ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

意外に早い

2011年10月15日 08時58分37秒 | Weblog
 何のことか。本の初校出稿だ。

 入稿からものの1週間もたたないのに2冊とも出た。11月中旬入稿だからあたり前といえば当たり前のことかもしれない。

 14日はそのために印刷所や著者に会うなど雨の中大阪の街をうろついた。毎日新聞社から著者の事務所までの時間が一番降っていたかもしれない。

 おかげで初校原稿の一部がぬれて今も乾かない。

 夜は久しぶりで15年ぶりくらいで全国紙の友人に会った。10時半の店の外に出ると雨は止んでいた。今年はよく雨が降る。取材に行った旧大塔村の郵便局周辺は大丈夫かと頭をよぎった。
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李承時さんの「生の裏面」について

2011年10月08日 22時49分09秒 | Weblog
 李承雨さんという韓国の作家がいるが、はじめての翻訳単行本が出た。『生の裏面』(藤原書店)という作品だ。

▼8月30日に刊行されて、日本経済新聞、東京新聞に書評が載るし、毎日新聞の8月の「文芸時評」では「私のおすすめ」の1冊としても紹介された。

▼日本経済、東京とも「世界文学が韓国から出た」と評価された。意味するところは、韓国という歴史的、社会的制約、つまり想像力を狭い創造空間に閉じ込めるのではなく、事実を越えるため緻密な虚構でさらに掘り下げることで自我と対峙することで世界化したということ。つまり1つの普遍化に踏み込んだということなのだ。

▼言語にしろ、風土にしろ、あるいは自然にしろ、何らかの根ざすものがないと言語の志向性と探求性がなくなる。それは土台としてあるが、「特化」したなら閉じ込められたものに堕してしまう。その反対が世界化であり、普遍化ということだろう。

▼李承時さんの作品は実体験ともいえる不幸な幼年時代が出てくるが、私小説ではない。虚構を通じて生を描く。その手法は実に分析的にして知的であるがゆえに、小説化するために様々な技巧が駆使されている。

▼朝鮮半島の分断の悲劇や、民主化闘争などの時代は過去のものではない。常に波のように訪れている。それをテーマとして描くことは1つの世界であり、いまは個人が等身大の世界を描く作品が現れているのだ。

▼無論、個々人は社会的な大きな影を背負いながらも、自己切開をして個々人に現れる「生の裏面」を緻密にして感覚的に描くわけだ。その代表選手が李承時さんかもしれない。フランスでの評価が高いとは深い。現代思想の原水ともいえるフランスで韓国の作家に賛辞を送るのは、韓国が凝縮された思想を放っているともいえるかもしれない。


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日曜新聞読書欄簡単レビューー

2011年10月02日 20時53分47秒 | Weblog
恒例の日曜新聞読書欄簡単レビューです。まず毎日新聞から。ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフ全短篇』(作品社、8190円)はいま言葉だけ独り歩きしている「ロリータコンプレックス」とは「ロリコン」趣味などの語源となったあのナボコフの「ロリータ」の全短篇集だ。900ページに68篇の短篇が掲載されている。

評者井波律子は「いたるところに夢、悪夢、幻覚、記憶などの装置を仕掛け、細密描写を旨とする物語作者ナボコフの世界を凝縮した本書は、まさにナボコフ万華鏡ともいうべき、豊饒な魅力にあふれている。迷路をさまよう不思議な気分を満喫させてくれる一冊」と紹介している。細密な描写をどうみるか。何が細密に描かれるのか。多くは女性である。それも裏切る女性。裏切るとは不倫に走る女性、夫の前から消える女性。ナボコフはロシア革命です家族とともに亡命した作家である。母なる国ロシアと女性を重ね合わせることもできる。
 そうした女性像とは異なる作品も収められている。妖精のような美少女コレットとの幼い恋を描いた「初恋」。美女ニーナとの関係性を描いた「フィアルタの春」。このニーナは「ロリータ」につながると訳者は解説している。昆虫マニアを主人公とする「オーレリアン」を紙面を多く割き紹介しているのは、その物語の展開の劇的をナボコフの特徴とみるからだ。(続きは火曜日に掲載)


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