メデイアでは知事候補として読売テレビに出ているキャスターの名前まで出していたが、これはメデイア権力以外にない。寒気すら覚える。
テレビは見ないからあまりわからないが、番組で露呈するのは仲間うちでの「談合的」会話だ。嫌気がさす。それが公権力を握るとなると、もうテレビ族という「特権階級」としか言いようがない。
今回の橋下知事の大阪市長選転出で、もし報道で特定の名前が出たキャスターが出るなら、テレビ番組での「仲間」が出てくるとなる。背筋が寒くなる。
大阪市民、大阪府民のやることだから、他府県民の私がいちいち口出すことではないが、テレビは大きな力をもつ。それが一定の意見を持った人しか出ないから、一定の人の発言が力をもつということになる。
有権者がそれでいいと思うなら仕方がないのかもしれないが、もっとメデイアリテラシーを磨く必要がある。
それにしても一年前ほどからこの構図を運動圏から聞いていたが、何もできないでいるとしか考えられない姿に、こちらの方も背筋が寒くなる。批判はいいが、こちらの側はどうなのか。それが問題なのだ。批判していて済むことではない。