不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日韓の言論状況を考える

2005年12月31日 20時53分42秒 | Weblog
大晦日に韓国ソウルの李仁哲先生から原稿をいただいた。さらに韓国聯合ニュースのワン記者からも原稿が送られてきた。いずれも今年5月から始まった「ジャーナリスト・ネット」の大晦日原稿である。

さて李先生の原稿は7月から検察が捜査してきたXファイル事件の捜査状況であった。1997年大統領選挙直前当時国情院の盗聴チームが不法に盗み聞きしたもので、盗聴チームの責任者が録音テープの一部をテレビメディアに提供、明るみに出た。その内容は全文が掲載された月刊『朝鮮』を読むことだが(筆者未見)、李先生はそこに生々しいやり取りが収録されているといわれる。韓国最大財閥である三星(サムソン)グループのナンバー2である構造調整本部長と、三星が創刊した日刊紙「中央日報」社長(事件が表面化したときは駐米韓国大使))が1997年大統領選挙でハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補に巨額の政治資金を隠密裡に提供した事実を示唆するやりとりが出ているのだそうだ。

三星といえば韓国が世界に誇る代表的企業である。巨額のお金のやり取りを会長が知らないはずはないということで、録音テープには証言がないが、疑惑が取りざたされた。その捜査結果が12月14日に出た。いずれも不起訴であった。

ところがである。事件を告発したテレビ記者と雑誌記者は非拘束ながら起訴されたというのである。市民グループで構成するXファイル共同対策委員会は「検察は財閥総帥にひざまずいた」と批判しているという。この詳しい事件内容は10月12日、捜査結果は12月31日の李先生の「いま韓国は」のネット記事を見てほしいが、どうも韓国ではいまも言論が苦難の道を歩んでいるようだ。

例の黄教授のニセ幹細胞事件でも事件を告発したテレビ番組が廃止に追い込まれ、黄教授の不正が明らかになる過程で復活の道が開けるなどこれも苦闘を思う(12月28日のPRESSIANで放送局内報が紹介された担当デレクターなどの6月1日から始めた取材が記録されている)。

ただ日本と違うのは曖昧さがないことだ。今年一番の言論の事件はNHK番組「問われる戦時性暴力」が、放送直前に政治家の介入がある変更された問題を告発した朝日新聞のその後だが、最も肝心な政治家の介入で番組が変更されたとする主張は変えていないが、自社の情報が外部に流出したということで幹部が引責辞任したりして、部外者には「一体どうなっているのか」とスッキリしないことだ。取材テープがあったかなかったかは、取材相手に了解をとっていないこともあり表に出ていない。それよりも魚住昭さんが月刊『現代』に書いた内容で十分に論及されている。なぜ情報流出の非を認めた朝日は後ろ向きになっているのか。判然としない。

相手は時の権力者2人に「げせわ」な言葉で言うならけんかを売ることだ。それだけに十分な準備をしないといけない。社を挙げてである。その点が決定的に不足していたのではないか。

とにかく韓国言論と違いスッキリしない。ある報道をめぐり記者が起訴されるなどの事態はないが、26日にきまった犯罪被害者等基本計画案で犯罪被害者の匿名、実名は警察の裁量だという。新聞協会などもマスコミ側の要望は一切とおらなかった現況を考えれば、徐々に言論は首を絞められてきているのが日本のマスコミではないのかという気がする。2006年は憲法改正問題が本格化する。いよいよ正念場ではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2005年体制」って?

2005年12月30日 19時14分52秒 | Weblog
「2005年体制」という言葉た生まれた今年。無論、55年体制ではない新たな時代ということだが、55年体制崩壊は冷戦の崩壊ですでに終えているところだが、政治体制の変化が顕著になったのが2005年ということだろう。時代の変化をどう読むのか。その序論である。

 今年は経済評論家(田中直樹さん)が「2005年体制」と名づけるほど社会構造がくっきり輪郭を異にした。「2005年体制」とは旧来の組織依存頼みの票田主義ではとても政治的勝利を得ることが出来ない政治的変化を遂げた体制に突入したことをいう。日経新聞でまず用語を田中さんが使った。
 
 これまでの族議員が代弁する政治構造は55年体制で軌道が敷かれたことと関係をもつのだが、その政治構造が崩壊したーと田中さんは言う。この「2005年体制」という言葉はもうマスコミの社説にまで登場している(「日本経済新聞」12月30日)。

こうした状況下、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。

言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ(毎日新聞の注目すべき連載「縦並び社会」が12月30日から始まったが、貧困率が掲げてある。メキシコ、あめりか、とるこ、アイルランドに次いで5位だという。ただしアジア、中東、南ア、アフリカが表に現われていない)。
 
一方でアントニオ・ネグリが唱えた「マルチチュード」の概念が指示を広げている。それは主権が侵害される、希薄化するとみる反動化が右傾化による国家主義を台頭させているのに対して、国家主権に収斂あれない民衆(市民権をも排除された人たち)が世界を動かしていくという主張だが、主権と非主権のせめぎ会いは今後ますます大きくなるだろう。なぜなら貧困化の加速は「マルチチュード」を生み続けるからだ。

なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。

来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
「2005年体制」という言葉た生まれた今年。無論、55年体制ではない新たな時代ということだが、55年体制崩壊は冷戦の崩壊で指摘されたところだが、政治体制の変化が顕著になったのが2005年ということだろう。時代の変化をどう読むのか。その序論である。

 今年は経済評論家(田中直樹さん)が「2005年体制」と名づけるほど社会構造がくっきり輪郭を異にした。「2005年体制」とは旧来の組織依存頼みの票田主義ではとても政治的勝利を得ることが出来ない政治的変化を遂げた体制に突入したことをいう。これまでの族議員が代弁する政治構造は55年体制で軌道が敷かれたのだが、それが崩壊したーと田中さんは言う。この「2005年体制」という言葉はもうマスコミの社説にまで登場している(「日本経済新聞」12月30日)。

こうした状況下、であり、高瀬淳一さん『武器としての〈言葉政治〉』という本が表れた。言葉を戦略的に使い有権者の支持を高め、新たな状況をつくる時代に突入したという著者の主張だ。小泉純一郎首相はその時代をかぎ分けマスメィアを大いに活用して自民が30議席に迫る勝利を収めたというわけである。

言葉を武器として政治を行う「言葉政治」。しかし、富裕層と貧困層の2極化というより、日本での貧困率が高い数字を示したのも今年なのだ。一方でアントニオ・ネグリが唱えた「マルチチュード」の概念が指示を広げている。それは主権が侵害される、希薄化するとみる反動化が右傾化による国家主義を台頭させているのに対して、国家主権に収斂あれない民衆(市民権をも排除された人たち)が世界を動かしていくという主張だが、主権と非主権のせめぎ会いは今後ますます大きくなるだろう。なぜなら貧困化の加速は「マルチチュード」を生み続けるからだ。

なににしろ「2005年体制」は、田中さんに言わせれば、社会的弱者で真に救済すべき対象者が絞られるという。この間の動向を見ていたら2005年に始まったわけではないし貧困率も1990年代半ばから顕著になっている。リストラにより企業生き残りは1990年代から始まっているからだ。だから2005年に始まったのではないのだ。ただ既得権勢力がしっぺ返しを受けたのが2005年であり(郵政族など)、自助社会という題目でギスギスした「勝ち組」「負け組」という用語が1人歩きし出しているのだ。

来年6月には憲法「改正」を巡る国民投票法案の可決予定を年表で示した新聞(産経新聞12月30日)をみて、少数政党にどんな力があるのか、主権の暴走を止める歯止めが憲法9条2項なのにと思うのは私1人だけではないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原風景としての河川

2005年12月29日 20時47分54秒 | Weblog
 京都にでかけた。29日だから帰省の車が多いと思ったが、意外とすいていた。

 八瀬、大原に車を走らせたが、先週の雪が残り凍てついていた。驚いたのは八瀬の遊園地近くで宅地開発が盛んなことだ。コンクリートミキサー車が行き交い、建物の骨組みが見える。

 少年時代は夏休みは八瀬のプールに毎日のように通ったが、プールの水が山水で冷たいく震え上がったのと、叡山電鉄で木々のトンネルや小川を渡り、異郷に赴く感じだった。それがいまはマンション群が見えるのだから、50年近い歳月は恐ろしい。

 八瀬の村に入る旧街道と別の道路がとおり、定期バスなどが走るようになったのはいつからだろうか。窓外に見える川は昔のままなのに、まったく相貌が変わったように思ったのはなぜだろうか。

 河川は原風景であることに気づいた。この意味は意外と深いかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄禹錫(ファン・ウソク)教授事態、もみ消し工作疑惑や細胞すり替えの告発も 

2005年12月28日 14時35分20秒 | Weblog
韓国の黄禹錫(ファン・ウソク)教授の幹細胞(ES細胞)研究についてテレビ番組「PD手帳」に論文の不正を訴えたアメリカ在住の韓国人研究者に対して口止め工作資金ともみられるお金3万ドルが動いたのではないか、それも朝鮮日報28日の報道では国家情報院が口止め工作資金に関与していたのではないかと報じるなど複雑な様相を呈してきた。

しかし科学の基礎研究とはおよそ無縁なものばから。国家情報院は「報道は事実関係を確認しない虚偽報道」とコメントしている(朝鮮日報から)。ソウル大学調査委員会が26日ニセと断定した幹細胞について黄色教授が「すりかえられたものだ」と告発する事態にもなっている。

こうし応酬を追っていると本質を見失う。ニューヨークタイムスは25日に分析記事を載せ、「韓国政府の手厚い支援誘致策と研究組織の細分化、豊富に供給された卵子などがある」と分析した。またさらに、「黄教授は胚クローンの段階別に研究チームを細分化・特化。お互いに研究員は研究の進度がわからず、 個々の患者に生物学的に完全にあうES細胞を直接目にした研究員はほとんどいないようだ」とも伝えている(東亜日報28日電子版参照)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報道被害と匿名発表

2005年12月28日 00時13分34秒 | Weblog
 犯罪被害者等基本計画案が26日原案通りまとまった。今後は被害者の生活支援など画期的な面もあるが警察が実名、匿名を個別に適切に判断して発表することになる。

 恣意的な判断で匿名発表されないということだが、新聞協会などは、警察にとって都合が悪い事件を匿名原則で発表していくと、「権力犯罪」そのものがあらわにならないとして実名報道にするよう求めていたのだが、ついにメディア側の要望は実現しなかった。

 これまで被害者が匿名というケースは婦女暴行に対する被害者は匿名とされた。実名を出すことは性被害を明らかにし、被害者への偏見を生むからである。報道による公共圏形成は加害、被害について、いずれも慎重でなければならないが、それは報道側の判断が優先するのが原則である。しかし今回の決定はその前に判断が入ることになることを意味する。

 これまで新聞協会など反対してきたのだが、市民レベルからほとんど反対の声はでなかった。マスコミと市民の間にすき間が確実にある。マスコミへの批判が社会で根強くあるからだろう。マスコミは民衆の味方ではない、むしろ加害の面があるという意識が近年潮流として出てきた。報道被害ということばが出てきた。それは民衆同士の反目ではなく、マスコミという権力に対する権力なき民衆の告発であった。

 こうした社会動向を背景として警察側が民衆=被害者を保護するという「正義」が今回の法の正義の根幹にある。しかし何か変だ。警察という権力が「国民」の知る権利を代行するマスコミ=言論の役目に裁量権を行使するからだ。

 警察は報道に現われるまえに作為する業務上の裁量権は実に多い。容疑者逮捕のために犯人だけが知る「秘密の暴露」をおさえることは捜査の生命線であるから、起訴できるまでオープンにしない。捜査上犯人逮捕と関係がない情報を報道に教えることはよくあるし、それを抗議する言論がおれば己の取材力のなさを逆に語っていることになるから、そのこと取材側と警察がもめたということはあまり聞かない。

 今回はその警察側の裁量とは関係がない。本当に被害者が公表を求めない場合だけなのか。広島での女児殺害事件では容疑者逮捕で一斉に匿名になり、顔写真も報道されなくなった。被害児童の遺族側の要請があったからだろうと推察するが、これは報道側の裁量でもある。決して警察側の裁量ではない。

 本当に警察の裁量ではなく被害者側の要望で匿名にされるのかー。言論の側はこの検証をやらねばならない。基本計画には「被害者側の要望による」とは明記されていないだけに、真実は何かをさぐる役目を担うことになった。その作業をしないなら言論は警察の裁量に屈することになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1995年と2006年 その2

2005年12月27日 18時37分05秒 | Weblog
 1995年と2006年という曜日の一致からいくつかの問題を26日に書いたが、今回は2回目。阪神・淡路大震災は1995年1月17日おきた。そして2006年は耐震偽装問題が政局を揺るがすのか。
 
1995年の震災での被害と今回の分譲マンション居住者に対する公的支援では決定的に異なる。95年は個人保障はしなかった。このため崩壊したマンションのローンと、新たに住むマンションのローンの2重ローンで苦しむ人があとを絶たない。今回は公営住宅化確保や以遠票など、とにかく80億円の公的支援が決められている。

 行政なり法律は一貫性がないとその政府は信頼を失う。法に実効性では、憲法―条約の下位法である国内法は上位法に反していないのは当然である。法の支配、法の一貫性があるからだ。行政もそうだ。今回の処置は突然降って沸いた耐震偽装に弱り果てた住民に対して救いの手を及ぼすのは政府の姿勢としては評価できるいが、淡路・阪神大震災の時はどうだったのか。新潟中越地震の被害者はどうだったのか。建て替え費は支援対象ではなかった。ぜんぜん行政の一貫性がないではないか。

 アスべスト被害では法の時効を配して被害者に労災を適応する。当然だろう。アスベストの施策を今回にあてはめるなら淡路・阪神大震災も新潟中越地震も被害者は建て替えなどの公的支援を受けるべきだ。

 11年で時代が進化したということも出来るが、進化したということなら、政治の透明性が確実に人びとの前で展開されるかだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1995年と2006年 その1

2005年12月26日 11時50分53秒 | Weblog
  2006年は199年のカレンダーと曜日が同じなことに気がついた。曜日の配列は同じでも私個人の人生を取り巻く環境もずいぶんかわってしまった。しかし不思議なことだ。手帳を見て、この日、こんなことがあったと見比べてしまう。

 社会環境で最大変わったことはコンピユーターの普及だろう。クリスマスイブは韓国にいたが、その韓国とはインターネットでは日本は相当遅れはとっている。ネットで世論が導かれるのも日本と韓国はちがっている。ノ大統領の産婆役の一役を担ったネット新聞「オーマイニュース」のようなメディアは日本ではまだ誕生まで時間がかるといわれるが、これからどうなるか。

 ただ2チャンネルのようなメディアで多くのアクセスを数えるのは、ひとつの現状を語るものだろう。今回の韓国の黄教授問題でMBCテレビの看板番組「PC手帳」がいち早く黄教授の論文問題を報じたことから、ネットで批判を受け、一時は中止に追い込まれた。「韓国の英雄を誹謗するとは……」と、ネット上の批判は「愛国言論」「愛国主義」となずけられるもので、ネットはどうも「公共圏」構築のため民主主義の監視役をはたす一方、「愛国言論」に走る可能性を持っている。日本でも無関係ではない。ただテレビ番組の広告があんくなり、番組が中止に追い込まれるなどはおきていないが。

 さらに変化したのは韓国、中国と政治的距離が広がったことがある。小泉さんは一国の首相としてなんであんだけ靖国神社参拝にこだわり日韓の嫌やがることをされるのか。まずはアメリカが怒らないことが背景にあることも一つの要因だ(のちに述べる沖縄問題ではアメリカの意に反する県外移設を主張するなど一切されていないようだ。

 しかし、このこの傾向(東アジアでの孤立)はポスト小泉でも変わらないのだ。民間ではますます交流が進んでいるのに、政治と現実があわなくなっているのではないか。「政治ではギクシャクしているが、経済交流は活発だからいい」と語るテレビのコメンテーターは、政治と現実のギャップがあることは重大な問題なことをご存知ないのか。

 仕事上で1995年と変化した最大の点は本が売れないということで簡単に企画が成立しなくなったことだ。経済的な厳しさが出版界は遅れてやってきたようだが、厳しい出版環境はそう簡単に克服できそうにない。

 新聞や書籍、雑誌は総合的判断を養うことはいま強調されていい。ネットは情報が単独で歩き出し、その情報が大きく社会を覆う傾向をもつ。テレビのニュースで「大きなニュースだ」と見ている側は映像から判断するのだが、翌朝新聞を見るとたいしたことがないことに気づくことが多々ある。それとどこか似ている。ただし「サーズ」を告発した中国人のネット連携は中国政府の秘匿を改善させた。いかに現代は不可能かを如実に示した。個人がメディアをもった時代であることを示した特性、利点は強調したいが、いま述べたマイナス面の自覚しないとだめだろう。

 ネット情報は活字の映像化なのだ。新聞は売り上げが減り、雑誌も同様だ。総合的判断が貧しい時代は1995年に比べ比較にならなほど減少している。

 変わらないのは何か。とりわけ沖縄の基地問題がある。小泉さんが昨年10月「沖縄の負担軽減」を公言されたとき、沖縄県名護市辺野古で座り込みの基地移設反対運動をされている知人に「これで大丈夫になったのでは」と語ったのが私だが、知人らは「とんでもない」と言っていたことをいま思い出す。いかに私の見方が甘いかわかる。また最近沖縄で開かれたシンポで大野前防衛庁長官はアメリカとの交渉で県外移設に言及していないと語り(町村前外相は大野発言を否定したが)、小泉さんはやはりアメリカの意にそわないことはやらず、東アジアには嫌がることをするという政治家なのだとつくずく思ったものだ。

 今後基地移設地での海の埋め立てを沖縄県知事権限から国に移す特別法をつくり、移設強行をはかる可能性がでてきた。米軍用地賃貸契約延長で知事権限を奪ったのと同じ歴史をまたたどるのか。

 変わらねばならないものが変わらず、変わらずにますます緊密におならねばならない東アジアの関係が悪化するという変化は、t6おても1995年には予想できなかったことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カフカとアメリカ

2005年12月25日 23時40分25秒 | Weblog
樋口大介さんの『世界戦争の予告小説家カフカ - 「変身」と「判決」』(河出書房新社、2000円)を読んだ。久しぶりに面白い書と出合いネットにも書評を書いたが、従来のカフカ像を覆す迫力をもつ。

とにかく「世界戦争の予告 小説家カフカ」というタイトルがすごい。この本の中で何度も書かれているのが「グレゴール・ザムザはナポレオンである」である。この衝撃的テーゼが本書を貫く。

言論の自由が私的領域で好き勝手なことを書き、発言する自由ではなく政治発言の自由であると、憲法学者(松井茂記)が発言しているが、文学だって単に私的生活を描写することではなく、政治的発言=政治参加に不可欠な表現として組み立てられる言語空間であることが意外と認識されていない。だから樋口の「変身」「判決」を読み解く作業に新鮮な驚きを覚えるのだ。

樋口の系譜はサルトル、フーコーなどの権力をめぐる論考が螺旋階段のように文学解釈に注ぎ込まれているとみたい。最近読んだ坂本佳鶴恵『アィデンティティの権力』(新曜社、3500円)も同様だ。差別問題の社会学上のアプローチだが、アイデンティティ論を権力論からドッキングしている。そういう時代なのだ。『下流社会』という本が評判だが、これも権力が下層社会を固定化しているところから読むと著者の見事な分類も別の角度から光があてられる。それは言葉のわい小化だろう。それを打破していく政治言語が文学的解放ではないのか。

かつて柿本人麻呂を描いた梅原猛さんの『水底の歌』が衝撃を与えたのも、情緒的に読み解く万葉集解釈ではない政治的なあまりに政治的な「怨念」という政治的情念に光を当てたことが新鮮であったのだが、この書もヨーロッパを席捲した皇帝ナポレオンと格闘する作家カフカを描くところが面白い。というよりそうしたことが背後にあるなど考えられないからだ。ヨーロッパ体験が樋口さんにあるからだろう。

韓国から帰ってきたが、語学力はまったく停滞しているが、韓国体験はその地の人の見方と出会えることでわい小化し見方を破戒するのが素晴らしい。

幹細胞培養問題でのソウル大黄教授のことを現地から伝えたが、帰って中央日報の読者のコメントを読むと、ひどい韓国人批判である。そうした批判は黄教授をシンボルにした韓国人蔑視だが、そのつむぎ出される言葉が私的領域=日本主義に絡めとられた私的政治言語ということに気gあつかないのだろうか。

さて、カフカ解釈は3つにまとめられるーと、樋口さんははまとめる。

一つはマックス・ブロートに代表される宗教的倫理的な求道者。
第二は、カフカの私生泊に作家の秘軒を解明する鍵があるとするもので、当然カフカの家庭生活や交友倒係、恋愛の探索が熱心に行われる。
第三は、ウラジミール・ナボコフの『変身』論が代表するようにカフは小説という一芸術ジャンルの抜きん出た名手というわけだ(11ページ)。

「『変身』 の主人公グレーゴル・ザムザは、大変多くの、ほとんど数え切れないほど多くの身元から成る合成体であるが、そのうち優先順位からいって真っ先に挙げられるべきはナポレオンであるという指摘はどこまでも刺激的だ。

そのことは『変身』という複雑多岐をきわめた作品世界を読みほどくことを可能にするのだが、朝鮮半島をめぐるアメリカはまさしく現代におけるナポレオンという枠組みを設定してもおかしくない。最近の駐韓米大使の北への発言、ニセドル追及、それに対する鄭統一相の「具体的証拠は」という応酬。アメリカという現代のナポレオに面して言語をつむぐことがかけている。そのことは反米ではないのだ。現代を正確にとらえるためだ。

ところで樋口のこの書に出会うまでカフカがこれほど当時の政治状況に関心をもっていたとは知らなかった。カフカは普仏戦争を生き生き伝える書を熱心に読み、ヴェルサイユ宮殿にある「ヴァグラム戦場におけるナポレオン露営図」を熱心に見て、メモを日記に留めているという。マックス・ブロートに当てた文面から樋口はこう読み解く。

「普仏戦争は起こらないというブロートの判断に賛成していない。そして自分を「ドイツの文学スパイ」と名乗ることで、自分が何物であるかを伝えてると」(79ページ)

こうした解釈が残されたカフカの日記などからなされ、「変身」「判決」を読
み解くのである・そして「変身」が書かれた1912年、近い将来戦争必ず起ると予言するーとまで「変身」から読み取る。文学とは世界と葛藤しているものだということを読者に十分伝えるのだが、それは現代でこそなされろとカフカはメッセージを送っているのではないか。今も@読まれるとはそういうことだ。解釈されることで終わらないからだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の希望と絶望 黄禹錫(ファン・ウソク)教授の悲劇

2005年12月24日 21時52分14秒 | Weblog
クリスマスイブの韓国ソウルは寒さを和らいだ感じだ。23日の黄禹錫(ファン・ウソク)教授幹細胞(胚性韓細胞)培養問題のソウル大学調査委員会の中間発表から1日たったが、昨日は話題で持ちきりだった。

その日会う人で午前11時からの記者会見の内容を知らない人がいないくらいだった。日本では「なぜ?」といぶかられる向きが強いが、黄教授は現代韓国の最大の英雄だったからであり、その動向に注目があつまるのは当然のことだろう。

 友人の反応から紹介しよう。
「ひどいことだ」といきなり批判して、とりつくしまがない。同じ姓の友人の弁。「やはり論文はあやまりだといっていました」とは日本語が達者な女性。こういう結果がでるだろうと達観的。「やはり基礎研究があれっだといかんなあ」と歴史学の大先輩の学者。「とにかく黄教授のは誤りとニュースでやっていました」とニュースを子育ての忙しさの中で聞いた女性の弁。「しかし2個の幹細胞は本当に作ったと信じたいです」と50代の主婦。ソウル市内でタクシーを乗ると、先ほどの黄教授と同姓の男姓の鉄砲を撃つような批判の声に頷く運転手さん。各人いろいろの反応だが、一応に関心が高いニュースで揺れた1日だった。

さて24日の各紙は4面ほどつぶして23日の記者会見の模様、発表文全文の掲載、これまでの経緯、調査委員会委員長のインタビュー、市民の反応など伝えた。これまで研究員からの卵子提供などが話題に出ていたが、遺伝性に何らかの疾患がある人などからの皮膚細胞から作った韓細胞を11個作ることで、将来再生医療が可能だとする期待が寄せられた背景がある。

「将来病が克服されるに違いないと、難病で苦しむ人にとっては救世主のように映った」と韓国人の知人は語ってくれた。期待を一身に浴びた黄教授は成果を出さねばならなかったという背景があったことはいなめない。日本の考古学界で「神の手」をもつと言われ次々と旧石器時代の歴史を書き換える発見をしてそれが全て仕組まれた発見、つまり嘘であったという事件があったが、黄教授はまさしく「神の手」をもつ人のように映ったのかもしれない(ただし日本の考古学での事件とは事情が違う。黄教授は生命工学で実績をあげてきた人であるからだ)。

 日本では人間の卵子を提供することが最近まで認められていなかったが、韓国では日本のように厳しくなく、救世主のように偶像視されると、1000人近い女性からの申し込みがあったと聞く。韓国政府の「国家的事業」と位置づけて700億ウオン近い支援を行ってきた(民主労働党調査)。韓国政府も将来の国の命運を切り開いてくれると踏んだのである。ところが23日の委員会の中間発表で黄教授の2005年『サイエンス』誌の論文の虚偽が断定され、2個の幹細胞が本当にクイローン胚から培養された幹細胞かの断定が残るだけになったのだ。委員会では最終発表は2006年1月中旬と話している(「中央日報」12月24日3面)。

 黄教授の誠実な人柄からか、彼が報道を通じて語った詩人ユン・ドンジュの詩の1節「1点も天に恥じることがない」という幹細胞の培養は「嘘いつわりなく作成した」という点だけは信じたとする人が以外と多い。「あそこまで話されるのだから‥‥」という黄教授への信頼が何もかも消え去ったのではない、つまり幹細胞作成は韓国の技術だという自尊心なのだ。

 当然、今後も研究は継続されるが、地道な研究の積み重ねで大輪の花を咲かせてもらいたいと思うのは、隣人にして門外漢の偽らざる気持ちである。

 ソウルのクリスマスイブはイルミネーションが鮮やかで、ソウル市庁前のクリスマススリーは豪華さに目を奪われる。全羅道の大雪の被害の対策に2000億ウオンいると新聞に報じられていた。ところが国会は最大野党ハンナラ党の審議拒否で開けていない。日本人の観光客は多く行きかっている(朝一番でソウル市内のヨイドにある国会図書館に駆けつけて調べものをしようとしたら、休館。土曜日は休みじゃないはず。クリスマスイブは休みということか。残念)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7 黄禹錫教授問題で結論

2005年12月23日 19時16分10秒 | Weblog
ソウル大学の黄禹錫教授幹細胞培養問題で真偽を調べている同大調査委員会は23日午前、2005年のサイエンス論文のデータは単純ミスではなく故意と断定した。2個の細胞株で得られた結果を11個と故意的操作をしたと結論づけた。

 同委員会は「黄教授チームが体細胞複製を通じて作った患者オーダーメード型幹細胞を論文では 11個で報告したが, 論文が投稿される時点の3月15日には 2, 3番(回) 2個幹細胞株だけ存在しなかった」(「文化日報」電子版)と説明した。ただし2個の幹細胞は複製されたものか培養されたものかの結論は持ち越した。

 各紙の電子版を読むと問題の2個はオリジナルであるとする説を支持するものが大勢を占めている。だから「依然として韓国の技術」(「文化日報」電子版)と見出しをあげるものが目についた。ただ基礎データーの偽装は科学上の研究では決定的で、黄教授は理事職の辞任を申し出る事態にまで23日の段階で進んだのは当然と受け止めるむきが強い。同委員会では辞表は受理されていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6 韓国の英雄

2005年12月22日 21時36分36秒 | Weblog
 いま韓国で話題沸騰といえば、生命科学の最先端をいく幹細胞培養で一躍有名になったソウル大も黄教授だろう。
 もっとも科学分野では権威のある『サイエンス』に載せた論文が間違いがあることをMBCの看板番組「PD手帳」が取り上げてから火がついた。ところがその番組に広告を載せるなという抗議がインターネットを通じて殺到した。とうとう広告ゼロになる事態に。なぜなら韓国最大の英雄に疑義を申し立てたのだから、ということだろう。
 ところが黄教授が論文に誤りがあることを認めた。これで事態は急変。とにかく英雄が誤りを認めたことになるのだから大変なことだ。週1回の名物番組の行く末も心配されたが、これで息を吹き返した。
 生命科学については私はあまりわからないが、とにかくこの間、連日黄教授にかかわるニュースが社会を覆っている。卵子を提供した病院では黄教授がいう卵子の数のなんと2倍近い800だと報道が出たから(「ハンギョレ」12月20日)、これは女性の人権と当然かかわってくる。「なにもしない政府の対策はどうなっているのか」と女性団体から批判がでているという(同「ハンギョレ」12月20日2面)。当然だろう。
 さらに今度は政府の資金支援の額が報じられた。これをあきらかにしたのは民主労働党で、その額が驚くべき何百億なのだ(「朝鮮日報」12月22日)。また卵子を提供している病院側から卵子は黄教授が主張するような数ではないと告発、「どうなっているのか」と韓国人は気をもんでいるのがいまの状況だろう。
 連日の報道のヤマはソウル大の調査委員会が23日に中間報告を出すから、そこでだいたいの線がでるとみてよい。それが明日に迫ったわけだ。
 連日最低気温が零下10度を下回るソウル。そしてあまり雪とは縁がない全羅道では記録的な大雪に見舞われている。高速道路は不通、農作物への甚大な被害と連日報道が続いている。その雪も害を受けながらも韓国は熱く燃える問題が多い。そういえば国会は野党が私立学校法改正をめぐり審議を拒否、来年度予算や重要法案審議はストップしたままだ。
 なお。あまりニュースの脈絡がわからない私が知人に教えてもらったところによると、黄教授は論文の誤りは認めたものの、肝心の生命科学で注目を集めている幹細胞問題では「1点を誤り、曇りもない」と日帝時代の詩人ユン・ドンジュの詩の1節を引き合いに出して語ったという。それほどいうのだから幹細胞問題での後退はないとみる向きが多いという。21日には関係者4人が調査委員会に話を聞かれている。もう一定の結論は出ているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5 阪神優勝の新聞界の決算

2005年12月19日 23時42分11秒 | Weblog
ことしの関西マスコミで大きなニュースは「阪神優勝」があげられるが、星野阪神の時のように「2匹目のドジョウ」をねらい新聞各社は新聞の増刷、優勝グッズなど大幅増収を目指したが、各社はずっこけた。売り上げが予想以上にのびなかったのだ。
星野阪神優勝から2年後のこともあるし、地味な岡田監督のパーソナリティーもある。阪神フィーバーはあてが外れて新聞界ではおきなかったのだ。
そのことで「冷たい阪神ファン」とはいえない。御堂筋の優勝パレードには18万人が沿道につめかけたから、とても「冷たい」とはいえない。多分優勝を記念してグッツや新聞を記念にとっておこう考えなかったのだろう。それだけ常勝(じょうしょう)とういうイメージが定着したということか。さて2006年はどうなるか。
ちなみにたいした阪神ファンでもない私は、2003年はドシャブリの雨の中、優勝パレードを見に行ったが、今年はやめた。また来年見られる? から。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4 差別語について 1

2005年12月18日 08時58分41秒 | Weblog
ジャーナリスト・ネットで「差別語」のことを書いたが700字以内という制約があるので、ここではもう少し字数を費やします。
差別語問題が以前起きたのは1993年に作家の筒井康隆さんの断筆宣言に端を発した。その時には朝日新聞で当時の解放同盟書記長小森龍邦さんと、石原慎太郎さんが論争を行うページを組んだ。企画したのは本田(雅)記者。NHKの番組での政治家介入を告発した記事を書いた人だ。それからどう変化したのか。
行政側が差別性を加味されてきたと考える用語を使わなくなったのも以降の動きだろう。「痴呆症」は「認知症」となったように。1993年以前ではそうした言い換えはあまりなかった。着実に日本社会が変わってきたことを示すものだ。
また欧米からの流れだが、差別と権力の関係が日常で問われるようになった。ハラスメントはまさしくそうだ。男性の女性を我が物にしようとする横暴(権力)がセックスハラスメントの概念で指弾し、教師の権力がアカデミデアハラスメントで立場の弱い学生を擁護するようになった。
しかし最近の差別語の横暴を許す前兆のような感じを受ける。それは1つは世の中全体に右傾化が進んでいることと関係が深い。1993年当時とまったく情勢が異なる。もう1つは、「なぜ言い換えねばならないのか」、「言葉狩りではないか」という表現上でのフラストレーションを吐露する人が意外と多いことだ。(続く)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3 ギャグの生命線

2005年12月17日 15時12分49秒 | Weblog
16日、解放出版社の忘年会に出て、難波の吉本ビル内にある料理屋なので「ギャグ」ばかり言っていたら、「頭の中でそればかり考えてるの‥」と女性から言われ、高校時代の私を思い出す。ほとんどギャグばかりで、国語の朗読などオペラ調で読んだり、友人から「お前は就職先が決まって、ええなあ!」と言われたことを覚えている。吉本新喜劇があるというわけである。どうしておどけていたかはよくわからないが、そのクセはいまだになおらない。連れ合いに言うと「しょもない!」と一喝されるのは、普遍性? をもたないからか。忘年会を途中退座して生駒にすむ詩人宅で生カキを食した。ここではギャグは1つもでなかった。ギャグは仰ぎ見る人の前でも、絶大な権力者の前でも出るかが生命線! それが実現できればチャップリンの作品の精神に近ずけるというものだ。しかし連日忘年会ばかりで、財布は底をついてきた。17日、18日もある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2 麦豆教室 忘年会

2005年12月15日 21時16分36秒 | Weblog
「かわやんは食うときだけきんまんなあ」。ほんまや。午後6時に顔を見せた識字教室・麦豆教室のボランティアの先生とはほんとうにえらい違い。それでいて「韓国の文解運動の歴史」などの論文をかいているから、ペテン師じゃないかと思う。それでも「逮捕」されないのは人徳?か。ようわからんが、何か役に立っているところもあるんだろう。今日は主宰者の岩井好子さんを忘年会会場の大阪桃谷駅近くから家まで車でお送りした。それが唯一役立ったところだ。しかし困ったもんだ。サボリ主義の私は。なおらんな。雪が降っていまいた。「雪にあたらんと家に帰えりました」と岩井先生の弁。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする