、工事は国に移管される。内務省管轄となる。

 このことから国に資料は残されているかと、27日午前中に国会図書館関西館に調べに行ったら、直轄工事として亀ノ瀬での1932年工事概要ななく、翌年の33年の工事概要が電子化されて残っていた。肝心の内務省の1932年工事は依然として不明のままだ。

 35万の労働者が就労した戦前最大の河川改修工事。すでに78年経過している歴史である。労働者の記録は一切ない。記録としては民衆の記録、証言は残っていない。聞き書きはいかに大事かを思い知らされる。当時工事についた人はもうおられないだろう。こうなると歴史を残せなかったのは後世の人間の責任にもなる。

 歴史的責任ということがよく言われるが、聞き取りをせずに歴史として残せなかったわれわれの側の責任も一方であることを思い知る。王寺町の35万人が就労した工事で痛感することだ。

 

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2008年12月アクセス№1コラム「風」厳寒の師走に思う

2010年12月27日 08時02分10秒 | Weblog
 一気に真冬が到来した。もみの木に横殴りの雪が降りかかる光景を見ながら昼食をした。ちょうど午後2時ごろだ。場所は伊賀の郷。「今年初めての雪です」と店の方の弁だった。

▼京都でも金閣寺の屋根に積雪をみた。各地で雪便りが寄せられたが、昨日、韓国の友人から電話があり、「ノム チュアヨ(ものすごく寒い)」と零下10度くらいのソウルの様子を電話できたところだ。「明日から寒くなる」と覚悟していたところだ。

▼「冬は朝鮮半島から天候がやってくる」とは作家司馬遼太郎さんのことばだと、たしか記憶しているが、「西高東低」の冬型の布陣は、今年もやはりそのとおりだった。

▼日本型情緒も目を楽しませる程度の雪なら「美」を生むが、26日の北海道のような激しい雪なら、情緒どころではなくなる。ところが雪が降り止むと、あたり一面の雪景色に心が鎮まるのだから、人間の心のあり様(よう)も面白い。

▼今年も残すところ4日。急に金融恐慌がやってきたように思えるが、今年4月刊行の本山美彦さんの『金融権力』(岩波新書)によれば、M&A(企業の買収・合併)ブームの終焉から、サブライムローン問題からの金融恐慌を予想していた(27ページ)。どうした手を打ったのか。非正規労働者をこの厳寒の師走に放り出してしまった。労働を提供するだけで、企業が減産体制に入ると、いとも簡単に切り捨てる。高収益時代に蓄えた企業備蓄は決して非正規労働者の福利に反映させない。

▼政府の失業対策も「自立」「自己責任」路線で極端に痩せ細ってきた。骨太の福祉社会にいまこそ移さねばならない時だ。


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王寺町の35万人参加の大和川改修工事を調べる

2010年12月27日 07時45分14秒 | Weblog
奈良県王寺町での大和川改修工事の歴史を調べていて、町の引継ぎ文書が残されていたことは幸運だった。

 ただ工事は当時の国鉄のトンネルが押しつぶされる地すべりの事態に周辺町村では対応できなかった。工事は国に移管される。内務省管轄となる。

 このことから国に資料は残されているだろう。9ヶ月間の工事で延べ35万の労働者が就労した。すでに78年経過している歴史である。当然情報公開されているはずだ。このあたりのシステムや文献があるところがわからない。

 国の資料を見ることができれば相当歴史がわかる。いまは図書館がいろいろアドバイスしてくれるので、そこが突破口だ。
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図書館は知の宝庫

2010年12月25日 23時19分12秒 | Weblog
調べもので今日は図書館をはしごした。

 大阪府立は中ノ島と中央の2つに分かれているが、資料はよくそろっている。2館にまたがるのが少し不便。中央に行って、肝心の資料が中ノ島ということがあるからだ。逆の場合もある。

 ただ明治時代の資料は複写できず、手書きで書き写しするしかないのが大変だ。しかし手書きの方が記憶に鮮明だ。

 奈良はいい図書館ができたが、大阪のように希望図書のリクエストができないようだ。駐車場が1時間以内なら無料なのがいい。前は建物の前に止めて返却で走って図書館に駆け込み戻るという陸上選手のようなことをしていたが、今度はそうした気のあせりもなく図書館におれる。

 昔は郷土資料室が狭いながらもよくわかる配置だったが、新しい分類ではあまりにも広いスペースでどこにあるかわからなくなった。紀元2600年関連の資料で当時の新聞を集めたものがあったはずだが、どこにあるかわからなくなった。
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2009年12月アクセスNO1記事<strong>民族排外主義の再来は御免だ</strong>

2010年12月25日 08時38分24秒 | Weblog
民族排外主義の再来は御免だ

 極右の排外主義が顕在化している。かつて1929年の大恐慌で在日朝鮮人への排斥が吹き荒れた時代に似ているのかもしれない。社会の底流にある不満を排外主義が吸収する。その図式は変わらないのか。

 人間の行動パターンはよく似たことを繰り返す。現象学学者山崎カヲルさんが10年以上も前に書いた「異者の表象」という論文では、人間は自―他の関係は理論的に100パーセント理解可能な関係として築かれ、理解できないものは、当然、表象化できないのだが、これを描く場合、意外と簡単な操作で造詣する。

 これまでの文化コードに少し変形させた像が描かれる。ただしそれはいずれも過剰―過少、極大―極少の像を取り結ぶというのだ。典型的な例は宇宙人である。想像上の宇宙人は頭が極大であり、それに対して手足が極少なのだ。多くの宇宙人像がそれだ。それは自―他の100パーセント理解可能の範疇に入らないから、描くことができない対象をそのように描くのだ。

 社会から排除した集団、人間、集落など、人間が描く像は、暴力の過剰、金銭欲の過剰、命の重さの過少などとして像が取り結ばれることが多々ある。実際は、それはまったくの虚像なのだが、差別・排除する人たちはその像に取り付かれる。残念ながら繰り返して人類の歴史に刻まれてきた。朝鮮(北朝鮮)を恐ろしいとうぞぶく人がいるが、本当にそうなのか。やはり排除からくる過剰、それも暴力の過剰として見る意識がそこにあるように思える。

 社会の危機のときに生ずる排外主義は、内を守る意識が発火点としてあるが、しかし、内―外を峻別できる時代ではない。グローバル社会は世界に浸透しているのであり、民族排外主義で危機を克服できるものでもない。危機を克服する道筋は、人間の尊厳を取り戻す道程、行動にあることは明らかなのだ。1929年事後の再来だけは招いてはならない。
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「米大統領 胡主席糾弾」という報道

2010年12月23日 09時43分55秒 | Weblog

 毎日新聞22日の朝刊を読むと、イバマ米大統領が胡主席に「中国が甘やかしたから北朝鮮がヨンピョン島などの事件に発展させた」と直接不快感をあらわし電話会談で発言したと報じた。

 韓国のジャーナリストに聞くと、「韓半島のカギはアメリカだ」といつもいう。今回もそうなのかと、改めてアメリカの影響力をおもい知った。共和国(北朝鮮)の過激な声明が消えたからだ。記事としては良い記事だ。

 今回の事態を共和国の「終わりの始まりだ」と厳しい見方をする人が多いが、今月はじめに書いたように中国の動向は重要だ。無論アメリカもそうだが、中国がどう動くかがカギだろう。

 この意向が反映したようで、金正日総書記と会談した中国の戴国務委員が「相当強く圧力をかけた」(毎日の報道から)という結果を生み、共和国側が平和監視組織を訪朝したアメリカのニューメキシコ州知事に提言したという。すごい威力だ。つまり中・米が真剣に事態打開に動かないと展望がないということを示してもいる。外勢を排するという南北両国の姿勢は根源にあったわけだが、そう簡単なことではない。

平和監視組織は南北両政府ににアメリカを加えたものだという。日本はどうなっているのかと思う。どんな展開を予想しているのか。長期的、短期的にである。

 菅さんは邦人救出に自衛隊をーとの発言をして韓国の人に立腹させた。1890年代に東学農民戦争などでの日本の軍事介入の歴史をご存じないのかーと落胆する。いい東北アジアのブレーンはいないのか。民主党内のうちわでガタガタして、さっぱり外交での核がある行動見えてこない。


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2010年 第41回釜ヶ崎越冬闘争 ドキュメンタリー上映会

2010年12月22日 11時30分16秒 | Weblog

2010年 第41回釜ヶ崎越冬闘争 ドキュメンタリー上映会「釜ヶ崎から―沖縄・朝鮮・在日―を考える!」が開けれます。以下は案内文です。

■「差別され抑圧された沖縄人、被差別民、在日韓国・朝鮮人、障がい者。抑圧と差別を受けてきた歴史を引き継いできた、我々子孫というのは先人から受け継いだ抵抗の遺伝子が進化する。だから沖縄を苛めて苛めて、なお苛めるというのだったら、私が死んだ後も子や孫たちが抵抗してゆく魂を進化させるのだ...」
※沖縄在住の彫刻家、金城実(映画「恨ハンを解いて、浄土を生きる」より)
■釜ヶ崎の労働者のみなさん。そして、釜ヶ崎越冬闘争を支援するすべてのみなさん。今年も残りわずかになり、越冬闘争の季節がやって来ました。今年は、沖縄米軍基地をめぐる与党民主党の迷走に始まり、尖閣諸島(釣魚島)などをめぐる領土問題、延坪島での軍事的衝突による北朝鮮脅威論の広まり、それらは誤った歴史修正主義と排外主義とをまねき、ついに朝鮮学校の生徒たちだけを高校無償化から排除するという深刻な差別にいたりました。また沖縄では、ヤマトによる差別と米軍基地の押しつけに対する怒りの声が、踏みにじられ続けています。テレビや新聞、インターネットなどで大量に流される情報は、それを見る者の批判的精神を完全に麻痺させ、憎悪と敵意を煽りながら、アジアを忘却した日
本中心主義の溢れ出る「日本人」の物語づくりに終始しています。そのような状況に抗するために、私たちNDS=中崎町ドキュメンタリースペースは、夏祭りでの「彷徨する魂を追う!」に続いて、「沖縄、朝鮮、そして在日」をテーマにしたドキュメンタリー映画上映会を釜ヶ崎越冬闘争の現場で行うことにしました。

■日本の学校教育やマスメディアは、沖縄戦の記憶をアジア諸民族の苦難の歴史につながるものとしてではなく、日本本土を守るための壮絶な闘い、崇高な犠牲という「神話」に仕立て上げました。ウチナンチュの記憶は、戦乱や緊張にうずまくアジアの人々の歴史体験に連なるものではなく、忘却と隠蔽を余儀なくされてきました。また、済州島において、沖縄戦の渦中、「第二の沖縄」として本土防衛に備え、全島要塞化を行うために、約7万人の日本軍とそれに加え済州島の住民が動員されたという事実、さらに解放後の米軍制下で4・3事件が引き起こされたという悲劇の歴史はほとんど知られることがありません。(4・3事件とは1948年4月3日、米軍制下において南北分断につながる単独選挙に反対して済州島で
起こった民衆蜂起。約3万人の人々が犠牲になった。)

■日本の米軍基地の75%が、本土のわずか0.6%の沖縄に集中している事実や、本土の二倍ともいわれる失業率はどうして生み出されるのでしょうか。沖縄の米軍基地は韓国の米軍基地、平沢(ピョンテク)、群山(クンサン)、そして済州島に建設されようとしている韓国海軍基地にも直結し、北朝鮮、中国、中近東やその他の紛争地域と分かち難く結びついています。米軍基地は、中国や北朝鮮を威嚇して東アジアの無用な緊張を招き、米軍用機が、韓国の群山(クンサン)直島(チョクド)の爆撃場などで訓練し、イラクやアフガニスタンへと民衆を虐殺するために出撃していくのです。(イラク戦争の死者は10万9千人を数え、うち6万6千人は民間人=ウィキリークスが大量の資料を公表)

■朝鮮学校の無償化問題においても、朝鮮と日本の関係史、在日朝鮮人の歴史を忘却し、阪神教育事件の再来のように在日朝鮮人の民族的アイデンティティーを育む民族教育を弾圧しようとしています。ふたつの祖国に分断され引き裂かれた在日の一方の立ち位置を断ち切れと強要することは、引き裂かれた在日の実存そのものが断ち切られることを意味するのです。日本軍「慰安婦」問題に象徴されるように、韓国強制併合から100年が経過した現在もかつての日本帝国主義が残した植民地被害の傷跡は癒されることなく、歴史の闇へと忘却、隠蔽されていくのでしょうか。

■今、戦前、戦後を貫く東アジアにおける国家権力による過酷な暴力に晒された民衆の記憶をひとつひとつ紡ぎ、そして現在的な問題意識へと切り結んでいく歴史的な視点が必要とされているのではないでしょうか。今回、多くのみなさんのご協力により、そのためにふさわしい8本のドキュメンタリー作品が無償で提供され、ここ釜ヶ崎の「ふるさとの家」で上映できることになりました。沖縄、朝鮮、在日そして釜ヶ崎のことを、ドキュメンタリーを観ながら、断絶されたそれぞれの歴史を現在につながる記憶を継承する民衆の歴史として、世代を超えて、ここ釜ヶ崎から、語り合いたいと思います。

2010年暮 41回目の釜ヶ崎越冬闘争にて   
NDS=中崎町ドキュメンタリースペース
<作品紹介>
・『風ッ喰らい時逆しま』(監督布川徹郎/1979年/88分/カラー)
伝説の芝居集団『曲馬館』が山谷、釜ヶ崎、コザ、網走を駆け抜け国家の方位磁針を乱すかのように日本の均質化した風景をよじれさせる。

・『朝鮮の子』(製作:朝鮮の子制作委員会、在日朝鮮映画人集団、提供:総聯映画製作所/1955年/32分/モノクロ)
「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」この映画は当時の生徒の作文をもとに作られた。

・『イルム 朴秋子さんの本名宣言』(監督滝沢林三/1983年/50分/カラー)
在日朝鮮人二世の朴秋子さんは本名宣言を行ったが就職差別にあう。民族意識の自覚を内面から描く。

・『熱い長い青春 ある沖縄の証言から』(ディレクター森口豁/1972年テレビ作品/30分)
日本「復帰」三ヶ月後の沖縄。復帰して変わったのは物価高と観光客の増加、変わらなかったのは膨大なアメリカ軍の基地。復帰を切に願っていた主人公内間安男の心の変化を追う。

・『一幕一場・沖縄人類館』(ディレクター森口豁/1978年テレビ作品/25分/カラー)
 沖縄の劇団「創造」が演じる「人類館」1903年大阪内国勧業博覧会で二人の「沖縄人」が見世物として陳列された。

・『送還日記』(監督金東元/2003年/カラー)
 南北分断を経て1992年刑務所から出てきた老人―彼らは北のスパイだった。監督は彼らを北に送還させる運動に参加しつつ、最長で45年にわたり服役した彼らを人間味ある日常生活から描きだす。
・『1985年・花であること 聞き取り華僑2世徐(ジョ)翠(スイ)珍(チン)的在日』(監督金成日/2010年/75分/カラー)
徐翠珍さんは在日華僑2世。この日本社会を多民族共生の架け橋にしたいと願う徐さんの半生を記す。
・『恨を解いて、浄土を生きる』(監督西山正啓/2010年/85分/カラー)
「ゆんたんざ未来世」シリーズ第三弾は辺野古現地から始まり、チビチリガマ、恨(ハン)之碑、アメリカ本国でホームレスだったというメキシコ系米海兵隊員と彫刻家・金城実との交流、総理官邸前の抗議行動、県民総決起大会、6月23日沖縄慰霊の日に来沖した菅直人首相に抗議する人々、ラストは沖縄戦で亡くなった民間人の骨塚でもある「魂魄の塔」。

<上映スケジュール> ※全作品無料上映!
■12月28日(火) 三角公園にて
19:00 風ッ喰らい時逆しま ※野外上映!

■12月29日(水) ふるさとの家にて
10:00 朝鮮の子 
10:50 イルム 朴秋子さんの本名宣言 
―休憩―
15:00 熱い長い青春 ある沖縄の証言から 
15:40 一幕一場・沖縄人類館
18:20 送還日記 

■12月30日(木) ふるさとの家にて
10:00 イルム 朴秋子さんの本名宣言
11:00 花であること
―休憩―
14:30 朝鮮の子
15:30 送還日記

■12月31日(金) ふるさとの家にて
11:00 花であること 
13:00 恨を解いて、浄土を生きる
 
■1月3日(月) ふるさとの家にて
13:30 恨を解いて、浄土を生きる
15:30 熱い長い青春 ある沖縄の証言から
16:05 一幕一場・沖縄人類館 
<※上映終了後関西沖縄文庫・金城馨さんにお話を聞きます>
なお、三角公園では18:40よりがじまるの会による空手、島唄、エイサーが行われます。

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韓国映画「旅行者」を観る

2010年12月21日 10時32分26秒 | Weblog
 韓国映画「旅行者」を観た。昨年の話だ。今年日本で公開されたと聞く。

 昨年10月29日に公開されて10日ほどたって新村(シンチョン)の映画館に入ったが、どうも観客の入りはよくなかった。映画の主人公の少女が熱演しており、救われた。

 キリスト教会が経営する養護施設に少女が父親に連れられて入所する。父に会いたくいのは当然だろう。何度も寮長に「アボジに会いたい」とせがむが、「連絡先は知らない」と拒絶される。この施設は西洋人の養女を橋渡す施設なのだ。女の子ばかりいる施設だ。人里離れた地にあり、寒々とした印象をもたすのはどうしてか。それはひとつの演出だが、寒々とした周りの光景が映画の内容を象徴的に語る。

 少女は穴を掘り、自らの体を埋めて、土をかける。自殺を図るのだ。苦しくなって顔にかかる土を払いのける。その演技はとても10歳ほどの少女とは思えない。振りかけた土を払った表情はすごい。よくこうした生きることの重さをあらわしたものだと感心した。

 最後は西洋人の養女に送り出されて、相手国の空港に着く。養女の父母を見つけた少女の顔は最高の演技だろう。これまでみせたことがない明るい表情がパーッと広がる。この明るさは何なのか。なぜ希望の光が差すのか。映画は問いかける。

 とてもドラマチックではない。少女の演技が勝負なのだ。暗さと燭光。その変化をどう見るのか。最後に見せた演技は印象深い。日本で公開されるとは思ってもいなかった。お客さんの入りはどうだったのか。気になる。映画評論でも知られるタレントの浜村淳さんが毎日放送で映画解説していて、少女の演技に大きな評価を与えてていた。
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日曜新聞紙読書欄簡単レビュー

2010年12月19日 09時37分00秒 | Weblog
 今日は朝日、毎日とも見開きで「今年の3冊」を紹介しているが、読書欄の残る1面で取り上げた本を紹介しよう。文中敬称略。

 毎日は「この人・この3冊」でジャン・ジュネを取り上げている。3冊のうちジャン・ジュネは『泥棒日記』は読んだが、それ以外にエオドマン・ホワイト『ジュネ伝』上・下(河出書房新社、各4725円)、ジュネの詩集『ジャン・ジュネ詩集』(国文社、1995円)をあげている。評者は藤本晴美。ジュネが獄中にあったとき、当時のフランスを代表する知識人、サルトルらが救出運動を展開していた。日本の作家では三島由紀夫もジュネを高くかっていたが、三島の評価はジュネの「美意識の透明」「美に対する純粋な向き合うこと」にあったと記憶している。今回藤本の文を読み改めてジュネの感性の瑞々しさを知った。ジュネの死の前年まで交流を重ねた藤本の照会文はナミの紹介ではない。ジュネの文学的感性をこの1000字ほどの毎日のコーナーで縦横に昇華している。藤本はジュネと自殺未遂した3カ月後の1967年夏に知り会った。訪日したジュネについて書いている。ジュネは自殺未遂から立ち上がる再生の営みを日本に求めたのだ。日本での経験が、「私をユダヤーキリスト教道徳から解放してくれる」(『恋する虜』(人文書院))と書いていることにもふれている。日本語の響きに敏感であったエピソードは詩人のジュネを語るのに興味深い。ジュネは「「なぜ」という好奇心でどんなことにも深く純粋に向き合い」と藤本と書く。85年に出会ったとき、面白い小説を書いていると語ったという。ベットに臥せながら語ったが、1時間以上も語り続けてそのまま眠り込んだというエピソードが記されている。純粋無垢な子どものようなジュネをシンボリックに表現する藤本の渾身の哀悼のことばかもしれない。

 朝日は酒井法子『贖罪』(朝日新聞出版、1260円)を佐々木俊尚の書評で取り上げている。「陰影伴う昭和のアイドル」との見出しで惹きつけられて読むと、いまのアイドルとの違いを酒井の著が浮き立たせていることがわかる。それは昭和という時代に懸命にかけぬけた酒井の真摯な生き方が読み取れるからだ。「いまの時代のアイドルは真摯でないのか」というとそうではない。真摯なのだが、昭和のアイドルには陰影が伴うのである。それはなぜか。そのことには踏み込んでの書評ではないが、酒井のこの書はベストセラーでよく売れているという。酒井はいまも「アイドル」の影を引きずり再生しようとしている。
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南北緊張とチョン・セヒョン元統一部長官の新刊

2010年12月18日 07時44分26秒 | Weblog
 今日からの西海での韓国の軍事演習に共和国は反発している。11月23日のヨンピョンド攻撃のときも前段での警告が韓国側になされていたから、とりわけ心配する。

▼私が知る狭い範囲の交流だが、韓国の友人はあまり心配していないようだ。ただ在日韓国人の友人は「義勇兵募集するなら参加する」とまでいう。つまり韓国側の反撃への参加だ。そこまで立腹している。とにかくきな臭い雰囲気だ。困ったものだ。

▼もし金大中さんが生きていたら、ノ・ムヒョンさんが生きていたらとも思う。韓国側の特使として共和国への説得にあたるだろうし」、それなりの効果も期待できる。それがいまは手持ちがないのか。李明博大統領は強気の姿勢を崩していないし、太陽政策とは反対の方向に完全に舵を切った。

▼休戦協定や6・15宣言があるではないかと思うが、どういうことになっているのか。

▼韓国側の情報は韓国の新聞を読めばよくわかるが、共和国はぜんぜんわからない。また識者のコメントもあてにならない。11月24日朝刊の新聞各紙を読んで、読売の解説が一番いいと思ったが、被害の詳細がわかると正確にとらえていなかったように思う。

▼太陽政策に関して政策を進めたチョン・セヒョンさんの本が11月20日に韓国で出てよく読まれていると聞いた。第29、30代統一部長官をつとめ、金大中さんが立命館大学に招かれたとき同行していた方だ。この本を是非読みたい。だれが戦争を望んでいようか。
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<strong>朝鮮民主主義人民共和国の呼称</strong> 

2010年12月17日 09時52分48秒 | Weblog
ブログ記事で略称して「共和国」という用語を使っていると、「共和国は世界いたるところにある。これが略称はおかしい」という指摘を受けた。

 しかし、この略称はよく使われている。学問の世界だが、『社会学評論』61号(2010年)に書いた李洪章さんの論文「朝鮮籍在日朝鮮人青年のナショナル・アイテンティと連帯戦略」では、「朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)」として展開されている。何も「共和国」がおかしいわけではない。

「北朝鮮」との呼称がおかしいというのは、国連に加盟した国家を地域名で呼ぶのはおかしいーという論理だ。この論理は筋が通っている。

独裁国家にして、一族が支配を固め国家権力を世襲化し、かつ「先軍政治」を進める国家である。このことと地域名で呼ぶこととは別である。「独裁国家がどうして人民共和国なのか。共和国とは呼ぶのはおかしい」というのは、気持ちはわかるが、略称呼称を政治体制にまで考慮するのは逸脱した考えだ。

 韓国は共和国を「北韓」と呼ぶことがあるが、朝鮮半島を「韓半島」と呼んで、その北側の地域として呼ぶ。『京畿新聞』11月25日の新聞が手元にあるが、やはり「北韓」だ。『朝鮮日報』『東亜日報』『中央日報』は言うに及ばない。

 それではなぜ「共和国」という用語が使われるか。「朝鮮」と略する人もいるが、伝統的な呼称で、いまの国家を呼ぶには、どうもそぐわない感じだ。大韓民国の略称が「韓国」と「国」がつくから、同等にその「国」がつく「共和国」が座りがいいということになったのだろう。そう推察する。

「共和国」が核弾頭をつけた船舶(潜水艦も含める)の開発段階にすすんでいると昨日のニュースは報じていた。アメリカの巨大空母「ジョージワシントン」も一撃でしとめられるという。韓国西海岸の西海に入れないというわけだ。核を用いて交渉にあたる時代に朝鮮半島がとうとう到来したのかと思うと、本当に背筋が寒くなる。日本がそこで何ができるのか。その一端が時の首相が沖縄訪問で何を発言するかをまず注目したい。
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