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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞書評欄簡単レビュー

2008年06月29日 08時59分22秒 | Weblog
 今週の一おしは桑島秀樹『崇高の美学』(講談社、1600円)ー日経ー。崇高という現代社会ではあまり語られなくなった崇高という言葉だが、著者は哲学史論究をしていく。評者(塚原史)は「崇高とは見慣れた日常を見知らぬ世界に変える感性」とまとめているがアメリカにみる巨大建築、宇宙開発をさしていう。リオタールの人間不在のテクノサイエンスから論じたものだが、18世紀の思想家バークは崇高を「苦」と「恐怖」に根差したところから論じた。カントは人間理性のダイナミックな覚醒としてとらえた。私はこの著の特徴は崇高を神的概念とは異なる論究をしている点だと思う。形而上的論究ならある意味で容易な作業だからだ。評者は「地」に向かう新たな崇高観を施行するところに本書の核心があるからだと思う。「石ころ」に注目する著者が崇高の美学の原点だと書評では紹介されている。

 もう一つ推薦すべき書としては長いタイトルだが、今井賢一『創造的破壊とは何か 日本産業の再挑戦』(東洋経済新報社、3200円)ー日経ーだ。日本再生のシナリオとも言える本書は創造的破壊とは「汎用性の高い発明を多様な用途に展開し、活用していく、自律的な企業者活動の連鎖によって達成される」(評者沼上幹)ものであり、決して単発の発明で生まれるものでない。蒸気機関や半導体のような実際の経済の中で活用できるような補完的な技術を創り出すものなのだ。ラディカルなイノベーションを生み出す企業活動の連鎖をどう創り出すかを著者は説く。経済を念頭において歴史、認知心理学などを駆使する。碩学の書に注目。

 文学では辻邦生ファンとして『背教者ユリアヌス』を熱中して読んだ一人として辻の妻が書いた辻佐保子『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』(中央公論新社、1470円)ー朝日ーを紹介する。作家辻と交流のあり文芸欄を担当していた前編集委員由里幸子が評者。辻の旺盛な創作エネルギーは心に潜むマイナーなものとの恐怖感が源泉にあったと説く。辻が物語論で書いていた空虚な生を埋めるものとしての文学、美。言葉で創り出す姿を妻が敬愛を込めて書いている。

 文学作品では丸山健二『日と月と刀』(上、下 文藝春秋、上2500円、下2150円)ー毎日ーは、評者三浦雅士をして傑作と書評冒頭書かしめる作品。アニメ的手法で吉川英治の『宮本武蔵』を書き直したとまず評者は作品の手法のアウトラインを示す。映画的手法も駆使するこの作品、中世足利時代の乱世を幻想小説として書き上げる。エンターティンメントを追求してきた著者の結実した記念的作品かもそれない。評者は「エンターティンメントは教養の芯にあるべきものは生命力であり、感動する力だ」と結んでいる。マーガレット・アトウッド『またの名をグレイス』(上、下、岩波書店、各2940円)ー毎日ー、坂東眞砂子『傀儡』(集英社、1900円)ー日経ーが書評されている。


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「風」日朝両国の課題とは

2008年06月28日 09時24分02秒 | Weblog

▼1つは現体制を守ること。1つは反米。1つは行動対行動。1つは核保有国。思いつくのはこの4つだろう。

▼最初の現体制保持だが、そのために核開発を急ぎ、「悪の枢軸」と呼んだブッシュ政権と対峙した。核実験を行なったのとブッシュ政権の北強硬策はリンクしている。

▼2番目の反米は歴史が古い。アメリカが朝鮮半島南半分で単独選挙を強行、国連での工作含めて朝鮮半島の分断固定化に突き進んだことから、反米は建国前(1948年)から国是となった。

▼3つめは対米交渉からよく聞くようになった。テロ国家指定解除も「行動対行動」の原則に基づく。約束の半年遅れの核計画申告書提出がその行動対行動の共和国側の行動なのだ。

▼しかしもう1つ根幹の問題がある。最後の核保有国である。27日朝刊で産経新聞が「北、米と対等の立場狙う」とあったが、当り前のことで、朝鮮民族のメンタリティー「自尊心」は共和国での精神的支柱だ。アメリカと対等であることは核により保障される。「自尊心」の源泉でもある。

▼6者協議でいう「完全な核廃棄」はだから疑問符がついてまわる。アメリカと対等のカードを失うからだ。といって、今回の核計画申告書はその第1歩であることは間違いない。

▼ここではっきりしたことは、テロ国家指定と拉致問題はアメリカには粘着した問題にはなっていないことだった。ライス国務長官もブッシュ大統領は「拉致問題は忘れていない」と日本にメッセージを送っているが、リップサービスくさいと日本人の多くは直感している。

▼27日新聞社説でテロ国家指定解除を再考せよとか(「日本経済新聞」)、「巻き返しを図れ」とか(「産経新聞」)とかの論調があったが、実現性は薄い。よほど共和国が行動に移さないなら指定復活へと傾斜するが。要は日本の力がこれからかかるのだ。日朝交渉がその最前線だ。アメリカだけに頼らずに独自で外交を進めるときがきている。とりわけ日朝共通の課題、拉致問題解決がある。行動対行動で日本も北の政府も応えていくしかない。後戻りはできない。
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ネットの現場中継ー韓国・米産牛輸入問題での集会

2008年06月27日 12時21分24秒 | Weblog
 ニュースを伝えるオーマイニュースは27日朝の送信で「衝突で警察,デモ隊,記者など多数のケガ人も発生した」と報じたが、最後に「 '暴力'だけを浮び上がる保守勢力の荒々しい反撃が予想される朝だ」と結び、保守派の新聞「朝鮮日報」の記事を具体的に紹介していた。

 集会の意味を刻々と伝え、韓国の人はそれを読んだのだろう。新聞な翌朝まで来ないそ。既存のテレビは番組を差し合えてぶちぬきでやることなどできない。

 オーマイニュースは「弾圧せよ」とか、「いかがなものか」という第3者的視点で報じていない。労組のアピール文をことごとく掲載している。市民運動の要求に応えるネット報道だ。ここまで日本のネットはできるのか。いや、残念ながらそういう集会がない。
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2007年年6月アクセス№2記事 差別問題でのスコラ的忍従

2008年06月27日 08時40分32秒 | Weblog
 権利が不当に失われていることーこれが戦後の解放運動をリードした浅田理論の根幹にある。

 しかし私がいま思うのは、正義の範疇にも入らないし、権利獲得とはほど遠い感情である怪物がこころを領していることについてである。

「それをいっちゃおしまいよ」と息を呑み続ける生活がそれだ。

世界のどの国であろうとも、「人は生まれながらにして平等で自由な尊厳をもって生まれる」という文言を掲げない憲法と無縁な国はおそらくない。しかしながら、差別による離反があるし、葛藤が渦巻いている。

「差別だ」と言えることは、まだスッキリするのかもしれない。

しかしある事柄を言ってしまえば、人間関係が決定的なほころびを生み出してしまうーという境目を絶えず意識しないといけない。ここに現代の差別問題の1つの特徴があるように思う。

 ことばのつむぐ世界に生きる人間が、それとは真反対の「それを言わないで我慢する」ことほど残酷なことはないだろう。

 表面的には差別は見えないし、何事もないように見える。しかし「それをいっちゃおしまいよ」と不文律を知悉している。だからこそ日々の生活は何事もないように見えるのであり、境界線を我慢して歩くことで、見過ぎ世過ぎ、生きていくことで、外側からは「なにごともなかった」ように見えるのだ。
 
 ことばを駆使するのが人間の特性だが、それを無残にも、黙らしてしまうことこそ差別の非人間的冷酷さがある。どう「それをいっちゃおしまいよ」を克服していけば良いのか。どこに出口を見つけるべきか。未来に投げかけた設問だけに現在を先取りしているのである。

 「それをいっちゃおしまいよ」とは単刀直入に差別を指摘することで、人間関係が崩れるーだから息を呑むのだ。

 この差別の悪循環を克服しどう未来をたぐり寄せられるのか。現在を生きる人間が未来を越えることは至難の業であることを知りながら。

 「それをいっちゃおしまいよ」を抱える生活は、実は生活の中でヒビ割れを生じさせる。、生活が荒れてくるとか、どこか乱暴に見えるとか、規律が乱れがちだとかーといった類である。いまを生きるものは、いまに沈潜する。だから未来を先取りして立ち塞がるものを乗り越えられないから、生活の乱れをどこかに生む。

そうだ。その乱れが見えてくる差別の姿なのかもしれないが、しかし差別の結果でしかない。それを他者は被差別者の非難として具体的にあげるのだが、見当違いもはなはだしい。

 乗り越える道は「それをいっちゃおしまいよ」の次元を超える生き方でしか論理的にも乗り越える道はない。次元が異なる現在と未来のせめぎあいは永遠に歩み寄ることなどないのだ。「次元を超える生き方」はぬきんでる道に歩むことであり、それは文武でも経済、政治活動でもある。非常にしんどいがその「白道」しかない。

 しかしそれは英雄主義ではないのか。99パーセントは断念する。するとどうなるか。営々の地道に、コツコツ生きるしかない。その生き方は差別に負けたのではない。次元の違う悩みを昇華した力強い生き方だろう。寡黙で、頑固で。

 両極端な生き方であるところに、差別の残酷さがある。なぜなら人間は両極端ではないからだ。「それをいっちゃおしまいよ」ではなく、何でもいえることは人間の基本にある。それがいつ実現できるのか。私の前に存在する差し迫った、でも実現は遠い問題である。

※ 人間を信じて進むのが解放運動だろう。もろに差別の場面に出会う体験をしても、その差別実相を克服する営みは人間を変える困難さを持つ。しかしそれゆえに人間を信じていくしかない。どう人間を取り巻く外側の条件を変えるのかも問われるー2007年6月16日
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「1940年」発のメールを送ってしまった

2008年06月24日 19時15分13秒 | Weblog
 これを指摘された方は実に誠実な人と普段から思っていたが、そのとおりなことが改めてわかった。

 誠実ゆえにメールの時間設定の狂いを指摘されたのだ。そういう意味では尊敬すべき方だ。

 しかし、妙なところで関心している場合ではない。

 その方の指摘では「2084年」のメールとともに「1940年」のメールが今回きたというのだ。そこで「1940年」発信のメールがあるか調べてみたが、送信済みメールではない。どこで間違って「1940年」になったのか。

 証拠が残らないのに、その年代で届いているというのだから、またしても怪なるメールなこと。

 よく「1940年」のメールを開いていただいたことだ。一番年代の古い履歴を開かれたことになる。

 ただ、どういうことになっているのか、私にはさっぱりわからない。

 こうも考えられる。自在に時間を往来するメール。すごいことだ。SFの世界に紛れ込んだようだ。

 しかし、私自身がまがい物と思われる、いやもう思われてるかもしれない。こんな時間の狂ったメールを送るから信用できないというわけだ。「そんな言っている場合か。はよ、修理せよ」との声がしきりに聞こえるような気がする。
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2007年6月アクセス№1記事

2008年06月23日 10時51分17秒 | Weblog
民主主義社会こそ思想統制がやられるという逆説について。 

生成文法で言語学に革命をおこしたノム・チョムスキーは「民主主義社会だからこそ思想統制が必要だ」という。

 逆説的に聞こえるが、全体主義国家なら棍棒で民衆をたたけばいいし、意に反する人は政治犯収容所に閉じこめればいい。しかし民主主義社会はそうはいかないから思想統制が必要なのだ。

 調べれば分かるが、海上自衛隊母艦が辺野古沖に停泊して環境アセスメントにも反している調査のダイバーを出したニュースはどう報じられたか。全国紙ではほとんど報じられていないのではないか。報じないことはメディアの怠慢より、政権との癒着以外にない。

 報じないことで生じる思想統制である。知らない間に進むのだ。米軍再編による日本国内の軍事基地化が。ハイテク産業がいつの間にか利益をあげていく。

 この事態をそれで結構」と、いいというのならそれまでだが、しかし思想統制は次々起っている。この部分を追及することーいま作業として私に具体的探求が迫られている。
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米国産牛肉輸入反対・キャンドル集会でソウル市庁前広場、道路に市民うめつくす

2008年06月22日 23時32分37秒 | Weblog
 連日行なわれているキャンドル集会は約3000人の参加と伝えられるが、21日は土曜日の夜ということもあり、多くの市民が参加した。集会の渦中にいたが、その数はソウル市庁前広場だけではなく、メーン道路に座り込み、前方の舞台(プラザホテル側)から参加市民の最後尾を見ようとしても、人の波でわからない状態だった。毎日新聞の報道では警察発表で1万人としたが、これはとても信じられない数字だ。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領がこれまでの混乱を謝罪する記者会見を行ない、また米国産牛肉輸入問題は21日に輸入制限を設けて30ヶ月未満の牛肉に限るとすることで韓米交渉が妥結したが、反対派市民は4月合意の規制撤廃した内臓部分の修正がないことなどから、反対運動は沈静化されていない。そのあらわれが21日夜の集会の参加者の多さにあらわれたといえる。

 輸入反対で組織された国民対策会議は19日に討論会を開き、27日も開く。李大統領に対する退陣要求運動に連なるかは、国民対策会議の構成団体で意見を異にしている。しかし集会では退陣要求に連なるプラカードやシュプレヒコールが相次いだ。李政権の舵取りがどうなるかで事態がどう動くか。

 単に米国産牛肉輸入反対にとどまらず李政権での不満が運動を継続させ広がりをみせている最大の要因だろう。民主労組では7月3にストを計画している。労働運動との連動がなされてもいる。
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韓国保守3紙にキャンドル集会強行対応論調が続々

2008年06月19日 12時34分49秒 | Weblog
 FTAでのアメリカ産牛肉輸入問題での反対は依然と続き、毎日、ソウル市庁前での広場ではキャンンドル集会が開かれているし、貨物労働者のデモは簡単に収まりそうにない。

 そうした中で言論での対立の構造は鮮明化している。キャンドル集会での強行対応を政府に求める社説。コラムがあらわれてきている。

 具体的には朝鮮日報の金大中コラム、中央日報のムン・チャングンコラム、東亜日報の特集記事などだ。

 こうした紹介だけでは意味がないし、キャンドル集会の人たちに共感を寄せるだけではなく、保守派と進歩派の対立はどこから生じてきたを考えねばならない。
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破壊願望をさぐることこそ

2008年06月17日 15時10分41秒 | Weblog
 その方向に両極ある。プラスとマイナスである。プラスは、たとえば勉強できない劣等性が、その後、勉学に励むことで優等生をしのぐほど伸びることはよくある。劣等性の烙印を押された場が自己回復の場になるのである。

 しかし。マイナスはその場を破壊することで積年の恨みを晴らす事例だ。ある刑事犯の容疑者が高校の教室の窓ガラスをことごとく割ったことがあった。高校時代に受けた疎外感を年齢もいってなお解決せず、積年の恨みをほかの高校の窓ガラスを割ることで晴らした、というわけだ。

 なぜ秋葉原の無差別殺人事がおきたのか。容疑者は若者楽しそうに闊歩する秋葉原で恨みを晴らそうとした。静岡から秋葉原にわざわざやってきて犯行に及んだ。本来なら自己回復すべき場にならなければならないものが、恨みを晴らす場として選ばれた。破壊願望が歪められた自己回復と結びついている。

 「エリク」という精神分析の本がある。破壊の分析を徹底して挑んだ作品だ。現代人の破壊への魔力がどこから醸成されるかを突き止める努力をし、この現代の闇を突き止めねばならない。現代人に救う闇でもあるからだ。
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編集局からの手紙 拉致問題と国益 後戻りできない日朝両国

2008年06月17日 15時10分21秒 | Weblog
 伊吹幹事長は実に率直な人であり、幹事長としての本音をポロポロ出す。今回の拉致問題についてもそうだ。お互いに国益にかかわることで公表されていないことがあるというのだ。日本政府の北朝鮮の制裁解除の早さも含め、その日本に利益になる拉致問題の合意事項とは何なのか、臆測が憶測を呼ぶわけだが、考えられることを列記してみるとー。

 ①日朝国交回復を進めることと拉致問題進展がセットになるのだが、そのことで、朝米国交樹立に向けての条件整備がはかれる。これがどう国益と結び付くか不透明だが、日朝の正常化はアメリカの極東戦略では必要。そのハードルとして拉致問題の前進がある。
 ②拉致問題の再調査では日本も関与して拉致問題再調査できる言質をとったから。
 ③アメリカの北に対するテロ国家の指定解除のためには何らかの拉致問題前進が求められる。北朝鮮自身の国益にそったものとしての今回の前進。

 そうすると③が一番問題になる。①はそう議論されない。当面は③に集中して「北の思うまま」と保守言論は攻撃する。しかしこの機会を逃したら北の政府を動かすことはできないと判断したのが日本政府ではないか。

 かたちばかりになる可能性もある。そうすれば①には至らない。①と連動するから③を選択をしたとみる。そこが日本の国益にかなうことだ。いつまでも不正常な日朝関係のままでいいはずはない。

ここのところが議論されない。6者協議の枠内で日朝正常化という位置づけである。その中で日本の国是は「拉致問題の解決なくして日朝正常化はない」である。そこでいま拉致の問題が一歩踏み出した。「前進」と報じた毎日新聞を批判する批評家がいたが、日朝問題と6者協議の関係すらわからないのかとなさけなくなる。

 いずれにしろ拉致問題についてこれまで停滞していたものが動いた。北の政府がいう「行動は行動で」の方針を日本が踏襲したのである。あとは①と連動するから着実でない進展でないとだめになることはたしかだ。そのことは北朝鮮も十分知っている。

 ただ歴史問題が表に出てこない。一括賠償方式であることは日朝首脳会談で決まっているから出ないということか。複雑な関係の正常化のためには歴史的にひもとくことを忘れてはならないのだが。

 日本も北朝鮮も後戻りができない、ただ、時間がかかるとするなら、それは拉致問題で最大のアポリアになる。


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劣化して戦前の新聞資料は見れず

2008年06月16日 23時24分27秒 | Weblog


 研究所では資料の実物をみたいという要請である。ところが「ない」。

どういうことになっているのか。弱り果てた私は係員に尋ねた。すると……

「戦前の新聞資料は劣化して利用できない」

 と、最もらしい回答。

では「マイクロフィルム化するか」と尋ねると、「いまのところ予定がない」という。

 つまり戦前の以前利用していた毎日新聞奈良県版はもう見れないのである。

「私の口からマイクロフィルム化をいつやるとかは言えません」

と係員は言う。

 かなり粘ったが、いつからやるとの答えを引き出すことはできなかった。「あーあー」。

 毎日の資料は全国紙では一番価値が高い資料なのだが、とうとう劣化に飲まれてしまったのか。

 わざわざ奈良まで調べに来ると言っていた研究所の方は本当にご足労いただかずよかった。

 ただ、朝日新聞奈良版だけがマイクロフィルム化されていて助かった。
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ただいまの時刻は2060年6月12日

2008年06月15日 23時16分27秒 | Weblog
 時刻を正確に設定しても、セットを終わるやいなや、時刻がどんどん進む。それも一気に何十年も飛ぶ。

 ただし2092年以上は刻まない。その理由がわからない。3000年には絶対に入らない。そこが「礼儀」?なのか。コンピューターの約束事なのか。私にはわからない。

 しかし2092年付けのメールをもらった人はさぞかし驚かれるだろう。申し訳ない。年代がウソか、メールの差出人がまがい物か、いずれか思われるだろうが、好意に解釈して下さり、いまのところ「なんというメールをくれるのか」という抗議を受け取っていない。

 ただ、逆がないのはせめてもの救い。つまり、いまの2008年6月15日前の日付である。もし2004年6月15日の日付けなら、メールを読んでいただけることはない。いくら打っても、過去のメールとして処理される。それがないのは幸運?ということか。

 とにかくいまのコンピューターの時刻は2060年6月12日。50年後である。その時代にこんなまぬけなメールを打つ人はおそらくいないだろう。
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新聞を読む 日朝協議での「拉致」問題報道の扱いは:川瀬俊治

2008年06月13日 22時21分42秒 | Weblog
 日朝実務者公式協議で拉致問題での「進展」があった。13日の各紙の扱いはどうだったのか。意外にも1面トップの扱いは毎日だけだった。


 13日の朝刊各紙で拉致問題を1面トップで報じたのは毎日だけだった。結果は拉致被害者が帰国するという劇的なものではなく、再調査を約束したことだったが、日朝関係では13日は1つの節目を迎える日であるだけに毎日が1面トップと3面のサイド記事を書いた編集は光ったといえる。

 讀賣、産経の1面トップにNHK番組改編での最高裁判決をもってきたのに対して、毎日は1面、3面に書き分け、拉致問題の解決の定義(安倍政権時代)を含めて載せた。要は毎日の報道は解決の政府見解がどこにあるかを見据えて13日午後発表「前進」のロードマップの1つに論究したとみるべきだろう。

 だから13日の町村官房長官発表後の紙面作りでは、毎日が1歩リードしているとは言えるが、問題は13日の日本政府の公式発表されていない事実をどれだけ迫れるのかに集約される。発表されていない事実は何なのか。朝鮮共和国はテロ指定国家解除が最大の目標であるわけだが、それが進めば拉致問題解決は進まないことになるのか。

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「風」 とんでもない犠牲で社会の闇が露呈

2008年06月13日 20時35分26秒 | Weblog
 被害者がどうして「安らかに眠る」ことできるだろうか。かといって、時間を戻すことなどできない。東京・秋葉原での無差別殺傷事件である。

▼絶望感が覆う。25歳の容疑者は「止めてほしかった」と話しているという。「何を今さら」と思う。「誰からも相手にされないことが最も不幸」と言ったのはマザー・テレサだ。その最も不幸なのが容疑者か。

▼相手を拒絶して自分の殻に閉じ籠もる。全面的に悪いことではない。自分の世界を作り、それを表現して社会還元することは新たな視点を創るうえで重要だ。マルセル・プルーストはパリの社交界から身を引き自分の部屋の扉にコルクで蓋をして外界との関係を絶った。そして名作「失われた時を求めて」を書いた。社会へ絶望感から人間を抹消しようとする「拒絶」とは次元が違う。

▼容疑者は「おたく」ではない。「おたく」は、擬似プルーストであり、いつかは普遍的な世界を作り出すかもしれない「宝庫」を探る人だ。彼は自分勝手に自らを被害者に仕立てあげて、惨劇を引き起こしてから、ハッと現実に出会う。だから「申し訳ないことをした」と話すのだ。彼のリアリティーの欠如はどうしておきたか。

▼洞爺湖サミットを備えテロ対策が強化され、駅構内で警官が高台にたち警戒の目を光らせている。入国外国人が指紋押捺まで強制された社会。しかし外からではなく内から無差別殺人者があらわれたのだ。凶器となったナイフを規制しても何の解決にもならない。

▼リアリティーの欠如はこの社会の代名詞だ。仮想現実。瞬時に情報が伝わるネット社会。生身の人間はどこにもいない。その中でどうして彼が「誰からも相手にされない」と思うように至ったのか。学歴社会、労働を安売り社会、孤立する家族。彼を生んだ社会の闇がとんでもない犠牲を出すことで露呈した。
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北朝鮮 新たな拉致問題での提案とは何か

2008年06月13日 00時41分02秒 | Weblog
 その内容は現段階で情報は入っていない。しかしこれまでの「拉致問題は解決済み」とする方針を繰り返さなかった。ではどうした方針を打ち出したと予想されるのか。

 生存者の帰還がまずあげられる。その人は誰なのか。従来の朝鮮共和国に見解からはずれるが、そんなことは北側は意図してはいまい。過去「拉致被害者はいない」と公言していたのが、小泉首相(当時)の訪朝では金正日総書記が拉致を認めた謝罪した経緯がある。新たな拉致被害者の動向をあげる可能性は少ないだろう。

 日本側は今回の公式会議で拉致問題の進展と日朝交渉再開を結びつけている。包括的に解決していく立場には変わりがないが、共和国側としてはテロ国家解除を一日も早く勝ち取る必要がある。

斎木局長は拉致被害者家族に今回の協議を説明するとしている。
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