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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2010年12月09日 13時32分23秒 | Weblog

 5日は午前9時に入らねばならない女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジュウムが東京外国語大学であるため、現時点で多くの新聞の書評欄を紹介できない。

 読売新聞が哲学者森有正の生き方を描いた片山恭一『どこに向かって死ぬか 森有正と生きまどう私たち』(NHK出版、1600円)を書評欄で取り上げている。評者は野家啓一。森の著作は大半読んだ書評欄を紹介者である筆者だが、そのときに同時に読んでいたのがキルケゴール、親鸞、ドストエフスキーである。森との共通性はどこにあるのか。それは孤独さの徹底と生の根源を見つめる真摯な生き方だと思う。東大での職を辞し家族を捨ててパリにわたり自身を見つめた。別にパリに赴かずとも自身を見つめられるではないのでは、と思うが、パリで「自己を発病してしまった」と片山は書く。それだけではわからないが、一人になることで自己と否応なく出会うことになったのだ。たしかパスカルに関する著作は大作だが、孤独のなかでこそパスカルの『パンセ』も含めて西洋哲学の真髄を描けたのだと思う。片山は森の中心概念である「感覚」と「経験」について書いているが、この2つの概念は実は自己の確たる生を導くものであったことが森の著作からわかる。同じくパリに来て小説が創造できるようになった作家が辻邦夫だったが、どこに共通性があるのか。それは絶対なるものを見据える生き方からくる文章の瑞々しさだ。森の著作はいまでも講談社新書で読めると思う。徹底した思索は没後25年へてもメッセージを送り続けるのだ。

 黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、2400円)も読売が書評した。堺は大逆事件と大杉栄の関東大震災時の虐殺という2つの事件を生き抜いた社会主義者だ。獄中にあるなどしてたまたま生きることができたという歴史の皮肉さを体言した思想家でもある。創立大会について書いて文を読んだ記憶があるが、1910年から8年3か月「売文社」で活動した内容が本書の中心にある。「売文社」の中身はほとんど知られていないが黒岩は「文才と笑いに賭けた」と紹介している。愛妻家であった堺、幸徳や大杉をどれだけ信頼したか、「楽天囚人」と称した堺ーなど紹介している。「冬の時代」をどう生きたか。堺の生き方から現代の生きるヒントを先月他界した黒岩はまとめて遺してくれたことに感謝したい。

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