ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

官業癒着と独立機関 東大とソウル大の論文捏造疑惑問題について

2006年01月31日 11時14分41秒 | Weblog
 リボ核酸研究をめぐる論文疑惑だが、三室さんの原稿を引用するとこうなる。

 「多比良和誠教授はこの分野でsiRNAを効率よく発現させる方法を考案して、世界でも注目を浴びた。その一連の研究で2003年のNature論文などが再現性に乏しいといった追試の結果が出て、ねつ造疑惑となった。この実験を担当した助手は実験ノートを取っておらず、パソコンに入れていたメモなどは壊れてしまい、証拠類を提出できないといったことから「ずさん」と非難されたわけだ」。

 日本RNA学会が東大大学院工学系研究科に調査依頼したのが2005年4月。すぐさま調査委員会を立ち上げたから2年近くたっている。その結果は灰色である。教授は「不正はなかった」と断言しているが、実験ノートはないわ、調査委が「完全に疑惑を払拭するには第三者との実験が必要と本人に説得したが聞き入れてもらえなかった」(朝日新聞1月27日朝刊)というコメントを読むとおづなっているのかと素人ながら思わざるをえない。

ところが韓国はわずか2週間で白黒をはっきりさせて、黄教授の論文偽造に断を下した。どうなっているのかと思う。

耐震偽装問題もライブオア問題も、アメリカ産輸入牛肉問題も、また東大のこ論文偽造問題も共通したところがある。それは第三者機関があるのかないのか、日本では極めて弱い機能しかはたしていないのである。天下り、官業癒着に端を発している。それは戦後60年の自民党支配と深く結びつく。小泉さんの構造改革もこの利権の構造にどれだけメスを入れられたかにある。

チェック機能不全ではないかと思わざるをえない。なぜライブドアの不正取引をチェックできなかったのか。アメリカ産輸入牛肉問題ではアメリカと癒着して国民を騙して閣議決定事項すら守らないのだから、怒り心頭にくる。

ではなぜ韓国は第三者機関をつくれたのか。われれれが高度経済成長の渦中、韓国は軍事独裁政権下で民衆はたいへんな弾圧を受けた。これを跳ね除けて文民政権が誕生した。当然、前政権の悪弊は駆逐される営みがやられる。その1つの成果が政府権力から距離をおいた独立機関の誕生である。国家人権委員会にしてもそうだし、放送メディアについての第三者機関のもとでの放送事業もそうだ。日本のようにお役所が番組にチェックを入れるなどもう軍事独裁時代の遺物なのだ。

こうした民衆が政権を変えていった歴史をもたず自民党長期政権をわれわれはずっと選択してきたツケがあらゆるところ出ているといえる。二つの論文偽造問題ではそこのところが違うのではないか。

考えてみれば、どちらも大学内の調査委である。しかし調査の突っ込み方、構造というか調査委の意識が違うと思う。「第三者と実験をして完全に疑惑を晴らしてほしい」と懇願しても疑惑教授はガンとして聞き入れなかったと報道にあるが、聞き入れないなら終わりなのか。

真実追求のため教授の意思で曲げられていいのかーこういう当然の確とした方向性を打ち出せないのだ。疑惑の人と調査委が同じ輪の中にはいってどうするつもりか。当然独立していないといけないのではないか。

こうした意識の希薄さが様々な問題を生んでいる。在日米軍の日本での諸費用を日本で
支払っていることは知られているが、なんとも思わないのか。海兵隊の移転等で何千億円とう負担がかかるといわれている。一方で生活保護費の打ち切りで餓死者が出る日本。これでいいはずないと思わざるをえない。

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なぜベタ扱いなのか 新聞報道の変節

2006年01月30日 13時03分54秒 | Weblog
たまたま事故がおきた夜、帰宅でバスに乗っていた。ところが「事故処理のため通行制限されてこれからは左折できません。コースを変更して迂回します」と車内アナウンスがあり、「迂回していたら帰るのが遅くなる」と飛び降りたら、空のバスが道路脇に停り、車体の前部があとかたもないほど壊れた乗用車がレッカー車に牽引されるところだった。「えらい事故やな」と思い、道路に飛び散ったフロントガラスの残骸にさらに事故の大きさを知った。

運転していた方はもちろん病院に運ばれたわけだが、午後8時半ごろの事故ということもあり、翌日の新聞朝刊県版には報道されていなかった。ところがである。事故から2日後になるが、県版を見てショックを受けた。バスの乗客2人も軽いケガをし、乗用車運転の若者は4時間後に亡くなったというのだ。それが県版の一番扱いの小さいベタ記事なのだ。トップ記事は明日香村の遺跡公開の記事だった(朝日新聞)

事故が起きたのが2日前になるということもあるが、なぜベタ記事で「明日香村の遺跡公開」より扱いが小さいのか。尊い命が事故で奪われ、乗客もケガをしている。これがなぜベタ扱いなのか。わからない。わからない。

交通事故はもうニュースとして大きく扱われないのだ。しかし行政のイベントより下の価値なのか。わからない。しかしそういう時代なのかもしれない。ニューヨークでは殺人事件が起きてもさして大きなニュースにはならないという。日本もそういう時代に入っていくのかもしれない。

恐ろしいことだ。なぜならそのことが異常とは思わないからだ。ビックリもしないからだ。それはおかしいんじゃないか。異常ではないか。

私がはじめて新聞記事を送ったのは、小学校前で飛び出したし少年が車にはねられた現場に居合わせて、「救急車!救急車!」と叫び、あとで現場検証した警察からたしかな情報を得て書いたものだ。目の前の事故は本当にビックリしたが、幸い少年のケガは軽症だったが、二段組みくらいで報じられた。忘れられない記事だ。いまから30年近く前のことだ。その時代はそうだったのか。いまあんな悲惨な事故がベタなのかーと時代の価値観の違いを痛感する。しかしこれでいいのだろうか。

今日事故現場を通ると花束と故人が好物だったのか缶コヒーが供えてあった。人間の悲しみ、故人を思う気持ちは30年前も今も変わらないはずだ。
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三島由紀夫と戦後ー絶対はなぜ美なのか ; 川瀬俊治

2006年01月30日 10時31分09秒 | Weblog
三島由紀夫と戦後ー絶対はなぜ美なのか ; 川瀬俊治
三島由紀夫の「金閣寺」を平野啓一郎が「『金閣寺』論」として論じている(『群像』05年12月号)。三島全集を駆使した実証的な検証であるだけに、平野はなぜここまで本格的に「金閣寺」を論じなければならなかったのかは彼の近作を読み込まないとわからないが、そのテーマはここでおくことにして、「金閣寺」論をどう考えればいいのかに絞る。


荒っぽくまとめれば相対主義対絶対主義の葛藤は人を自死にまで至るという壮絶さであり、そこまで至っても求める絶対主義の至福感である。三島に「生き続ける」根拠を与えたのは芸術家であることに代償されたからだーというのが平野の「金閣寺」論の概要だが、それほど目新しいことはないものの、重要なのは現代、21世紀の今この若い作家が書いたということだ。時代精神、時代の雰囲気に敏感な作家の評論だけに看過できないと私は見る。

ポイントは絶対主義における至福感なのだ。ここを平野は戦前の三島を論じる中でこう述べている。

「〈金閣〉に対する主人公の心情は、ここで決定的に変化することとなる。繰り返すが、これは、林養賢の犯行動機には一切関わりのないものである。(金閣)を天皇のメタファとして捉える立場からは、この敗戦前後の記述が最も重視される筈である。改めて確認しておくが、この間、天皇は一貫して不在である。そして、後に『英霊の声』で、特攻隊の霊によって語られる天皇との合一願望は、〈金閣)との合一願望という形で先取りされている。戦中の天皇神格化を通じて与えられた(現人神)というイメイジは、作中の(金閣)とほぼ正確に対応している。それは、神性という(絶対)的な観念の、肉体即ち物質を通じての顕現である。そして、〈金閣〉と同様に、〈天皇〉は、大戦末期、1一億玉砕」という、無時間的で破滅的な、絶望のユートピアの象徴であった。(絶対者)たる(天皇)との一体化というヴィジョンは、最も遠い距離の克服であり、従って、戦火はまさしく、「巨大な天の圧搾機」として、貧富の差、階級の差を初め、あらゆる社会的矛盾を無化し、その差異の編み目から個人を国民へと洗い出し、同じ滅ぶべき人間として醇化し、完全に平等に扱うものである。三島の中では、それは、栄光によって結びつくよりも、遥かに緊密で、切実で、裏切りの余地のない連帯であった。その渦中で、実際に、多くの国民が死んだ。そうして終戦を迎えた時、突然、その「関係」は破綻を来すのである。〈金閣〉と同様に、〈天皇>もまた、戦後社会に存続するが、大とは大きくその存在の意味を異にする。晩年の三島にとって、「文化的天皇」として提出されていた(観念の天皇>と、〈現実の天皇〉即ち昭和天皇とは、完全に離反していたが、少年時代の〈心象の天皇〉が前者へと移行してゆくというのは、終戦前後の記憶を、後に遡及的に再構成した結果であろう。その時、私と『天皇』とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れたのかもしれない。そして、まさしく「『天皇』がそこにおり、私はこちらにいるという事態」が、見出されたのではなかったろうか? ここからただちに、『英霊の声』で表明された天皇の「戦争責任」の追及∫¥-彼の場合、それは、その言葉の一般的な意味と異なり、二・二六事件に対する対応と、終戦後の「人間宣言」とに向けられていたがーまでをも読み取ることは些か難しい。〈金閣〉の建築的構造を、(天皇)を頂点に据え構築された戦時下の政治体制のメタファとして解釈することも一応可能だが、そこから、その責任を〈金閣>に帰すところまで論理を飛躍させることは出来ない。いずれにせよ、三島が(天皇)に対する心情とその思想とを整理していったのは、むしろこの作品の創作を通じてではあるまいか?」(316ページ)

よく知られているように、「金閣寺」の主人公は戦後を生きることを決意する。それは文頭において述べたように、三島に「生き続ける」根拠を与えたのは芸術家であることに代償されたわけだが、平野に言わせれば、自作の「鏡子の家」は「あらゆるものを投げ込んでしまった」長編なのだが、これが散々たる評価に終わった。この小説でのポイントは「童貞のやさしい画家」として描かれた夏雄=芸術家こそ、ギリギリのとみる。ここ三島が追及した芸術家としての生き方であったとみる。これが世間、文壇での冷たい反応であったところに1つのカギがある。平野の「金閣寺」論は戦争体験が谷崎的長寿の作家をめざさなかった結論よりも「より現実的」に小さくなかった遠因としてあるとみるのだ。

戦争体験からくるものという視点はよく指摘されたものだが、「金閣寺」から差し込んできた「一条の光」(平野)が「鏡子の家」の4人の主人公の創作(三島は2年近くこの作品に集中したことからも、作品の重みがわかるというものだ)になって生み出されたという平野の視点は重要だろう。というのはこの光が戦後現実に生きる道を具体化する上で重要だからだ。

ところが文壇も含め冷たい反応に終始したことは、また「金閣寺」の亡霊の復活を目指すのである(平野)。ここで平野の論は終えているが、私は実に世俗的だが、いまの右傾化が極端に進んでいるのはどうしてかを示唆すると見る。つまり右傾化の突出が顕現しているのは、この「鏡子の家」のように4人の主人公のような戦後の価値観にあう一条の光からだされた戦後的価値観がきっと提起されているにもかかわらず冷笑した社会的価値感があり、だからこそ突出したのではないかと考えていいと思う。

突然出てきたのではなく、戦後的価値観の選択肢の冷笑があり、先鋭化していくということは十分に考えられる。小泉さん靖国参拝など信じられないのだが、なで先鋭化したのかーこれを検証する必要がある。

この間、橿原神宮にかかわり紀元2600年祭の1940年の国家的イベントを調べていたが、空前の規模もこの催しは我々の視界から完全に消えている。どうしたことが行われ、どれだけの人が参加したのか。空前の国家イベントを支えた原理は何かなど我々は古代の出来事のように思っている。そこが問題なのだ。いまも紀元節は生き残り、日の丸敬掲揚、国家斉唱は法律化までされた。先鋭化したのである。それまでの選択肢をどう冷笑化したかの検証は大事だと思う。

ここで平野の「金閣寺」論から刺激を受けたのは、一つは「金閣寺」と「鏡子の家」を熟読するということと、戦後の現代の選択肢の究明である。
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総力戦と家庭の平安

2006年01月29日 13時52分00秒 | Weblog
雑誌『世界』2月号で社会学者の大沢真幸さんが多文化主義と原理主義について書いているが、ここでこの碩学はイスラムは本来宗教的に寛容であり、18世にイスタンブールを訪れたイタリア人は教会がシナゴーンとモスクの間に建っている宗教的寛容さはマホメッド主義の退廃ではないかといったエピソードをあげている。

現在、イスラムに結び付けて不寛容を説くのは西欧キリスト教の特徴ではないかと問題提起する。つまりイスラムで原始主義的なものがいかい孕まれたかは西欧近代が流入されてからだというのだ。

経済でも原理主義の名前がつく。市場原理主義だ。これを政治が後押ししたのがホリエモン事件だ。しかし総力戦といえば、1937年体制(国家総動員体制)時代を歴史的に思い浮かべるが、それで終わったのではないのだ。当時は天皇が神のような存在で、その元での総力戦体制だったが、いまは市場原理主義での総力戦なのか。

しかし「バリバリバリウス」という富豪の自宅など映す番組を午後にやっていたが、じっと見つめる家族の発言に全面的に頷くしかないのがなさけない。それは自己防衛なのか。「歌手の上田正樹さんがバリ島に住んではる。あんな家、いいな」。足の踏み場もない本の山の部屋を見る。一方で「この本の山、どうすんの。よその家は本なんかない!」と次の瞬間かえってくる。またテレビに見入る。

おー、テレビ番組の制作の秘密がわかったゾー。こうした娯楽番組は家庭の平安のためにあると。総力戦の分析の前にしなければならないことがある。
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ライブドアとマスコミ 「朝生テレビ」途中まで

2006年01月28日 12時48分53秒 | Weblog
肝心のマスコミのところの検証が夢の中であったが、「スパーモーニング」の渡辺キャスターが堀江容疑者がテレビにいつから登場するようになり、どうしたかたちで扱かったかを説明していたが、やけに民主党の管さんが「マスコミは第1権力だ」と質すのが印象に残った。

管さんはよほど党首を引きずりおろしたテレビ報道に嫌悪感をもっているのか、相(あい)対している自民の平沼さんとは好対照だった。ところがその第1権力の指摘は大事なはずなのだが、司会の田原さんが「民主党がしっかりしないからダメだ」と横槍を入れたものだから、どうも前に進まなかった。そうこうするうちに、私はカーペットの上で寝てしまった次第。

ライブドアと闇の勢力のことも語られていたが、日本は恐ろしい闇の世界があるようで、そこが透明性が不足する原因なのか。よく調べている人も「朝生」に出ていたが、要は権力のもつ闇というものなのかー権力構造を徹底して解剖することがポイントと思ったが。これは学者ではなくジャーナリストの仕事だろう。無論近代社会分析となれば学者の仕事だが、しかしこの問題は日本社会の抑圧構造も関係して大切な問題だろう。

それはともかくとして今回の国会答弁では安倍さんが大分バッシングにあっているようだ。というのはヒューザーの小嶋社長がアプローチしたことに「それは偽装だ」と答えたことが、逆にそこまで向き合う必要があるのかと視聴者ぼ一人として思われた方も多かったのではないか。どうして軽くあしらわれないのか。狸ではないんだ安倍さんは。真面目すぎる点に何か不安に感じる。第一たいしたスキャンダルではない。耐震偽装を見逃した癒着構造を突かれればいたいが。たいといっても私は自民党の支持者ではないが。
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ホリエモンとマスコミ

2006年01月27日 11時53分39秒 | Weblog
メディア史が専門の佐藤卓巳さんが毎日新聞(大阪本社)1月25日夕刊でライブドアグループの犯罪を「メディアの犯罪」と呼ぶべきだと論じていた。論拠は既存マスコミがその犯罪に加担して「有名人」を作り出すことで「ホリエモンもマスコミとともに繁盛したからである」というのだ。

たしかにマスコミは有名人を作り出すことで視聴率、購読数をあげる。ネットで同様だ。しかしその有名人は「消耗」材でしかない。消費者の購買意欲をさそうための「消耗」材であり、ときがくれば忘れ去られる。

佐藤卓巳さんが語っていたことで面白かったのは、マスコミは有名人を作り出すが、英雄は作らないということの指摘だ。世間は本物の英雄を作ることを望んでいないし、「人気があるのは『チャンスさえあれば自分たちもなれる』有名人である」という。

ここは違う。英雄は民衆が作り出すものであり、日本にはいま英雄がいないが、お隣りの韓国では英雄はいつも作られている。偽造の幹細胞で信頼が失墜した黄教授はいまも熱烈な黄教授支持者がいる。韓国哲学の小倉紀蔵さんが「日本はタレント化するが、韓国は英雄化する」とどこかで言っていたが、英雄化するのは民衆の集団意識があらわれたものといえる。だから、韓国は民衆という存在がまだ生きているといえるのではないか。

ただ英雄の危うさを知っているのも民衆であるから、有名人として消費することは安全弁かもしれない。それが日本なのか。英雄を生む構造は戦時下にあのある朝鮮半島の危機のあらわれかもしれない。

大分論点がずれたが、ライブドアショックはマスコミにも当然ないといけないが、これが皆無なようなのが解せない。「メディアの犯罪」といった佐藤さんは今回の事件での様々な人の発言の中で光っている。

株価を吊り上げた舞台回しをマスコミが受けもったとすれば、そこの情念分析は非常にたいせつだろう。情念とはホリエモンを持ち上げ関心の中心にすえる感情の流れ、感情の発露である。

経済という化け物が牽引したから舞台回しも居場所があったのであり、情念と経済は現代を解く2大要素だ。この2大要素に担がれて粉飾決済による株価吊り上げ、大メメディア買収収交渉と続くわけか。

しかし日当3000円を500円あげろと世論調査の仕事で交渉した経験を私はもつが、この3000円、3500円の世界に住む私の方が偽装はないからましなのかもしれない。ホリエモンを支えた情念と経済に無縁だからだ。(ジャーナリスト・ネット1月27日掲載分)
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人類は進化しているか?

2006年01月27日 08時40分43秒 | Weblog
ウガンダのビクトリア湖周辺のママンバ湿地に住んでいる。体長80センチ近くになるマンバという魚をとり生きている。

 面白いのは外来魚がはびこることでママンバが減少しているとテレビで報じていたことだ。共生とは食う、食われる関係でも共生というのだから驚きである。

 人類という生物種が維持されるのは、残酷な見方からすれば食う、食われる関係が維持されているからか。

 何を食い、食われているか。もし人類が人類を食い、食われる関係ならこれは共生ではない。しかし文明が進んだ国、民族がそうでない国、民族を食うことで繁栄した歴史など嫌というほど人類で繰り替えされてきた。

 事実、食う国、、民族が弱まると、巨大な帝国は崩壊していった。崩壊するまで支配者は気づかないのも繰り返されてきている。

 人類は本当に進化しているのか。絶えず進化し、退化も進化の一つの形態という人もいるが。それは物質的な面だけだろう。
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夭折した弟よ

2006年01月26日 08時24分53秒 | Weblog
 記憶していることを私は記録しただろうか。その最たるものが28才で他界した弟のことだ。その無念さは時折吹き出る流涙で繰り返し反芻されるされが、拭(ぬぐ)われるこなどない。しかしそれ以外の表現方法を見出せないところに無力さを思う。

 ちょうど実家と疎遠になっていた私がたまたま聞いたのが弟の急な病で入院したということだった。それから1か月余で逝ってしまった。それから私は恥じ多くも30年近く生きてきた。

 運命だと言ってしまえばそれまでだが、しかし人は運命ではなく運命に抗うものだ。病から夭折したことでも無念さは晴れないのに、尼崎のあの事故で亡くなられた遺族はいまどんな気持ちでおられることかと正直思う。

 私が不思議と血縁と縁遠いのも仕方がないかもしれない。この兄してこの弟ありで、弟の夭折が突出したことではない。10代後半からの神経症に悩まされたが、それがパニック症候群といわれるものだと概念化されたのはつい最近のことだ。

 とにかく命にかかわること以外鷹揚になることが病から脱出することだと悟ってきた。20代半ばに徐々に癒えたが、この鷹揚さは周囲にきっと迷惑をかけているに違いない。

鷹揚とは聞こえがいいが、ただまわりに配慮しない、気を遣わないこと、他人に無関心でいることでの自己防衛を装う風体であることが多分にある。鷹揚と凡庸とは天と地の開きがある。凡庸とは世の中の営みに加わっているが、鷹揚は何か上の空である。

 しかしいま神経症や閉じこもり、鬱(うつ)でいる人は「どうして私だけなるのか」と悶々としておられるのではないか。しかしその状況は生きることに真面目だから招来するものであり、巨大なストレスとあい紛(まが)うから症状を生む。長引く風邪でさえ転地すれば癒えることがあるように、生活をかえることが解決の一つになるかもしれない。ただわたしのような鷹揚さは人様の不快をかう。

弟はもろ真面目であり、もろストレスを受けた。だから真面目に28才の人生を駆け抜けた。病は20代前から蝕み、それを見抜けない私は、自分が社会の中で這い上がることのみ懸命ゆえに、病が目に見えるようになったときに初めて事態の深刻さを知る愚兄でしかなった。

少し背伸びして偉ぶって人様の前で話すことも、社会的栄達も関心が薄らいできた。己の中に敵がいるからだ。社会運動に参画しているようだが、どこか居場所の悪さを覚えるのはそのためか。

記録することでしか記憶できないーノンフィクション作家の名言は、私に体に刻まれた歴史を記録することを迫る。
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取材しまくる精神

2006年01月25日 08時38分35秒 | Weblog


それは仕事をしなくても収入が入るからだ。その言葉の逆説として「取材しまくる」がある。

日本の金融制度を手玉にとった稀代の金満主義者ホリエモンが逮捕された。彼はサラリーマンではない。だから獄中にあっても仕事をしないでお金が入るサラリーマンではないから次の一手を考えているに違いない。

いかに生活費を削るかということで生きている人間には株式の分割売買などピーンとこない。日本の大半の人がピーンとこないだろう。

あれだけ安泰といわれた小泉政権の後継へのバトンタッチに暗雲が垂れ込めてきたという。これがよくわからない。何かあるのかと思う。

見破れないんですね。ジャーナリズムの専門職記者でも。今回の証券取引法違反について。


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学者の怒りと優しさ

2006年01月24日 18時09分40秒 | Weblog
なかなか焦点がしぼれなかったが「紀元2600年祝典」と朝鮮人建国奉仕隊と、もう一つは「紀元2600年祝典」と在日朝鮮人の2本だ。2本に分けたのは、最初の1本に収まらないから、後者を独立させた。

 しかし拙速すぎる。その感が強い。「書いた。終わり」と言うと、「あんたの原稿で稿料が入るなど考えられない」とつめたい反応。なにせお金とはあまりにも縁が薄いのだから、この反応も頷ける。ただし論文でお金など入らない。

論文など書いているより真面目に働いてコツコツ生活費を稼がないといけないが、これに危機意識をもたんから、まことに弱ったもんだ。天から降ってくると思っているんかね。

ところで書いた論文が採用されるかどうか分らないのだから、これがまた暢気な話だ。つまり論文を書いても実現できるかの保障がない。「書く」と手を挙げたのだから大丈夫と楽観的なのだ。暢気さと楽観的は表裏一体か。

学者の世界の批判はすごい。2回ほど批判でこっぴどくやられたことがあるが、「そこまで言わなくても」と内心思い、連中との付き合いを絶った。

人間が優しいということは、引くんですかね。その世界で住む人はスゴイということか。
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書くことの方法

2006年01月24日 16時59分30秒 | Weblog
取材主義と文献主義。どちらも実は共通している。取材で相手の話を聞くことと、文献をじっくり読み込むこと。前者では何時間にも及ぶし、真偽のほどをその粘り腰で判断しなくてはならない。後者は文献批判ということにある。批判すべき文献に依拠すれば、恥の上塗りになる。文献の弱さ、あるいはウソを見破れなかったということと、その文献による論理構築の虚妄さということで。 . .

どちらも足で稼がねばならない。
体力がいる。めんどくさがってサボルとどうなるか。
取材では朝日新聞の長野支局の偽造記事になるし、文献では裏のとれない資料を載せてしまう。代表的なものが剽窃である。さらに孫引きというのもサボりの一つ。孫引きをしてその孫引きが間違っていることもある。

取材主義も文献主義も調べたものの多くがムダになることを恐れてはならない。
8割、9割ムダになることもある。そのムダがいいという人がおればすごい。昨日佐野眞一さんの講演を聴いたが、ズバリそのことを言われた。「ムダが楽しい」と。
取材の厚みを増し、文献に依拠した論文がより大きいテーマに向かえる可能性をもつ。

取材主義も文献主義も時間をかけることだ。拙速では鉱脈に出会えない。またどちらもイデオロギー支配から脱することだ。イデオロギー支配はどこか公式主義的で色あせている。また権力に媚びないことだ。

書き手たるもの、この両方、取材主義も文献主義と兼ね備えたものを書き手は目指さねばならない。

ただもう一つ重要なものがある。想像力だ。それは直感なりカンなり、イメージなりが横溢することだが、担い手は統括的な位置を見つけないといけない。ものごとを一つの高みから、またはものごとを少し離れた目線から見れる大きさなのだ。

なかなか出来ない。しかし想像力のあるなしは決定的なのだ。

作品の魅力も最終的なカギを握ると同時に魅力的な構想力を持った作品は想像力に裏づけられているからいいのだ。

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元毎日新聞記者 西山太吉さんの講演

2006年01月23日 16時21分23秒 | Weblog
密約すっぱ抜きは政府の論点すり替えにより訴追され有罪判決を受けたが、言論の自由で命を張った日本人記者を目の当たりにしたのは初めてのことだ。韓国ではハンギョレ新聞社の創設者の何人かとお会いして言論闘争をした人の意外として静謐なことに打たれたが、西山さんは74歳にしてなお血が滾(たぎ)る方であることに逆に驚いた。

講演では密約を国が行った組織的犯罪であり、隠蔽する体質は変化せず、米軍再編問題での日本の「思いやり」予算ならぬ日本の負担はひょっととして何千億になるのではないかという指摘もされた。米軍再編は実質的には琉球処分」とも明治以降の沖縄の歴史にふれながら話された。さらにアメリカの21世紀の国家戦略は中国、インドにシフトしており、日本の外交姿勢はその辺を視野に入れていないという。

「日米関係が良好なことは東アジアが良好なことだ」と小泉さんが言ったが、それではなぜ中・韓とうまくいかないのか。まったく現実に裏打ちされていない事態が横たわる。密約問題からいまの沖縄、日米関係を検証することが重要だ。

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気概をもつこと、その秘密は

2006年01月22日 16時44分38秒 | Weblog
 出版は、本島は無論のこと、宮古島、石垣島などでも盛んだ。つまりこれは「気概」の問題なのだが、その「気概」を生むカギが何かよくわかってきた。それは「読者」と「テーマ」が見えていることだ。後者のテーマはヤマトでもそうだが、「読者」はマス媒体が出版だということで見えにくい。ところが沖縄の出版はどういう人が求めているかが鮮明のなのだ。

それは歴史意識と民衆が具体的につながっているからだと思うのだが。22日の琉球新報読書欄で紹介されていた大西照雄さんの『愚直』(なんよう文庫)は辺野古のたたかいの中から生まれてきたものだが、読者が個々の民衆にあることで見えている。簡単に言うと、民衆が見えるのである。だから企画として成立する。

 ヤマトではそういう意味で運動圏での企画は、商業出版では難しくなってきた。それはどうも民衆がみえなくなってきたからではないか。さて、そこでどうするか。宮崎学さんが新著『法と掟と』(洋泉社)を出し柄谷行人さんが朝日新聞で紹介していたが、宮崎さんが勧めるのは国境を超えた個別社会構築だそうだ。要は全体社会がズーッと根を張っている社会が戦前から戦後も続いているというのだ。そのあたりからの切り口は面白いが、個別にあhなかなかなれないのが日本人の習性(作られたものだが)ではないのか。迷路に入る。
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ただいま25度

2006年01月20日 17時30分33秒 | Weblog
何と沖縄は桜が咲いたところもあるというではないか。25度とは驚いた。オーバーを着込み那覇空港を降りたら、この熱気! 今日は2か目だが、朝からグングン気温が上昇する。友人の大工の彼は「いま26度だ」と言うから驚き。「26度、26度」。本当かね。皮膚感覚でわかるという。名人芸というべきか。

彼のところを午後3時に発って、会議のある沖縄市に向かったが、道路は工事の連続。沖縄市役所前の会場まで1時間20分もかかってしまった。

このパソコンを借りた彼は関西に昔いた人で、沖縄に来るとパソコンを借りに来る。好意にいつも甘えている。その彼が開口一番、「時間かかりすぎ」と断。

理由がある。いつも間違うんです。コザ十字炉を曲がり、胡屋で左折となるが、コザとゴヤをいつも勘違いして、その結果、ウロウロ。私には「経験学習」というのがないのかとつくづく思う。

さらに沖縄市に行くのも大変。「沖縄」という文字があちこちにある。「沖縄自動車場」「沖縄○○」…。すんなり着いたことがない。

そこに東京からのナマジョッキー。「ふざけんな」と叫んだが、ふざけているのは私の方向音痴ぶりだろう。大事な会議は11時ころまでなりそうだ。ただ寒くない分、ラッキーというべきでしょうか。
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ご祝儀報道

2006年01月19日 16時10分50秒 | Weblog
新聞界の慣例として人事の新任者、とりわけ警察本部長が変わると必ず一斉に人物紹介をする。それが各紙いっしょなのだ。それも同じ日に報じられる。

19日朝刊もそうだった。読・産・毎・東京を読んだが、すべて新総監の人物紹介だった(朝日は見ていない)。その内容も、扱いも同じ。

戦前の翼賛報道のなごりなのか。

この人物紹介をご祝儀報道というが、違った角度で、また別の日に報じてもいいではないか。そう思いませんか? 翼賛報道などとたいそうなことはいわないが、角度を変えていろいろ論じてもらいたい。官庁の広報紙じゃないんだから。

私も現役のとき新任の警察本部長の人物紹介をやったが、各紙も横並び。おかしいと感じなかったのがなさけないが、読者になるとよくわかる。 

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