ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

2011年4月アクセス№1記事 メデイアウオッチング「既存メデイアの重大な危機」

2012年04月29日 19時37分08秒 | Weblog
 ラジオを聴いていると関東と関西の差を感じる。東日本大震災に関する番組だ。とりわけTBSラジオの夜は報道番組が充実している。

 充実という点では個別のテーマで報じられていたことだ。各番組を聴けるわけではないが、関東のラジオでは先日は「風評被害とは何か」のテーマで研究者を交えて話し合いをやっていたし、ラジオ福島のアナウンサーのレポートもあった。これらは関西では聴けない。

 関西ではもっと阪神・淡路大震災の経験を生かした取り組みとの連携をもとっと特集として報じるべきだろう。NHKは全国放送でできないが、民放ならできる。どうもその発想を全面に出した番組を継続してやるところが見当たらない(毎日放送が唯一継続している番組を続けているが)。論じるばかりでは視聴者は欲求不満になる。何よりも具体的な行動に参照になることが必要だろう。

ただ今回は原発事故があり、一気に官界―東電―大マスコミの癒着トライアングルが表に出てしまった。そういう癒着構造は一般の方は知らずに暮らしている。ここで問題なのは情報開示だろう。メディアの力量、自己切開が試されている。ここでトライアングルの構造に蓋をするなり、曖昧にするなら、「もうネットの情報しか信じられない」となる。

 反原発を訴えてきたジャーナリスト、学者のインタビューなどはいずれもネットで見た。実は既存メディアの重大な危機がいま起きているのである。本当のことを知りたければネットへーという偽らざる真理が胎動しているからだ。それを否定する番組をどうかお願いしたい。
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韓国「希望のバス」直接民主主義の思い

2012年04月28日 09時18分47秒 | Weblog
韓国の「脱核エネルギー教授の会」は今日、釜山市と蔚山市にまがり建つ古里(コリ)原発1号機の閉鎖を求める希望バスが出る。希望バスとは、昨年、韓進重工業で解雇された労働者と労働現場敷地内のクレーンに上がったキム・ジンスクさんを励ますため全国から支援のバスを出したのがはじまり。それを「希望バス」と名付けた。クレーン上にいるキム・ジンスクがいる釜山市の韓進重工業に駆けつけたのだが、その運動スタイルが反原発運動にも結びついた。

韓国の原発について語ると、昨年に遡る。福島第1原発事故の1ヶ月後になる4月12日、古里原発1号機が電気系統の故障により稼働が全面中断された。原子炉の寿命は22、3年といわれているか、現行では30年基準で日韓とも稼働しており、2008年1月から31年目に突入、以降の故障などの稼働中断は古里原発1号機は4月の中断で3回目になる(2007年には稼働継続に反対するデモが地元住民により行われているー『釜山日報』3月29日8面)。

4月12日の事故と同じ日、釜山弁護士会が稼働中止の仮処分申請を同日釜山地方院に出したほか、翌13日には反核釜山市民対策委員会と蔚山環境運動連合が古里原発1号機の稼働中断と故障の真相公開を求めたが、その後は韓国水力原子力は教育科学技術部長官が「問題がない」とする見解を受けて5月6日から再稼働し、同年10月には反対派の提訴は第1審で敗訴した。


ところ今年2月9日に発生した古里原発1号機の電力供給中断事故に続き(この事故は1ヶ月も隠されていた)、3月23日には試験稼働中の新古里原発2号機の稼働が停止した。 部品の故障が原因という。「たいしたことはない」と韓国水力原子力。この言葉は日本でも聞くが、韓国でも同じなようだ。

今月11日の韓国総選挙では釜山市では出馬した候補者はいずれも「古里原発稼動継続に問題あり」だった。この選挙の2週間前に古里、新古里の原発現場を訪れ、古里では移住を希望されている住民の話しも聞いた。釜山市選挙区で出馬した「緑の党」の立候補者の選挙事務所も立ち寄り話を聞いた。危機意識は相当なものだと感じた。本日駆けつける「希望のバス」は新たな韓国の市民運動は、耐用年数を過ぎた原発の今後にも左右する働きをもたらすのかもしれない。運動のスタイルを次々と生み出す韓国市民社会。それは民衆参加の方法だ。直接民主主義への熱い思いを感じる。
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物乞いの迫力

2012年04月26日 05時55分49秒 | Weblog
夜10時ごろ大阪・南森町付近を歩いていると、「財布を落とした​。家に帰れない。電車賃を貸してほしい」と、60代の女性が声を​掛けてきたが、地下鉄の電車もないので「エー」といぶかる返事をしたただけで通り過ぎた。

「本当にないのか」はよくわからない。

​ないのなら申し訳ないことをしたが、手持ちのお金がないのなら町で声をかける以外にあるはずだが。

 
 「お金をどれだけ渡せるか」とのリアルションがフェイスブックでの知人から問われたが、しかし、「あげる」というのはどうか。

 物乞いのいない国はアジアでは日本だけとか。物乞いをするというのは、自分の尊厳をかなぐり捨てて成り立つ。それはそれですごいことだ。

 その徹底さがお金を差し出すモチーフになる。動機に。迫力がある。それは。
 
 ところが「ウソ」まで言ってお金を求めるのはどこか人間として信じられないから拒否してしまうのではないか。

 そうではなく「うそ」でないときは直感できる。そのときは当然差し出す。お金を出すことに共感がある。

 これに類した物乞いの論考は東北学の赤阪さんがどこかで書いていた記憶がある。
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日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2012年04月22日 22時54分17秒 | Weblog
 日曜日恒例の新聞読書欄紹介です。朝から4・3事件の64周年慰霊祭に参加したが、会場の行くの区民ホールは250人の参加者で埋まった。

 一ノ瀬正樹ほか共著『低線量被曝のモラル』(河出書房新社、3360円)ー朝日ーの書評は読んでもよくわかった。昨年7月開かれた討論会「震災、原発、そして倫理」が軸となった異なる意見をもつ専門家の討論が収められているのだが、評者(上丸洋一)が選んだ発言では「線量の問題というより(放射線によって)遺伝子の切れる場所がどこかということです」とぴう分子生物学者児玉龍彦のコメントだ。ほかも紹介しているが、哲学、産業、軍事、歴史、法学、政治などと広がると本書は言うと結ぶが、それがおづ具体的に展開されているのか。そこを知りたいのだが、本書には何も書かれていないのか。わからない。その指摘だけなら入口の入門書ではないのかと思う。

 イーグルトンの『文学とは何か』など読んだ私には、インタビューの大作『批評とは何か イーグルトン、すべてを語る』(青土社、5040円ー朝日ーは読んでみたい書である。イーグルトンの入門書と評者(松永美穂)はいう。500ページ近い本書では現時点でのイーグルトン総括をはかろうとする。壮大は営みは徹底したイーグルトンを読み込んだ聞き手であるM・ボーモントのすごさにあることは言うまでもない。
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大阪人権博物館(リバティーおおおさか)の危機

2012年04月21日 07時52分32秒 | Weblog
 大阪人権博物館があれほどリニューアルしても「お上」は気に入らないのか。

 4月21日のニュースでは補助金を出さないというのだ。博物館がいまを生き未来へのメッセージで「多文化の尊重」「ヒューマニズム」「差別の醜さ」を訴えても、「子どもたちはこの博​物館で将来の展望を見出せない」という権力者のことばだ。

 どうするか。カンパを集めるか。対抗する権力者を担ぐか。われわれでや​っていくか。選択枝はいくつかある。なぜ現行の為政者が人気があるのか。

 これだけリバディーが訴える人権の基礎にある「いのち」の大事さに理解を示さない人が、反原発なのか。打ち上げた政権を倒すスルーガンなのかと疑いは益々強くなった
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ハ・ユハさんの説 日本軍「慰安婦」問題解決について

2012年04月15日 11時29分14秒 | Weblog
世宗大学のハ・ユハさんが日本軍「慰安婦」問題で共同配信で奈良新聞の本日付けに書いています。

法律求めるよりももっと根本的な「植民地」支配反省を具体化することで非西洋国の西洋の帝国主義問題の克服になるのだし、原発問題も同様の主旨だという論です。各地方紙にも掲載されるだろうと思います。植民地支配問題が西洋も謝罪していないのだから先駆的に日本が行うべきだ。その道筋が困難な日韓条約改正よりも進むべき道だという論です。日韓条約では論議されなかった植民地支配責任を問う運動こそ大事とも読めます。
その道筋はいま日本の歴史学者が取り組んでいることなのですが、しかし政府は肝心の国家責任を認めないのにどうしてそこへ至るか。日本軍「慰安婦」問題解決ための法律制定の運動の軌跡から考えると次元が飛び越えていると思いますが。京都でも大阪日日でも神戸でも地方新聞に掲載されるはず。
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日曜日新聞読書蘭簡単レビュー

2012年04月11日 19時10分12秒 | Weblog
日曜日恒例の新聞読書蘭簡単レビュー。文学関係をとりあげてみよう。

 文学関係では勝又浩『「鐘の鳴る丘」世代―アメリカ・廃墟・占領・戦後文』(白水社、2500円)-読売―では、占領下で流れた「鐘の鳴る丘」を説き起こすことから、戦後文学を解析した本であり、同時代を生きてきた著者の私小説的評論とも読める。孤児たちの村をつくるもの物語が「鐘の鳴る丘」なのだが、アメリカの思惑が底流にあるという。著者は記憶の奥底にあるものを探求していく。この方法論から、疑問をいろいろ提起するというもの。評者松山厳からの紹介ではそれが何か具体的に読みとれないが、戦後作家の久生十蘭、中野重治、石川淳、太宰治、三島由紀夫らが取り上げられているという。新たな戦後文学論だ。

毎日は丸谷才一が評した築島裕・他編『古語大鑑』第1巻あーお(東京大学出版会、3万9000円)が載った。日本文学における「ことば」の研究は『源氏物語』の影響から和漢混交の語彙辞典がこれまで出され、漢文を読み下していくなかで日本語の誕生を解説した本はほとんどなかった。この辞典は慶事とも評者は書いている。「アラユル」「イハユル」などの古語の誕生をこの辞典で読み解けるという。企画から30年にして登場したこの辞典はまさしく文化的な財産でもあるだろう。
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メデイアウオッチング「大飯原発再稼動と政治家の立ち位置」

2012年04月10日 21時53分27秒 | Weblog
大飯原発再稼動は「はじめに再稼動ありき」とみる疑義が多くのメディアでも流れたが、これまでの原発推進が「官産複合体」があらゆる政策分野で行われたことと、今回の再稼動問題はどう結びついているのかを考える必要がある。


行政=官僚が政策決定を行い、国会=立法は追認する構造を一貫として続けられてきた。政権交代も影響、つまり行政への影響は低い〔吉岡斉『新版 原子力の社会史』〕。吉岡さんの指摘から現実を見てみると、頷かされる事実に出会い愕然とする。

枝野産業経済相は原発再稼動をめぐる発言は二転三転した。「大丈夫だ」「この夏は乗り切れる」と当初言っていたが、「電力不足は否めない」と変化した。ここ政治家が未来を見据えた判断はない。「官産複合体」である原発の影響から出てきた発言があらわれている。

4月10日になり枝野産業経済相は「最後は政治家が責任を負う」と発言したが、その言葉の軽いこと、このうえない。当初の発言がグラグラと揺れたてきたからだ。大臣の背後に官僚と産業界の影響が見え隠れする。

あれほどの大事故を経験して、東電は廃炉の見通しを立てる状況にない。日本社会は脱原発にどうして踏み切れないのか。今回は政治家主導で原発問題がなかなか動かないことをまざまざと見せ付けてくれた。

大飯原発再稼動問題は守旧派新聞もその早急な対応に疑義を示した。メデイアの世論調査でも6割近い人が「反対」の声をあげた。世論を反映する新聞、テレビが早期再稼動に疑義を示すのは当然だろう。未来を見据える政治家なら、本当なら再稼動問題は歴史的英断ができたはずだ。しかし「官産複合体」の前についえたのだ。
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韓国・憲法裁判所決定のその後

2012年04月08日 10時09分29秒 | Weblog
東京での強制連行・強制労働の集会に参加。韓国の弁護士が日本軍「慰安婦」問題の韓国・憲法裁判所決定のその後の私見を交流会で述べたが、なかなかハードルは高そう。つまりわれわれが解釈すれば、日本が独自で法律を創ること(当然のことだが)が焦眉の課題に。65年の日韓協定の解釈はできるのだが、すべてだめとの政府方針。捻じ曲げられた日韓協定解釈を集会で改めて知る。
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