ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2010年2月アクセスNO1記事<strong>夜間中学生の学ぶ権利を奪う愚考</strong>

2011年02月27日 00時13分01秒 | Weblog
 吉田智弥さんの寄稿文では夜間中学のことをとりあげておられたが、大阪の波が奈良にもきたようだ。というのは、大阪で始まった就学援助費カットなどの夜間中学に対する緊縮財政施策が奈良にも及んだからだ。

しかし、近々始まったことではない。絶えず夜間中学の存在を軽視する行政側の発言、方針が相次いできた。御所市教育長の発言は新聞と吉田さんの指摘で知るかぎりの判断だが、「夜間中学の役割はほとんど終わっているのではないか」―①、「今、サロンになっている」―②、「交通費も出してくれ、食事も出て、遊んでくれる。これは学校ではない」―③と語ったという。

①は1966年の行政管理庁の「夜間中学廃止勧告」と相似形である。本当に役割を終えているのか。終えているなら在籍生徒はゼロのはずだ。歴史の悪しき繰り返しが40余年経てまた頭をもたげた。1978年の奈良・うどん学校公立化以降、奈良県内では計3校の公立夜間中学の開校、自主夜間中学3校運営という夜間中学運動の積み重ねられた歴史をまのあたりにしながら何をこの行政マンは学んできたのか。首をかしげる。
 
②は橿原夜間中学公立化の運動の中で、当時の橿原市長も同様の趣旨の発言をして批判を受けた。その非を市長は改めて畝傍夜間中学が開校したわけだが、20余年前の歴史をまた臆面もなく繰り返すことに、限りない失望感を覚える。


③では、本当に「遊んでくれる」と言ったのか。信じられない。しかし、ここに夜間中学を義務教育の一つであると認識していない本音が覗く。極めて醜悪な発言である。教育の専門家ならわかるはずだ。夜間中学は昼間中学校の二部授業として位置づけられ、学級増か分校かの形式で運営されている義務教育である。法の執行官である行政マンがまさかご存知ないはずはなかろう。

御所市の方針で在籍年数3年(最大4年)に変更され畝傍夜間中学生6人が除籍になった。「生殺与奪」という言葉は少し激しいが、夜間中学の教育的意味を理解しない市により切り捨てられたのだから、学ぶことを奪われ、夜間中学生として生きることを殺されたといってもいい。費用対効果で夜間中学教育が、生徒の学びが裁断されていいはずはない。こんな不条理、不義なことに黙ってはおれない。まずは支援団体「橿原に夜間中学をつくり育てる会」を支えねばならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

課題ばかりが残る

2011年02月27日 00時02分37秒 | Weblog
ネットのアップ方法がわからず、わかるまで休筆することにした。電子媒体の扱いがわからないと手も足も出ない。

 仕事の方は昨日責了した。やれやれ。2ヶ月半、この仕事にかかりきりだった。ほかのことはやはりできない。

 ただインタビューが2本飛び込み、そのまとめで一週間はとった。原稿を出そうとして日本軍「慰安婦」問題の方は来月回し。しかし3月2日くらいには仕上げるつもりだ。消えたと思った取材メモがデーターに8割方残っていて助かった。

 奈良の歴史本はストップしたまま。10人の共著だ。これも再開する。自費だから資金のめどがたたないから後回しになる。

 課題ばかり背負う。不義理ばかりしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 日曜新聞読書欄簡単レビュー

2011年02月13日 13時11分50秒 | Weblog
ピエール・ブルデュー『自己分析』(藤原書店、2940円)-毎日―は、ディスタンスシオンという社会学理論を書いた著者の自伝だ。評者は鹿島茂。ピエール・ブルデューは超エリートとして知的世界を歩むが、サルトルと対抗するところに自己をおいたところにスタートがあることをこの本で語る。「サルトルが表象していたすべての事柄に逆らって自己を形成した」とこの書に書いている。超エリートの存在証明は逆にサルトルという存在なくしてありえなかったということか。しかしサルトルがアンガージュマンの哲学を構築していく道筋とは異なるのがピエール・ブルデューなのだ。それは出自と関係する。上流ブルジョアジー出身のアロンやサルトルに対してピエール・ブルデューは庶民かつ地方出身だらだ。そこにアンガージュマンではない、さらに哲学ではない社会学に進ませる。アルジェリアの民族学調査に入ることから独自の道を見つけるのだ。「回帰は抑圧されたおmの回帰」というのがピエール・ブルデューの社会学的原点かもしれない。しかしそれは入口である。未知の社会環境に入り込みたいという要求は行動の原点だろう。「自伝ならざる自伝」とは知的探求の足跡であり自身の個人的な足跡をプライベートな部分で踏み込み述べる半生記ではないからだ。

 朝吹真理子『きことわ』(新潮社、1260円)が毎日の書評で出た。評者は丸谷才一だ。前々回のこの欄でこの作品は紹介したので今回は略す。文学作品ではマリオ・バルカス=リョサ『チボ狂宴』(作品社、3990円)―産経―がある。1930年から61年までドミニカ共和国を牛耳った独裁者の政権を追われる1年間を扱った作品。リョアサとは牡山羊で性的な強靭な力を発揮するボス山羊のこと。独裁者の比喩としての言葉がここにある。ウラニアという女性が30余年をへてドミニカ共和国の土を30余年ぶりに踏むことから場面が始まり読者者時代を描写する。ガルシア・マルケスの『族長の秋』と読み比べるとラテンアメリカの精神、思想、風俗が少しはわかるし、何よりも独裁者に対する目の鋭さ、諧謔、ユーモアがわかる。それは独裁者のなんとも滑稽な姿であり、作家の距離のとり方なのだ。

 朝日は沖縄に関する2書を紹介している。川平成雄『沖縄 空白の一年 一九四五-一九四六』(吉川弘文堂、2940円)と七尾和晃『沖縄戦と民間収容所』(原書房、2520円)。沖縄研究での空白だった部分がこの2書で埋められた部分もある。評者保阪正康は中央集権的型解釈をこえた作品と位置付ける。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 岩井好子さんの死を悼む 夜間中学生の賛歌を胸に

2011年02月09日 11時09分51秒 | Weblog
本日の毎日新聞奈良版ワイドに岩井好子さんの追悼文が掲載されたので、本ブログでも転載する。若干の加筆、訂正をしている。大阪の地方版は2月2日掲載しています。

悼む 夜間中学生の賛歌を胸に
岩井好子さん 元大阪市立天王寺夜間中学教師
すい臓がんのため 今年1月6日死去 ・85歳


 最後まで夜間中学生のことを気にとめ、4年前、背骨を傷めベットで動けなくなる直前まで、教え子が寄せる作文を添削して郵送する日々を送っていた。生徒はほぼ同い年の在日韓国・朝鮮人のオモニ(お母さん)たち。年齢は80歳を超えていた。「この子ら80になっても鉛筆を手放さへん」。手紙の主を時には「この子ら」と、時には「金さん」「朴さん」と親しみを込めた。
1925年大阪市生まれ。10代は水泳選手としてならし、当時の日本記録も持つとも聞いた。44年教員に。69年6月大阪市立天王寺夜間中学開校以降退職まで17年在籍。76年度生徒募集で大阪市などが「他府県居住者」を対象外とした。「私が住む奈良には夜間中学がない。生徒はどうなるの」と正強高校(現・奈良大学付属高校)校舎を借りて自主夜間中学校開校させた。夕食にうどんが出たことから「うどん学校」とも呼ばれ、78年4月に奈良市立春日夜中学開校を生む。この自主夜間中学から公立を迫るスタイルは夜間中学増設運動の先駆けに。川崎、天理、橿原、大阪市生野区で夜間中学が誕生したが、いずれも自主夜間中学の運営をへての開校が続いている。 

 岩井さんの夜間中学運動の先駆性はまだある。卒業生のための識字教室「麦豆学級」を86年から06年まで足掛け21年続けた。卒業生対象の成人基礎学習講座は近年、大阪市、東大阪市、守口市などで運営されているが、25年以上も前に産声を挙げていた。「やるー(やるじゃない)」が口癖。夜間中学生のことを四六時中考えてきた岩井さんらしい言葉だ。夜間中学生賛歌が凝縮されている。(ジャーナリスト・川瀬俊治)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パワーポイントの威力

2011年02月02日 07時40分02秒 | Weblog
パワーポイントを使い話をした。初めての経験である。私が使いこなせたのではない。

 一人の女性と奈良県外教の先生のおかげである。お2人の力添えがないとできなかったし、思いもつかなかったことだ。

 内容は奈良の在日朝鮮人史の話だったが、レジュメを考えるのに10日間を要して、これまで調べてきたことを盛り込んだ。原資料はやはりは迫力がある。それが視覚に訴えられるのは理解を助ける。

 一番の資料紹介は生駒トンネル(旧)に就労していた1911年10月段階の朝鮮人労働者のリストと1940年橿原神宮の拡張工事での奉仕活動隊リストと新聞報道、1944年8月の奈良関連の工事と企業体リスト、大和川改修工事にかかわる朝鮮人労働者関連の新聞報道だ。

 こうした資料を口で説明してもできない。それがパワーポイントでできたのである。映像で示したらもっとすごいことになる。これからもこれを使おう。そのためには器械から逃げないことだ。これが一番の問題だが。

ただマイナスもある。活字から遠ざかることだ。これも問題であるが、未来のメディアの姿がいまからでもわかる。が
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退職の祝い

2011年02月01日 09時36分20秒 | Weblog
 テレビマン退職の祝いがあって大阪に出かけた。

 20人ほどの人が参加されていたが、60を越えている人が多く、料理では寿司以外には皿に残っていたのは、やはりと思ったが、皆さん、セーブされている感じだ。

 私だけが箸を絶え間なく動かしていたのは、なさけないというのか、食欲旺盛というのか。「かわせさん、年を考えないと」と朝日のOBが忠告してくれた。

 久しぶりに出会う人が多かったのは、あまり会合とかに行っていないからだろう。

 退職の彼はペンがたつ人だ。出版の世話もしたことがある。来年には近代史を探る大作を発表するだろう。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする