奈良県王寺町での大和川改修工事の歴史を調べていて、町の引継ぎ文書が残されていたことは幸運だった。のべで35万人の労働者が1932年に亀ノ瀬の地滑りによる河床の隆起回復工事についた工事で、王寺町は工事概要などの資料を町史に掲載していた。ただし議会でのやりとりなどの資料はなかった。
工事は当時の国鉄のトンネルが押しつぶされる地すべりの事態に周辺町村では対応できず、工事は国に移管される。内務省管轄となる。
このことから国に資料は残されているかと、27日午前中に国会図書館関西館に調べに行ったら、直轄工事として亀ノ瀬での1932年工事概要ななく、翌年の33年の工事概要が電子化されて残っていた。肝心の内務省の1932年工事は依然として不明のままだ。
35万の労働者が就労した戦前最大の河川改修工事。すでに78年経過している歴史である。労働者の記録は一切ない。記録としては民衆の記録、証言は残っていない。聞き書きはいかに大事かを思い知らされる。当時工事についた人はもうおられないだろう。こうなると歴史を残せなかったのは後世の人間の責任にもなる。
歴史的責任ということがよく言われるが、聞き取りをせずに歴史として残せなかったわれわれの側の責任も一方であることを思い知る。王寺町の35万人が就労した工事で痛感することだ。
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